悪役令嬢「婚約破棄?待ってました!」

パリパリかぷちーの

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「…………(むすうう)」

ナーナリアは、機嫌が悪かった。
非常に、悪かった。

理由は明確。
昨日の「紅茶研究」における、カイ・ランバートの「草の味」発言である。

「(わたくしの、長年の研究と、あの高価な茶葉たちを……『草』の一言で……!)」

「お嬢様。眉間に、深い谷が刻まれておりますわ」

侍女のアマンダが、隣を歩きながら小声で忠告する。

「うるさいですわ、アマンダ! これも全部、あの『氷の味音痴人形』のせいですのよ!」

ナーナリアは、王都の目抜き通りを、いつもより荒々しい足取りで歩いていた。
もちろん、三歩後ろには、例の人形が、今日も完璧な無表情でついてきている。

「カイ様」

「なんだ」

「貴方、昨日のわたくしの紅茶、本気で『草』だと思っているのですか」

「……ああ」

「(即答!?)」

ナーナリアは、怒りで頭から湯気が出そうだった。

「いいですわ! 貴方のような方には、もう二度と、わたくしの貴重な紅茶は淹れて差し上げません! 一生、激甘パフェでも食べていればよろしい!」

「……(ピクッ)」

カイの眉が、ほんの少し「パフェ」という単語に反応した。

「ほら! やっぱり! 貴方など、それでいいのですわ!」

ナーナリアは、ぷいと顔をそむけ、近くのカフェのテラス席に乱暴に腰を下ろした。

「(あ、ケルベロス……今日はお留守番させてしまいましたわ。あの氷人形のせいで、イライラして忘れておりました)」

「ご注文は……」

ウェイターが、ナーナリアの不機嫌オーラと、カイの氷のオーラに挟まれ、震えている。

「わたくし、やけ食いですわ! あそこの『悪魔のショコラケーキ』を!」

「か、かしこまりました!」

「……貴方は?」

ナーナリアが、カイを睨みつける。

「……お前と、同じものを」

「(……は?)」

ナーナリアは、目を丸くした。

「今、何と?」

「……『悪魔のショコラケーキ』を、一つ」

カイは、ナーナリアから視線を逸らし、ウェイターに告げた。

「(こ、この人が……わたくしに強制されるのではなく、自ら甘いものを注文……!?)」

「(昨日、わたくしに『味音痴』と罵られた腹いせに、ヤケ甘いものですの!?)」

ナーナリアが、一人で混乱していると、やがて、濃厚なチョコレートの香りを漂わせたケーキが二つ、運ばれてきた。

「…………」

「…………」

気まずい沈黙の中、二人は同時にフォークを手に取った。

(……美味しいですわ。濃厚なチョコが、イライラした心に染み渡ります)

ナーナリアが、一口目を堪能していると。

「……」

カイが、フォークを突き刺したまま、固まっていることに気づいた。

「どうかなさいましたの? さっさと召し上がればよろしいでしょう。毒見なら、わたくしが済ませましたわ」

「……これは」

カイは、フォークに乗ったケーキを、じっと見つめている。

「……甘すぎない」

「は?」

「昨日までの、『パフェ』や『クレープ』とは違う」

「(……当たり前ですわ。これはビターチョコレートを使った、大人のケーキですもの)」

「……」

カイは、恐る恐る、それを口に運んだ。

「(……もぐ)」

(……)

「(……!)うまい」

「え?」

「……うまい」

カイは、二口目、三口目と、まるで宝物でも味わうかのように、ゆっくりと、しかし確実にケーキを食べ進めていく。
その目は、いつもより、ほんの少しだけ、見開かれている気がした。

「(……この人、ただの『激甘党』ではなく、『甘ければ何でもいい党』でしたのね)」

ナーナリアは、なんだか、張り合う気力も失せてしまった。

「……ふう」

ナーナリアは、ため息と共に、ケーキに添えられていた紅茶(何の変哲もないティーバッグ)に口をつけた。

(……美味しくないですわ。香りも、コクも、何もかもが足りない)

「(……昨日の、草の方が、まだマシだ)」

「(……!)」

ナーナリアは、自分の思考が、カイの言葉に侵食されていることに気づき、愕然とした。

「……カイ様」

「なんだ」

「わたくし、屋敷に戻りますわ」

「まだ、買い食いの途中では」

「いいのです! どうしても、貴方に飲ませなければならないものができましたの!」

「……?」

カイは、ケーキの最後のひとかけらを名残惜しそうに見ながら、首を傾げた。

---

グランツ侯爵邸、温室。
再び、この場所に連れてこられたカイは、デジャヴを感じていた。

「(……また、草か)」

「お黙りなさい! 心の声が聞こえておりますわ!」

ナーナリアは、昨日とは違う、小さな缶を手にしていた。

「いいですか、カイ様。これは、わたくしが特別にブレンドした『お茶』ですわ」

「……茶、か」

「ええ! わたくしの、プライドにかけまして!」

ナーナリアは、昨日とは比べ物にならないほど真剣な手つきで、湯を注ぐ。
ポットからは、草の匂いではなく、甘く、少しスパイシーな、不思議な香りが立ち上った。

「(……これは)」

カイの鼻が、かすかに動く。

「さあ、どうぞ」

カップに注がれたのは、美しい琥珀色。
ダージリンともアッサムとも違う、温かみのある色だった。

「(……蜂蜜と、林檎……?)」

カイは、警戒しながらも、カップを手に取った。
香りがあまりにも、昨日までの「草」とは違ったからだ。

彼は、ゆっくりと、一口、その琥珀色の液体を含んだ。

「…………」

温かい液体が、喉を通っていく。
それは、昨日までの苦味や渋みとは、まったく違う。
ほのかな甘み。
スパイシーなシナモンの香り。
そして、ベースにある、優しい紅茶の風味。

「…………」

カイは、カップを置いた。

「どうですの」

ナーナリアが、緊張した面持ちで、カイの答えを待っている。

カイは、しばらく沈黙していたが、やがて、ぽつりと呟いた。

「……悪くない」

「(……!)」

ナーナリアの顔が、パッと輝いた。

「(わ、わたくしのブレンドが、この味音痴に認められ……!)」

「悪くない、どころか」

カイは、もう一口、今度は、少し味わうように、ゆっくりと飲んだ。

そして。

ふ、と。

カイの、その氷のように固まっていた口元が、ほんの、ほんのわずか、緩んだ。

それは、「笑顔」と呼ぶには、あまりにも微かすぎた。
一瞬、空気が揺らいだだけ、と言われても信じてしまうほどの、小さな変化。

だが、ナーナリアは、それを見逃さなかった。

「(…………え?)」

ナーナリアは、固まった。
時が、止まった。

(い、今……)

(あの、氷人形が……)

(わ、笑った……?)

「……?」

カイは、自分の顔の変化には気づかず、ナーナリアが固まったのを見て、不思議そうに首を傾げた。
その表情は、もう、いつもの「氷の騎士」に戻っていた。

「……どうかしたか」

「(……ま、幻……?)」

ナーナリアは、激しく混乱した。

「い、いえ! な、なんでもありませんわ!」

ナーナリアは、なぜか顔が熱くなるのを感じ、慌てて顔をそむけた。

「そ、そう! 悪くないでしょう! そうでしょうとも!」

「ああ」

「わ、わたくしは! 貴方のようなお子様味覚でもわかるように、蜂蜜とアップルとシナモンを、絶妙なバランスで配合して……!」

「……美味かった」

「(……!)」

ナーナリアは、再び言葉に詰まった。

「そ、そうですか! それは、ようございましたわね!」

ナーナリアは、自分がなぜこんなに動揺しているのか、まったくわからなかった。
ただ、さっきの、あの「幻」かもしれない笑顔が、脳裏に焼き付いて、離れなかった。

「(なんなのですか、もう!)」

その日、ナーナリアは、買い食いのことも、シミのついた上着のことも、すべてがどうでもよくなってしまうほど、激しく混乱した一日を過ごすことになった。
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