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悪魔祓いと復讐者(1)
しおりを挟む「それ」は、まさに悪魔の名に相応しいすがたで、ラウルの眼前に現れた。
ラウルの背丈の倍はあろうかという巨躯は、頭のてっぺんから爪先まで、夜の闇に塗り潰されている。月の光に照らされた肩からは、翼と呼ぶにはうすっぺらい布めいた何かが、長く尾を伸ばしていた。
その表情は窺い知れず、さりとて瞳であろう位置から放たれたふたつぶの鈍い光が、刃のごとく切っ先を突き付けている。
その対象はラウルではない。その視線は、そこに孕まれた明らかな殺意は、大の字になったラウルを組み敷いたひとりの女に向けられていた。
ラウルの生母である。
血を分けた、今やただひとりの家族。誰よりも愛し、大切に想い、幸福になって欲しいと願っていた相手。
たとえ彼女が、ラウルにどんな仕打ちをしていたとしても。何処に消えたとも知れないラウルの父を想い、その姿を成長しつつあるラウルに重ねていたとしても。その影を重ね、求め、母のものとは異なる愛情を注いでいたとしても。
それでも、ラウルにとって他の何にも替え難い、最後の肉親であった。
そのひとが。
ラウルの母が、ラウルの上に覆い被さるようにして、
死んでいた。
その鼓動を確認するまでもなく、死んでいるとしか思えない様相であった。破れた頭皮とひび割れた頭蓋から、その中身が漏れ出している。血と、血ではない液体と、柔らかな塊。溢れたそれらは額を頬を伝い、顎から滴り落ちる。それは可憐な少女の涙のようでも、獰猛な獣の涎のようでもあった。
大きく見開かれた眼球は爛々と血走り、眼窩より押し出され、まさに零れ落ちんばかりである。ふっくらとした唇を彩る艶やかな赤は、今やその口周り全体を塗り潰し、刻々とその色を濃くしつつあった。
ぽたり、と生温いものがラウルの頬に落ちる。それはいびつな涙の筋のように伝い落ち、耳元をくすぐった。あざ笑うように。縋り付くように。
ラウルはただ、見ていた。母に――既にそれは「母であったもの」となりつつあったが――覆い被さられたまま。それは傍から見れば脅威から我が子を守ろうとしているかのように思われたであろう。当事者であるラウルにさえ、そう感じられた。あるいは、そう信じたかった。その結果として、母は命を落としたのだと。母の背に立ちはだかる、黒い影の手によって。
けれど。頭のかたすみで、もう一人の自分がそれに否を唱えていた。そうではないと、正しく状況を判断しろと、無情なほど冷静に、残酷なほど公平に。
死んだのは母だ(それは否定しようのない事実だ)。けれどラウルを庇ったわけではない(それはラウルの願いでしかない)。あの殺意の対象はあくまで母であり、ラウルではなかった(そこには確かな理由があった)。何故か?(理解したくない)それは母が(知りたくない)、ラウルを(認めたくない)、
「――の処理を完了した」
低い声が、まるで異国の言葉のように淡々と降り注いだ。ラウルに対してではない、此処に居ない誰かに向けられた、極めて簡潔な連絡事項。
その淡白な言葉の連なりによって思考が遮られ(それに助けられたような気持ちになったことは否定できない)、ラウルは視線を上げる。物言わぬ躯となりつつある母の肩越しに、影が動くのを見た。夜闇に溶け落ちた森が、風に吹かれてざわめくような動きであった。長い脚を緩慢な動作で振るい、靴に付着した赤黒い液体や固体を払う。
「襲撃されていたのは子供一名。意識有り、外傷不明」
声は平らかな調子で続けられる。呼吸も感情も何一つ揺らいだ様子は無い。何の異常も無いと言わんばかりに。明日の天気をたずねる言葉の方が、まだ感情を感じられそうな話しぶりであった。
ラウルの母が、今しがた、ラウルの目の前で、命を落としたというのに。それも、頭蓋を破壊されるという、あまりにも残虐な方法によって。
にも拘わらず、男は(そこではじめて、ラウルはその影が男であることを認識した)ひたすらに平然とした、ある種の業務的な口調であった。もとい、男にとっては確かに業務のようなものであったのだろう。
ラウルの母を、殺すことが。
ラウルの裡で揺らめいていた動揺が、不安が、恐怖が、あらゆる感情が。たった一つ、単純で明快なものへと収束していく――憤怒だ。
「――ッ、ぁああ……っ!」
言葉を失ったけもののように、ラウルは雄叫びを上げて全身に力を入れた。強迫観念にも似たそれは覆い被さっていた躯をたやすく押しのけ、弾かれたように前方へと飛び掛かる。一度は冷静さを取り戻したラウルではあるものの、理性は既に疲弊しきっており――そして今や、こなごなに破砕されていたのである。
男はラウルに視線を向けた。路傍の石、あるいは路地裏の廃棄物を見るような視線。そこに殺意は無かった。戸惑いも、憐れみも。あらゆる興味をそぎ落とされた、ただただ空っぽな瞳。
「錯乱状態」
ラウルの視界が、夜を背にした男のすがたで満たされる。伸ばされた腕がゆっくりと、それでいて的確に、ラウルの頸部を狙う。
不思議と怯えを感じなかったのは、そこに殺意が込められていなかったためか。あるいは込められていたとしても、そうだと判別できるだけの余裕をラウルが蕩尽していたためか。
「確保する」
――斯くして、ラウルの意識は暗転した。
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