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「……ワン、ツー、スリー。ワン、ツー、スリー。……ミカ、足元が疎かだ」
クラウス様の冷徹なカウントが、深夜の私の寝室に響き渡る。
現在、私たちは絶賛ダンスの特訓中。
……といっても、私の格好はいつものヨレヨレパジャマに裸足という、およそ貴族の夜会には相応しくない出立ちなのだけれど。
「……無理ですわ。もう、ふくらはぎが限界を訴えていますわ……。これ以上動いたら、私の足は明日には棒になってしまいますわよ」
「棒になったら私が運んでやる。……ほら、もう一度だ。殿下が見ている前で醜態を晒したくはあるまい?」
クラウス様は、私の弱音を無慈悲に切り捨てると、再び私の腰に大きな手を回した。
グイッと引き寄せられ、彼の胸板に私の鼻先が触れる。
「……っ! ち、近すぎますわよ!」
「ダンスとはこういうものだ。……それとも何か、殿下の時はもっと距離を開けていたのか?」
「殿下は……。ええ、殿下は私がステップを踏むたびに『俺の華麗な足さばきを見ろ!』と仰って、私のことなんて少しも見ていらっしゃいませんでしたわ」
鏡の中で自分のダンスに見惚れている王子の姿を思い出し、私は遠い目をした。
あの頃の私は、ただの動く「背景」だったのだ。
「……あの男は、お前の価値を何も分かっていない。……いいか、ミカ。私の目だけを見ていろ」
クラウス様の声が、不意に低く、甘い響きを帯びた。
顔を上げると、至近距離に彼の銀色の瞳がある。
そこには、ふざけている様子も、軽蔑している様子も一切ない。
ただ真っ直ぐに、私という人間だけを映し出していた。
「……っ。……そんなに見つめられたら、ステップを忘れてしまいますわ」
「忘れたら私がリードする。……お前は、ただ私に身を任せていればいい」
クラウス様の手が、私の腰をさらに強く引き寄せる。
パジャマの薄い生地越しに、彼の指の形がはっきりと分かるほどの熱量。
私の心臓は、もはやドラムを叩いているかのような騒ぎを起こしていた。
「……ワン、ツー、スリー。……そうだ。今の動きは悪くない」
「……あ、あの、クラウス様。……さっきから思っていたのですけれど」
「なんだ」
「あなた……。なんだか、とってもいい匂いがしますわね」
私の口から出た言葉に、クラウス様の動きが一瞬止まった。
彼は目を見開き、微かに顔を赤らめた。
「……シトラスの香りですわ。……騎士団の方は、皆さんこんなに良い香りがするのかしら?」
「……いや。……これは、その……。……お前が以前、この香りが好きだと言っていた気がしたから、その……石鹸を変えただけだ」
クラウス様が露骨に視線を逸らした。
王国最強の騎士が、私の好みに合わせて石鹸を変えた……?
(……何それ。破壊力がありすぎますわ!)
私は胸の奥がキュンと締め付けられるのを感じた。
王子の時は、彼が自分好みの香水をこれでもかと振り撒くのを、鼻を啜りながら耐えていたというのに。
「……クラウス様。あなた、本当に……。……そんなことされたら、私、勘違いしてしまいますわよ」
「……勘違いではない」
「え?」
「……いや、なんでもない。……練習再開だ。今度はターンを入れるぞ」
クラウス様は強引に話題を切り替えると、私の手を引いて回した。
目が回りそうな感覚。
けれど、次に彼の腕の中に着地した時、私は言いようのない安心感に包まれていた。
「……ふふ。……なんだか、楽しいですわね。……パジャマでダンスなんて、人生で初めてですわ」
「……お前が楽しそうで何よりだ。……だが、当日はドレスだということを忘れるなよ」
「分かってますわよ。……でも、ドレスよりも、今のこの格好の方が、私は私らしくいられる気がしますの」
私が笑うと、クラウス様の瞳が柔らかく細められた。
彼は私の頭を、大きな手でポンポンと優しく叩いた。
「……そうだな。……私も、着飾った令嬢としての貴様より、その……今の、だらしない貴様の方が、見ていて飽きない」
「……最後の一言、余計ですわよ!」
私たちは、深夜の寝室で小さく笑い合った。
窓の外では、王子の肖像画が虚しく月明かりを反射している。
私の自由な生活は、どこか奇妙で、けれど心地よい二人きりの時間へと溶け込んでいた。
「……よし、今日はここまでだ。……明日はいよいよ、ルル嬢を交えた『作戦会議』を行う」
「……会議? また何かあるんですの?」
「ああ。……殿下が、例の夜会で『重大な発表』をすると言い出しているらしい。……嫌な予感がする」
クラウス様の表情が、再び騎士のそれに引き締まる。
私の平穏な日々を脅かす嵐は、すぐそこまで近づいているようだった。
クラウス様の冷徹なカウントが、深夜の私の寝室に響き渡る。
現在、私たちは絶賛ダンスの特訓中。
……といっても、私の格好はいつものヨレヨレパジャマに裸足という、およそ貴族の夜会には相応しくない出立ちなのだけれど。
「……無理ですわ。もう、ふくらはぎが限界を訴えていますわ……。これ以上動いたら、私の足は明日には棒になってしまいますわよ」
「棒になったら私が運んでやる。……ほら、もう一度だ。殿下が見ている前で醜態を晒したくはあるまい?」
クラウス様は、私の弱音を無慈悲に切り捨てると、再び私の腰に大きな手を回した。
グイッと引き寄せられ、彼の胸板に私の鼻先が触れる。
「……っ! ち、近すぎますわよ!」
「ダンスとはこういうものだ。……それとも何か、殿下の時はもっと距離を開けていたのか?」
「殿下は……。ええ、殿下は私がステップを踏むたびに『俺の華麗な足さばきを見ろ!』と仰って、私のことなんて少しも見ていらっしゃいませんでしたわ」
鏡の中で自分のダンスに見惚れている王子の姿を思い出し、私は遠い目をした。
あの頃の私は、ただの動く「背景」だったのだ。
「……あの男は、お前の価値を何も分かっていない。……いいか、ミカ。私の目だけを見ていろ」
クラウス様の声が、不意に低く、甘い響きを帯びた。
顔を上げると、至近距離に彼の銀色の瞳がある。
そこには、ふざけている様子も、軽蔑している様子も一切ない。
ただ真っ直ぐに、私という人間だけを映し出していた。
「……っ。……そんなに見つめられたら、ステップを忘れてしまいますわ」
「忘れたら私がリードする。……お前は、ただ私に身を任せていればいい」
クラウス様の手が、私の腰をさらに強く引き寄せる。
パジャマの薄い生地越しに、彼の指の形がはっきりと分かるほどの熱量。
私の心臓は、もはやドラムを叩いているかのような騒ぎを起こしていた。
「……ワン、ツー、スリー。……そうだ。今の動きは悪くない」
「……あ、あの、クラウス様。……さっきから思っていたのですけれど」
「なんだ」
「あなた……。なんだか、とってもいい匂いがしますわね」
私の口から出た言葉に、クラウス様の動きが一瞬止まった。
彼は目を見開き、微かに顔を赤らめた。
「……シトラスの香りですわ。……騎士団の方は、皆さんこんなに良い香りがするのかしら?」
「……いや。……これは、その……。……お前が以前、この香りが好きだと言っていた気がしたから、その……石鹸を変えただけだ」
クラウス様が露骨に視線を逸らした。
王国最強の騎士が、私の好みに合わせて石鹸を変えた……?
(……何それ。破壊力がありすぎますわ!)
私は胸の奥がキュンと締め付けられるのを感じた。
王子の時は、彼が自分好みの香水をこれでもかと振り撒くのを、鼻を啜りながら耐えていたというのに。
「……クラウス様。あなた、本当に……。……そんなことされたら、私、勘違いしてしまいますわよ」
「……勘違いではない」
「え?」
「……いや、なんでもない。……練習再開だ。今度はターンを入れるぞ」
クラウス様は強引に話題を切り替えると、私の手を引いて回した。
目が回りそうな感覚。
けれど、次に彼の腕の中に着地した時、私は言いようのない安心感に包まれていた。
「……ふふ。……なんだか、楽しいですわね。……パジャマでダンスなんて、人生で初めてですわ」
「……お前が楽しそうで何よりだ。……だが、当日はドレスだということを忘れるなよ」
「分かってますわよ。……でも、ドレスよりも、今のこの格好の方が、私は私らしくいられる気がしますの」
私が笑うと、クラウス様の瞳が柔らかく細められた。
彼は私の頭を、大きな手でポンポンと優しく叩いた。
「……そうだな。……私も、着飾った令嬢としての貴様より、その……今の、だらしない貴様の方が、見ていて飽きない」
「……最後の一言、余計ですわよ!」
私たちは、深夜の寝室で小さく笑い合った。
窓の外では、王子の肖像画が虚しく月明かりを反射している。
私の自由な生活は、どこか奇妙で、けれど心地よい二人きりの時間へと溶け込んでいた。
「……よし、今日はここまでだ。……明日はいよいよ、ルル嬢を交えた『作戦会議』を行う」
「……会議? また何かあるんですの?」
「ああ。……殿下が、例の夜会で『重大な発表』をすると言い出しているらしい。……嫌な予感がする」
クラウス様の表情が、再び騎士のそれに引き締まる。
私の平穏な日々を脅かす嵐は、すぐそこまで近づいているようだった。
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