偽りの婚約者に愛を誓いますか?

パリパリかぷちーの

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重厚な樫の扉をノックすると、落ち着いた父の声が返ってきた。

「入れ」

ラングハイム伯爵家の当主である父、ゲオルグは、娘の私、レノアが入室しても書斎のデスクから顔を上げなかった。その様子から、話がただごとではないことを察する。

「お呼びでしょうか、お父様」

「ああ。座りなさい」

促されるまま、デスクの向かいにある客用のソファに腰を下ろす。父はしばらく書類に目を通していたが、やがてペンを置くと、深くため息をついた。

「ヴァレンティン公爵家との縁談についてだ」

「……はい」

ヴァレンティン公爵家。我がラングハイム家が、かねてより婚約の話を進めていた相手。その婚約者は、病弱と噂の公爵家長男、レオン様。それが家のための、私の役目だと、幼い頃から言い聞かされてきた。

「先方から連絡があった。婚約者は、レオン様ではなく、次男のアレクシス様に変更したい、と」

「……アレクシス様に?」

予想だにしなかった言葉に、思わず聞き返す。冷静を装う声が、自分でもわずかに上ずったのが分かった。

「なぜ、急にそのような……」

「レオン様の体調が、やはり芳しくないそうだ。公爵家の跡取りとして、そして一家の主として務めを果たすには、心もとない、と。……公爵ご夫妻の苦渋の決断だろう」

父の言葉は淡々としていたが、その声色には同情が滲んでいた。

アレクシス・ド・ヴァレンティン。
ヴァレンティン公爵家の次男。兄とは対照的に、健康で、文武両道に秀でていると聞く。しかし、彼の噂で最も有名なのは、その性格についてだ。

『氷のようだ』
『感情というものが欠落している』
『必要最低限の言葉しか口にしない』

社交界で囁かれるそんな評判が、頭の中を駆け巡る。

「……分かりました。ラングハイム家のために、そのお話、お受けいたします」

私は、ただ静かに頷いた。父は私の返事を聞くと、どこか安堵したような、それでいて申し訳なさそうな複雑な表情を浮かべた。

「すまない、レノア。お前の幸せを願っていることに、嘘はないのだが……」

「いいえ、お父様。これも、伯爵家に生まれた私の務めですわ」

私は完璧な淑女の笑みを浮かべてみせた。父はそれ以上、何も言わなかった。

退出の礼をして、自室に戻る。扉を閉めた瞬間、張り詰めていた糸がぷつりと切れた。ソファに崩れるように座り込む。

(アレクシス様……)

顔も、声も知らない。ただ、冷たい噂だけが耳に残る人。その人が、これからの私の人生を共にする相手。

窓の外では、穏やかな陽光が庭の薔薇を照らしている。けれど、私の心は、厚い氷に覆われた湖のように、静まり返っていた。

これは、家のための結婚。私情を挟む余地など、最初からない。

そう、自分に何度も言い聞かせた。

ぎゅっと拳を握りしめる。爪が食い込む痛みだけが、今の私に現実を教えてくれていた。
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