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「おい、1番隊! そこはジャガイモじゃなくてカブを植える予定よ! 畝(うね)を作り直し!」
「2番隊! 水路の角度が甘いわ! 水は低い方へ流れるの、物理法則に従って!」
「3番隊! サボらない! おやつの焼き芋抜くわよ!」
私の怒号と、屈強な騎士たちの「イエッサー!」という野太い返事が、北の空にこだまする。
『ソフィエ土木建設』の開業から3日。
私の別邸(廃屋)周辺は、劇的なビフォーアフターを遂げていた。
荒地は耕され、見事な農地へ。
崩れた塀は、要塞のように堅牢な石壁へ。
そして、私の指揮能力も完全に「現場監督」として覚醒していた。
「ふぅ……順調ね」
私が図面(チラシの裏に書いた)をチェックしていると、背後からスッと巨大な影が差した。
「……ソフィエ」
「ひゃっ!?」
振り返ると、そこには眉間に深い皺を刻んだアレクシス公爵が立っていた。
今日はジャージではなく、洗濯が終わった本来の黒い軍服を着ている。
やはり、この姿だと威圧感が段違いだ。
「ど、どうしましたか? 休憩時間ですか?」
「……顔を貸せ」
「えっ」
「重要な話がある。二人きりになりたい」
彼は有無を言わせぬ口調で告げると、私の返事も待たずに、屋敷の奥にある書斎(唯一、扉が頑丈で密室になる部屋)へと顎をしゃくった。
騎士たちが、作業の手を止めてざわつく。
「おい、閣下が動いたぞ……」
「ついにあのアマを尋問か?」
「いや、殺る気だ……あの目は、反逆者を粛清する時の目だ……」
不穏な囁きが聞こえる。
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
(な、何かしら? 給料の未払いについて? それとも、労働環境への抗議?)
私は戦々恐々としながら、彼について行った。
***
書斎に入ると、アレクシス公爵は重々しく扉を閉め、鍵を掛けた。
ガチャリ。
密室完成。
彼は部屋の中央にある椅子を指差した。
「座れ」
「は、はい」
私は大人しく座った。
まるで取調室だ。
彼は私の対面に座らず、なぜか私の背後に回り込み、部屋の窓のカーテンを閉め切った。
薄暗くなる室内。
そして、彼は私の目の前に仁王立ちになり、私を見下ろした。
逆光で顔が見えない。
ただ、青い魔眼だけが闇の中で光っている。
「……単刀直入に言う」
低い。
地獄の底から響くような低音ボイスだ。
「は、はい。何でしょう」
「お前の身柄についてだ」
「身柄……!?」
逮捕? 拘束?
「お前を、このままにしておくわけにはいかない」
「えっ、あの、邪魔なら出て行きますが……」
「違う。逃がすつもりはない」
彼は机をドン! と叩いた。
壁ドンならぬ、机ドンだ。
心臓が跳ね上がる。
「お前は、知りすぎた」
「ええっ!? 私、何も知りませんよ!? 公爵様のジャージ姿が意外と似合うことくらいしか!」
「俺の……内側に入り込みすぎた、という意味だ」
彼は顔を近づけてきた。
「俺の部下たちも、お前に懐柔された。俺の胃袋も、お前に握られた。もはや、お前なしでは機能しない」
「それは……責任重大ですね」
「そうだ。責任を取ってもらう」
彼は懐から、何かを取り出した。
キラリと光るもの。
ナイフか? 指詰めか?
私が身構えると、それは小さなベルベットの箱だった。
彼はそれを無造作に机の上に置き、蓋を開けた。
中には、見たこともないほど巨大なブルーダイヤモンドが鎮座していた。
「なっ……!?」
「これをやる」
「い、いいいいりません!!」
私は即座に首を振った。
「何ですかこれ! 国宝級じゃないですか! こんなの受け取ったら、後で何を請求されるか……!」
「対価だ」
「対価?」
「お前の自由と引き換えのな」
彼は真顔で言った。
「俺の国へ来い。そして、死ぬまで俺のそばにいろ。外出は許可制にする。他の男との接触は禁止だ。お前の時間は、全て俺のために使え」
「……」
私は瞬きをした。
翻訳中……翻訳中……。
翻訳完了。
『終身刑の宣告』だ、これ。
「あの、公爵様。それは、つまり『監禁』ということでしょうか?」
「言葉が悪いな。『保護』だ」
「私の辞書ではそれを『軟禁』と定義します」
「衣食住は保証する。贅沢もさせてやる。欲しいものは全て与える。だから、俺の目の届く範囲にいろ」
彼は私の手首を掴んだ。
強い力ではないが、決して離さないという意志を感じる。
「お前が他の男に笑いかけるのを見ると、胸の奥が焼けるように痛いんだ。イライラして、全てを破壊したくなる」
「それは……狭心症か、高血圧では?」
「違う。もっと精神的な……渇きだ」
彼は苦しげに顔を歪めた。
「お前を手に入れないと、俺がおかしくなりそうだ。だから、観念しろ」
「観念……」
「俺のものになれ。これは決定事項だ。拒否は許さない。もし逃げたら、地の果てまで追いかけて、鎖につないででも連れ戻す」
「ひぇっ」
私は椅子の上で縮こまった。
愛の告白?
いいえ、これは完全にサイコパスのストーカー発言です。
普通の令嬢なら「キャー! 情熱的!」となるのかもしれないが(ならないか)、私は超合理的思考の持ち主だ。
冷静に分析しよう。
彼は私を「有能な管理者」として高く評価している。
そして、「独占したい」と言っている。
つまり、彼は私と『専属終身雇用契約』を結びたいのだ。
ただし、条件がブラックすぎる。
「公爵様。交渉させてください」
私は震える声で言った。
「交渉だと?」
「はい。その条件では、私の人権が著しく侵害されています」
私は指を一本ずつ立てて反論を開始した。
「第一に、外出許可制は撤廃してください。私は散歩が好きです」
「……護衛をつけるなら認める」
「第二に、他の男との接触禁止も無理です。商売ができなくなります」
「……商談相手が男なら、俺が同席する」
「第三に、これが一番重要ですが……『俺のものになれ』という曖昧な表現を具体化してください。役職名は? 給与体系は? 福利厚生は?」
「役職……?」
アレクシス公爵は怪訝な顔をした。
「妻だと言っているだろう」
「はい?」
「妻だ。公爵夫人だ。それ以外の役職があるか」
彼は当然のように言った。
私はポカーンと口を開けた。
「……え、今、プロポーズだったんですか?」
「最初からそう言っている」
「一言も『結婚してください』とも『愛しています』とも言っていませんが!?」
「『俺のものになれ』『逃がさない』『死ぬまで一緒だ』と言ったはずだ。同じ意味だろう」
「全然違います!!」
私は机をバン! と叩き返した。
「それは誘拐犯のセリフです! 愛の言葉というのは、もっとこう、『君の笑顔が好きだ』とか『君を幸せにしたい』とか、相手を尊重するものです!」
「……俺は、お前を尊重している」
「どこがですか! 『鎖につないででも』とか言いましたよね!?」
「それほど、失うのが怖いということだ」
彼は拗ねたように視線を逸らした。
「……俺は口下手だ。気の利いた言葉など言えん。だが、嘘は言わん」
彼は再び私を見た。
その瞳が、揺れていた。
「ソフィエ。お前がいないと、世界が色を失ったように感じるんだ。お前が作った飯以外、味がしない。お前の罵倒を聞かないと、調子が狂う」
「最後のはMの素質がありますよ」
「……とにかく、俺にはお前が必要なんだ。契約でも雇用でもなんでもいい。俺の横にいてくれ」
彼は私の手を、両手で包み込んだ。
その手は大きくて、ゴツゴツしていて、でもとても温かかった。
私は、はぁ、と大きなため息をついた。
(不器用すぎる……)
この男、本当にコミュ障の極みだ。
でも、不思議と嫌な気はしなかった。
彼の言葉は乱暴だが、その根底にあるのは、純粋で子供のような独占欲と、不器用な好意だ。
私は計算した。
元婚約者のジェラルド王子は、口だけの男だった。
それに比べて、この氷の公爵は、行動力と実益(と筋肉)がある。
公爵夫人という地位も、悪くない。
何より、この人を放っておくと、本当に社会的に孤立して死にそうで危なっかしい。
「……わかりました」
「本当か!?」
「ただし!」
私は人差し指を彼の鼻先に突きつけた。
「これは『婚約期間(お試し期間)』とします。いきなり結婚はリスクが高すぎます。まずは同棲……いえ、共同生活から始めて、お互いの相性を見極めましょう」
「……お試し期間か」
「不服ですか?」
「いや、いいだろう。どうせ結果は変わらん。お前は俺から離れられなくなる」
彼は自信満々にニヤリと笑った。
(その根拠のない自信はどこから来るのよ……)
「では、交渉成立ですね。このダイヤは、契約金としてお預かりします」
「ああ、好きにしろ」
私が箱を受け取ろうとすると、彼は突然、私の手を引いた。
そして、私の左手の薬指に、その巨大なダイヤの指輪を強引にはめた。
「えっ、ちょっ……」
「サイズは目測だが、ピッタリだな」
彼は満足げに頷いた。
「契約の証だ。外すなよ。外したら……わかっているな?」
「……指を切り落とすと?」
「キスで塞ぐ」
「……っ!?」
私は顔がボッと熱くなった。
この男、たまにクリティカルヒットを打ってくるから油断ならない。
「さあ、戻るぞ。休憩時間は終わりだ」
彼は上機嫌で立ち上がり、鍵を開けた。
「待って、まだ心の準備が……」
彼が扉を開けると、そこには。
「「「おめでとうございまーーーーす!!!」」」
50人の騎士たちとマリーが、クラッカーを鳴らして待ち構えていた。
パン! パン! パパパン!
「えっ、何!? 盗み聞き!?」
「いやー、閣下の声がデカすぎて丸聞こえでした!」
バルガス団長が涙を流しながら拍手している。
「よかった……本当によかった……閣下に春が来たぞぉぉぉ!」
「お嬢様、おめでとうございますぅぅ!」
マリーも泣いている。
「これで『氷の公爵』も『デレの公爵』ですね!」
「誰がデレだ、誰が」
アレクシス公爵は、まんざらでもない顔で部下たちの歓呼に応えている。
私は、左手の重たい指輪を見つめた。
(……とんでもない契約を結んでしまったかもしれない)
でも、まあいいか。
私の平穏なスローライフはどこかへ行ってしまったけれど、退屈しない日々が始まりそうだ。
「よし、お祝いだ! 今日は宴会にするぞ!」
アレクシス公爵が叫ぶ。
「イエッサー!!」
「ソフィエ、酒だ! 一番高い酒を出せ!」
「はいはい、別料金ですよ!」
こうして、私の婚約破棄から始まったドタバタ劇は、新たな婚約(仮)へとシフトした。
だが、この時の私たちは忘れていた。
王都にはまだ、あの『おバカ王子』と『天然ヒロイン』が残っていることを。
そして彼らが、黙って引き下がるようなタマではないことを。
「2番隊! 水路の角度が甘いわ! 水は低い方へ流れるの、物理法則に従って!」
「3番隊! サボらない! おやつの焼き芋抜くわよ!」
私の怒号と、屈強な騎士たちの「イエッサー!」という野太い返事が、北の空にこだまする。
『ソフィエ土木建設』の開業から3日。
私の別邸(廃屋)周辺は、劇的なビフォーアフターを遂げていた。
荒地は耕され、見事な農地へ。
崩れた塀は、要塞のように堅牢な石壁へ。
そして、私の指揮能力も完全に「現場監督」として覚醒していた。
「ふぅ……順調ね」
私が図面(チラシの裏に書いた)をチェックしていると、背後からスッと巨大な影が差した。
「……ソフィエ」
「ひゃっ!?」
振り返ると、そこには眉間に深い皺を刻んだアレクシス公爵が立っていた。
今日はジャージではなく、洗濯が終わった本来の黒い軍服を着ている。
やはり、この姿だと威圧感が段違いだ。
「ど、どうしましたか? 休憩時間ですか?」
「……顔を貸せ」
「えっ」
「重要な話がある。二人きりになりたい」
彼は有無を言わせぬ口調で告げると、私の返事も待たずに、屋敷の奥にある書斎(唯一、扉が頑丈で密室になる部屋)へと顎をしゃくった。
騎士たちが、作業の手を止めてざわつく。
「おい、閣下が動いたぞ……」
「ついにあのアマを尋問か?」
「いや、殺る気だ……あの目は、反逆者を粛清する時の目だ……」
不穏な囁きが聞こえる。
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
(な、何かしら? 給料の未払いについて? それとも、労働環境への抗議?)
私は戦々恐々としながら、彼について行った。
***
書斎に入ると、アレクシス公爵は重々しく扉を閉め、鍵を掛けた。
ガチャリ。
密室完成。
彼は部屋の中央にある椅子を指差した。
「座れ」
「は、はい」
私は大人しく座った。
まるで取調室だ。
彼は私の対面に座らず、なぜか私の背後に回り込み、部屋の窓のカーテンを閉め切った。
薄暗くなる室内。
そして、彼は私の目の前に仁王立ちになり、私を見下ろした。
逆光で顔が見えない。
ただ、青い魔眼だけが闇の中で光っている。
「……単刀直入に言う」
低い。
地獄の底から響くような低音ボイスだ。
「は、はい。何でしょう」
「お前の身柄についてだ」
「身柄……!?」
逮捕? 拘束?
「お前を、このままにしておくわけにはいかない」
「えっ、あの、邪魔なら出て行きますが……」
「違う。逃がすつもりはない」
彼は机をドン! と叩いた。
壁ドンならぬ、机ドンだ。
心臓が跳ね上がる。
「お前は、知りすぎた」
「ええっ!? 私、何も知りませんよ!? 公爵様のジャージ姿が意外と似合うことくらいしか!」
「俺の……内側に入り込みすぎた、という意味だ」
彼は顔を近づけてきた。
「俺の部下たちも、お前に懐柔された。俺の胃袋も、お前に握られた。もはや、お前なしでは機能しない」
「それは……責任重大ですね」
「そうだ。責任を取ってもらう」
彼は懐から、何かを取り出した。
キラリと光るもの。
ナイフか? 指詰めか?
私が身構えると、それは小さなベルベットの箱だった。
彼はそれを無造作に机の上に置き、蓋を開けた。
中には、見たこともないほど巨大なブルーダイヤモンドが鎮座していた。
「なっ……!?」
「これをやる」
「い、いいいいりません!!」
私は即座に首を振った。
「何ですかこれ! 国宝級じゃないですか! こんなの受け取ったら、後で何を請求されるか……!」
「対価だ」
「対価?」
「お前の自由と引き換えのな」
彼は真顔で言った。
「俺の国へ来い。そして、死ぬまで俺のそばにいろ。外出は許可制にする。他の男との接触は禁止だ。お前の時間は、全て俺のために使え」
「……」
私は瞬きをした。
翻訳中……翻訳中……。
翻訳完了。
『終身刑の宣告』だ、これ。
「あの、公爵様。それは、つまり『監禁』ということでしょうか?」
「言葉が悪いな。『保護』だ」
「私の辞書ではそれを『軟禁』と定義します」
「衣食住は保証する。贅沢もさせてやる。欲しいものは全て与える。だから、俺の目の届く範囲にいろ」
彼は私の手首を掴んだ。
強い力ではないが、決して離さないという意志を感じる。
「お前が他の男に笑いかけるのを見ると、胸の奥が焼けるように痛いんだ。イライラして、全てを破壊したくなる」
「それは……狭心症か、高血圧では?」
「違う。もっと精神的な……渇きだ」
彼は苦しげに顔を歪めた。
「お前を手に入れないと、俺がおかしくなりそうだ。だから、観念しろ」
「観念……」
「俺のものになれ。これは決定事項だ。拒否は許さない。もし逃げたら、地の果てまで追いかけて、鎖につないででも連れ戻す」
「ひぇっ」
私は椅子の上で縮こまった。
愛の告白?
いいえ、これは完全にサイコパスのストーカー発言です。
普通の令嬢なら「キャー! 情熱的!」となるのかもしれないが(ならないか)、私は超合理的思考の持ち主だ。
冷静に分析しよう。
彼は私を「有能な管理者」として高く評価している。
そして、「独占したい」と言っている。
つまり、彼は私と『専属終身雇用契約』を結びたいのだ。
ただし、条件がブラックすぎる。
「公爵様。交渉させてください」
私は震える声で言った。
「交渉だと?」
「はい。その条件では、私の人権が著しく侵害されています」
私は指を一本ずつ立てて反論を開始した。
「第一に、外出許可制は撤廃してください。私は散歩が好きです」
「……護衛をつけるなら認める」
「第二に、他の男との接触禁止も無理です。商売ができなくなります」
「……商談相手が男なら、俺が同席する」
「第三に、これが一番重要ですが……『俺のものになれ』という曖昧な表現を具体化してください。役職名は? 給与体系は? 福利厚生は?」
「役職……?」
アレクシス公爵は怪訝な顔をした。
「妻だと言っているだろう」
「はい?」
「妻だ。公爵夫人だ。それ以外の役職があるか」
彼は当然のように言った。
私はポカーンと口を開けた。
「……え、今、プロポーズだったんですか?」
「最初からそう言っている」
「一言も『結婚してください』とも『愛しています』とも言っていませんが!?」
「『俺のものになれ』『逃がさない』『死ぬまで一緒だ』と言ったはずだ。同じ意味だろう」
「全然違います!!」
私は机をバン! と叩き返した。
「それは誘拐犯のセリフです! 愛の言葉というのは、もっとこう、『君の笑顔が好きだ』とか『君を幸せにしたい』とか、相手を尊重するものです!」
「……俺は、お前を尊重している」
「どこがですか! 『鎖につないででも』とか言いましたよね!?」
「それほど、失うのが怖いということだ」
彼は拗ねたように視線を逸らした。
「……俺は口下手だ。気の利いた言葉など言えん。だが、嘘は言わん」
彼は再び私を見た。
その瞳が、揺れていた。
「ソフィエ。お前がいないと、世界が色を失ったように感じるんだ。お前が作った飯以外、味がしない。お前の罵倒を聞かないと、調子が狂う」
「最後のはMの素質がありますよ」
「……とにかく、俺にはお前が必要なんだ。契約でも雇用でもなんでもいい。俺の横にいてくれ」
彼は私の手を、両手で包み込んだ。
その手は大きくて、ゴツゴツしていて、でもとても温かかった。
私は、はぁ、と大きなため息をついた。
(不器用すぎる……)
この男、本当にコミュ障の極みだ。
でも、不思議と嫌な気はしなかった。
彼の言葉は乱暴だが、その根底にあるのは、純粋で子供のような独占欲と、不器用な好意だ。
私は計算した。
元婚約者のジェラルド王子は、口だけの男だった。
それに比べて、この氷の公爵は、行動力と実益(と筋肉)がある。
公爵夫人という地位も、悪くない。
何より、この人を放っておくと、本当に社会的に孤立して死にそうで危なっかしい。
「……わかりました」
「本当か!?」
「ただし!」
私は人差し指を彼の鼻先に突きつけた。
「これは『婚約期間(お試し期間)』とします。いきなり結婚はリスクが高すぎます。まずは同棲……いえ、共同生活から始めて、お互いの相性を見極めましょう」
「……お試し期間か」
「不服ですか?」
「いや、いいだろう。どうせ結果は変わらん。お前は俺から離れられなくなる」
彼は自信満々にニヤリと笑った。
(その根拠のない自信はどこから来るのよ……)
「では、交渉成立ですね。このダイヤは、契約金としてお預かりします」
「ああ、好きにしろ」
私が箱を受け取ろうとすると、彼は突然、私の手を引いた。
そして、私の左手の薬指に、その巨大なダイヤの指輪を強引にはめた。
「えっ、ちょっ……」
「サイズは目測だが、ピッタリだな」
彼は満足げに頷いた。
「契約の証だ。外すなよ。外したら……わかっているな?」
「……指を切り落とすと?」
「キスで塞ぐ」
「……っ!?」
私は顔がボッと熱くなった。
この男、たまにクリティカルヒットを打ってくるから油断ならない。
「さあ、戻るぞ。休憩時間は終わりだ」
彼は上機嫌で立ち上がり、鍵を開けた。
「待って、まだ心の準備が……」
彼が扉を開けると、そこには。
「「「おめでとうございまーーーーす!!!」」」
50人の騎士たちとマリーが、クラッカーを鳴らして待ち構えていた。
パン! パン! パパパン!
「えっ、何!? 盗み聞き!?」
「いやー、閣下の声がデカすぎて丸聞こえでした!」
バルガス団長が涙を流しながら拍手している。
「よかった……本当によかった……閣下に春が来たぞぉぉぉ!」
「お嬢様、おめでとうございますぅぅ!」
マリーも泣いている。
「これで『氷の公爵』も『デレの公爵』ですね!」
「誰がデレだ、誰が」
アレクシス公爵は、まんざらでもない顔で部下たちの歓呼に応えている。
私は、左手の重たい指輪を見つめた。
(……とんでもない契約を結んでしまったかもしれない)
でも、まあいいか。
私の平穏なスローライフはどこかへ行ってしまったけれど、退屈しない日々が始まりそうだ。
「よし、お祝いだ! 今日は宴会にするぞ!」
アレクシス公爵が叫ぶ。
「イエッサー!!」
「ソフィエ、酒だ! 一番高い酒を出せ!」
「はいはい、別料金ですよ!」
こうして、私の婚約破棄から始まったドタバタ劇は、新たな婚約(仮)へとシフトした。
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