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10話
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「民の心を揺らすには、“感情”を使うのが一番効果的ですわ」
マリーヌは紅茶を淹れながらそう言った。
「たとえば“泣く庶民”、それを“救う聖女”――そういう光景が人の情に訴える。反対に、“笑う貴族”や“沈黙する令嬢”は嫌われるんですの」
「わかってるわ。でも、私が欲しいのは“好感”じゃない。“疑念”よ」
ヴィオラは窓辺に立ち、王都の街並みを眺めていた。
石畳の道に商人たちの声が響き、どこかで子どもがはしゃぐ声がする。その中に、“聖女様の歌”を歌う吟遊詩人の音が混じっていた。
「今、あの子たちが信じているものが、すべて嘘だったとしたら――どうなると思う?」
「混乱と、反発。そして、沈黙ですね。人は、信じたものが偽りだと知ると、まず口を閉ざします」
「その“沈黙”が欲しいの。声が消えれば、やがて“空白”が生まれる。その空白こそ、私の入り込む余地」
そう言って、ヴィオラは机の上に広げた紙に目を落とす。
それは、聖女に癒されたという“奇跡の患者”の名簿だった。
「――この中に、本当に癒された者はいるかしら」
「確認しますか? 生存している者、行方不明の者、再発した者……調べれば、何か出てくるでしょう」
「ええ、お願い。特に“その後消息を絶った者”に注目して。奇跡の記録が“語られない”とき、それは“なかった”のと同じだから」
* * *
同じ頃、王城の回廊。
聖女リュシエンヌは、ユリウス王太子と手を取り合って歩いていた。
「……少し疲れてるように見えますわ、ユリウス様」
「そんなことはないよ。ただ……少しだけ、民の声が気になっているだけだ」
「民の声、ですか?」
「最近、“奇跡は本当なのか”という噂を耳にしてね。ほんのささやき程度のものだが……どうにも胸騒ぎがするんだ」
「まあ……誰がそんなことを。神の奇跡を疑うなんて、罪深いことですわ」
リュシエンヌは柔らかく笑うが、その指先には力がこもっていた。
「きっと誰かが、あなたと私を引き裂こうとしているんですわ。……たとえば、かつての婚約者とか」
「ヴィオラが? いや、あの子がそんなことを……いや、でも――」
ユリウスの声が揺れる。
リュシエンヌはその隙を逃さなかった。そっと手を重ね、まるで祈るような声で囁いた。
「私、信じておりますの。あなたと私が結ばれることが、神の意志だと。ですから、どうか……不安にならないでくださいませ」
その言葉に、ユリウスは頷いた。
だが、彼の心に差したわずかな“疑念”は、もはや拭い切れぬ影を落としていた。
*
夕刻。
ヴィオラのもとに、ギルベールからの報告が届く。
「奇跡の患者、十六人中五人が消息不明。うち三人は“療養中に急死”、残る二人は“移送先不明”。共通点は、“奇跡の翌日に発症した高熱”」
書面を見たヴィオラの口元が、静かに吊り上がる。
「……ようやく、繋がってきたわね。“癒された”のではなく、“黙らされた”」
真実の輪郭が、霧の中からゆっくりと現れつつあった。
そしてその霧の奥には、まだ“神の名を借りた誰か”の、黒い手が潜んでいる――。
ヴィオラの視線が、次なる一手を求めて夜の帳へと向けられていた。
マリーヌは紅茶を淹れながらそう言った。
「たとえば“泣く庶民”、それを“救う聖女”――そういう光景が人の情に訴える。反対に、“笑う貴族”や“沈黙する令嬢”は嫌われるんですの」
「わかってるわ。でも、私が欲しいのは“好感”じゃない。“疑念”よ」
ヴィオラは窓辺に立ち、王都の街並みを眺めていた。
石畳の道に商人たちの声が響き、どこかで子どもがはしゃぐ声がする。その中に、“聖女様の歌”を歌う吟遊詩人の音が混じっていた。
「今、あの子たちが信じているものが、すべて嘘だったとしたら――どうなると思う?」
「混乱と、反発。そして、沈黙ですね。人は、信じたものが偽りだと知ると、まず口を閉ざします」
「その“沈黙”が欲しいの。声が消えれば、やがて“空白”が生まれる。その空白こそ、私の入り込む余地」
そう言って、ヴィオラは机の上に広げた紙に目を落とす。
それは、聖女に癒されたという“奇跡の患者”の名簿だった。
「――この中に、本当に癒された者はいるかしら」
「確認しますか? 生存している者、行方不明の者、再発した者……調べれば、何か出てくるでしょう」
「ええ、お願い。特に“その後消息を絶った者”に注目して。奇跡の記録が“語られない”とき、それは“なかった”のと同じだから」
* * *
同じ頃、王城の回廊。
聖女リュシエンヌは、ユリウス王太子と手を取り合って歩いていた。
「……少し疲れてるように見えますわ、ユリウス様」
「そんなことはないよ。ただ……少しだけ、民の声が気になっているだけだ」
「民の声、ですか?」
「最近、“奇跡は本当なのか”という噂を耳にしてね。ほんのささやき程度のものだが……どうにも胸騒ぎがするんだ」
「まあ……誰がそんなことを。神の奇跡を疑うなんて、罪深いことですわ」
リュシエンヌは柔らかく笑うが、その指先には力がこもっていた。
「きっと誰かが、あなたと私を引き裂こうとしているんですわ。……たとえば、かつての婚約者とか」
「ヴィオラが? いや、あの子がそんなことを……いや、でも――」
ユリウスの声が揺れる。
リュシエンヌはその隙を逃さなかった。そっと手を重ね、まるで祈るような声で囁いた。
「私、信じておりますの。あなたと私が結ばれることが、神の意志だと。ですから、どうか……不安にならないでくださいませ」
その言葉に、ユリウスは頷いた。
だが、彼の心に差したわずかな“疑念”は、もはや拭い切れぬ影を落としていた。
*
夕刻。
ヴィオラのもとに、ギルベールからの報告が届く。
「奇跡の患者、十六人中五人が消息不明。うち三人は“療養中に急死”、残る二人は“移送先不明”。共通点は、“奇跡の翌日に発症した高熱”」
書面を見たヴィオラの口元が、静かに吊り上がる。
「……ようやく、繋がってきたわね。“癒された”のではなく、“黙らされた”」
真実の輪郭が、霧の中からゆっくりと現れつつあった。
そしてその霧の奥には、まだ“神の名を借りた誰か”の、黒い手が潜んでいる――。
ヴィオラの視線が、次なる一手を求めて夜の帳へと向けられていた。
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