19 / 29
19
しおりを挟む
王宮に逃げ帰ったリリアは、その足でエリアス王子の私室へと駆け込んだ。
彼女は計算しつくされたタイミングで涙を流し、今にも倒れそうなか弱い姿を演出する。
「エリアス様! わたくし、酷い目に……!」
「リリア!? どうしたんだ、そんなにやつれて」
エリアスは、愛らしい婚約者の姿に驚き、慌ててその肩を抱いた。リリアは待ってましたとばかりに、彼の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。
「わたくし……雑誌を見て、アミュレット様がご立派にされているのを知って、お祝いを申し上げようと思ったのです。それなのに……それなのに……!」
「アミュレットに何かされたのか?」
「カフェを訪ねたら……『あなたのような方が、軽々しくいらっしゃる場所ではありません』と……。追い返されてしまいました……っ」
リリアは、顔を上げて潤んだ瞳でエリアスを見つめる。
「彼女は、こうも言いましたわ。『王子に見初められただけの、中身のない男爵令嬢とは違うのです』と……! わたくしだけでなく、エリアス様のことまで侮辱されたのです!」
エリアスの眉が、ぴくりと動いた。
(アミュレットが、そんなことを言うだろうか?)
一瞬、疑念がよぎる。あの女は、もっと無感動で、他人に興味のない人間だったはずだ。
しかし、エリアスのプライドは、そのわずかな理性を打ち消した。
(……いや。私に婚約破棄された腹いせに、性格が歪んでしまったのかもしれん。そうに違いない)
リリアは、エリアスの心の揺らぎを見逃さなかった。彼女は、さらに決定的な嘘を重ねる。
「そ、それだけではございませんの。お店には、騎士団の方々が大勢いて……。皆、アミュレット様をまるで教祖のように崇めて、現体制への不満のようなことを、口々に……!」
「何だと!? 騎士団が、不満を?」
「はい……。特に、副団長のグレイフォード様が、中心人物のようでした……。『あの方こそ、我らの真の主だ』と……」
「グレイフォードが……!」
エリアスは、拳を強く握りしめた。ゼノン・グレイフォードは、王宮騎士団の中でも特に堅物で、王家への忠誠心も厚い男だと思っていた。その男までが、アミュレットの側についている?
(やはりか……!)
エリアスの頭の中で、嫉妬と疑念と、王子としての危機感が結びついた。
(許せん! 私から婚約者の座を奪われ、今度は私の騎士まで誑かすとは! あの女、ただのカフェ経営の裏で、良からぬことを企んでいるに違いない!)
彼は、リリアの讒言を、もはや疑うことすらしなかった。いや、信じたかったのだ。そうすれば、自分の元婚約者を断罪する、正当な理由が手に入るのだから。
「分かった、リリア。もう何も言わなくていい」
エリアスは、決意を固めた顔で言った。
「私が、直々に確かめに行こう。そして、もしそれが真実ならば、王家の名において、あの女の増長を止めねばならん」
数日後、「カフェ・ミュレット」は、いつものように大勢の客で賑わっていた。
雑誌効果はまだ続いており、店内は常に満席に近い状態だ。アミュレットは厨房で黙々と注文をこなし、常連になった騎士たちも、非番の時間にささやかな癒やしを求めて訪れている。
その和やかな空気が、一瞬にして凍り付いた。
店のドアが、勢いよく開け放たれたのだ。
そこに立っていたのは、簡素な旅装束に身を包みながらも、その気品と威圧感を隠しきれていない、第一王子エリアス・フォン・ヴァイス。彼の後ろには、物々しい雰囲気の近衛騎士が二人、控えている。
店内の全ての会話が止まり、全員の視線が、招かれざる客に集中した。
エリアスは、店内の客を軽蔑したように一瞥する。
(これが、民を惑わす店か。随分と、浮かれた雰囲気ではないか)
彼の目には、幸せそうに菓子を食べる人々が、アミュレットに洗脳された愚かな民にしか見えなかった。
そして、彼は厨房で静かにこちらを見つめる元婚約者を睨みつけ、店内に響き渡る声で言った。
「アミュレット・フォン・クライン! 王子エリアスが、直々に来てやったぞ!」
その声には、隠しきれない怒気と、独善的な正義感が含まれていた。
隅の席で紅茶を飲んでいたゼノンが、険しい表情でゆっくりと立ち上がる。
一触即発。
店の空気が、張り詰めた糸のように、極限まで緊張した。
アミュレットは、ただ静かに、その元婚約者を見つめ返していた。
彼女は計算しつくされたタイミングで涙を流し、今にも倒れそうなか弱い姿を演出する。
「エリアス様! わたくし、酷い目に……!」
「リリア!? どうしたんだ、そんなにやつれて」
エリアスは、愛らしい婚約者の姿に驚き、慌ててその肩を抱いた。リリアは待ってましたとばかりに、彼の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。
「わたくし……雑誌を見て、アミュレット様がご立派にされているのを知って、お祝いを申し上げようと思ったのです。それなのに……それなのに……!」
「アミュレットに何かされたのか?」
「カフェを訪ねたら……『あなたのような方が、軽々しくいらっしゃる場所ではありません』と……。追い返されてしまいました……っ」
リリアは、顔を上げて潤んだ瞳でエリアスを見つめる。
「彼女は、こうも言いましたわ。『王子に見初められただけの、中身のない男爵令嬢とは違うのです』と……! わたくしだけでなく、エリアス様のことまで侮辱されたのです!」
エリアスの眉が、ぴくりと動いた。
(アミュレットが、そんなことを言うだろうか?)
一瞬、疑念がよぎる。あの女は、もっと無感動で、他人に興味のない人間だったはずだ。
しかし、エリアスのプライドは、そのわずかな理性を打ち消した。
(……いや。私に婚約破棄された腹いせに、性格が歪んでしまったのかもしれん。そうに違いない)
リリアは、エリアスの心の揺らぎを見逃さなかった。彼女は、さらに決定的な嘘を重ねる。
「そ、それだけではございませんの。お店には、騎士団の方々が大勢いて……。皆、アミュレット様をまるで教祖のように崇めて、現体制への不満のようなことを、口々に……!」
「何だと!? 騎士団が、不満を?」
「はい……。特に、副団長のグレイフォード様が、中心人物のようでした……。『あの方こそ、我らの真の主だ』と……」
「グレイフォードが……!」
エリアスは、拳を強く握りしめた。ゼノン・グレイフォードは、王宮騎士団の中でも特に堅物で、王家への忠誠心も厚い男だと思っていた。その男までが、アミュレットの側についている?
(やはりか……!)
エリアスの頭の中で、嫉妬と疑念と、王子としての危機感が結びついた。
(許せん! 私から婚約者の座を奪われ、今度は私の騎士まで誑かすとは! あの女、ただのカフェ経営の裏で、良からぬことを企んでいるに違いない!)
彼は、リリアの讒言を、もはや疑うことすらしなかった。いや、信じたかったのだ。そうすれば、自分の元婚約者を断罪する、正当な理由が手に入るのだから。
「分かった、リリア。もう何も言わなくていい」
エリアスは、決意を固めた顔で言った。
「私が、直々に確かめに行こう。そして、もしそれが真実ならば、王家の名において、あの女の増長を止めねばならん」
数日後、「カフェ・ミュレット」は、いつものように大勢の客で賑わっていた。
雑誌効果はまだ続いており、店内は常に満席に近い状態だ。アミュレットは厨房で黙々と注文をこなし、常連になった騎士たちも、非番の時間にささやかな癒やしを求めて訪れている。
その和やかな空気が、一瞬にして凍り付いた。
店のドアが、勢いよく開け放たれたのだ。
そこに立っていたのは、簡素な旅装束に身を包みながらも、その気品と威圧感を隠しきれていない、第一王子エリアス・フォン・ヴァイス。彼の後ろには、物々しい雰囲気の近衛騎士が二人、控えている。
店内の全ての会話が止まり、全員の視線が、招かれざる客に集中した。
エリアスは、店内の客を軽蔑したように一瞥する。
(これが、民を惑わす店か。随分と、浮かれた雰囲気ではないか)
彼の目には、幸せそうに菓子を食べる人々が、アミュレットに洗脳された愚かな民にしか見えなかった。
そして、彼は厨房で静かにこちらを見つめる元婚約者を睨みつけ、店内に響き渡る声で言った。
「アミュレット・フォン・クライン! 王子エリアスが、直々に来てやったぞ!」
その声には、隠しきれない怒気と、独善的な正義感が含まれていた。
隅の席で紅茶を飲んでいたゼノンが、険しい表情でゆっくりと立ち上がる。
一触即発。
店の空気が、張り詰めた糸のように、極限まで緊張した。
アミュレットは、ただ静かに、その元婚約者を見つめ返していた。
767
あなたにおすすめの小説
真実の愛を見つけた婚約者(殿下)を尊敬申し上げます、婚約破棄致しましょう
さこの
恋愛
「真実の愛を見つけた」
殿下にそう告げられる
「応援いたします」
だって真実の愛ですのよ?
見つける方が奇跡です!
婚約破棄の書類ご用意いたします。
わたくしはお先にサインをしました、殿下こちらにフルネームでお書き下さいね。
さぁ早く!わたくしは真実の愛の前では霞んでしまうような存在…身を引きます!
なぜ婚約破棄後の元婚約者殿が、こんなに美しく写るのか…
私の真実の愛とは誠の愛であったのか…
気の迷いであったのでは…
葛藤するが、すでに時遅し…
捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来
鍛高譚
恋愛
「君とは釣り合わない。だから、僕は王女殿下を選ぶ」
婚約者アルバート・ロンズデールに冷たく告げられた瞬間、エミリア・ウィンスレットの人生は暗転した。
王都一の名門公爵令嬢として慎ましくも誠実に彼を支えてきたというのに、待っていたのは無慈悲な婚約破棄――しかも相手は王女クラリッサ。
アルバートと王女の華やかな婚約発表の裏で、エミリアは社交界から冷遇され、"捨てられた哀れな令嬢"と嘲笑される日々が始まる。
だが、彼女は決して屈しない。
「ならば、貴方たちが後悔するような未来を作るわ」
そう決意したエミリアは、ある人物から手を差し伸べられる。
――それは、冷静沈着にして王国の正統な後継者、皇太子アレクシス・フォルベルト。
彼は告げる。「私と共に来い。……君の聡明さと誇りが、この国には必要だ」
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
妹を選んで婚約破棄した婚約者は、平民になる現実を理解していなかったようです
藤原遊
恋愛
跡継ぎとして育てられた私には、将来を約束された婚約者がいた。
――けれど彼は、私ではなく「妹」を選んだ。
妹は父の愛人の子。
身分も立場も分かったうえでの選択だと思っていたのに、
彼はどうやら、何も理解していなかったらしい。
婚約を破棄し、妹と結ばれた彼は、
当然のように貴族の立場を失い、平民として生きることになる。
一方で、妹は覚悟を決めて現実に向き合っていく。
だが彼だけが、最後まで「元に戻れる」と信じ続けていた。
これは、誰かが罰した物語ではない。
ただ、選んだ道の先にあった現実の話。
覚悟のなかった婚約者が、
自分の選択と向き合うまでを描いた、静かなざまぁ物語。
当店では真実の愛は取り扱っておりません
鍛高譚
恋愛
「平民だから、言うことを聞くと思った?」
「……ふざけるのも大概にしてください。平民なめんな。」
公爵家令嬢ココア・ブレンディは、突然の婚約破棄を告げられる。
理由は“真実の愛”に目覚めたから──?
しかもそのお相手は、有力商会の娘、クレオ・パステル。
……って、えっ? 聞いてませんけど!? 会ったことすらないんですが!?
資産目当ての“真実の愛”を押しつけられた商人令嬢クレオは、
見事な啖呵で公爵家の目論見を一刀両断!
「商人の本気、見せてあげます。取引先ごと、手を引いていただきますね」
そして、婚約を一方的に破棄されたココアは、クレオとまさかのタッグを組む!
「ココア様、まずはお友達からよろしくなのです」
「ええ。ではまず、資本提携から始めましょうか」
名門貴族と平民商人――立場を超えて最強の令嬢コンビが誕生!
没落寸前のブラック公爵家を、“商売と優雅さ”でじわじわ追い詰める痛快ざまぁ劇!
――平民を侮る者には、優雅で冷酷な報いを。
“真実の愛”では買えない未来が、ここにある。
あなたのことなんて、もうどうでもいいです
もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。
元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。
お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!
にのまえ
恋愛
すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。
公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。
家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。
だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、
舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。
婚約破棄されたので契約を終了しただけですが? ~王国が崩壊したのは私のせいではありません~
しおしお
恋愛
王立学園の卒業舞踏会。
王太子レオナードは突然、婚約者である公爵令嬢アデリーナとの婚約破棄を宣言する。
隣に立つのは、涙を流す義妹ミレイナ。
「お姉様に虐げられてきました」と訴える彼女の言葉を、貴族たちは信じてしまう。
悪女として断罪され、追放を宣告されるアデリーナ。
だが彼女は怒りも悲しみも見せず、ただ静かに微笑んだ。
「承知いたしました。では――契約を終了いたします」
その一言が、すべての始まりだった。
公爵家による融資、貿易、軍需支援。
王国を支えていたすべてが、静かに停止する。
財務は崩壊し、軍は止まり、商人は離反。
王都は混乱に包まれていく。
やがて明らかになる義妹の嘘。
そして王太子の責任。
すべてが暴かれたとき、二人を待っていたのは――
完全な破滅だった。
一方アデリーナは、隣国で静かな紅茶の時間を過ごしていた。
これは、
婚約破棄された公爵令嬢が“何もしなかった”ことで始まる、
王国崩壊と地獄のざまぁの物語。
――その報告書を、彼女が読むことは一度もなかった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる