私創 三国志異聞奇譚 「暁に起つ鴟」〜細作の郷に生きる奴隷少年の運命転機

若沙希

文字の大きさ
1 / 14

第1話 闇夜の悪鳥(あくちょう)

しおりを挟む
 おれは、自分の生まれた日も、場所も、知らない。

 幼い俺が気づいたときには、細作しのび一族・韋虞いぐ氏の僮僕どうぼく(男奴隷)として『はく』と名付けられ、世間から隔離されたこの〈韋虞のさと〉で働かされていた。

 細作の補佐務めもまだできないおれのような少童には、仕事が二つある。

 ひとつは、上役の下働き。
 もうひとつは……傭人ようじん(金で雇われた外部者)等に対しての報酬として、からだで支払われる代価品 ——。

「今回の払いか」
「おう、なかなか上物だ。てぇせつに扱えよ。怒らせたら怖い連中の、でぇじな商品らしいからな」

 不敵が生業なりわいな者どもの粗暴な息遣い。抵抗を奪ういくつもの手。
 肢体中を這い回る慾情のにおい。

 苦しい。
 呼吸も、臓腑ぞうふも、全部がきしむ。

 ……いやだ。ちきしょう。
 今にみてろ。こんな所、必ず抜け出してやる。
 いつか、必ず ……!!

◇◇◇

「狛、ほんとにやるのか? 今日?」

 隣で狛にくっつくようにしゃがんでいるりつが、消え入るような声で訊いた。
 触れている栗の腕は震えている。

「そうだ。今夜を逃しちゃ駄目だ。昼間もそう言ったろう」

 正円に幾らか欠けた月が、夜の闇中にも樹々の影を地面に形作れているのを、狛の視覚は確認できている。
 少なからずある雲が流れて、ときおり月光を塞ぐものの、真っ暗闇という状態ではない。

 ———— 動くには、充分だ。

 麻布で小さく丸めた荷を背にくくり付け、岩陰に片膝を付いている狛は、己の視力の良さを信じた。

 栗がなおも、不安を吐露とろする。

「うん。……でも、成功するかな」

 僮僕仲間の栗は小柄で、歳は狛と同じか、ひとつくらい下かもしれない。
 頭が弱いというわけでもないのに、いつもおどおどしている。

「いまさら何言ってるんだ。おまえ、ここでずっとこんな生活、続けたいのか」

 狛はひそめた声ながら、語気強く叱咤しったした。

 栗は例の代価仕事はさせられていない。ただしそれ以外については、狛よりずっと過酷で嫌な作業を毎日させられていた。
 同じ僮僕でも、対外的な商品でもある狛とは、上役も使い分けているらしい。

 栗は一見従順そうに見えはしていても、真意では抗っている。
 そう、狛は判断していた。

「この林を抜けたとこに川がある。以前上役の狩に従わされて、知ってる」

 今からすることは狛だって怖い。だから自身をも励ましている。

「かなり幅の広い川だ。この辺りは網の目みたいに水流れがあるけど、その川はずっと大きい。上役らはあそこを渡って、郷と外とを行き来してるんだ」
「……」
「あのあと何度かこっそり行ってみたとき、川岸に打ち捨てられた小舟を見つけた。ボロだけど、充分使える」
「うん」
「そのとき決めた。あの川を越えて下流の向い岸に行けさえすれば、なんとか逃げられる。漕ぎ竿も探して、そこに用意してあるんだ」

 同じ説明を、栗にはもう何度もしてきた。
 この計画に、狛は栗を無理矢理巻き込んだつもりはない。栗も納得し、希望していたはずなのだ。

「夏の雨期になったら、水嵩みずかさが増して渡れない。今しかないんだ」
「そう……だね」

 相槌あいづちが弱い。

 狛は心中で舌打ちした。
 栗の性格がこうなのは仕方ないにしろ、ここへ来て、栗の尻込みに合わせているわけにはいかない。

「……わかった。嫌ならここで帰れ。独りで行く」

 本音では独りよりふたりがいいと、狛は思っている。
 栗は気弱だがいい奴だ。賎民せんみん扱いの中で、物心ついてからの狛が唯一、心を交わせる友であった。
 ここで帰しても、栗は狛の計画を、きっと誰にも言わないだろう。

「ご、ごめん、狛!」

 狛の突き放しに、栗はあわてて反応する。

「行くよ、一緒に行く。俺だってこんなとこ、いたくなんてない」

 栗は狛の手を、ぎゅっと握った。

 サワサワと、草や樹々の葉をなびかせ渡る風はぬるい。春ももう終いで、今は初夏に入る過ごしやすい時期だ。

 だがこの先にはすぐ、長雨と湿気と高温の不快さ、加え水の氾濫に苦しむ悪月がやって来る。
 少年が事を起こすに最適な期間は短い。

 狛は行動前の最後に、もう一度周囲を見回した。



 ホウ……ホウ……ホウ…… 
 風が一時止み、しんと静まりかえった月夜に、夜鳥の籠った鳴き声が響く。

 ———— ふくろうだ。

 狛は胸のあたりが、わずかにもやり、とした。

『鴟ってのは、不吉の予兆なんだぜ』

 いつだったか、年上僮僕のしんが、博識ごかしのように言っていたのを思い出してしまった。

『鴟は悪鳥だからな』

 ———— いや、違う。

 狛は栗に勘付かれないよう、胸中で鬱念うつねん払拭ふっしょくする。

 ———— ヤツは、暗闇の強者だ。

 あの鳥は夜目が効き、羽音を立てずに目的の獲物を捕食する夜の支配者。
 そうだ。今の己はまさに、鴟になるべきところではないか。これは吉兆だ!

 狛は地に付けていた膝を上げた。

「栗、行くぞ。離れるなよ」
「うん」

 二つの細い影は、己の未来への希望に足を踏み出した。


<次回~ 第2話 「しかばね」>
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

鸞の島

こいちろう
歴史・時代
 鸞は鮮やかな青い羽根に覆われた霊鳥である。雛たちの前では子らが近寄り易いよう、落ち着いた色に姿を変えて現れるという。  年を経ると天上に上り天帝の御車に据えられる鈴となる。その鈴も鸞という。大鳥が鈴となるのか、鈴が大鳥となるのかは分からないが、鈴も大鳥も鸞である。その鸞は平穏な海を好むという。  世界に平和をもたらす真の指導者が現れた時、初めて鸞は自ら鳴る

【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】 3巻からは戦争編になります。 戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。 ※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

処理中です...