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「……ふう。今日の『イチゴとピスタチオのタルト』も、なかなかの傑作でしたわね」
「…………」
「あら、騎士様? 口の端に、まだピスタチオのクリームがついていますわよ」
「……!」
ナーナリアが指摘すると、カイは、氷の仮面をピクリと震わせ、慌てたように口元を手の甲で拭った。
「(ふふっ、本当に甘いものに弱いのですね、この人)」
ここ数日。
ナーナリアの「買い食いツアー」は、カイの「弱点(激甘パフェ)」発覚により、新たな局面を迎えていた。
「まったく。わたくしの監視役が、クリームごときに動揺してどうしますの」
「……動揺など、していない」
「あら、そうですの? では、次はあそこの『焼きたてカスタードパイ』に参りましょうか」
「……(ピクッ)」
カイの眉が、またしても、ほんのわずかに動いたのを、ナーナリアは見逃さなかった。
(わかりやすすぎますわ!)
「行きましょう、カイ様! 護衛(という名のお目付役)をサボられては困りますもの!」
ナーナリアが、わざとカイの袖を引く(もちろんカイは、ビクッと体をこわばらせる)。
二人の間に、奇妙な「甘味同盟」のような空気が流れ始めた、その時。
「(……むむむ!)」
通りの向かい側。
大きな荷馬車の陰から、二つの鋭い視線が注がれていた。
「くっ……! なんなのだ、あの女は!」
エドワード王子が、苛立たしげに物陰の壁を叩く。
「私と婚約破棄したのだぞ! なぜ、あんなに……あんなに楽しそうにしている!」
王子の目には、カイの袖を引き、満面の笑みで(実際は意地悪く笑っているだけだが)タルト屋を指差すナーナリアの姿が映っていた。
「しかも、相手はあの氷の騎士、カイ・ランバートだと!?」
王子は、歯噛みした。
自分が振った(と彼は思っている)女が、自分以外の男と親しげにしている。
しかも、その相手が、王宮でも一目置かれる(そしてエドワードが少し苦手意識を持つ)カイである。
それが、許せなかった。
(そうだ、あの女は、私に捨てられて、屋敷で泣き暮らしているべきなのだ!)
(それなのに、なぜ! 毎日、毎日! 街に出て、甘いものなんぞ食べているのだ!)
「王子……」
王子の背後から、か細く、しかし芯のある声がかかる。
「もう、お帰りになりませんか? わたくし……王子が、そんなに苦しまれるお姿、見ていられません……」
ヒロインのリリアが、潤んだ瞳で王子を見上げていた。
「苦しんでなどいない!」
王子は、リリアに振り向きもせず、ナーナリアたちを睨み続ける。
「私は、怒っているのだ! あの女の、反省の色なき、ふてぶてしい態度に!」
「(……また、それですの)」
リリアは、心の中で深くため息をついた。
(この王子、婚約破棄してから、毎日毎日『ナーナリアが楽しそうで許せん』と、こうしてこっそり後をつけることしかやることがないのかしら)
(わたくしと、イチャイチャするお時間はどこへ?)
「リリア! 見ろ!」
「はい?」
「あのナーナリアめ。カイ・ランバートに、何か食べさせようとしているぞ!」
ナーナリアが、試食のクッキーをカイの口元に運ぼうとし、カイが石のように固まっているのが見えた。
「き、貴様らああ! 人前で、な、何を……!」
王子が、思わず物陰から飛び出しそうになる。
「王子!」
リリアが、慌てて王子の口を手で塞いだ。
「しっ! 見つかってしまいますわ!」
「(んぐぐ!)」
王子は、リリアの手を振り払い、ぜえぜえと息をついた。
「はっ……そうだ、危ないところだった」
「(……本当に、手のかかる王子ですこと)」
「しかしリリア、見たか? あのカイの、動揺した顔を」
「(いえ、見ておりませんでしたわ……)」
「ふん。あの氷の騎士も、ナーナリアの毒牙にかかったか……いや、待てよ?」
エドワード王子は、何かに気づいたように、顎に手を当てた。
「あのナーナリアが、あんなに楽しそうなのは……まさか、カイと……?」
王子の顔から、サッと血の気が引く。
(まさか、あの女! 私と別れた腹いせに、すぐに新しい男を!? しかも、よりによってあのカイを!?)
「王子? どうかなさいました?」
リリアが、不思議そうに王子の顔を覗き込む。
「リリア!」
王子は、リリアの肩をガシッと掴んだ。
「わ、私は、あの女の悪事を暴かねばならん!」
「……はい?」
「そうだ! きっとあの女は、あの朴念仁のカイ・ランバートを騙しているに違いない!」
(朴念仁……)
「私だけが、あの女の本性(悪役令嬢)を知っている! 私が、あの氷の騎士の目を覚めさせてやらねば!」
「(……はあ? 何を言っているのですの、この王子は……?)」
リリアは、本気で、目の前の男の頭のデキを疑い始めた。
(もう、どうでもいいですわ。それより……)
「王子」
リリアは、イライラを完璧に隠し、甘い声を出した。
「それより、わたくし、あちらの新しいブティックが見たいのですが」
「……ああ? ブティック?」
王子は、ナーナリアたちが角を曲がるのを、必死で目で追っている。
「今、それどころでは……」
王子は、そこで初めて、リリアの存在を(本当に)思い出したかのように、彼女の顔をまじまじと見た。
「ああ、君もいたのか」
「…………」
シン……。
王都の喧騒が、一瞬、遠のいた。
リリアの、可憐な笑顔が、完璧な角度で、固まった。
「……え?」
「いや、だから、今はナーナリアの監視が最優先でだな……」
「(……この、ポンコツがああああああ!)」
リリアの心の中で、淑女にあるまじき絶叫が響き渡る。
次の瞬間。
リリアの美しい瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うぅ……ひっ……ひどいですわ……王子……!」
「え!? な、なんだ、リリア!? なぜ急に泣くのだ!」
王子が、狼狽える。
「わたくしは……! 王子のためを思って、こんな埃っぽい裏路地まで、お供しているというのに……!」
「う、うむ」
「『いたのか』だなんて……! まるで、わたくしが、空気みたいではございませんか……!」
「あ、いや、すまん! 悪かった! 泣くなリリア! 人が見る!」
「(……あの二人、何をやっているのかしら)」
ちょうどその時、角を曲がったはずのナーナリアが、ハンカチを落とした(とカイに指摘され)、戻ってきたところだった。
「……あら。あそこで盛大な痴話喧伔が始まっておりますわ」
「……(コクリ)」
カイも、無表情で二人を見ている。
ナーナリアは、泣きじゃくるリリアと、それをオロオロとなだめるエドワード王子の姿を、はっきりと認識した。
「(うわあ……またあの二人ですわ。本当に、暇ですのね)」
「カイ様」
「なんだ」
「あんな下品なもの、見てはいけませんわ。目が腐ります。行きましょう」
「……(コクリ)」
ナーナリアは、王子たちに背を向け、今度こそ角を曲がった。
「待て! ナーナリア!」
ナーナリアの背中を見つけ、王子が慌てて追いかけようとする。
しかし。
「……どこへ、行かれるのですか?」
ガシッ、と。
リリアが、王子のマントの裾を、凄まじい力で掴んでいた。
その顔は、涙で濡れているが、瞳の奥は笑っていない。
「い、いや、リリア……あのだな……」
「(……怖っ!)」
王子は、リリアの(初めて見る)形相に、一瞬だけ恐怖を覚えた。
「わたくしとの、お約束は?」
「(……約束? ……ああ! ブティックか!)」
「わ、わかっている! 行こう! ブティックへ! 今すぐに!」
「……ふふ。はい、王子!」
リリアは、一瞬でいつもの可憐な笑顔に戻った。
エドワード王子は、リリアに腕を引かれ、ブティックへと連行されていく。
しかし、その目は、まだナーナリアが消えた角の先を、諦めきれずに睨みつけていた。
(ナーナリアめ……! 次こそは、貴様の化けの皮を剥いでやる……!)
こうして、元婚約者による、非常に不毛で迷惑なストーキング(本人は『正義の尾行調査』のつもり)が、開始されたのだった。
「…………」
「あら、騎士様? 口の端に、まだピスタチオのクリームがついていますわよ」
「……!」
ナーナリアが指摘すると、カイは、氷の仮面をピクリと震わせ、慌てたように口元を手の甲で拭った。
「(ふふっ、本当に甘いものに弱いのですね、この人)」
ここ数日。
ナーナリアの「買い食いツアー」は、カイの「弱点(激甘パフェ)」発覚により、新たな局面を迎えていた。
「まったく。わたくしの監視役が、クリームごときに動揺してどうしますの」
「……動揺など、していない」
「あら、そうですの? では、次はあそこの『焼きたてカスタードパイ』に参りましょうか」
「……(ピクッ)」
カイの眉が、またしても、ほんのわずかに動いたのを、ナーナリアは見逃さなかった。
(わかりやすすぎますわ!)
「行きましょう、カイ様! 護衛(という名のお目付役)をサボられては困りますもの!」
ナーナリアが、わざとカイの袖を引く(もちろんカイは、ビクッと体をこわばらせる)。
二人の間に、奇妙な「甘味同盟」のような空気が流れ始めた、その時。
「(……むむむ!)」
通りの向かい側。
大きな荷馬車の陰から、二つの鋭い視線が注がれていた。
「くっ……! なんなのだ、あの女は!」
エドワード王子が、苛立たしげに物陰の壁を叩く。
「私と婚約破棄したのだぞ! なぜ、あんなに……あんなに楽しそうにしている!」
王子の目には、カイの袖を引き、満面の笑みで(実際は意地悪く笑っているだけだが)タルト屋を指差すナーナリアの姿が映っていた。
「しかも、相手はあの氷の騎士、カイ・ランバートだと!?」
王子は、歯噛みした。
自分が振った(と彼は思っている)女が、自分以外の男と親しげにしている。
しかも、その相手が、王宮でも一目置かれる(そしてエドワードが少し苦手意識を持つ)カイである。
それが、許せなかった。
(そうだ、あの女は、私に捨てられて、屋敷で泣き暮らしているべきなのだ!)
(それなのに、なぜ! 毎日、毎日! 街に出て、甘いものなんぞ食べているのだ!)
「王子……」
王子の背後から、か細く、しかし芯のある声がかかる。
「もう、お帰りになりませんか? わたくし……王子が、そんなに苦しまれるお姿、見ていられません……」
ヒロインのリリアが、潤んだ瞳で王子を見上げていた。
「苦しんでなどいない!」
王子は、リリアに振り向きもせず、ナーナリアたちを睨み続ける。
「私は、怒っているのだ! あの女の、反省の色なき、ふてぶてしい態度に!」
「(……また、それですの)」
リリアは、心の中で深くため息をついた。
(この王子、婚約破棄してから、毎日毎日『ナーナリアが楽しそうで許せん』と、こうしてこっそり後をつけることしかやることがないのかしら)
(わたくしと、イチャイチャするお時間はどこへ?)
「リリア! 見ろ!」
「はい?」
「あのナーナリアめ。カイ・ランバートに、何か食べさせようとしているぞ!」
ナーナリアが、試食のクッキーをカイの口元に運ぼうとし、カイが石のように固まっているのが見えた。
「き、貴様らああ! 人前で、な、何を……!」
王子が、思わず物陰から飛び出しそうになる。
「王子!」
リリアが、慌てて王子の口を手で塞いだ。
「しっ! 見つかってしまいますわ!」
「(んぐぐ!)」
王子は、リリアの手を振り払い、ぜえぜえと息をついた。
「はっ……そうだ、危ないところだった」
「(……本当に、手のかかる王子ですこと)」
「しかしリリア、見たか? あのカイの、動揺した顔を」
「(いえ、見ておりませんでしたわ……)」
「ふん。あの氷の騎士も、ナーナリアの毒牙にかかったか……いや、待てよ?」
エドワード王子は、何かに気づいたように、顎に手を当てた。
「あのナーナリアが、あんなに楽しそうなのは……まさか、カイと……?」
王子の顔から、サッと血の気が引く。
(まさか、あの女! 私と別れた腹いせに、すぐに新しい男を!? しかも、よりによってあのカイを!?)
「王子? どうかなさいました?」
リリアが、不思議そうに王子の顔を覗き込む。
「リリア!」
王子は、リリアの肩をガシッと掴んだ。
「わ、私は、あの女の悪事を暴かねばならん!」
「……はい?」
「そうだ! きっとあの女は、あの朴念仁のカイ・ランバートを騙しているに違いない!」
(朴念仁……)
「私だけが、あの女の本性(悪役令嬢)を知っている! 私が、あの氷の騎士の目を覚めさせてやらねば!」
「(……はあ? 何を言っているのですの、この王子は……?)」
リリアは、本気で、目の前の男の頭のデキを疑い始めた。
(もう、どうでもいいですわ。それより……)
「王子」
リリアは、イライラを完璧に隠し、甘い声を出した。
「それより、わたくし、あちらの新しいブティックが見たいのですが」
「……ああ? ブティック?」
王子は、ナーナリアたちが角を曲がるのを、必死で目で追っている。
「今、それどころでは……」
王子は、そこで初めて、リリアの存在を(本当に)思い出したかのように、彼女の顔をまじまじと見た。
「ああ、君もいたのか」
「…………」
シン……。
王都の喧騒が、一瞬、遠のいた。
リリアの、可憐な笑顔が、完璧な角度で、固まった。
「……え?」
「いや、だから、今はナーナリアの監視が最優先でだな……」
「(……この、ポンコツがああああああ!)」
リリアの心の中で、淑女にあるまじき絶叫が響き渡る。
次の瞬間。
リリアの美しい瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うぅ……ひっ……ひどいですわ……王子……!」
「え!? な、なんだ、リリア!? なぜ急に泣くのだ!」
王子が、狼狽える。
「わたくしは……! 王子のためを思って、こんな埃っぽい裏路地まで、お供しているというのに……!」
「う、うむ」
「『いたのか』だなんて……! まるで、わたくしが、空気みたいではございませんか……!」
「あ、いや、すまん! 悪かった! 泣くなリリア! 人が見る!」
「(……あの二人、何をやっているのかしら)」
ちょうどその時、角を曲がったはずのナーナリアが、ハンカチを落とした(とカイに指摘され)、戻ってきたところだった。
「……あら。あそこで盛大な痴話喧伔が始まっておりますわ」
「……(コクリ)」
カイも、無表情で二人を見ている。
ナーナリアは、泣きじゃくるリリアと、それをオロオロとなだめるエドワード王子の姿を、はっきりと認識した。
「(うわあ……またあの二人ですわ。本当に、暇ですのね)」
「カイ様」
「なんだ」
「あんな下品なもの、見てはいけませんわ。目が腐ります。行きましょう」
「……(コクリ)」
ナーナリアは、王子たちに背を向け、今度こそ角を曲がった。
「待て! ナーナリア!」
ナーナリアの背中を見つけ、王子が慌てて追いかけようとする。
しかし。
「……どこへ、行かれるのですか?」
ガシッ、と。
リリアが、王子のマントの裾を、凄まじい力で掴んでいた。
その顔は、涙で濡れているが、瞳の奥は笑っていない。
「い、いや、リリア……あのだな……」
「(……怖っ!)」
王子は、リリアの(初めて見る)形相に、一瞬だけ恐怖を覚えた。
「わたくしとの、お約束は?」
「(……約束? ……ああ! ブティックか!)」
「わ、わかっている! 行こう! ブティックへ! 今すぐに!」
「……ふふ。はい、王子!」
リリアは、一瞬でいつもの可憐な笑顔に戻った。
エドワード王子は、リリアに腕を引かれ、ブティックへと連行されていく。
しかし、その目は、まだナーナリアが消えた角の先を、諦めきれずに睨みつけていた。
(ナーナリアめ……! 次こそは、貴様の化けの皮を剥いでやる……!)
こうして、元婚約者による、非常に不毛で迷惑なストーキング(本人は『正義の尾行調査』のつもり)が、開始されたのだった。
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