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本章

逃避行 漁村とオーガ 8

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林に着き偽装遮蔽を解くと街道から隠れる様に林の裏手に回り込んだ、この辺りで待機しているはずと林の中を窺う、しかし彼等の姿は無い、上手に隠れているのだろうと馬車を降り林に歩み寄るとすぐそばの藪からエルステが飛び掛かってきた、見事な体当たりを受けキーツは転げてしまう、

「キーツ、待ってた」
馬乗りになったエルステは満面の笑顔でキーツを迎える、

「出迎え御苦労、エルステ、元気あり余ってるな」
苦笑いで笑顔に答えると、エルステの後ろにテインの姿を見付け、

「テイン、問題は無かった?」
と視線を向ける、

「早かったですね、こちらは何も、大丈夫です」

「フリンダは?」

テインはニコリと柔らかく笑顔になって樹上を指差す、そこには酷くだらしない恰好で昼寝をしているフリンダの姿があった、太い枝の上で今にも落ちそうになっているその姿に確かに問題は無かった様だと安心する。

「別れてからずっと、見張るって言ってあそこで頑張ってたんですけど、長閑すぎたんでしょうね」

「良かった、ではどうしようか、役に立ちそうな物と馬車が手に入ってね、大分楽になると思うよ」

「えぇ、荷馬車が見えたので奥に隠れたのです、エルステそろそろ離してあげないと」
テインは馬乗りになったままのエルステの肩に触れた、わかったと明瞭な返事の後エルステはその拘束を解き、キーツはやれやれと腰を上げる、

「荷馬車を引き込もう、場合によっては街道から少し離れた方がいいかもしれないけど暫くは大丈夫と思う」
3人は荷馬車を林に引き込み、倒木と藪でその跡を偽装した。
ちょっとした作業を終えてもフリンダは起きる様子が無く、三人は彼女を見上げてどうしようかと思案する、大声を上げるのは問題がありかと言ってこのままにして置くのは彼女の性格を考えると後々禍根を残しそうだ、しょうがないとキーツは足元の小石を拾って木の枝を狙って投げつける、フリンダの跨る枝に当たったがフリンダは小さく耳と尻尾を動かしただけであった、

「これは手強いか?」
呆れたように楽しそうに微笑む、

「では私が」
テインは両手を蕾みを作るように合わせると親指と親指の間で作り出した小さな空間に何事か呟き始める、両目を閉じて集中し静かに目を開けフリンダを見つめると両手を掲げ蕾みを開いた、緑色の靄のような塊がスーッとフリンダに近付きユラユラと揺れる尻尾に近付くと音もなく拡散する、途端奇妙な呻き声を発してフリンダは飛び起きた。

テインは魔法を使ったのである、どのような性質でどのような効果を齎すかは実際に見ただけでは判断のしようがなかった、少なくとも寝た子を起こすだけの効果はあるが、それだけで無い事は想像できる、テインがフリンダに対して使用している時点で攻撃的なものでは無い事も分かるが、日常生活で気軽に使用できる程魔法という技術は多種多様であり応用がきくという事も興味深いなとキーツは再確認した。

「おはようフリンダ」
寝ぼけた様子で周囲をキョロキョロと見渡す彼女に声を掛けると、フニャと可愛らしい声を上げてフリンダはキーツを見た、そして安心したように大きくあくびをして再び寝そべる、

「フリンダ、起きて、キーツ、戻ったの」
結局テインは大声を上げてしまう、その声に悠揚と顔を上げ眠そうな顔のまま彼女は地上に降り立って、もう一度あくびをするとテインの足にすがりついた、

「あまえているの?」
あまりにだらしない彼女の姿態に率直な感想が口をつく、

「んにゃ、眠い、キーツ、早い、駄目」
テインの服に顔面を押し付けて良く分からない事を言う、三人は笑ってフリンダを伴うと馬車の元へ戻った。

まずはとキーツは揉み手をしながら木箱の一つを開ける、
「サンダルと裁縫道具になめし皮と布だね、テイン履いてみて、エルステとフリンダのもあるけどどうする」
小型の革製サンダルを手渡す、野人用であるがテインはサイズが合えば履けるはずだし、子供らは必要かどうかは本人らに任せる事とした、

「ありがとうございます、よかった、ちょっと大きいけど締め付ければ良い感じです」
さっそく履いたテインは嬉しそうに笑った、エルステも履いて軽く跳躍してみせる、フリンダはまるで興味が無さそうに両手に嵌めて遊んでいた、

「履物は文明の利器だね」
キーツは笑う、

「?、文明ってなんですか?」
テインは不思議そうにそういった、翻訳が上手くいってないのかと不安になるが、彼女達の言語には無い単語であったようでキーツは慌てて適当に誤魔化す事にする、

「あぁ、それより、服も探したんだけど商店自体が一件しか無くてね、取り合えず使えそうな布やら何やら、これだけあれば麻袋よりはマシな服を作れるかと思うんだけど」
両手一杯の清潔な布地を見せる、

「確かに、でも時間が掛ります」

「そうだね、でも、作った方がいいよ、良い情報を聞けたんだ」
大袈裟に声を顰めて三人の関心を惹き付ける、しっかりと目を覚ましたフリンダは玩んでいたサンダルをキーツに突き返しつつ真剣な顔で耳をこちへ向けている、

「テインの言う通りエルフの土地に獣狼と山猫が集まっているらしい、このまま目的地に着ければ取り合えず何とかなりそうだ」

キーツを見つめる三人はその言葉の意味をすぐに理解しお互いを見て歓声を上げた、

「こら、静かに」
キーツが自制を促すほどの歓喜で抱き合っている、しょうがないなと落ち着くのを待つと、まずエルステがキーツに抱き付き、フリンダも恐らく初めて自らキーツに近付くとその腕に抱き付く、テインは涙を流して俯いていた、三人共に言葉を無くしていた。

「だから、ほら、そんな恰好では恥ずかしいでしょ、特にテインは、折角の美形が台無しだよ、それにフリンダもエルステもテインに服を作ってもらおうよ時間は掛るとは思うけど、同胞に会えるんだよ、そんな恰好じゃ笑われるぞ」
キーツの言葉はやや湿り気を帯び始め、何とか言い終える頃には三人の嬉し涙が移ったらしく涙声で鼻を啜り上げる破目になった。

「わかりました、私、頑張ります、二人も協力してね」
涙を拭ったテインは震える声でそう言って顔を上げる、充血した目と上気した頬が真っ赤に染まっているがその声には希望が溢れ晴れやかな笑みが口元を飾っていた、

「うん、では、次ね、これは二人にだなぁ」
フリンダとエルステが側に来たので丁度良いかと、ブラシと薬剤の入った木箱を開ける、ブラシを手に取るとエルステは逃げてフリンダは歓声を上げた、

「キーツ、偉い、ブラシ、好き、やって、やって」
フリンダは小躍りしてキーツの手からブラシを奪うとテインに駆け寄った、あぁそりゃそうだよねとキーツはやや落ち込んでエルステを見ると、こちらは心底嫌そうにキーツを見ている、

「お気にめさない?」
ブラシを取り出して見せると、

「駄目、嫌、いいえ」
どうやらエルステはこのブラシを嫌悪しているようである、歯を剥き出しにして両手を地面に付けてしまった、しかし尻尾は腹の下に収めている所を見ると威嚇よりも怯えている状態なのであろうか、

「分かった、ごめんて、無理にはしないから」
ブラシを箱に戻して代わりに薬剤を取り出す、

「使い方分かる?ノミ取り?シラミ取り?って聞いたんだけど」
小さな布袋をテインに見せると、その懐で心地良さそうにブラシを受けているフリンダが露骨に反応し、

「それ、痛い、気持いい、でも、痛い」
理解できない事を言う、

「解ります、多分ですけど、その薬はよっぽどの時だけって言ってましたね姉弟子は」
テインはブラシの手を休めずにそう言った、その手元を見るとあっと言う間に大量の毛玉が精製されていた、低くゴロゴロと唸る音が響き始め、フリンダの発する音だと気付いてあまりの微笑ましさに羨ましさすら感じてしまった。

「では、これも箱であるからお好きにどうぞ、それとー」
と言いつつ木箱を順に開けていく、果物の箱を開けるとテインが歓喜の声を上げ、干し肉を取り出すとエルステが抱き付いてきた、

「マスター、誘導作業撤収致します、なお対象の監視を継続致します」
唐突にジルフェの通信が入る、キーツは特に反応はせずせっせと箱を開けていった、

「こんなもんかな、お昼は過ぎてるけど食事はどうする?」
そう聞くと三人は揃って空腹であったらしく、賛成の声が木霊し、早速焚火を用意すると仕入れた品で簡単な昼食となった、干物を焼きパンを温め調味料をテインに渡す、

「これは何ですか?油?」
小瓶の中身を見て不思議そうにしている、さしものテインもタタソースは初見であったらしい、

「タタソースって言うらしいよ、あの集落の名物、いやあの商店兼食堂の名物かな、ちょっと舐めてみて」

テインは素直に小指を使って少量を取ると口に運んだ、途端ウーンと何とも満足げな声を上げる、
「これは、美味しいですね、不思議な味です、深みがありつつ芳醇で素晴らしい」
絶賛の声を上げる、フリンダとエルステも興味深々でテインに近付き同じように舐めてみるが、二人には不評であった、

「違う」
これはエルステの評で、

「無駄」
これはフリンダの評である、

「無駄って、どういうこと?」
テインが苦笑いしつつその理由を聞くと、卵の無駄という意味らしかった、フリンダは一舐めで材料の一つを判別したらしい、

「そうだね、卵を使っているみたいだけれど」
とキーツが相槌を打つがハタとここで気付いた点があった、
「テインは卵、大丈夫?」
恐る恐るテインに聞いてみる、

「卵は好きですよ、勿論大丈夫です」
と嬉しそうにタタソースを舐めている、

「卵は良いんだ、でも肉は駄目?」

「肉というよりも魂の抜け殻が駄目なのです、卵は魂が入る前です」
そういうものなのとキーツは怪訝な顔をする、そういうものですとテインは胸を張った、

「まぁいいや、お気に入ってくれたようで何より、茹で野菜につけると美味しかったよ」

「それは、良いですね、これパドメの民に売れますよ、絶対に」
そう言いながらも手は休み無くソースに伸びていた、

「うん、俺もそう思って聞いてみたらさ、日持ちが悪いらしくて商売にならなかったんだって、作り方も教えてくれなかったんだけど、多分・・・、作り方は分かるかなぁ」

「本当ですか、是非、教えてください」
テインの目は大きく開かれその真剣さが眩しい程であるが小指を咥えたままであった為、絶妙な可愛らしさが醸し出されている、テインのこんな顔は初めて見るなぁとキーツは思いつつ、

「わかったよ、全く同じものにはならないと思うし、かなり手間が掛る作業だけれど落ち着いたら一緒に作ってみよう」

「本当ですね、約束ですよ、必ずですよ」
テインがこれ程の熱意を見せたのは初めての事であり、彼女を見守る三人は少しばかり呆気にとられつつ簡単に食事を済ませた、それからテインは衣服を作る事となり、キーツは周囲を散策しつつより宿営に都合の良い場所を探すことにする、獣人二人にはテインの安全を確保するよう厳命した、二人は張り切ってその任に就く。
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