揺り籠の計略

桃瀬わさび

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あの瞳がほしい 前 〚早苗〛

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物心ついた頃から、人に見られるのには慣れている。
勉強も運動も人並み以上にできたし、顔もまあ、整っている。
背も高い方でクラスでも目立つ、とくれば視線が集まるのはむしろ普通のことだった。
それを煩わしいと思うこともない。
そういうものとして育ったのに、わざわざそれを疑問に思うことなんてないだろ?
周囲の目線も喧騒も、俺にとっては日常だった。

だから、初めて彼を見たときは、逆に驚いた。


白くて小さい手に大きなカメラ。
視線はじっとそれに向いて、俺の方を見向きもしない。
この反応。はっきり言って初めてだ。
妬み嫉みで無視をされたりすることはあれど、無関心そのものはまずない。
大半が好意、少数は悪意を示して見つめてくるのに。
よくわからないけど、何かを設定しているらしい彼を、新聞部のインタビューに答えながらずっと見ていた。

「この学校を選んだ理由は?首席入学者が生徒会会計を務める決まりですが?」
「近かったからです。首席も会計も、驚きました。」

適当に答えながら、ひらひらと動く白い手を見つめる。
小さな頭に、大きな瞳。伏せた睫毛も長いのに、全体の印象はとにかく地味だ。
新聞部の後ろでうつむき加減にしていた彼は、ようやく設定が終わったのか、少し長めの前髪を揺らして顔をあげた。
ようやく俺を見るけど、俺を見ていない。
あくまで被写体として観察する目で、心はカメラに向かっている。
―――面白くない。

4月。それが彼との出会いだった。





写真部の、芹沢葵というらしい。
陸上部の担当になりました、よろしくお願いします。
か細い声の挨拶はほとんど誰も聞いてなかったけど、俺の耳にはちゃんと届いた。
担当って?と思ったら、写真部の活動費を賄うために各部活の練習風景を撮るらしい。
親や、許可すれば他校の子にも写真を売るという。ほとんどの連中が女の子と知り合いたくてOKしていた。
俺は少し悩んだけど、中学からの友人の志摩が勝手に二人共OKにして出した。
―――まぁいいか。別に減るもんじゃないし。

芹沢は、毎日グラウンドに来る。
陸上部がそこそこ強いこの高校は、このグラウンドも陸上部専用。サッカーと野球は別のグラウンドだ。
だから、ハードルも、ハイジャンプも、幅跳びも、短距離も長距離も、結構広々と練習している。
用具の関係で、ハードルとハイジャンプは用具入れの近く。
芹沢は、その用具入れ脇の木の下で三脚を設置して撮ったり、手に持って動きに合わせて撮影していたり、とにかくちょこまかとしている。
そして、俺の方はやっぱり、見ない。
少し眉を下げた気弱そうな笑みのまま、カエルを解剖するかのように、俺を撮影するだけ。

どうしたら、他の連中のように俺を見るんだろう?

それが最初の疑問だった。





撮られた写真は、一度それぞれに配られる。
シリアル番号のついたそれを見て、、売っていいものは○、だめなものは✕をつけていく仕組み。複数人写っているものは全員からの許可がないと売らないらしい。
なるほど、よく出来ている。
5月中旬の地区大会前に撮り貯めたものが配られたけど、毎日撮っていた枚数からするとかなり少なかった。
きっと厳選されているんだろう。中身もまさに売り物といった出来映え。

「侑生(ゆうき)、どうだった?はい、こうかーん。」

志摩がガバッと抱きついてきて、写真を押し付けつつ奪っていく。
暑苦しくてイラッとしたものの、興味があって写真を繰った。
真ん中らへんに挟んであった、一枚の写真に手が止まった。
走り終わったあとの志摩が、全開の笑顔で汗を拭いている。
背景を少しぼかして笑顔にフォーカスされたその写真には、芹沢の想いが溢れていた。
思わず志摩の方を見たけど、こいつは全く気づいていないらしい。
―――鈍いやつ。

その日から、志摩を撮る芹沢を見るようになった。
どの部員も均等に、……俺だけは部長の指示でやや多く、撮ってはいる。
けれど、志摩を撮るときの集中力は明らかに異なる。
声をかけるのが躊躇われるほどの集中に、部長らしき人物がキリまで待つ姿もかなり見た。
俺の撮影のときは、先に部長に気づくくせに。

そんなある日、志摩が傘を取りに行ったのにずぶ濡れで戻ってきたことがあった。
シオとナベと散々笑って、俺んちでタオルも傘も貸した次の月曜。
志摩の傘の行方は、芹沢のところだった。
あおい、と呼んでるけど、発音がおかしい。どう聞いても青井だ。どういう勘違いだ?

―――なんにせよ、面白くない。俺のことは、見ないくせに。

なんでそんなに見惚れて、固まって。
あんなに集中して写真を撮る時さえ、志摩の笑顔だけで動揺して。


このあたりで、俺もやっとおかしいと気づいた。
あんな地味な男が、なぜここまで気になるのか。
他のやつの視線が煩いほど集まる中、こちらを向かない焦げ茶の瞳は確かに気になる。

けど本当にそれだけか?
それだけで、こんなにも苛々するのか?





その答えは、思わぬところからもらった。

「ねぇ、芹沢葵って、知ってる?」

昼休み。いつも通り4人で飯を食っているときに志摩が真剣な顔でそう切り出した。
志摩の口から出たその名前にいいだけ動揺する。
なんで、お前、いつその名前を。
青井だって、思ってたんじゃ…?
あまりに動揺して却ってなんの反応もできないでいたら、シオとナベとで話が進んでいた。

「せりざわ………あぁ!わかった、C組の美人さんだ!明るくって楽しい人らしいね。」
「早苗ほどじゃないけど人気もあるなー。」

C組?芹沢は、B組だ。隣のクラスだから合同授業もかぶる。
なにか変だと聞いていたら、どうやら別の芹沢と間違えているらしい。

「なんでそんなこと聞くんだよー?あ、やっぱいい。わかったから。」
「顔知らないのになんでそうなったんだ?教えて欲しかったら、洗いざらい話すんだな?」

真っ赤になった志摩が、図書室での風変わりなやり取りについて話し、ラブストーリーのようなそれをシオとナベが囃し立てる。

………………ラブストーリー。志摩と、芹沢が?

その想像に吐き気がした。
ありえない、芹沢の相手は、俺だろう。
ぎり、と歯を食いしばって、ようやくこの気持ちを理解した。





「その芹沢は、芹沢葵じゃない。」

その一言が言えないまま、シオによって志摩はニセモノの芹沢を知った。
元より恋していた相手の姿に、声もなく見惚れて。
それを、シャッター音が切り取った。
あのカメラを通せば、きっと一目瞭然だろう。
―――いったいどんな気持ちだろうか。

そして翌日。早速志摩がニセモノに話しかける。
そのやり取りを見て、夏も毎日外にいたのに白いままの頬から血の気が失せた。
志摩の方を見れば、確かに綺麗な顔立ちのニセモノが、芹沢を見て不敵に笑っている。
―――この二人には、何かある。
そう直感で感じながら、青ざめる芹沢をただ、見ていた。





――――――慰める?まさか。

もっと、再起不能なくらいに芹沢の恋が砕け散って。
見るも無惨なそれを浚うように、芹沢のすべてを奪い去りたい。

―――悪いな、志摩。

お前の恋した相手は、俺がもらう。
フェアじゃないが、これは、恋だ。スポーツじゃない。


ほんの少しのボタンの掛け違い。
タイミングのずれ。

そんなもので、結果はひっくり返るものだろう?

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