婚約破棄、承りました!悪役令嬢は面倒なので認めます。

パリパリかぷちーの

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「ミイーシヤ・フォン・ローゼン! 貴様のような冷酷非道な女との婚約は、この場をもって破棄する!」

王城の大広間。

煌びやかなシャンデリアの下、その怒号は雷のように響き渡った。

楽しげなワルツの調べはピタリと止み、着飾った貴族たちは驚きに目を見開き、蜘蛛の子を散らすようにその場から距離を取る。

広間の中心に残されたのは、三人。

一人は、顔を真っ赤にして指を突きつける金髪の青年。

この国の第一王子、アレクセイ殿下である。

その腕にへばりつき、勝ち誇ったような笑みを浮かべているのは、男爵令嬢のリナ。

そして、指を突きつけられている悪役令嬢――私、ミイーシヤだ。

衆人環視の中での断罪劇。

これ以上ないほどの恥辱。

普通のご令嬢なら、ここで泣き崩れるか、あるいは蒼白になって弁明するところだろう。

しかし、私は違った。

(……来た)

扇で口元を隠しながら、私は心の中でガッツポーズを決めていた。

(ついに来た! 待ちに待った瞬間が!)

私はゆっくりと扇を閉じ、冷静に口を開く。

「――承知いたしました」

「は?」

アレクセイ殿下の口が、間の抜けた音を漏らした。

予想外の反応だったのだろう。

彼は「泣いて縋る」か「怒り狂う」私の姿を想定していたに違いない。

だが、残念ながら私にそんな暇はないのだ。

私はドレスの隠しポケットから、あらかじめ用意していた分厚い書類の束を取り出した。

「こちら、婚約破棄に伴う合意解約書、および殿下の今後の公務スケジュール引き継ぎ資料、ならびに慰謝料請求の仮見積書です。すでに私の署名捺印は済ませてありますので、殿下はこちらにサインを」

ずしっ、と重たい紙束を差し出す。

アレクセイ殿下は目を白黒させている。

「な、なんだこれは……?」

「ですから、合意書です。殿下が今、高らかに『破棄する』と宣言されましたので、契約は成立しました。口頭契約も有効ですが、後々のトラブルを防ぐために書面を残すのが公務の基本。さあ、ペンはこちらに」

私は胸元から携帯用の万年筆を取り出し、キャップを外して殿下に握らせようと歩み寄る。

「ま、待て! 貴様、何を言っている!? この状況で、なぜそんな準備がいいんだ!」

「備えあれば憂いなし、ですわ」

私は涼しい顔で答えた。

実のところ、いつかこうなることは予測済みだった。

アレクセイ殿下は、一言で言えば「お花畑」だ。

公務よりも詩を愛し、予算会議よりもティーパーティーを優先し、気に入らないことがあるとすぐに癇癪を起こす。

そんな彼の婚約者として、私は五年間、地獄のような日々を送ってきた。

彼が放り出した書類を片付け、彼がやらかした失言のフォローに奔走し、彼が散財した予算の穴埋めのために領地経営を切り詰める。

それはもはや「婚約者」ではなく、「24時間365日稼働の超ブラック企業の社畜」だった。

(労働基準法のないこの国で、唯一の退職手段……それが婚約破棄!)

私の目には、殿下が王子ではなく「退職届を受理してくれる上司」に見えていた。

「さあ殿下、ここにお名前を。インクが乾かないうちに」

「き、貴様……少しは悲しむとか、悔しがるとか、ないのか!?」

「感情は業務の効率を下げますので」

即答すると、殿下の隣にいたリナ嬢が、ぷくっと頬を膨らませて割り込んできた。

「ひどぉい! ミイーシヤ様、やっぱり噂通りの『氷の令嬢』なんですね! アレクセイ様がこんなに傷ついているのに、書類の話ばっかり!」

リナ嬢はピンク色のフワフワしたドレスを揺らし、上目遣いで殿下を見上げる。

「アレクセイ様ぁ、かわいそう……。よしよし、私が癒やしてあげますからねぇ」

「おお、リナ……! やはり僕を理解してくれるのは君だけだ!」

二人は人目もはばからず、イチャイチャと抱き合い始めた。

周囲の貴族たちが、ドン引きしてさらに一歩下がったのが気配でわかる。

私はその隙に、手元の書類を確認した。

よし、慰謝料の項目には「精神的苦痛(私の激務に対する対価)」として、公爵家の年間予算三年分を計上しておいた。

これだけあれば、しばらく働かずに南の島でバカンスができる。

「あの、お取り込み中のところ大変恐縮ですが」

私は二人の愛の世界に、事務的な声で割り込んだ。

「サインを」

「うるさいっ! 雰囲気というものを読め!」

アレクセイ殿下が怒鳴る。

「雰囲気を読んでも書類は片付きませんので」

「そういうところだ! 貴様のそういう、可愛げのないところが僕は大嫌いだったんだ!」

「奇遇ですね。私も殿下の無計画で感情的なところが、業務遂行上の大きな阻害要因だと常々感じておりました」

「なっ……!?」

殿下の顔が怒りで真っ赤に染まる。

その反応を見て、リナ嬢がニヤリと笑った。

彼女は一歩前に出ると、悲劇のヒロインのように大袈裟な仕草で私を指差した。

「皆さん聞いてください! ミイーシヤ様は、私をいじめたんです! 階段から突き落としたり、教科書を破いたり、私の靴に画鋲を入れたりしたんです!」

会場がざわめく。

典型的な冤罪テンプレートだ。

もちろん、身に覚えはない。

私がやっていたのは、殿下が放置した山のような決裁書類との格闘だけだ。

いじめなんて非生産的なことに割く時間など、一秒たりともなかった。

私はため息を一つついて、リナ嬢を見た。

「リナ様。その発言、裏付けは取れていますか?」

「う、裏付け……?」

「階段から突き落としたというなら、目撃者は? あるいは、その時刻の私のアリバイを確認しましたか? 教科書が破られたなら、その指紋鑑定は? 画鋲の購入履歴は?」

私が矢継ぎ早に問い詰めると、リナ嬢は目を泳がせた。

「そ、そんなの知らないわよ! でも、やったの! 私の心がそう言ってるの!」

「……証拠は『私の心』ですか。裁判所では通用しない論理ですね」

私はやれやれと肩をすくめた。

本来なら、ここで徹底的に論破し、無実を証明するべきだろう。

王城の魔導防犯カメラの記録を洗えば、私の潔白など3時間もあれば証明できる。

だが。

(……待てよ?)

私はふと、計算機を弾くように思考を巡らせた。

ここで無実を証明してしまったら?

「誤解だった! やっぱり婚約破棄はなしだ!」なんて言われるリスクが発生するのではないか?

それは困る。非常に困る。

私は明日から、目覚まし時計をかけずに二度寝をする予定なのだ。

朝起きて、紅茶を飲みながら読書をし、昼寝をして、また寝る。

そんな素晴らしい隠居生活が、目の前にあるのだ。

冤罪を晴らすために3時間費やすコストと、さっさと罪を認めて自由になるメリット。

天秤にかけるまでもない。

私はニッコリと――おそらく、この5年間で一番晴れやかな笑顔を浮かべた。

「――わかりました。私がやりました」

「えっ?」

リナ嬢が固まった。

「えっ、じゃなくて。私がやりました。階段も教科書も画鋲も、全部私です。面倒なので、余罪もあればそれも私ということで構いません」

「み、認めるのか!?」

アレクセイ殿下が驚愕の声を上げる。

「はい。認めます。私が稀代の悪女でした。ですから殿下の判断は正しい。素晴らしい慧眼です。さあ、これで婚約破棄の正当性は証明されました。心置きなくサインを!」

私は再び、万年筆を突きつけた。

「な、なんなんだ貴様は……」

殿下は気圧されたように後ずさる。

私のあまりの勢いに、周囲の貴族たちも「あれ? なんかおかしくないか?」とざわめき始めたが、私は気にしない。

「早くしてください。今は夜会の最中ですが、公務規定によると私の就業時間はとっくに過ぎています。これ以上は残業代が発生しますよ」

「金か! 貴様は金のことしか頭にないのか!」

「愛でお腹は膨れませんが、金があれば美味しいパイが買えますから」

私は真顔で言い放つ。

殿下は悔しそうに歯噛みしたが、リナ嬢に「アレクセイ様、早くサインしてあんな女追い出しちゃいましょうよぉ」と甘えられ、しぶしぶペンを取った。

カリカリ、と羊皮紙にペンが走る音。

それは私にとって、鎖が断ち切られる音のように聞こえた。

(終わった……!)

書き終わった書類を、私はハヤブサのような速さでひったくった。

「確認いたしました。署名、捺印、不備なし! これにて婚約破棄の手続きは完了です!」

私は書類を大切に鞄にしまうと、ドレスの裾をつまんで優雅にカーテシーをした。

「アレクセイ殿下、長い間お世話になりました。どうぞリナ様とお幸せに。お二人の愛が、国の財政を傾けない程度に燃え上がることをお祈り申し上げます」

「最後の一言はなんだ!」

「では、ごきげんよう!」

私は殿下の怒声を背に受けながら、軽やかな足取りで踵を返した。

出口へと向かう私の足取りは、ダンスを踊るよりも軽快だった。

背後でリナ嬢が「勝ったわ!」とキーキー騒いでいる声が聞こえるが、負け犬の遠吠えならぬ、勝ち犬の祝砲にしか聞こえない。

大扉を開け、夜風を浴びる。

「――自由だ」

夜空に向かって、私は小さく呟いた。

星が綺麗だ。

明日からは、もうあのヒステリックな王子の顔色を窺わなくていい。

山のような書類に埋もれることもない。

「帰ったら、まずはお風呂に入って……最高級のワインを開けよう。一人で」

そう決意し、私は待たせていた馬車へと乗り込んだ。

しかし、この時の私はまだ知らなかった。

「合理的判断」として認めたあの雑な冤罪が、まさか翌朝、とんでもない来訪者を招くことになるなんて。

私のバカンス計画が、わずか数時間で崩壊の危機に瀕することを、今の私は知る由もなかったのである。

馬車の窓から見える月は、これからの波乱を予感させるように、怪しく輝いていた。
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