28 / 28
28
辺境の空が、燃えるような茜色に染まっていく。
今日も『定食屋 悪役令嬢』の一日が、無事に終わろうとしていた。
「……ふぅ。今日もよく働きましたわ」
私は店じまいをした店内の椅子に腰掛け、新しい眼鏡を外して、目元を軽く押さえた。
魔石の眼鏡は快適だが、やはり一日中、世界を鮮明に見続けるというのはそれなりに疲れるものだ。
「お疲れ様、ミール。……ほら、レオンとリアはもう寝たぞ」
ジークが、奥の部屋からそっと戻ってきた。
彼は私の隣に座ると、大きな手で私の肩を優しく揉みほぐしてくれる。
「ありがとうございます、ジークさん。……子供たちの寝顔、見ました?」
「ああ。……二人とも、お前に似て寝相が悪くて助かるよ」
「失礼ね。私は淑女教育の賜物で、寝ている間も微動だにしませんわよ(多分)」
私は眼鏡をかけ直し、ジークの顔をまじまじと見つめた。
眼鏡越しに見る夫の顔は、出会った頃よりも少し目尻のシワが増えたけれど、その分、深みのある良い顔になっている。
「……なんだよ、そんなに見つめて」
「いえ。……改めて、いい男を捕まえたなと思って」
「……お前なぁ」
ジークは照れくさそうに鼻をこすり、私の肩を抱き寄せた。
窓の外には、静かな辺境の森が広がっている。
かつては「魔境」と恐れられ、私も「呪われた令嬢」として追放されたこの場所。
「ジークさん。……あの日、殿下に婚約破棄されて、本当に良かったですわ」
「……物騒な言い方をするな。だが、そうだな。……あの日、お前が俺を『玄関マット』扱いしてくれなかったら、今の俺はいない」
「ふふ。……すべては、私の目が悪かったおかげね」
私は立ち上がり、テラスへと出た。
夕闇が迫る中、遠くの山並みがうっすらと紫に霞んでいる。
私はふと、眼鏡を外してみた。
途端に、世界は輪郭を失い、柔らかな光の塊へと変わる。
私は目を細め、眉間にシワを寄せ、極限まで視神経を集中させて、その「ボヤけた幸福」を凝視した。
「……おい、ミール。またやってるぞ」
ジークが後ろから苦笑いしながら声をかけてくる。
「なにがです?」
「その顔だ。……知らない奴が見たら、今から魔王軍に単身殴り込みに行く決戦直前の勇者にしか見えないぞ。殺気が溢れ出てる」
「失礼ね。私はただ、夕日が綺麗だな……としみじみ思っていただけですわよ」
「その『しみじみ』が、周囲には『地獄の宣告』に見えるんだ。……ほら、眼鏡をかけろ」
ジークが私の手から眼鏡を取り、優しく私の顔に戻した。
カチャリ。
再び、世界が鮮明になる。
「……ああ、やっぱり。ジークさんの言う通り、夕日は本当に綺麗でしたわ」
「だろう?」
ジークは私の横に並び、同じ空を見上げた。
「……悪役令嬢、なんて呼ばれて。……家も、身分も、婚約者も失って。……それでも、お前は自分の力で、この景色を手に入れたんだ」
「ええ。……これからは、この景色をずっと守っていきますわ。……定食屋の利益と、フライパンの重みにかけて」
「……お前らしいよ、本当に」
私たちは、どちらからともなく手を繋いだ。
ぼやけていた未来も、今はこの眼鏡のように、はっきりと見えている。
明日も、明後日も。
私は厨房で鍋を振り、ジークは皿を洗い、子供たちは元気に森を駆け回るだろう。
「……あ、ジークさん」
「なんだ?」
「あそこの茂み。……明日の朝食用のキノコが自生しているのを見つけましたわ」
「…………お前、あんな遠くのキノコまで見えるのか?」
「ええ。……私の眼鏡は、幸せと食材を見逃さないんですもの」
私は眼鏡をクイッと押し上げ、満足げに微笑んだ。
悪役令嬢ミールの物語は、ここで一旦おしまい。
けれど、彼女の「美味しい逆転劇」は、これからもずっと、お腹がいっぱいになるまで続いていく。
辺境の森に、平和な笑い声が響き渡る。
今日も視界良好。……そして、商売繁盛。
今日も『定食屋 悪役令嬢』の一日が、無事に終わろうとしていた。
「……ふぅ。今日もよく働きましたわ」
私は店じまいをした店内の椅子に腰掛け、新しい眼鏡を外して、目元を軽く押さえた。
魔石の眼鏡は快適だが、やはり一日中、世界を鮮明に見続けるというのはそれなりに疲れるものだ。
「お疲れ様、ミール。……ほら、レオンとリアはもう寝たぞ」
ジークが、奥の部屋からそっと戻ってきた。
彼は私の隣に座ると、大きな手で私の肩を優しく揉みほぐしてくれる。
「ありがとうございます、ジークさん。……子供たちの寝顔、見ました?」
「ああ。……二人とも、お前に似て寝相が悪くて助かるよ」
「失礼ね。私は淑女教育の賜物で、寝ている間も微動だにしませんわよ(多分)」
私は眼鏡をかけ直し、ジークの顔をまじまじと見つめた。
眼鏡越しに見る夫の顔は、出会った頃よりも少し目尻のシワが増えたけれど、その分、深みのある良い顔になっている。
「……なんだよ、そんなに見つめて」
「いえ。……改めて、いい男を捕まえたなと思って」
「……お前なぁ」
ジークは照れくさそうに鼻をこすり、私の肩を抱き寄せた。
窓の外には、静かな辺境の森が広がっている。
かつては「魔境」と恐れられ、私も「呪われた令嬢」として追放されたこの場所。
「ジークさん。……あの日、殿下に婚約破棄されて、本当に良かったですわ」
「……物騒な言い方をするな。だが、そうだな。……あの日、お前が俺を『玄関マット』扱いしてくれなかったら、今の俺はいない」
「ふふ。……すべては、私の目が悪かったおかげね」
私は立ち上がり、テラスへと出た。
夕闇が迫る中、遠くの山並みがうっすらと紫に霞んでいる。
私はふと、眼鏡を外してみた。
途端に、世界は輪郭を失い、柔らかな光の塊へと変わる。
私は目を細め、眉間にシワを寄せ、極限まで視神経を集中させて、その「ボヤけた幸福」を凝視した。
「……おい、ミール。またやってるぞ」
ジークが後ろから苦笑いしながら声をかけてくる。
「なにがです?」
「その顔だ。……知らない奴が見たら、今から魔王軍に単身殴り込みに行く決戦直前の勇者にしか見えないぞ。殺気が溢れ出てる」
「失礼ね。私はただ、夕日が綺麗だな……としみじみ思っていただけですわよ」
「その『しみじみ』が、周囲には『地獄の宣告』に見えるんだ。……ほら、眼鏡をかけろ」
ジークが私の手から眼鏡を取り、優しく私の顔に戻した。
カチャリ。
再び、世界が鮮明になる。
「……ああ、やっぱり。ジークさんの言う通り、夕日は本当に綺麗でしたわ」
「だろう?」
ジークは私の横に並び、同じ空を見上げた。
「……悪役令嬢、なんて呼ばれて。……家も、身分も、婚約者も失って。……それでも、お前は自分の力で、この景色を手に入れたんだ」
「ええ。……これからは、この景色をずっと守っていきますわ。……定食屋の利益と、フライパンの重みにかけて」
「……お前らしいよ、本当に」
私たちは、どちらからともなく手を繋いだ。
ぼやけていた未来も、今はこの眼鏡のように、はっきりと見えている。
明日も、明後日も。
私は厨房で鍋を振り、ジークは皿を洗い、子供たちは元気に森を駆け回るだろう。
「……あ、ジークさん」
「なんだ?」
「あそこの茂み。……明日の朝食用のキノコが自生しているのを見つけましたわ」
「…………お前、あんな遠くのキノコまで見えるのか?」
「ええ。……私の眼鏡は、幸せと食材を見逃さないんですもの」
私は眼鏡をクイッと押し上げ、満足げに微笑んだ。
悪役令嬢ミールの物語は、ここで一旦おしまい。
けれど、彼女の「美味しい逆転劇」は、これからもずっと、お腹がいっぱいになるまで続いていく。
辺境の森に、平和な笑い声が響き渡る。
今日も視界良好。……そして、商売繁盛。
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった
歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。
だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」
追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。
一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。
誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。
「その言葉は、もう翻訳できません」
すみっこ婚約破棄同盟〜王子様による婚約破棄のすみっこで〜
まりー
恋愛
ある夜会で王子とその側近達の婚約破棄が行われた。腕に恋人をぶら下げて。所謂、王道断罪劇である。
でもこのお話の主役は麗しのヒロインでも、キラキラ王子でも、学園一の秀才や騎士団期待のホープでもない。これは王道のすみっこで行われた、弱小貴族と商人の子息たちの婚約破棄のお話である。
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
「もう俺ら、恋なんてしない!」と言う小学生の息子の話を参考に書きました。登場人物の男子たちの頭は小学生レベルだと思って読んでください。
『お前の顔は見飽きた!』内心ガッツポーズで辺境へ
夏乃みのり
恋愛
「リーナ・フォン・アトラス! 貴様との婚約を破棄する!」
華やかな王宮の夜会で、第一王子ジュリアンに突きつけられた非情な宣告。冤罪を被せられ、冷酷な悪役令嬢として追放を言い渡されたリーナだったが、彼女の内心は……「やったーーー! これでやっとトレーニングに専念できるわ!」と歓喜に震えていた!
追放された令嬢は記憶を失ったまま恋をする……わけにはいかないでしょうか?
ツルカ
恋愛
前世を思い出したら、婚約破棄の現場でした。あれよあれよというまに国外追放。
日本人の記憶しかないまま異世界での放浪生活をはじめたものの、あれ、何の問題もなく毎日楽しい!
拾った傭兵に恋をして、生きることが楽しくて、なのに、令嬢の記憶……思い出さなくちゃ、駄目ですか?
出会った男は訳ありの能力者。私も魔法が使えるみたい。
悪役令嬢であることが思い出せない少女の異世界転生恋愛譚
悪役令嬢ですが、今日も元婚約者とヒロインにざまぁされました(なお、全員私を溺愛しています)
ほーみ
恋愛
「レティシア・エルフォード! お前との婚約は破棄する!」
王太子アレクシス・ヴォルフェンがそう宣言した瞬間、広間はざわめいた。私は静かに紅茶を口にしながら、その言葉を聞き流す。どうやら、今日もまた「ざまぁ」される日らしい。
ここは王宮の舞踏会場。華やかな装飾と甘い香りが漂う中、私はまたしても断罪劇の主役に据えられていた。目の前では、王太子が優雅に微笑みながら、私に婚約破棄を突きつけている。その隣には、栗色の髪をふわりと揺らした少女――リリア・エヴァンスが涙ぐんでいた。
悪役令嬢、猛省中!!
***あかしえ
恋愛
「君との婚約は破棄させてもらう!」
――この国の王妃となるべく、幼少の頃から悪事に悪事を重ねてきた公爵令嬢ミーシャは、狂おしいまでに愛していた己の婚約者である第二王子に、全ての罪を暴かれ断頭台へと送られてしまう。
処刑される寸前――己の前世とこの世界が少女漫画の世界であることを思い出すが、全ては遅すぎた。
今度生まれ変わるなら、ミーシャ以外のなにかがいい……と思っていたのに、気付いたら幼少期へと時間が巻き戻っていた!?
己の罪を悔い、今度こそ善行を積み、彼らとは関わらず静かにひっそりと生きていこうと決意を新たにしていた彼女の下に現れたのは……?!
襲い来るかもしれないシナリオの強制力、叶わない恋、
誰からも愛されるあの子に対する狂い出しそうな程の憎しみへの恐怖、
誰にもきっと分からない……でも、これの全ては自業自得。
今度こそ、私は私が傷つけてきた全ての人々を…………救うために頑張ります!
王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!
ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。
なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。
婚約破棄?悪役令嬢の復讐は爆速で。
八雲
恋愛
「リリム・フォン・アスタロト! 貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティーの最中、婚約者である王太子エリオットから身に覚えのない罪を突きつけられた公爵令嬢リリム。隣には「真実の愛」を語るマシュマロ系男爵令嬢シャーリーの姿。
普通の令嬢なら泣き崩れる場面――だが、リリムは違った。