婚約破棄は結構ですが。その罪、存じ上げません。

パリパリかぷちーの

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宿場町を出てさらに馬車に揺られること数日。ついに、わたくしたちは目的の地にたどり着いた。

「ここが……わたくしたちの領地……」

窓から見える景色は、王都とはまるで違う、穏やかで豊かな自然に満ち溢れていた。緩やかな丘陵地帯に広がる畑、きらきらと輝く湖、そして遠くには雄大な山脈がそびえ立っている。

「素晴らしいわ……!」

「はい。ヴァインベルク公爵家の領地の中でも、最も自然が美しい場所でございます」

ヨハンの言葉に、わたくしは深く頷いた。腕の中では、あの日助けた子犬がすやすやと寝息を立てている。

「この子の名前、決めたの。『モカ』よ。毛の色が、美味しそうな焼き菓子みたいでしょう?」

「……お嬢様らしいお名前で」

ヨハンが少しだけ笑った。

やがて馬車は、小高い丘の上に立つ、質素だがしっかりとした造りの館の前で止まった。ここが、これからわたくしの家となる場所だ。

馬車を降りると、年配の執事をはじめ、数人の使用人たちが緊張した面持ちでずらりと並び、わたくしたちを出迎えた。

「よ、ようこそお越しくださいました、リーファお嬢様。わたくし、この館の執事を務めます、ゼバスチャンと申します」

老執事は、深く深く頭を下げた。他のメイドたちも、それに倣って一斉にお辞儀をする。皆、突然現れた主人の娘にどう接していいのか、戸惑っているのが手に取るようにわかった。

(これはいけないわ。こんなに堅苦しいのは、わたくしの望む生活じゃない)

わたくしはにっこりと、できるだけ親しみやすい笑顔を作って言った。

「顔を上げてちょうだい、ゼバスチャン。皆も。そんなに畏まらないで」

使用人たちがおずおずと顔を上げる。

「わたくし、今日からここで暮らすことになったリーファよ。見ての通り、修道院に入る前の、いわば休暇のようなもの。だから、皆も『お嬢様』なんて呼ばずに、『リーファさん』でいいわ。敬語もいりません!」

わたくしの爆弾発言に、ゼバスチャンもメイドたちも、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まっている。

「さあ、そういうわけだから、気楽にいきましょう!これからよろしくね!」

ぽかんとしている彼らをよそに、わたくしはくるりと向き直った。

「さて!ゼバスチャン、まずはお部屋へ……ではなくて、厨房へ案内してくれる?」

「……は?ちゅ、厨房でございますか?」

「ええ!ずっと作ってみたかったお菓子があるのよ!」

わたくしは目を輝かせながら、意気揚々と館の中へ足を踏み入れた。後ろから「お嬢様、お待ちください!」「リーファ様、まずは長旅のお疲れを……」とヨハンとゼバスチャンの慌てた声が聞こえてくるが、知ったことではない。

案内された厨房は、広く清潔で、使い込まれた調理器具が壁にずらりと並んでいた。大きな石窯もある。理想的な環境に、わたくしのテンションは最高潮に達した。

「素晴らしい厨房ね!」

厨房にいた料理人たちが、突然現れたわたくしを見て、凍りついている。特に、いかにも頑固そうな髭面の料理長は、手に持っていたお玉を落としそうなくらい目を丸くしていた。

「あ、貴女様は……」

「わたくしはリーファ。今日からここに住むの。あなた、料理長?」

「は、はい!モーリスと申します!」

わたくしは持ってきたトランクの中から、お気に入りのエプロンを取り出して身につけた。

「モーリス!さっそくなんだけど、バターと小麦粉と卵、それからお砂糖を貸してくれるかしら?あと、ナッツとドライフルーツもあると嬉しいわ!」

「へ……?は、はあ……」

モーリスは訳が分からないといった顔で、それでも部下に指示を出して材料を用意してくれた。

わたくしは腕まくりをすると、持参した『家庭でできる!絶品お菓子レシピ大全』を開いた。記念すべき第一回目に作るのは、素朴なカントリークッキーだ。

「まずはバターをクリーム状にして……っと」

慣れない手つきながらも、レシピ本通りに作業を進める。最初は遠巻きに見ていただけのモーリスや他の料理人たちも、わたくしがあまりに楽しそうに生地を混ぜているものだから、だんだん興味が湧いてきたらしい。

「……リーファ様、泡立て器は、そのように持つよりも、こうされた方が……」

「まあ、本当だわ!やりやすい!」

「ナッツは、もう少し細かく刻んだ方が、香りが立ちますぜ」

「なるほど!」

一人、また一人と、わたくしのお菓子作りを手伝ってくれる。いつの間にか、厨房は皆の活気と笑い声に包まれていた。ヨハンもゼバスチャンも、呆れ顔ながら、その様子を温かく見守ってくれている。

やがて、オーブンから甘くて香ばしい匂いが漂い始めた。

「焼けたわ!」

こんがりと美しい焼き色がついたクッキーが、天板いっぱいに並んでいる。

「皆、熱いうちに食べてみて!」

わたくしは焼きあがったクッキーを、その場にいる全員に配って回った。

「うまい!」

「美味しいです、リーファ様!」

皆が頬張りながら、嬉しそうに顔を綻ばせる。その笑顔を見た瞬間、わたくしの胸に、じわりと温かいものが込み上げてきた。

(これだわ……これこそが、わたくしのしたかった生活なのよ)

誰かのために料理を作り、「美味しい」と笑ってもらう。そんな当たり前の幸せを、わたくしはようやく手に入れたのだ。

北の領地での新しい生活は、甘いクッキーの香りと共に、最高の形で幕を開けたのだった。
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