婚約破棄されたのですが、甘くない溺愛ルートですか?

パリパリかぷちーの

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「ひ、ひぃぃぃぃ! 化け物だぁぁぁ!」

「撤退! 撤退せよーっ!」

王宮の騎士たちと文官長セオドアは、アレクシス公爵が作り出した氷壁を見るなり、蜘蛛の子を散らすように逃げ帰っていった。

彼らの背中が見えなくなるまで、わずか数分。

やはり、暴力(物理的な力)は議論よりも雄弁である。

「……ふん。口ほどにもない」

アレクシス公爵は、氷の壁を指パッチン一つで粉々に消滅させると、つまらなそうに鼻を鳴らした。

その姿は、ジャージにエプロン、手にはお玉(先ほどシチューをよそったまま持っていた)という、非常に家庭的な装備であるにも関わらず、魔王の貫禄があった。

「助かりました、アレクシス様。おかげで平穏な夜が守られました」

「礼には及ばん。俺の……その、パートナーを守るのは当然だ」

「パートナー(庭師兼警備員)としてですね。頼もしい限りです」

私がニッコリ笑うと、彼はまた少し顔を赤らめてそっぽを向いた。

どうやらこの公爵様、見た目に反してチョロい……げふん、純粋な性格らしい。

「さて、邪魔者も消えましたし、デザートの焼きリンゴでも作りましょうか」

「ほう、リンゴか。俺が皮を剥こう」

「いえ、焼きリンゴは皮ごと焼くので大丈夫です。芯だけ抜いてください」

「承知した」

私たちは和やかに台所へと戻ろうとした。

その時である。

ズズズズズ……!

再び、地面が震え始めた。

今度は先ほどの比ではない。

もっと重く、鋭く、統率された振動。

「……またか?」

私が振り返ると、街道の向こうから、黒い奔流が押し寄せてくるのが見えた。

漆黒の鎧に身を包んだ、騎馬隊だ。

その数、およそ五十。

先ほどの王宮騎士団とは比較にならない、歴戦の殺気を放っている。

「閣下ーーーッ!!」

先頭の騎士が、裂帛の気合いと共に叫んだ。

「アレクシス閣下! ご無事ですか!?」

「あのアマ、閣下をたぶらかしやがって! 今すぐ救出するぞ!」

「突撃ーーッ!」

どうやら、アレクシス公爵の部下たちのようだ。

彼らは私の屋敷(廃屋)を敵陣だと認識しているらしく、抜刀して突っ込んでくる。

「え、ちょっと待って。なんで私が悪者になってるの?」

「……俺が黙って出てきたから、誘拐されたと勘違いしているようだな」

「連絡くらいしてくださいよ!」

「休暇届は机に置いてきたはずだが……『探さないでくれ』と」

「それ一番探しに来るやつですよ!」

私がツッコミを入れている間に、黒い騎士団は門を突破し、庭になだれ込んできた。

彼らは私たちを取り囲み、剣先を私に向ける。

「そこまでだ、悪女め! 我が主、アレクシス閣下を解放しろ!」

騎士団長らしき、強面の男が叫んだ。

「閣下に何をした! 闇魔法か? 魅了か? それとも毒か!?」

「いえ、シチューを食べさせていただけですが」

「黙れ! 閣下がそのような庶民の食事を口になさるはずがない! 閣下は味覚さえも凍りついていると言われるお方だぞ!」

失礼な部下たちだ。

私はため息をついた。

すると、私の隣で、アレクシス公爵が一歩前に出た。

「……騒がしいぞ、バルガス」

低く、重い声。

その一言で、騎士団全員がピタリと動きを止めた。

「か、閣下……?」

団長バルガスが、恐る恐る主を見る。

そして、その目が点になった。

「か、閣下……その、お姿は……?」

彼らの視線が、アレクシス公爵のファッションに集中する。

上:私のブカブカのピンク色のジャージ。
下:寸足らずのズボン。
前:『主婦の友』と刺繍されたエプロン。
右手:お玉。

戦場を血で染める『氷の公爵』の、あまりにも斬新なスタイル。

「……これは、ここの正装だ」

アレクシス公爵は真顔で言い放った。

「せ、正装……でありますか?」

「ああ。ここでの任務(掃除と修繕)を遂行するための、最適化された戦闘服だ」

「そ、そうでしたか……! てっきり、その女に辱めを受けているのかと……!」

「言葉を慎め。彼女は俺の……雇い主だ」

「雇い主!?」

騎士たちがどよめく。

「閣下が……他国で就職……!?」

「まさか、公爵家が財政難なのか?」

「俺たちの給料はどうなるんだ……」

ざわつく部下たちをよそに、私はポンと手を叩いた。

「はいはい、そこまで! 状況は飲み込めましたか? 私はソフィエ。ここの家主です。彼を誘拐したわけでも、洗脳したわけでもありません。彼が勝手に住み着いて、勝手に働いているだけです」

「なっ……貴様、閣下になんて口を!」

バルガス団長が色めき立つ。

「大体、閣下が勝手に働くわけがないだろう! 閣下は家事などなさらない! 俺たちですら、閣下にお茶を淹れさせるなど恐れ多くて……」

「アレクシスさん、お茶のおかわり、いります?」

「頼む。あと、クッキーも」

「はいどうぞ」

私はポケットからクッキーを取り出し、アレクシス公爵の口に放り込んだ。

彼はそれをモグモグと食べ、「うむ、美味い」と頷く。

「「「閣下が……餌付けされている……!?」」」

騎士団、絶句。

「さて、皆様。遠路はるばるお疲れ様です。殺気立っているところ申し訳ないですが、お腹、空いていませんか?」

私は彼らに向かってニッコリと微笑んだ。

「は? 何を……」

「ここに来るまで強行軍だったのでしょう? 馬の息も上がっていますし、皆様の顔色も悪い。夕食もまだなのでは?」

グゥゥゥゥ……。

タイミング良く、誰かのお腹が盛大に鳴った。

静寂。

「……ふっ。ちょうど良かったわ。シチューを作りすぎて余っていたの。アレクシスさんが張り切って薪を割りすぎたから、火力が強すぎて大鍋で作る羽目になったんです」

私は庭に据え付けられた大鍋(元は五右衛門風呂用の釜だが、綺麗に洗って鍋代わりにした)の蓋を開けた。

ふわぁっ……と、湯気と共に濃厚な香りが広がる。

肉と野菜が煮込まれた、暴力的なまでに食欲をそそる匂い。

騎士たちの喉が、ゴクリと鳴る音が聞こえた。

「毒が入っているかもしれん!」

バルガス団長が必死に抵抗する。

「閣下、お気をつけください! これは罠です!」

「……バルガス」

アレクシス公爵が、哀れむような目で部下を見た。

「美味いぞ」

「へ?」

「食わないなら、俺が全部食う」

公爵は自分のお椀を差し出した。

「おかわりだ、ソフィエ」

「はいはい。あ、皆様の分もありますよ。器がないので、そこのバケツでもいいですか?」

「バケツ……!?」

「新品ですよ。さあ、早い者勝ちです。冷えた体には温かいスープが一番です」

私はお玉でスープを掬い、バケツ(本当に新品)に入れた。

一人の若い騎士が、耐えきれずに歩み寄る。

「……い、いただきます!」

彼はバケツを受け取り、恐る恐る口をつけた。

そして。

「う、うめぇぇぇぇ!!」

絶叫した。

「なんだこれ!? 肉がトロトロだ! 野菜が甘い! 俺たちが食べてた干し肉となんか全然違う!」

その叫びが、堰を切った。

「俺も!」「私もだ!」「頼む、一杯くれ!」

騎士たちが我先にと群がってくる。

「並んでください! 順番です! 割り込みは『おかわり抜き』の刑にしますよ!」

私の号令に、歴戦の騎士たちが素直に整列した。

「ほら、団長さんもどうぞ」

私は最後に、憮然と立っていたバルガス団長にスープを差し出した。

「……くっ、毒見だ。毒見をしてやるだけだ!」

彼は言い訳をしながら受け取り、一口啜った。

カッ、と目が見開かれる。

「……こ、これは……母上の味……」

「いいえ、ソフィエの味です」

「……美味い。悔しいが、美味い……!」

彼は男泣きしながらスープを飲み干した。

こうして、隣国最強の騎士団は、わずか十分で陥落した。

胃袋を掴まれた男たちは、大人しいものだ。

彼らは庭に座り込み、幸せそうにスープを啜っている。

その光景を見ながら、私はまたしてもそろばんを弾いた。

(……50人。これだけの人数がいれば、明日からの開拓計画が大幅に短縮できるわね)

「ねえ、バルガスさん」

私は空になったバケツを抱える団長に声をかけた。

「おかわり、ありますよ?」

「本当か!?」

「ええ。その代わり……明日の朝、ちょっとお願いがあるのですが」

「なんだ? なんでも言え! スープの礼だ、剣でも槍でも振るってやる!」

「いえ、振るっていただきたいのは『鍬(くわ)』と『スコップ』です」

「は?」

「裏山の開墾と、水路の整備。50人いれば、3日で終わりますよね?」

私は満面の笑みで告げた。

「働かざる者、食うべからず。明日は美味しい朝食を用意して待っていますから、期待していてくださいね?」

騎士たちは顔を見合わせた。

そして、アレクシス公爵を見た。

公爵は、親指を立ててグッドサインをした。

「……諦めろ。こいつの指揮下に入れば、飯は保証される」

翌朝から、北の廃屋周辺で、謎の大規模土木工事が始まったことは言うまでもない。

黒騎士団改め、『ソフィエ土木建設』の誕生である。

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