揺り籠の計略

桃瀬わさび

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残酷な現実 後 〚葵〛

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写真は、いろいろなものを写し取る。
その一瞬を切り取って、灼きつけて。
そのときの光景や表情、あるいは感情を。

―――そしてときには、好きな人が恋に落ちる瞬間まで。



新人戦のあの日、笑顔に滲む悔しさまで写し出したカメラは、志摩が恋に落ちる瞬間もまた、切り取ってしまった。

部員と何か立ち話をしていた志摩が、その部員の指差した方向を振り返り。


目を見開いて、固まった。
通り過ぎるその人を、ただじっと目で追って。
その頬に、夕日のせいでなく、朱がさして。

パシャリ、とシャッターを切る音が、心がひび割れる音に聞こえた。


―――なんで、茜。


通り過ぎたのは、全く似ていない双子の弟。


残酷で、天真爛漫で、無邪気で美人な、俺の弟。
俺の持っていないものをすべて持つ、茜が。
志摩さえも。
ぎゅっと唇を噛み締めたら、血の味がした。



帰ってからも散々だった。
皿を割り、片付けようとして手を切って、その痛みに少し涙がこぼれた。

痛い。くるしい。


見てるだけでいいと、思っていた。
見ていられたら、それでいいと。
でも、茜を見る志摩は、とても見ていられなかった。

あんなに、見惚れて。
ひと目で恋に落ちたとわかる、あんな顔で。
茜は、志摩を、選ぶんだろうか?
志摩には、幸せになってほしい。
自分が幸せにしたいなんて身の程知らずなことは考えてない。
誰でも、好きな人と、付き合ってくれれば。


―――でもそれが、茜だったら?

耐え切れないほど胸が痛んで、キッチンの床で蹲った。




ある日、グラウンド脇を通りかかった茜に、志摩が話しかけた。
二、三言話したところで、茜がちらりとこっちを見て、不敵に笑った。
―――その顔を見たときから、こうなることはわかっていた。


あれからたまに、茜がグラウンドに来る。
志摩と親しげに笑いあって、笑みを含んだ目で俺を見やる。
まるで、お前の気持ちなどお見通しだと。
指を咥えて見ていろと、言わんばかりに。
わざと見せつけるかのように、志摩に触れ、華やかに笑う。
俺にだけわかるように、にっと意地悪く笑って。
いつだって、そうだ。
茜は、何もかも持っているのに、俺のものを欲しがる。
おもちゃも、文具も、衣類も、………恋まで?

ぎしぎしと痛む心に、志摩のことも見ることが出来なくなっていた。



壊れてしまった日常のなか、不思議な文通だけはいつもどおりだった。
オススメの本を聞き、教え、感想を交わす。
グラウンドでは胸が痛んで直視できないけど、言葉のやり取りは嬉しかった。
ファインダー越しに覗けなくなった志摩の心に、触れられる気がして。


『部活後、グラウンドに来てください』


だから、そんな付箋が入っていた時、心がざわついた。

グラウンドに来てください。
―――俺は、いつもグラウンドにいるのに。

そこで、まさか、という思いがよぎる。
俺は、たぶん、“青井”。
じゃあ、芹沢葵は誰?………もしかして茜と間違えられている?
少なくとも同学年に、芹沢は他にはいない。
じゃあこれはきっと、茜あてで。
今までも、茜だと思って、やり取りしていたのか。


残酷な現実に、心が軋む音がした。


―――茜にこれを、伝えなくてはいけない。
―――伝えてどうする?二人がくっつくところを、間近で見るのか?
―――伝えなければ、志摩は失恋して、まだ見ていることができるのに?


相反する心がせめぎ合って、くるしい。

茜の教室に行かなきゃ。
そして、どうにかしてこれを渡さなきゃ。

そう思っていたのに、固まった体は動くことができなかった。
ただのろのろと、いつものようにグラウンドに向かう。
きっと青ざめているのだろう。
陸上部の誰かに声を掛けられたけど、上の空で流した。

どうしよう、渡してない。
でも、茜が来なければ、まだここにいられる。

そう思っていたのに、茜は、来た。


―――やめて、


声は聞こえない遠くで、志摩が茜に何かを話す。
茜が、ちらりと俺を見て、にんまりと笑みを浮かべて。
つ、と志摩の首に手を掛けた茜が、少し目を伏せる。

―――いやだ、見たくない。

固まったままの志摩に、茜の顔が近付いて、


俺の心は、砕け散った。









「お熱いことだね。」

後ろからかけられた声に、ぎゅっと瞑った目をのろのろと開く。
へたり込んだまま見上げるけど、逆光で誰かわからない。
誰だろう、と目を瞬いたら、唇にやわらかい何かが触れた。

―――え?

思考がついていかなくて、ただ呆然とする。
目の前に、黒くて長い睫毛が見える。
くっきりした二重に、精悍な眉。
見たことあるような気もするけど、近すぎてよくわからない。
そう、近すぎて。―――焦点が合わないほど近くに、なんで人の顔が?
ぺろり、と唇をなぞられて、ようやくわかる。
もしかして、キスみたいなやつなんじゃ……?


ようやく離れてくれたその人は、学年首位の会計サマだった。
えーと、確か名前は………ちょっとパッと出てこないけど。たぶん見ると思い出す。
天は二物も三物も与えるんだな、なんて思った美貌が目と鼻の先にあって。

―――なんで?

「ふっ、あはは。びっくりした?」

ええ、まぁ。

「知ってるかな?早苗侑生(さなえゆうき)って言うんだけど。」

…あぁ、なんかそんな名前でしたね。

「芹沢葵。君をもらうことにしたから。……覚悟してね?」

はあ。


……はあ?



もう一度ぺろりと唇を舐められて、完全に思考が固まった。


 

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