婚約破棄?ああ、どうぞお構いなく。

パリパリかぷちーの

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パーティー会場の出口へ向かうアミュレットの背中に無数の視線が突き刺さる。

好奇、非難、そして最も多いのは憐憫の色。可哀想な公爵令嬢。長年の婚約者に衆目の前で捨てられた悲劇のヒロイン。誰もがそう思っていた。

しかし当の本人はそんな視線を意にも介さない。まるで美しい装飾の一部であるかのように受け流し、背筋を伸ばして歩くだけだ。

「アミュレット様!」

エントランスで待機していた侍女のハンナが、青い顔で駆け寄ってきた。

「お嬢様、一体何が……。とんでもない噂が聞こえてまいりましたが……」

「ええ、その通りよハンナ。わたくし、自由の身になりましたの」

アミュレットはにこりともせず、しかしどこか弾んだ声でそう告げた。

「じ、自由……でございますか?」

「ええ。もう殿下とは何の関係もありません。さあ、帰りましょう。夜風で体が冷えてしまったわ」

訳が分からないといった様子のハンナを伴い、アミュレットはクライン公爵家の紋章が入った馬車に乗り込んだ。

がたん、と馬車が揺れる。王都の夜景が窓の外を流れていく。

「お嬢様……お辛いでしょう。無理に気丈に振る舞われなくても……」

ハンナが涙ながらに訴える。彼女はアミュレットが幼い頃から仕える忠実な侍女だ。主の心中を慮り、胸を痛めているのだろう。

「辛い? 何も辛いことなどないわ」

「ですが、長年婚約者としてお仕えしてきた殿下に、あのような仕打ちを……」

「ハンナ。あなたは王妃教育がどれほど退屈か知っている?」

アミュレットは唐突に話題を変えた。

「え?」

「歴史学、政治学、経済学、作法に刺繍。どれもこれも興味が湧かないことばかり。それに、あの方の好みもいちいち覚えなくてはならない。紅茶はダージリン。お菓子はマカロン。好きな花は白い薔薇。正直、どうでもいいことだわ」

その口調は本当に面倒な義務から解放された人間のそれだった。

「これからは、好きなだけ自分の時間を楽しめる。朝はゆっくりと目覚め、昼は庭でお茶会を開き、夜は好きな本を読む。なんて素晴らしいのかしら」

うっとりと言う主人を見て、ハンナはもう何も言えなかった。このお嬢様は本気だ。本気で婚約破棄を喜んでいる。

やがて馬車は壮麗なクライン公爵邸に到着した。

アミュレットが帰宅する頃には、既に騒動の第一報が届いていたのだろう。父であるクライン公爵と母が、厳しい顔で彼女を待っていた。

「アミュレット! よくも戻ってこられたな!」

雷のような父の怒声がホールに響く。

「お父様、お母様。ただ今戻りました」

アミュレットは動じず、優雅にスカートの裾を持ち上げて一礼する。

「ただ今ではない! 一体どういうことなのだ! 王子に婚約を破棄されたと聞いたぞ! 我らの顔に泥を塗りおって!」

「まあ、あなた。そんなに怒鳴ってはアミュレットが可哀想ですわ。……おぉ、私の可愛いアミュレット。どれほど辛かったことでしょう」

今度は母が悲劇のヒロインを扱うように、涙ながらにアミュレットを抱きしめようとする。

アミュレットはそれをひらりとかわした。

「お父様。ご報告の通り、エリアス殿下との婚約は正式に解消となりました。泥を塗ったつもりはございません。塗られた泥を拭わなかった殿下の責任です」

「な、なんだと……」

「お母様。わたくしは少しも可哀想ではございません。むしろ、とても晴れやかな気分です。ですから、その辺りで寸劇をおやめになっていただけますか」

ぴしゃりと言い放つ娘に、公爵夫妻は言葉を失う。

いつもそうだ。この娘は感情が読めない。何を考えているのか分からない。親である自分たちでさえ、時々彼女が分からなくなるのだ。

アミュレットは二人の前で再び小さく頭を下げた。

「ご心配をおかけしました。ですが、わたくしは大丈夫です。それよりもお母様、お願いがございます」

「……な、何かしら」

「明日の朝食は、クロテッドクリームとジャムをたっぷり添えたスコーンが食べたい気分ですわ。それと紅茶は、アッサムのミルクティーでお願いできますか」

その言葉に、父は天を仰ぎ、母はハンカチで口元を押さえた。

この状況で、明日の朝食の話をする令嬢がどこにいるというのか。

「お話は以上です。わたくしは部屋に戻って休みますので。おやすみなさいませ、お父様、お母様」

嵐のように自分の要求だけを伝えると、アミュレットはさっさと踵を返し、自室へと続く階段を上がっていった。

豪華な天蓋付きのベッドに身を投げ出し、アミュレットは大きく息を吐いた。

「ああ、自由って素晴らしい」

誰に聞かせるでもなく、心の底から呟く。

これでもう、窮屈な城へ通う必要はない。興味のない勉強をする必要もない。常に完璧な淑女を演じる必要もないのだ。

(これからは、本当にやりたいことだけをしよう)

彼女のやりたいことリストの筆頭は、もちろん『毎日、美味しいお茶とお菓子を心ゆくまで楽しむこと』だ。

明日の朝食のスコーンに思いを馳せながら、アミュレットは心地よい眠りへと落ちていった。

解放の朝は、もうすぐそこまで来ていた。
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