婚約破棄?ああ、どうぞお構いなく。

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
3 / 29

3

しおりを挟む
約束通り、アミュレットの朝食には焼きたてのスコーンが並んだ。

二つに割った温かいスコーンに濃厚なクロテッドクリームと自家製の苺ジャムをたっぷり乗せる。湯気の立つアッサムのミルクティーを一口含み、その完璧な組み合わせをゆっくりと味わった。

「……素晴らしいわ」

思わず感嘆の声が漏れる。これこそが至福。これこそがアミュレットの求める日常だった。

食堂に同席した両親はそんな娘を生きた化石でも見るような目で見ていたが、アミュレットは気にしない。父の溜息も母の心配そうな視線も、美味しい朝食の前では些細なことだった。

しかし、その平穏は長くは続かなかった。

朝食の後、公爵邸には弔問客のように次々と貴族たちが訪れた。アミュレットを慰めるため、あるいはただゴシップを嗅ぎつけるため。どちらにせよ面倒なことに変わりはない。

「まあアミュレット様、お可哀想に……」

「クライン公爵家も大変ですな……」

彼らの紋切り型の同情に、アミュレットはただ無表情に会釈を返すだけ。内心では大きなあくびを噛み殺していた。

(ああ、退屈だわ。これなら王妃教育の方がまだましだったかもしれない)

そんな思考が浮かんだことに自分でも驚く。よほど、今の状況は彼女の性に合わないらしい。

「少し、気分転換に出かけてまいります」

昼過ぎ、客足が途絶えた隙を見て、アミュレットは両親にそう告げた。

「一人では危険だ! 護衛を!」

「いいえ、お父様。大事にする必要はありません。侍女のハンナだけ連れて、王都の紅茶専門店に行くだけですわ」

これ以上騒ぎが大きくなるのは御免だった。

結局、最低限の護衛を一人だけ付けるという条件で、彼女の外出は許可された。

久しぶりに乗る、紋章のないシンプルな馬車。アミュレットはそれが心地よかった。

王都の中央広場で馬車を降り、ハンナと護衛騎士を伴って歩き始める。道行く人々がアミュレットの姿に気づき、ひそひそと囁きを交わすのが分かった。昨夜のパーティーの主役だったのだから当然だろう。

「お嬢様、やはり馬車でお店の前まで……」

心配するハンナに、アミュレットは首を横に振る。

「いいのよ。少し歩きたい気分なの」

他人の視線など彼女にとっては無も同然だ。それよりも、久しぶりに自分の足で歩く王都の街並みのほうがよほど興味を引いた。

目的の紅茶専門店でいくつかの新しい茶葉を購入し、近くのベンチで一休みする。

「さて、どうしましょうか」

このまま真っ直ぐ屋敷に帰るのは少し惜しい気がした。せっかく手に入れた自由な時間だ。

「ハンナ。少しだけ、一人で散策しても?」

「め、滅相もございません! 何かあっては大変です!」

「大丈夫よ。すぐに戻るわ。あなたはここで待っていてちょうだい」

アミュレットはそう言うと、有無を言わさぬ足取りで歩き出す。慌ててついてこようとする護衛騎士を手で制した。

「あなたもよ。わたくしが目立つから人が寄ってくるのです。少し離れていなさい」

有無を言わせぬその態度に、騎士は苦い顔で頷くしかなかった。

人混みを抜け、アミュレットは気の向くままに足を運ぶ。大通りから一本外れた道、さらにそこから伸びる細い路地。いつもなら決して通らないような場所に、彼女はなぜか惹きつけられていた。

石畳のその道は、少しひび割れていて、建物の間から差し込む光がまだらに地面を照らしている。王都の喧騒が嘘のように遠ざかり、静かな時間が流れていた。

そして、彼女は一つの建物の前で足を止めた。

それは二階建ての小さな建物だった。煤けたレンガの壁には蔦が絡まり、窓枠のペンキは剥げ落ちている。軒先には錆びた看板がぶら下がっていたが、文字は掠れてほとんど読めない。

おそらく、長いこと使われていない空き店舗なのだろう。

だが、不思議と陰気な印象はなかった。むしろ、長い年月を静かに過ごしてきた老人のような、どこか穏やかで温かい空気を纏っているように感じられた。

「……お店、だったのかしら」

アミュレットは独りごち、古びたガラス窓にそっと手を触れる。

中は埃っぽく、いくつかのテーブルと椅子が乱雑に置かれているのが見えた。カウンターの奥には厨房らしき空間もある。

窓に描かれた、消えかかったカップの絵。

「カフェ……だったのね」

その言葉が、すんなりと胸に落ちた。

なぜだろう。この寂れた建物が、ひどく魅力的に見えた。無駄がなく、誰にも媚びず、ただそこに在る。その姿が、自分と少しだけ重なる気がした。

(ここで、自分だけの時間を過ごせたら)

(誰にも邪魔されず、最高の紅茶を淹れて、静かに本を読む)

そんな光景が、ふと頭に浮かんだ。

アミュレットは、自分でも気づかないうちに、その唇に微かな笑みを浮かべていた。

「悪くないわね」

その呟きは、裏路地の静けさに溶けていった。

彼女の退屈だった日常が、ほんの少しだけ色づき始めた瞬間だった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

真実の愛を見つけた婚約者(殿下)を尊敬申し上げます、婚約破棄致しましょう

さこの
恋愛
「真実の愛を見つけた」 殿下にそう告げられる 「応援いたします」 だって真実の愛ですのよ? 見つける方が奇跡です! 婚約破棄の書類ご用意いたします。 わたくしはお先にサインをしました、殿下こちらにフルネームでお書き下さいね。 さぁ早く!わたくしは真実の愛の前では霞んでしまうような存在…身を引きます! なぜ婚約破棄後の元婚約者殿が、こんなに美しく写るのか… 私の真実の愛とは誠の愛であったのか… 気の迷いであったのでは… 葛藤するが、すでに時遅し…

捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来

鍛高譚
恋愛
「君とは釣り合わない。だから、僕は王女殿下を選ぶ」 婚約者アルバート・ロンズデールに冷たく告げられた瞬間、エミリア・ウィンスレットの人生は暗転した。 王都一の名門公爵令嬢として慎ましくも誠実に彼を支えてきたというのに、待っていたのは無慈悲な婚約破棄――しかも相手は王女クラリッサ。 アルバートと王女の華やかな婚約発表の裏で、エミリアは社交界から冷遇され、"捨てられた哀れな令嬢"と嘲笑される日々が始まる。 だが、彼女は決して屈しない。 「ならば、貴方たちが後悔するような未来を作るわ」 そう決意したエミリアは、ある人物から手を差し伸べられる。 ――それは、冷静沈着にして王国の正統な後継者、皇太子アレクシス・フォルベルト。 彼は告げる。「私と共に来い。……君の聡明さと誇りが、この国には必要だ」

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

妹を選んで婚約破棄した婚約者は、平民になる現実を理解していなかったようです

藤原遊
恋愛
跡継ぎとして育てられた私には、将来を約束された婚約者がいた。 ――けれど彼は、私ではなく「妹」を選んだ。 妹は父の愛人の子。 身分も立場も分かったうえでの選択だと思っていたのに、 彼はどうやら、何も理解していなかったらしい。 婚約を破棄し、妹と結ばれた彼は、 当然のように貴族の立場を失い、平民として生きることになる。 一方で、妹は覚悟を決めて現実に向き合っていく。 だが彼だけが、最後まで「元に戻れる」と信じ続けていた。 これは、誰かが罰した物語ではない。 ただ、選んだ道の先にあった現実の話。 覚悟のなかった婚約者が、 自分の選択と向き合うまでを描いた、静かなざまぁ物語。

お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!

にのまえ
恋愛
 すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。  公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。  家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。  だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、  舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。

もう何も奪わせない。私が悪役令嬢になったとしても。

パリパリかぷちーの
恋愛
侯爵令嬢エレノアは、長年の婚約者であった第一王子エドワードから、公衆の面前で突然婚約破棄を言い渡される。エドワードが選んだのは、エレノアが妹のように可愛がっていた隣国の王女リリアンだった。 全てを失い絶望したエレノアは、この婚約破棄によって実家であるヴァルガス侯爵家までもが王家から冷遇され、窮地に立たされたことを知る。

当店では真実の愛は取り扱っておりません

鍛高譚
恋愛
「平民だから、言うことを聞くと思った?」 「……ふざけるのも大概にしてください。平民なめんな。」 公爵家令嬢ココア・ブレンディは、突然の婚約破棄を告げられる。 理由は“真実の愛”に目覚めたから──? しかもそのお相手は、有力商会の娘、クレオ・パステル。 ……って、えっ? 聞いてませんけど!? 会ったことすらないんですが!? 資産目当ての“真実の愛”を押しつけられた商人令嬢クレオは、 見事な啖呵で公爵家の目論見を一刀両断! 「商人の本気、見せてあげます。取引先ごと、手を引いていただきますね」 そして、婚約を一方的に破棄されたココアは、クレオとまさかのタッグを組む! 「ココア様、まずはお友達からよろしくなのです」 「ええ。ではまず、資本提携から始めましょうか」 名門貴族と平民商人――立場を超えて最強の令嬢コンビが誕生! 没落寸前のブラック公爵家を、“商売と優雅さ”でじわじわ追い詰める痛快ざまぁ劇! ――平民を侮る者には、優雅で冷酷な報いを。 “真実の愛”では買えない未来が、ここにある。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

処理中です...