婚約破棄?悪役令嬢?わたくしマジメな令嬢ですけど?

パリパリかぷちーの

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煌びやかな王宮の夜会会場は、一瞬にして静寂に包まれた。
シャンデリアの光を浴びて、第一王子カイルがこれ以上ないほどドラマチックなポーズで指を突き出している。
その隣には、今にも泣き出しそうな男爵令嬢のリリアが、怯えた小動物のように寄り添っていた。

「ディナ・エル・ロンド! 貴様のような血も涙もない女との婚約を、私は今この瞬間をもって破棄する!」

カイル王子の声が、ホールの高い天井に反響する。
周囲の貴族たちは、息を呑んで事の成り行きを見守っていた。
当の本人である公爵令嬢ディナは、俯いたまま微動だにしない。

(よし、あまりのショックに言葉も出ないようだな!)

カイルは内心で勝ち誇った。
高慢で、常に正論ばかりを並べ立てるこの婚約者が、人前で恥をかき、絶望に染まる瞬間をずっと待ち望んでいたのだ。

「聞こえなかったのか? 貴様がリリアに行った数々の嫌がらせ、私はすべて把握している。教科書を隠し、執拗に追い回して精神的に追い詰めた……。その罪、言い逃れはさせんぞ!」

しばらくの沈黙の後、ディナがゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、絶望に濡れている……かと思いきや、驚くほど冷静に、いや、むしろ何かの「計算」をしているかのように鋭く光っている。
彼女は懐から、手垢のついた分厚い革表紙のノートとペンを取り出した。

「……申し訳ありません、殿下。今の言葉、もう一度お願いできますか?」

「は? 今さら謝ったところで遅いと言っているのだ!」

「いえ、謝罪ではなく、単語の確認です。今『婚約破棄』とおっしゃいましたね? それは法的な手続きとして、王家の承認を得た上での決定事項ということで相違ありませんか?」

「あ、当たり前だ! 父上にも既に話は通してある!」

「左様ですか。それは素晴らしい」

ディナは流れるような動作でノートに何かを書き込んだ。
カイルは面食らった。
泣き叫ぶか、リリアに襲いかかるかと思っていたのに、彼女の態度はまるでお役所の窓口対応のように事務的だった。

「素晴らしいだと? 貴様、自分が何を言われているのか分かっているのか!」

「はい。殿下の仰る『嫌がらせ』についても一点だけ修正させてください。私がリリア様の教科書をお預かりしたのは、内容があまりに旧態依然としており、最新の魔導理論と乖離があったためです。赤ペンで注釈を入れてお返ししようと思ったのですが……」

「それを嫌がらせと言うんだ! リリアは泣いていたぞ!」

「不思議ですね。複素数平面の基礎を教えようとしただけで、なぜ涙が流れるのか。生物学的な拒絶反応でしょうか。それとも、私の教え方が非効率的だったのか……。今後の研究課題にいたします」

ディナは淡々とペンを走らせる。
その隣で、リリアが「ひいっ」と小さく悲鳴を上げた。

「殿下……やっぱりディナ様は怖いですぅ……。私、あんなに難しい数字を見せられて、頭が爆発するかと思いましたぁ……」

「大丈夫だリリア、私が守ってやる。おいディナ! 貴様のような可愛げのないガリ勉女は、王妃の座にふさわしくない。私はこの、真実の愛を誓ったリリアを妻にする!」

カイルが宣言すると、会場の一部から拍手が沸き起こった。
ディナはペンを止め、眼鏡をクイッと押し上げた。

「承知いたしました。では、こちらの婚約解消合意書にサインをいただけますか? ちょうど、あらかじめ用意しておいたものがありますので」

「な……用意していたのか?」

「はい。殿下がリリア様と頻繁に中庭で『愛の語らい(非生産的な時間)』を過ごされているのを確認した時点で、婚約が継続される確率は零に近いと判断しました。時間の無駄を省くため、準備しておくのが合理的ですから」

ディナが差し出した書類には、既に彼女の署名と公爵家の印が押されていた。
カイルは呆気に取られながらも、ここで引くのは格好がつかないと、勢いよく自分のサインを書き込んだ。

「これで文句ないだろう! 貴様は明日にも、この王都から追放だ!」

「追放……。それは、実家への帰省も含まれますか?」

「当然だ! 誰も貴様の顔など見たくないわ!」

「ありがとうございます! おかげで、実家での無駄な社交や親族への挨拶回りをすべてカットできます。これで、魔導アカデミーの禁書庫に籠もる時間が、1日あたり平均4.5時間増える計算になります。感謝の極みです」

ディナは深々と頭を下げた。
その表情は、今夜の誰よりも明るく、喜びに満ち溢れている。

「な、なんだその嬉しそうな顔は……。貴様、私と別れるのがそんなに嬉しいのか!?」

「殿下、誤解しないでください。私は殿下のことを嫌いなわけではありません。ただ、殿下と過ごす時間が、私の知的好奇心を満たすための時間と激しく競合していただけなのです。これからは、殿下はリリア様と幸せな時間を。私は量子魔法の安定化理論と幸せな時間を過ごします。ウィン・ウィンですね」

ディナは丁寧に書類を回収し、大切そうにノートに挟んだ。
そして、唖然とするカイルとリリア、そして呆然と見守る観衆に背を向け、出口へと歩き出す。

「あ、そうだ。殿下、最後のアドバイスです」

ディナは扉の前で足を止め、振り返った。

「その立ち位置、シャンデリアの真下から1.2メートル左にずれた方がいいですよ。三つ目の接続金具が腐食しており、今の音圧レベルだと、あと5分以内に落下する確率が82パーセントです」

「……は?」

カイルが上を見上げた瞬間、ギギ……という不穏な音が響いた。
ディナはそれを見届けることなく、スカートを翻して軽やかに会場を去っていった。

彼女の頭の中には既に、王宮の退屈な料理の味ではなく、禁書庫の古い紙とインクの香りが広がっていた。
自由だ。
これでもう、誰にも邪魔されずに勉強ができる。

夜風を浴びながら、ディナは心の中で勝利のポーズを決めた。
ガリ勉令嬢の、本当の人生はここから始まるのである。
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