婚約破棄で、おひとり様になれるはずだったのに!?

パリパリかぷちーの

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「……ねえ、キースさん」

ルシアンは、朝の光が差し込むリビングで、非常に不機嫌な声を上げた。

「……なんだ」

対面に座るキースもまた、いつになく眉間に深いシワを刻んでいる。

「外が、うるさいのですけれど」

ルシアンが指差した窓の外。

そこからは、いつもの鳥のさえずりではなく、ざわざわとした人間の話し声が聞こえてくる。

それも一人や二人ではない。

百人単位の騒音だ。

「……確認する」

キースは無言で立ち上がり、カーテンの隙間から外を覗いた。

瞬間、彼の瞳が「虚無」になった。

「……どうしました? またアラン殿下ですか?」

「……違う」

キースはカーテンを閉め、重々しく告げた。

「……観光地になっている」

「はい?」

ルシアンは耳を疑った。

観光地?

ここは人里離れた森の奥。地図にも載っていない廃墟(元)だ。

ルシアンはおそるおそる窓に近づき、隙間から外を見た。

「…………」

絶句した。

森の入り口から屋敷へと続く小道に、長蛇の列ができていたのだ。

貴族の馬車、商人の荷車、さらには徒歩で来たと思われる平民たちまで。

彼らは手に手に花束や供物(果物や菓子)を持ち、屋敷に向かって祈りを捧げている。

そして、あろうことか屋敷の敷地境界線ギリギリのところに、屋台が出ていた。

『聖女ルシアン様の沈黙まんじゅう・一個銅貨五枚』

『ご利益あり! 魔除けの無言お守り』

「……なんなの、これ」

ルシアンの膝が震えた。

「ここは神社か何かですか? それとも私はいつの間にか死んで神になったのですか?」

その時、床下からスッと黒い影が現れた。

キースの部下、諜報員Aだ。

「ご報告します、閣下、お嬢様」

「説明しなさい。今すぐ」

ルシアンが詰め寄ると、諜報員Aは淡々と報告書を読み上げた。

「先日の夜会での『悪役令嬢の沈黙』および『セクハラ伯爵撃退』の武勇伝が、尾ひれがついて拡散されました。その結果、現在お嬢様は『俗世の欲望を捨て、森で真理を探究する沈黙の聖女』として神格化されております」

「……聖女?」

「はい。人々は貴女の『沈黙』にあやかりたい、一目そのお姿を拝みたいと、巡礼ツアーを組んで押し寄せています」

「ツアー!?」

「ちなみに、先頭の集団は昨夜からテントを張って場所取りをしていました」

ルシアンは頭を抱えた。

「帰って! 全員帰して! 私は聖女じゃなくて、ただの人間嫌いの引き籠もりよ!」

「それが逆に『謙虚だ』『高潔だ』と解釈されておりまして……」

「解釈違いも甚だしいわ!」

ルシアンはキースを睨んだ。

「キースさん! 貴方の『殺気』で追い払ってください! いつもみたいに!」

キースは首を横に振った。

「……無理だ」

「なぜですか! 貴方は『影の英雄』でしょう!?」

「……殺気は、敵意のある者にしか効かない」

キースは外の群衆を指差した。

「……奴らは、善意だ。……純粋な崇拝と、好奇心だ。……敵意がない人間に、俺の威圧は通じない」

「そんなバカな……」

ルシアンは絶望した。

善意のファンほど厄介なものはない。

攻撃してくるわけではないから、こちらも手荒な真似ができない。

「じゃあ、どうすればいいの? このままでは、私の静寂ライフが『握手会ライフ』になってしまうわ!」

「……対策はある」

キースが言った。

「……結界を張る」

「結界?」

「……『認識阻害』の魔術だ。……ここを、誰にも見つけられない場所にする」

「できるのですか!? 最初からそれをやってくださいよ!」

「……準備に時間がかかる。……それに、大規模な魔術は目立つ」

キースは部下に指示を出した。

「……四方に結界石を配置しろ。……半径五百メートルを『濃霧』で覆え。……道に迷わせて、自然に帰らせろ」

「はっ! 直ちに!」

部下たちが床下へと消えていく。

数分後。

窓の外が、真っ白になった。

牛乳をこぼしたような濃密な霧が、森全体を覆い尽くす。

「おお……」

ルシアンは感嘆した。

外のざわめきが、少しずつ遠ざかっていく。

「あれ? 屋敷が見えないぞ?」

「道が……消えた?」

「キツネにつままれたようだ、帰ろう……」

群衆の声が霧の中に吸い込まれ、やがて聞こえなくなった。

「……成功だ」

キースがサムズアップする。

「……これで、誰もたどり着けない」

「素晴らしいです、キースさん! これでまた平和が――」

ルシアンが安堵の息を吐こうとした、その時だった。

ピンポーン。

「…………へ?」

森には存在しないはずの電子音――いや、魔法具の呼び出し音が響いた。

「……誰?」

ルシアンとキースが顔を見合わせる。

霧で誰も来られないはずだ。

キースが警戒しながら玄関に向かい、扉を少しだけ開けた。

そこには、一人の老人が立っていた。

長い白髭に、星柄のローブ。

手には杖を持ち、ニコニコと笑っている。

「やあやあ、霧が深くて難儀したよ。しかし、この程度の結界なら、ワシの『千里眼』には通用せんがね」

「……誰だ」

キースが低い声で問うと、老人は杖を振った。

「ワシか? ワシは王立魔法アカデミーの学長、ダンブル……じゃなくて、マーリンだ」

「学長!?」

ルシアンが叫んだ。

この国の最高学府、魔法アカデミーのトップにして、伝説の大賢者と呼ばれる人物だ。

なぜそんな超大物がここに?

「いやあ、噂を聞いてね。『沈黙の聖女』が住むというこの地に、どんな高度な結界が張られているのか興味があってな。……ふむ、この霧、なかなか見事な術式じゃ。独学かね?」

マーリン学長はズカズカと上がり込んできた。

「ちょ、困ります! 不法侵入です!」

「固いことを言うな。お詫びに、この『自動肩叩き機(魔法式)』をあげよう」

「いりません!」

「では本題じゃ」

マーリンはルシアンをじろじろと見た。

「君、魔法の才能があるな」

「は?」

「その『沈黙』への執着。そして『孤独』を愛する精神性。これぞ魔術師に不可欠な資質じゃ! どうだ、ワシの弟子にならんか? アカデミーに入れば、研究室という名の完全個室(防音完備)がもらえるぞ?」

「……防音完備?」

ルシアンの心が揺らいだ。

「衣食住保証。誰とも会わずに研究に没頭できる。図書館へのアクセス権付きじゃ」

「……魅力的ですね」

「待て」

キースが割って入った。

彼はルシアンを背に隠し、マーリンを睨みつけた。

「……勧誘はお断りだ」

「おや、君は? ……ほう、その魔力、ただの庭師ではないな?」

「……ルシアンは、渡さない」

キースの周囲に、黒い魔力がバチバチと迸る。

「……彼女の研究室(ここ)は、俺が守る」

「ほっほっ、愛じゃな。若いのう」

マーリンは楽しそうに笑った。

「まあ、無理強いはせんよ。ただ、この場所が有名になりすぎたのは事実じゃ。ワシのような『力ある者』なら、結界を破って入ってこられる。……これからも、変な客が来るぞ?」

「……全排除する」

「力ずくでは限界があるじゃろう。……そこでだ」

マーリンは懐から一枚の札を取り出した。

「これを玄関に貼っておけ」

『猛賢者、実験中につき立ち入り禁止。入れば爆発します』

と書かれている。

「ワシの署名入りじゃ。これを見れば、大抵の魔術師や貴族はビビって帰るじゃろう」

「……魔除け?」

「まあ、そんなもんじゃ。その代わり、たまにワシとお茶をしてくれんか? 最近の若いもんは話がつまらなくてのう」

「……静かに飲むだけなら、許可します」

ルシアンが妥協案を出すと、マーリンは「交渉成立!」と叫んで、キースが入れたコーヒーを勝手に飲み干し、風のように去っていった。

「……嵐のような老人だったな」

キースが扉を閉める。

玄関には、マーリンの魔除け札が貼られた。

「……でも、これで少しはマシになるかしら」

ルシアンは疲れたようにソファに沈んだ。

「……聖女に、賢者の弟子……。私の肩書き、どんどんおかしいことになっていません?」

「……気にするな」

キースが隣に座り、コーヒーを入れ直してくれた。

「……お前は、ただの『ルシアン』だ。……俺の、大切な」

「……そこから先は言わなくていいです」

ルシアンは顔を赤くして、コーヒーを啜った。

外はまだ霧に包まれている。

野次馬の声は聞こえない。

だが、マーリンの予言通り、これで終わりではなかった。

『有名になりすぎた』という弊害は、さらなる大物を引き寄せようとしていた。

次に現れるのは、ルシアンの『沈黙』を打ち破ろうとする、最強の「おしゃべりモンスター」かもしれない。

ルシアンの平穏は、依然として薄氷の上にあった。
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