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チュンチュン、と小鳥のさえずりで目が覚める。
窓から差し込む朝日が、埃の舞う部屋をキラキラと照らしている。
これぞ、理想的な朝だ。
「……いったぁ~」
私は起き上がろうとして、腰に走る激痛に呻いた。
昨晩はベッドのマットを叩いて埃を出し、その上にシーツを敷いて寝たのだが、スプリングが死んでいたらしい。
背中に鉄のコイルが直撃して、まるで拷問器具の上で寝た気分だ。
だが、私は負けない。
「ふ、ふふ……これはただの腰痛ではないわ。天然の指圧効果よ。背骨が矯正されて、姿勢が良くなった気がする」
ポジティブ変換機能は正常に作動している。
私はギシギシと鳴る体を無理やり起こし、ベランダに出た。
「おっはよーございまーす!」
海に向かって叫ぶ。
返事はカモメの声だけ。
最高だ。
「さあ、今日も優雅な一日を始めましょうか」
私は顔を洗うために一階へ降りた。
水道?
そんなものはない。
庭にある井戸が頼みの綱だ。
私は釣瓶(つるべ)を井戸に放り込み、滑車を回した。
キコ、キコ、キコ……。
重い。
めちゃくちゃ重い。
「くっ……! これが、フィットネス……! 王都のジムなら月額会費を取られる運動が、ここではタダ!」
必死の思いで汲み上げた水は、冷たくて澄んでいた。
顔を洗うと、一気に目が覚める。
「よし。次は朝食の準備ね」
私は持参した「非常食ボックス」を開けた。
中身は、カチカチに乾燥した黒パンと、干し肉。
そして、庭で見つけた野草(たぶん食べられるはず)だ。
「メニューは、『熟成ドライブレッドのハード食感』と『自家製ハーブのデトックススープ』ね」
名前だけなら三ツ星レストランだ。
私は錆を落とした鍋で湯を沸かし、具材を放り込んだ。
味付けは塩のみ。
グツグツと煮込むこと十分。
薄緑色の、魔女の秘薬のようなスープが完成した。
「……うん、ヘルシー」
見た目を見なかったことにして、一口啜る。
野草の青臭さと、干し肉の塩気が口の中で喧嘩をしている。
正直、不味い。
だが、空腹は最高のスパイスだ。
「美味しい! 素材の味が生きているわ!」
涙目で完食した。
食後は、屋敷の修繕作業だ。
私は作業着(ただのシャツとズボン)に着替え、頭に手ぬぐいを巻いた。
手には金槌と釘。
「まずは、あの斜めになった玄関ドアを直す!」
トンテンカン、トンテンカン。
静かな孤島に、大工仕事の音が響き渡る。
通りがかりの村人(そもそもいないが)が見たら、元公爵令嬢だとは誰も信じないだろう。
二時間後。
ドアは垂直に戻ったが、蝶番が一つ足りず、開閉するたびに「キーッ」と不穏な音が鳴るようになった。
「防犯ブザー機能付きドア。完璧ね」
額の汗を拭い、私は満足げに頷いた。
次は、庭の草むしりだ。
腰丈まで伸びた雑草を、鎌で刈っていく。
ザシュッ、ザシュッ。
単調な作業だが、無心になれる。
王子の愚痴を聞かされる時間に比べれば、草との対話の方が百倍有意義だ。
「ふう……」
昼過ぎ。
私は庭の真ん中に大の字になって寝転がった。
空が青い。
雲が白い。
お腹が空いた。
「……そろそろ、お昼にしようかな」
起き上がろうとした、その時だった。
「……精が出るな」
頭上から影が落ちた。
「ひゃっ!?」
本日二度目の変な声が出た。
見上げると、そこにはまたしても、サイラス・グレイヴ辺境伯が立っていた。
今日は軍服ではなく、ラフな白いシャツ姿だ。
だが、その無駄に整った顔面と威圧感は変わらない。
「さ、サイラス様!? また不法侵入ですか!?」
私は飛び起きて、鎌を構えた。
サイラスは呆れたように私を見下ろした。
「侵入ではない。……迷子だ」
「は?」
「散歩をしていたら、いつの間にか境界線を越えていたようだ。この辺りは景色が似ているからな」
「嘘をおっしゃい! 昨日の今日で迷うわけがないでしょう! それに、ここ一本道ですよ!?」
「方向音痴なんだ」
「絶対嘘だ! その顔で方向音痴なわけがない!」
(偏見だが、この男からは「全知全能オーラ」が出ている)
サイラスはふいっと視線を逸らした。
明らかに、適当な理由をつけて様子を見に来ただけだ。
「それで? お前は泥だらけになって何をしているんだ。土遊びか?」
「ガーデニングです! ランドスケープ・アーキテクトとしての才能を開花させているところです!」
「……草を刈り取っただけに見えるが」
「これから植えるんです。ジャガイモと、大根と、ネギを」
「家庭菜園か。優雅さのかけらもないな」
サイラスは鼻で笑った。
悔しい。
この男にだけは、私の生活が「惨めな貧乏暮らし」だと思われたくない。
あくまで「あえて選んだロハスな生活」という設定を守り抜かねば。
「失礼な。これは『自産自消』という最先端のライフスタイルです。サイラス様のような、使用人に囲まれた温室育ちの方には理解できない高尚な趣味ですよ」
「ほう」
サイラスの目が面白そうに細められた。
「では、その高尚な趣味とやらで、昼食は何を食べるつもりだ?」
「えっ」
痛いところを突かれた。
昼食の予定は、朝と同じ「黒パン」と「残りのスープ」だ。
さすがにそれを、辺境伯に見せるのはプライドが許さない。
「そ、それは……これからシェフ(私)が腕によりをかけて……」
グゥゥゥ~……。
私の腹の虫が、盛大に自己主張をした。
「……」
「……」
沈黙。
波の音だけが、ザザァと虚しく響く。
サイラスの肩が小刻みに震えている。
「くっ……くくく」
「わ、笑わないでください! これは腹時計です! 正午をお知らせしたんです!」
「正確な時計だな。……まあいい」
サイラスは笑いを収めると、持っていたバスケットを差し出した。
「これをやる」
「え?」
「領民から差し入れを貰ったんだが、私は甘いものが苦手でな。余り物だ」
バスケットの隙間から、焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂ってくる。
さらに、チーズとハムの香りまで。
私の喉がゴクリと鳴った。
「……毒とか、入ってませんよね?」
「心配なら私が先に食べよう」
サイラスはバスケットからクロワッサンを一つ取り出し、パクついた。
サクッ、といういい音がする。
「う……」
欲しい。
喉から手が出るほど欲しい。
でも、タダで貰うのは癪だ。
私は葛藤した。
公爵令嬢としての矜持か、それとも食欲か。
勝者は、食欲だった。
「……分かりました。処分に困っているというなら、私が『リサイクル業者』として引き受けましょう。SDGsの観点からです」
「SD……なんだそれは」
「『すごく・大盛りで・ご飯・好き』の略です」
「適当だな」
サイラスは呆れつつも、バスケットを私に渡してくれた。
中には、ふわふわの白パン、厚切りのハム、カマンベールチーズ、そして瓶詰めのジャムが入っていた。
宝石箱に見えた。
「ありがとうございます。では、さっそく……」
私がパンに齧り付こうとした時、サイラスが言った。
「タダとは言っていないぞ」
「ブフッ!」
私はパンを喉に詰まらせかけた。
「え、金取るんですか!? 『やる』って言ったじゃないですか!」
「金はいらん。代わりに……」
サイラスは私の作った「デトックススープ(残り汁)」が入った鍋を指差した。
「それを味見させろ」
「は?」
「お前が朝から煮込んでいた、その毒々しい色の液体だ。匂いが気になっていた」
「これですか? ……やめた方がいいですよ。ただの野草スープですし」
「構わん。未知の味には興味がある」
サイラスは懐から、なぜかマイ・スプーンを取り出した。
用意周到すぎる。
「ど、どうぞ。お腹壊しても知りませんよ」
私は鍋を差し出した。
サイラスは躊躇なくスープを掬い、口へと運ぶ。
私は固唾を飲んで見守った。
不味いと言われるか、吐き出されるか。
サイラスは無表情のまま咀嚼し、飲み込んだ。
そして。
「……なんだこれは」
「だから言ったじゃないですか。不味いって」
「いや」
サイラスは目を輝かせた。
「……旨い」
「はい?」
「野草の苦味が、干し肉の塩気と絶妙にマッチしている。この野生的な風味……城の料理人が作る上品なスープにはない、力強さがある」
「……味覚、大丈夫ですか?」
「素晴らしい。気に入った」
サイラスはまさかのおかわりを要求した。
どうやらこの辺境伯、「ゲテモノ食い」……もとい、「素材の味を愛する男」だったらしい。
「……変わった人」
私は呆れつつも、バスケットのパンを頬張った。
美味しい。
バターの香りが鼻に抜ける。
「ん~っ! 幸せ!」
「……ふっ」
私の幸せそうな顔を見て、サイラスも微かに笑った。
こうして、私たちの奇妙なランチタイムが始まった。
ボロ屋の庭で、雑草の中に座り込み、高級パンと貧乏スープを交換して食べる二人。
側から見ればシュール極まりない光景だが、私にとっては、この島に来て初めての「誰かと食べる食事」だった。
(……まあ、たまには悪くないかもね)
私はハムを齧りながら、隣で黙々とスープを啜る美形の隣人を横目で見た。
彼が、私の平和な隠居生活を脅かす「最大の脅威」であることは変わりないのだが。
今はとりあえず、この美味しいパンに免じて許してあげよう。
そう思ったのが、間違いだったのかもしれない。
「ピース」
不意に名前を呼ばれた。
「はい?」
「このスープ、毎朝作ってくれ」
「……は?」
「対価は払う。食材も私が用意する。だから、俺の専属料理人になれ」
「お断りします!!」
私は即答した。
「なんで私が、隣人の朝ご飯を作らなきゃいけないんですか! 私はスローライフをしに来たんです!」
「嫌か? 金貨を積んでも?」
「……き、金額によりますけど」
「交渉の余地ありだな」
サイラスがニヤリと笑う。
しまった。
私の「守銭奴センサー」が反応してしまったのを見抜かれた。
「くっ……! とりあえず今日のところはお引き取りください! 私は午後の昼寝の時間なんです!」
「また来る」
サイラスは満足げに立ち上がり、颯爽と帰っていった。
残されたのは、空っぽのバスケットと鍋。
そして、「専属料理人」という不穏なオファー。
「……絶対やらないからね! 私は誰にも縛られないんだから!」
私は海に向かって叫んだ。
だが、その声は虚しく響くだけだった。
私のボロ屋生活は、思わぬ方向へと転がり始めていた。
窓から差し込む朝日が、埃の舞う部屋をキラキラと照らしている。
これぞ、理想的な朝だ。
「……いったぁ~」
私は起き上がろうとして、腰に走る激痛に呻いた。
昨晩はベッドのマットを叩いて埃を出し、その上にシーツを敷いて寝たのだが、スプリングが死んでいたらしい。
背中に鉄のコイルが直撃して、まるで拷問器具の上で寝た気分だ。
だが、私は負けない。
「ふ、ふふ……これはただの腰痛ではないわ。天然の指圧効果よ。背骨が矯正されて、姿勢が良くなった気がする」
ポジティブ変換機能は正常に作動している。
私はギシギシと鳴る体を無理やり起こし、ベランダに出た。
「おっはよーございまーす!」
海に向かって叫ぶ。
返事はカモメの声だけ。
最高だ。
「さあ、今日も優雅な一日を始めましょうか」
私は顔を洗うために一階へ降りた。
水道?
そんなものはない。
庭にある井戸が頼みの綱だ。
私は釣瓶(つるべ)を井戸に放り込み、滑車を回した。
キコ、キコ、キコ……。
重い。
めちゃくちゃ重い。
「くっ……! これが、フィットネス……! 王都のジムなら月額会費を取られる運動が、ここではタダ!」
必死の思いで汲み上げた水は、冷たくて澄んでいた。
顔を洗うと、一気に目が覚める。
「よし。次は朝食の準備ね」
私は持参した「非常食ボックス」を開けた。
中身は、カチカチに乾燥した黒パンと、干し肉。
そして、庭で見つけた野草(たぶん食べられるはず)だ。
「メニューは、『熟成ドライブレッドのハード食感』と『自家製ハーブのデトックススープ』ね」
名前だけなら三ツ星レストランだ。
私は錆を落とした鍋で湯を沸かし、具材を放り込んだ。
味付けは塩のみ。
グツグツと煮込むこと十分。
薄緑色の、魔女の秘薬のようなスープが完成した。
「……うん、ヘルシー」
見た目を見なかったことにして、一口啜る。
野草の青臭さと、干し肉の塩気が口の中で喧嘩をしている。
正直、不味い。
だが、空腹は最高のスパイスだ。
「美味しい! 素材の味が生きているわ!」
涙目で完食した。
食後は、屋敷の修繕作業だ。
私は作業着(ただのシャツとズボン)に着替え、頭に手ぬぐいを巻いた。
手には金槌と釘。
「まずは、あの斜めになった玄関ドアを直す!」
トンテンカン、トンテンカン。
静かな孤島に、大工仕事の音が響き渡る。
通りがかりの村人(そもそもいないが)が見たら、元公爵令嬢だとは誰も信じないだろう。
二時間後。
ドアは垂直に戻ったが、蝶番が一つ足りず、開閉するたびに「キーッ」と不穏な音が鳴るようになった。
「防犯ブザー機能付きドア。完璧ね」
額の汗を拭い、私は満足げに頷いた。
次は、庭の草むしりだ。
腰丈まで伸びた雑草を、鎌で刈っていく。
ザシュッ、ザシュッ。
単調な作業だが、無心になれる。
王子の愚痴を聞かされる時間に比べれば、草との対話の方が百倍有意義だ。
「ふう……」
昼過ぎ。
私は庭の真ん中に大の字になって寝転がった。
空が青い。
雲が白い。
お腹が空いた。
「……そろそろ、お昼にしようかな」
起き上がろうとした、その時だった。
「……精が出るな」
頭上から影が落ちた。
「ひゃっ!?」
本日二度目の変な声が出た。
見上げると、そこにはまたしても、サイラス・グレイヴ辺境伯が立っていた。
今日は軍服ではなく、ラフな白いシャツ姿だ。
だが、その無駄に整った顔面と威圧感は変わらない。
「さ、サイラス様!? また不法侵入ですか!?」
私は飛び起きて、鎌を構えた。
サイラスは呆れたように私を見下ろした。
「侵入ではない。……迷子だ」
「は?」
「散歩をしていたら、いつの間にか境界線を越えていたようだ。この辺りは景色が似ているからな」
「嘘をおっしゃい! 昨日の今日で迷うわけがないでしょう! それに、ここ一本道ですよ!?」
「方向音痴なんだ」
「絶対嘘だ! その顔で方向音痴なわけがない!」
(偏見だが、この男からは「全知全能オーラ」が出ている)
サイラスはふいっと視線を逸らした。
明らかに、適当な理由をつけて様子を見に来ただけだ。
「それで? お前は泥だらけになって何をしているんだ。土遊びか?」
「ガーデニングです! ランドスケープ・アーキテクトとしての才能を開花させているところです!」
「……草を刈り取っただけに見えるが」
「これから植えるんです。ジャガイモと、大根と、ネギを」
「家庭菜園か。優雅さのかけらもないな」
サイラスは鼻で笑った。
悔しい。
この男にだけは、私の生活が「惨めな貧乏暮らし」だと思われたくない。
あくまで「あえて選んだロハスな生活」という設定を守り抜かねば。
「失礼な。これは『自産自消』という最先端のライフスタイルです。サイラス様のような、使用人に囲まれた温室育ちの方には理解できない高尚な趣味ですよ」
「ほう」
サイラスの目が面白そうに細められた。
「では、その高尚な趣味とやらで、昼食は何を食べるつもりだ?」
「えっ」
痛いところを突かれた。
昼食の予定は、朝と同じ「黒パン」と「残りのスープ」だ。
さすがにそれを、辺境伯に見せるのはプライドが許さない。
「そ、それは……これからシェフ(私)が腕によりをかけて……」
グゥゥゥ~……。
私の腹の虫が、盛大に自己主張をした。
「……」
「……」
沈黙。
波の音だけが、ザザァと虚しく響く。
サイラスの肩が小刻みに震えている。
「くっ……くくく」
「わ、笑わないでください! これは腹時計です! 正午をお知らせしたんです!」
「正確な時計だな。……まあいい」
サイラスは笑いを収めると、持っていたバスケットを差し出した。
「これをやる」
「え?」
「領民から差し入れを貰ったんだが、私は甘いものが苦手でな。余り物だ」
バスケットの隙間から、焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂ってくる。
さらに、チーズとハムの香りまで。
私の喉がゴクリと鳴った。
「……毒とか、入ってませんよね?」
「心配なら私が先に食べよう」
サイラスはバスケットからクロワッサンを一つ取り出し、パクついた。
サクッ、といういい音がする。
「う……」
欲しい。
喉から手が出るほど欲しい。
でも、タダで貰うのは癪だ。
私は葛藤した。
公爵令嬢としての矜持か、それとも食欲か。
勝者は、食欲だった。
「……分かりました。処分に困っているというなら、私が『リサイクル業者』として引き受けましょう。SDGsの観点からです」
「SD……なんだそれは」
「『すごく・大盛りで・ご飯・好き』の略です」
「適当だな」
サイラスは呆れつつも、バスケットを私に渡してくれた。
中には、ふわふわの白パン、厚切りのハム、カマンベールチーズ、そして瓶詰めのジャムが入っていた。
宝石箱に見えた。
「ありがとうございます。では、さっそく……」
私がパンに齧り付こうとした時、サイラスが言った。
「タダとは言っていないぞ」
「ブフッ!」
私はパンを喉に詰まらせかけた。
「え、金取るんですか!? 『やる』って言ったじゃないですか!」
「金はいらん。代わりに……」
サイラスは私の作った「デトックススープ(残り汁)」が入った鍋を指差した。
「それを味見させろ」
「は?」
「お前が朝から煮込んでいた、その毒々しい色の液体だ。匂いが気になっていた」
「これですか? ……やめた方がいいですよ。ただの野草スープですし」
「構わん。未知の味には興味がある」
サイラスは懐から、なぜかマイ・スプーンを取り出した。
用意周到すぎる。
「ど、どうぞ。お腹壊しても知りませんよ」
私は鍋を差し出した。
サイラスは躊躇なくスープを掬い、口へと運ぶ。
私は固唾を飲んで見守った。
不味いと言われるか、吐き出されるか。
サイラスは無表情のまま咀嚼し、飲み込んだ。
そして。
「……なんだこれは」
「だから言ったじゃないですか。不味いって」
「いや」
サイラスは目を輝かせた。
「……旨い」
「はい?」
「野草の苦味が、干し肉の塩気と絶妙にマッチしている。この野生的な風味……城の料理人が作る上品なスープにはない、力強さがある」
「……味覚、大丈夫ですか?」
「素晴らしい。気に入った」
サイラスはまさかのおかわりを要求した。
どうやらこの辺境伯、「ゲテモノ食い」……もとい、「素材の味を愛する男」だったらしい。
「……変わった人」
私は呆れつつも、バスケットのパンを頬張った。
美味しい。
バターの香りが鼻に抜ける。
「ん~っ! 幸せ!」
「……ふっ」
私の幸せそうな顔を見て、サイラスも微かに笑った。
こうして、私たちの奇妙なランチタイムが始まった。
ボロ屋の庭で、雑草の中に座り込み、高級パンと貧乏スープを交換して食べる二人。
側から見ればシュール極まりない光景だが、私にとっては、この島に来て初めての「誰かと食べる食事」だった。
(……まあ、たまには悪くないかもね)
私はハムを齧りながら、隣で黙々とスープを啜る美形の隣人を横目で見た。
彼が、私の平和な隠居生活を脅かす「最大の脅威」であることは変わりないのだが。
今はとりあえず、この美味しいパンに免じて許してあげよう。
そう思ったのが、間違いだったのかもしれない。
「ピース」
不意に名前を呼ばれた。
「はい?」
「このスープ、毎朝作ってくれ」
「……は?」
「対価は払う。食材も私が用意する。だから、俺の専属料理人になれ」
「お断りします!!」
私は即答した。
「なんで私が、隣人の朝ご飯を作らなきゃいけないんですか! 私はスローライフをしに来たんです!」
「嫌か? 金貨を積んでも?」
「……き、金額によりますけど」
「交渉の余地ありだな」
サイラスがニヤリと笑う。
しまった。
私の「守銭奴センサー」が反応してしまったのを見抜かれた。
「くっ……! とりあえず今日のところはお引き取りください! 私は午後の昼寝の時間なんです!」
「また来る」
サイラスは満足げに立ち上がり、颯爽と帰っていった。
残されたのは、空っぽのバスケットと鍋。
そして、「専属料理人」という不穏なオファー。
「……絶対やらないからね! 私は誰にも縛られないんだから!」
私は海に向かって叫んだ。
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私のボロ屋生活は、思わぬ方向へと転がり始めていた。
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