マクガフィンの行方

阿久井浮久衛

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Epilogue

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「はぁっ......はぁっ......」

 苦しさを感じながらもわたしは全力で構内を走った。教養棟のあるセンターゾーンを出て食堂の裏に回る。体感では少し走った程度だが,中高文化部で普段運動しないわたしはうだるような盛夏の気温も手伝い,もうTシャツが背中に張り付くくらいの汗をかいていた。肩に担いだバッグが弾んで走りにくいと感じる。頬から離れない髪が鬱陶しい。シャワーを浴びたい。そんな衝動にも駆られるが今足を止めるわけにもいかない。

 期末考査も終わり帰省した学生も多いはずだが,キャンパスには意外とまだ人気が残っている。その少なくない目が尋常でない様子で走り過ぎるわたしに好奇心を向けてくるけれど,その視線に羞恥を感じないほどわたしは急いでいた。書籍部の脇を抜け,体育館とテニスコートに挟まれた駐車場も通り過ぎサークル棟へ駆け込む。夏季休暇でサークル活動に精を出しているのだろう,ここはセンターゾーンとは異なり学生が多い。ミス研もこの時期はいくつかイベントを企画しているが,今日はそのような予定はないし個人的な約束もしていない。けれど彼なら夏休みでもいつものように部室で過ごしているはずだ。喘ぐように息をしながら3階まで駆け上がる。

 3階に上がると,さすがにこれ以上走る気にはなれなかった。足が痺れ立っているのがやっと。ゆったりとしたカラーパンツの中に籠る湿気も不快だ。開放廊下の手摺にもたれ込み,何度も深呼吸を繰り返す。少し息が落ち着きを取り戻した頃,ようやく部室に向けて早足で急いだ。窓越しにその姿を確認すると開けられた扉から中に飛び込む。

「松本君,聞いた!? コテージのあるあの――」
「埋められていた岡部さんの遺体と菅さんの首が見つかったかい? それとも,高杉さんが性的暴行を受けていたことが分かったのかな」

 読んでいる本から顔を上げようともせず,淡々と応える松本君の発言に思わず息を呑む。外で鳴く蝉の声だけがしばらく,静寂をかき乱した。

「......知っていたの?」
「知っていたというか,推理しただけさ。恐らく岡部さんの遺体はそう深くない,しかもコテージの近くに菅さんの頭部と共に埋められていたはずだ。そして高杉さんが暴行されたのが死後であることも警察は明らかにできているんじゃないかな」

 変わらず読書を続ける松本君をわたしは信じられない思いで見つめた。今日報道で伝えられた通りだったからだ。それを,推理によって予測していた?

 警察の到着後,わたし達は個別に事情聴取を受けた。殺害現場に入った松本君は幾分苦言を呈されたらしいけれど,その日の内に聴取は終わった。ただ到着が遅い時間帯だったこともあり,全員の聴取が終わったのは午後10時を過ぎていた。さすがに当日中の下山はできないとの判断で,わたし達は2日目の夜をコテージで過ごすことになった。同じ建物の中に横たわっている2つの遺体を思うと抵抗はあったが,警察官が詰めかけている安心感の方が勝ったらしい。疲れもあったせいか深い眠りにつくことができた。翌朝パトカーで市内の主要駅まで送ってもらい,わたし達学生組は無事自宅へと帰ることができた。

 帰宅してから3日経ち,警察からは後日何か不明なことがあれば確認を取る場合もあると言われたけれど,今日まで一切連絡はない。土井さんからは無事,その日の内に帰宅し翌日から出社しているとの連絡を受けた。直ぐに元の生活に戻るというわけにはいかないだろう,と土井さんのことは心配したけれど,それ以外はまるで事件自体が悪夢だったかのように思えるほど平穏な日々が続いた。事件のことはすっかり警察に任せて,目撃してしまった遺体の記憶も速く忘れてしまおう。そう思っていた矢先,今日のこの報道だ。正に寝耳に水といった事態でわたしは慌てたのだけれど,松本君はこのことを既に予見していたらしい。

 ちらりと驚いて声が出ないわたしを一瞥すると,松本君は溜め息を吐いて本を閉じた。ようやく顔を上げたかと思うと,更に衝撃的な言葉を発した。

「その様子だと,一ノ瀬さんの遺体はまだ見つかっていないみたいだね」

 一ノ瀬さんの,遺体?

 何を言われたのか即座には理解できなかった。遺体だって? 一ノ瀬さんは今亡くなっているの? 逃亡しているはずじゃなかったの?

 混乱するわたしに構わず松本君は続ける。

「もし見つかるとすればあの山間を流れている川の川下付近だろう。死因は溺死だ」
「.....じゃあ,逃げている途中で氾濫した川に流されて」
「警察もそう判断するかもね。でもそうじゃない,あのコテージで殺害されて流されたんだ」
「どうして......いや,誰がそんなことを?」
「簡単だ。高杉さんの遺体を発見した時,1階のホールには犯行予告に使われた2輪の百合の花が活けられたままだった。ということは高杉さんの遺体と共にあった花は犯行のため予め用意されていたものではなく,殺害後犯人がコテージの周囲に自生していたものを採ってきたことになる。つまり犯人はどこに百合の花が生えているか知っていなくちゃならない。また警察が到着していないにも関わらず高杉さんが自ら鍵を開けて応対するとも考えにくい。ということは一ノ瀬さんと同様に犯人は合鍵を作ることのできた人物だ。それが可能なのは幼少の時分昆虫採集といった経験を通じコテージ周辺の地理を覚え,一ノ瀬さんと双子の兄弟であるあなたにしかできない」

 はッと振り向き,部室の出入り口にいつの間にか人影が立っていることに気が付く。松本君はその人に向けて言った。

「そうですよね? 一ノ瀬鳴海さん」
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