婚約破棄で、おひとり様になれるはずだったのに!?

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
15 / 28

15

しおりを挟む
それは、いつもの朝食の風景だった。

テーブルには、ふわふわのオムレツと、カリカリに焼かれたベーコン、そして湯気の立つコーヒー。

ルシアンは幸せを噛み締めていた。

アランとミナという『二大騒音源』が去り、森には再び平穏が戻ってきた。

鳥のさえずりと、ナイフとフォークが皿に当たる音だけが響く、至福の時間。

「……キースさん」

「……ん」

「今日のオムレツ、焼き加減が絶妙ですね。中がトロトロです」

「……火加減を調整した」

「貴方、本当に器用ですね。植木屋に大工に料理人……。一体いくつの副業を持っているのですか?」

ルシアンが何気なく尋ねると、キースはコーヒーカップを口に運びながら、視線を逸らした。

「……多趣味なだけだ」

「趣味でプロ級の腕前になれるなら、世の中の職人は廃業ですよ」

そんな軽口を叩き合っていた、その時だった。

スッ……。

音もなく、リビングの窓が開いた。

風ではない。

黒い影が、まるで煙のように室内に侵入し、キースの背後に膝をついたのだ。

「――ご報告に上がりました、閣下」

「!?」

ルシアンは椅子から転げ落ちそうになった。

「な、何!? 忍者!?」

現れたのは、全身を黒装束で包み、顔の半分をマスクで隠した怪しい人物だった。

しかし、その佇まいは洗練されており、ただならぬ殺気――いや、研ぎ澄まされたプロの気配を漂わせている。

(また不審者!? この家、セキュリティはどうなっているの!?)

ルシアンが叫ぼうとした瞬間、その人物は床に額を擦り付けるように平伏した。

「お食事中、大変失礼いたします。しかし、緊急事態につき」

その言葉は、ルシアンではなく、オムレツを食べているキースに向けられていた。

キースは眉一つ動かさず、咀嚼を続け、ゴクリと飲み込んでから口を開いた。

「……裏口から入れと言ったはずだ」

「鍵がかかっておりました」

「……ピッキングしろ」

「閣下の仕掛けた罠(トラップ)が怖くてできません」

「……修行不足だ」

淡々としたやり取り。

ルシアンはポカンと口を開けたまま、二人を交互に見た。

「あ、あの……キースさん? お知り合いですか?」

キースは面倒くさそうに溜息をついた。

「……部下だ」

「部下? 造園業の?」

「いいえ」

黒装束の男が顔を上げ、キリッとした目で答えた。

「我々は、王国諜報部・特殊工作班『影の騎士団』です」

「……は?」

「そして、こちらのキース様こそ、我らが団長にして、王国の裏社会を統べる『影の英雄』、キース・フォン・ハイデマン辺境伯閣下であらせられます!」

「…………」

ルシアンの思考が停止した。

辺境伯?

騎士団長?

影の英雄?

(この人が?)

ルシアンは目の前の男を見た。

エプロン姿(ピンク色のフリル付き、ルシアンが嫌がらせで渡したら普通に着てくれた)で、口元にケチャップをつけたままの男を。

「……嘘でしょう?」

「嘘ではありません! 閣下は十代の頃から戦場を駆け抜け、単身で敵将の首を取り、国内の反乱を未然に防ぎ、数多の暗殺計画を阻止してきた、生ける伝説なのです!」

部下が熱弁を振るう。

「その冷酷無比な仕事ぶりから、『沈黙の処刑人』『歩く要塞』『絶対零度の瞳』と恐れられ……」

「……おい」

キースが低い声で遮った。

「……喋りすぎだ。……舌を抜くぞ」

「ひっ! 申し訳ありません!」

部下は再び平伏した。

ルシアンは震える手でキースを指差した。

「き、キースさん……。貴方、そんなに偉い人だったのですか?」

キースは気まずそうに目を逸らし、ナプキンで口元のケチャップを拭った。

「……肩書きなど、飾りだ」

「飾りにしては重すぎます! 国の中枢じゃないですか!」

「……今は長期休暇中だ」

「休暇中に、公爵令嬢の別荘で屋根を直したりオムレツを焼いたりしているのですか!?」

「……有意義な休暇だ」

「国の損失ですよ!」

ルシアンは頭を抱えた。

ただの「無口なストーカー気質の隣人」だと思っていた男が、国家機密レベルの重要人物だったとは。

「それで、その『影の騎士団』の方が、何の用ですか?」

部下が顔を上げる。

「はい。実は……王都が混乱しておりまして」

「アラン殿下の件?」

「いえ、それもありますが、ガルシア伯爵の一件です。伯爵が失脚したことで、彼が握っていた裏帳簿や違法取引の証拠が明るみに出たのですが……その処理が追いつかず」

部下はキースに泣きついた。

「閣下! 戻ってください! 貴方がいなければ、書類の山が片付きません! それに国王陛下も『キースはどこだ! あの男がいないと会議が進まん!』と癇癪を起こしておられます!」

「……知らん」

キースは即答した。

「……俺は忙しい」

「何にですか!?」

「……庭の草むしりと、明日のパンの仕込みだ」

「パン!? 閣下、正気ですか!? 国家の危機とパンの発酵、どちらが大事なのですか!」

「……パンだ」

キースは真顔で言い切った。

「……ルシアンは、朝はパン派だ。……焼き立てでないと、機嫌が悪くなる」

「私のせいにしないでください!」

ルシアンは叫んだ。

「でも、確かに焼き立ては美味しいですけど……って、そうじゃなくて!」

ルシアンは居住まいを正し、キースに向き直った。

「キースさん、帰ってください」

「……嫌だ」

「子供みたいなことを言わないで。貴方には貴方の責務があるでしょう? こんな森の奥で、私のお守りをしている場合じゃありません」

「……ここが、最重要防衛地点だ」

「違います。ただの古びた別荘です」

キースは立ち上がり、ルシアンに歩み寄った。

その威圧感は、確かに「騎士団長」のそれだった。

「……国を守る人間は、他にもいる」

彼はルシアンの前に片膝をつき、その手を取った。

「……だが、お前の静寂を守れるのは、俺しかいない」

「……ッ!」

部下が見ている前で、なんという口説き文句を。

ルシアンの顔が赤く染まる。

「そ、そんなことを言っても、仕事はどうするのですか」

「……テレワークにする」

「は?」

「……書類はここに持ってこさせろ。……指示は手紙で出す。……緊急時は『影』を飛ばせ」

キースは部下を睨みつけた。

「……それで回せ。……できないなら、全員クビだ」

「そ、そんな無茶な……!」

部下は涙目になったが、キースの目が「これ以上反論したら物理的に黙らせる」と語っていたため、諦めたように肩を落とした。

「……承知いたしました。では、至急、執務室(仮)を設置させていただきます」

「……静かにやれ。……ルシアンの読書の邪魔をするな」

「はっ!」

部下は煙のように消えた。

……と思ったら、数分後、数十人の黒装束たちが「音もなく」現れ、別荘の地下室に大量の書類や通信機器を運び込み始めた。

ササササッ……。

足音一つ立てない、プロの引っ越し作業。

「……なんなの、これ」

ルシアンは呆然と眺めていた。

静かな森の別荘が、いつの間にか国家の秘密支部に改造されている。

「……これで解決だ」

キースは満足げに頷き、再びエプロンの紐を締め直した。

「……さて、皿を洗うか」

「解決していません! むしろ事態が悪化しています!」

ルシアンは抗議したが、キースは聞く耳を持たなかった。

「……ルシアン」

「なんですか」

「……俺が『影の英雄』だろうが、何だろうが」

彼は振り返り、いつもの無愛想だが優しい目で言った。

「……ここでの俺は、ただの『同盟者』だ。……それ以上でも、それ以下でもない」

「……」

「……だから、気にせずこき使え」

そう言って、彼はキッチンで鼻歌(音程のないハミング)を歌い始めた。

ルシアンは大きなため息をついた。

(……敵わないわ)

国家権力を私物化してまで、一緒にいたいと言うのだ。

その重すぎる執着と、不器用な献身に、ルシアンの心はまた少し絆されてしまった。

「……分かりました。では、お昼はパスタでお願いします。英雄様」

「……任せろ」

平和な昼食の準備が始まる。

その地下では、数十人のエリート工作員たちが、悲鳴を殺しながら書類仕事に追われていることなど、ルシアンは知る由もなかった(いや、薄々気づいてはいたが、静かだから無視することにした)。

だが、この「秘密基地化」が、新たな訪問者を招くことになる。

「ここが『影』の拠点か……」

森の入り口に立つ、次なる影。

それはただの野次馬ではない。

「静寂」を揺るがす、本物の「聖地巡礼者」たちが集結しつつあった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されたので田舎で猫と暮らします

たくわん
恋愛
社交界の華と謳われた伯爵令嬢セレスティアは、王太子から「完璧すぎて息が詰まる」と婚約破棄を告げられる。傷心のまま逃げるように向かったのは、亡き祖母が遺した田舎の小さな屋敷だった。 荒れ果てた屋敷、慣れない一人暮らし、そして庭に住みついた五匹の野良猫たち。途方に暮れるセレスティアの隣には、無愛想で人嫌いな青年医師・ノアが暮らしていた。 「この猫に構うな。人間嫌いだから」 冷たく突き放すノアだが、捨て猫を保護し、傷ついた動物を治療する彼の本当の姿を知るうちに、セレスティアの心は少しずつ惹かれていく。 猫の世話を通じて近づく二人。やがて明かされるノアの過去と、王都から届く縁談の催促。「完璧な令嬢」を脱ぎ捨てた先に待つ、本当の自分と本当の恋——。

婚約破棄?結構ですわ。公爵令嬢は今日も優雅に生きております

鍛高譚
恋愛
婚約破棄された直後、階段から転げ落ちて前世の記憶が蘇った公爵令嬢レイラ・フォン・アーデルハイド。 彼女の前世は、ブラック企業で心身をすり減らして働いていたOLだった。――けれど、今は違う! 「復讐? 見返す? そんな面倒くさいこと、やってられませんわ」 「婚約破棄? そんなの大したことじゃありません。むしろ、自由になって最高ですわ!」 貴族の婚姻は家同士の結びつき――つまりビジネス。恋愛感情など二の次なのだから、破談になったところで何のダメージもなし。 それよりも、レイラにはやりたいことがたくさんある。ぶどう園の品種改良、ワインの販路拡大、新商品の開発、そして優雅なティータイム! そう、彼女はただ「貴族令嬢としての特権をフル活用して、人生を楽しむ」ことを決めたのだ。 ところが、彼女の自由気ままな行動が、なぜか周囲をざわつかせていく。 婚約破棄した王太子はなぜか複雑な顔をし、貴族たちは彼女の事業に注目し始める。 そして、彼女が手がけた最高級ワインはプレミア化し、ついには王室から直々に取引の申し出が……!? 「はぁ……復讐しないのに、勝手に“ざまぁ”になってしまいましたわ」 復讐も愛憎劇も不要! ただひたすらに自分の幸せを追求するだけの公爵令嬢が、気づけば最強の貴族になっていた!? 優雅で自由気ままな貴族ライフ、ここに開幕!

本物聖女の力は無力でした ――見世物レベルの聖女のおかげで婚約破棄されました――**

鷹 綾
恋愛
魔法が存在しないと信じられていた世界に、 突如として現れた「本物の聖女」。 空中浮遊、瞬間移動、念動力―― 奇跡を披露した平民の少女は、たちまち市民の熱狂を集め、 王太子はその力に目を奪われる。 その結果、 王太子の婚約者だった公爵令嬢アストリアは、 一方的に婚約を破棄されてしまった。 だが、聖女の力は―― ・空中浮遊は、地上三十センチ ・瞬間移動は、秒速一メートル ・念動力は、手で持てる重さまで 派手ではあるが、実用性は乏しい。 聖女の力は、見世物レベル。 少なくとも、誰もがそう判断していた。 それでも人々は喝采し、 権威は少女を縛り、 「聖女」という立場だけが一人歩きしていく。 そんな中、婚約破棄された公爵令嬢アストリアは、 ある違和感に気づき始める。 ――奇跡よりも、奪われているものがあることに。 派手な復讐はない。 怒鳴り返しもしない。 けれど静かに、確実に、 “正しさ”は明らかになっていく。 見世物にされた奇跡と、 尊厳を取り戻す少女たちの物語。 ---

婚約破棄されたはずなのに、溺愛が止まりません!~断罪された令嬢は第二の人生で真実の愛を手に入れる~

sika
恋愛
社交界で名高い公爵令嬢・アイリスは、婚約者である王太子に冤罪をでっち上げられ、婚約破棄と同時にすべてを失った。 誰も信じられず国外に逃れた彼女は、名を偽り辺境の地で静かに生きるはずだった――が、そこで出会った青年将軍が、彼女に異常なまでの執着と愛を向け始める。 やがて明らかになる陰謀の真相、そして王都から彼女を探す“元婚約者”の焦燥。 過去を乗り越え、愛を選ぶ彼女の物語は、痛快な逆転劇と甘く濃密な溺愛とともに幕を開ける。

氷の令嬢は断罪を笑う 〜婚約破棄した元婚約者が泣いて縋ってももう遅い、私は本物の愛を知ったから〜

sika
恋愛
社交界で「氷の令嬢」と呼ばれた侯爵令嬢リディア。 王太子アーヴィンとの婚約を誠実に守ってきたのに、彼はリディアを「冷たい女」と断罪し、卑しい伯爵令嬢に乗り換えた。 婚約を破棄されたリディアは、静かに微笑みながら王城を去る――その強さに誰も気づかぬまま。 だが、彼女の背後には別の男の影があった。寡黙で冷徹と噂される隣国の公爵、アレン・ヴァルディール。 傷ついた令嬢と孤高の公爵、運命の出会いが新たな恋とざまぁの幕を開ける。 これは、裏切られた令嬢が真実の愛で満たされていく溺愛成長ストーリー。 そして最後に笑うのは、いつだって冷静な彼女――氷の令嬢だ。

『婚約破棄された公爵令嬢は、王と交わらない道を選ぶ』

ふわふわ
恋愛
婚約者である王太子アルベルトから、一方的に婚約破棄を告げられた公爵令嬢エレノア。 だが彼女は、涙も復讐も選ばなかった。 「婚約は、役目でしたもの。終わったのなら、それで結構ですわ」 王宮を去ったエレノアは、領地に戻り、 干渉しない・依存しない・無理をしない ただそれだけを軸に、静かに領地運営を始める。 一方、王となったアルベルトもまた、 彼女に頼らないことを選び、 「一人の判断に依存しない国」を作るための統治に身を投じていた。 復縁もしない。 恋にすがらない。 それでも、二人の選択は確かに国を安定へと導いていく。 これは、 交わらないことを選んだ二人が、 それぞれの場所で“続けられる世界”を完成させる物語。 派手なざまぁも、甘い溺愛もない。 けれど、静かに積み重なる判断と選択が、 やがて「誰にも壊せない秩序」へと変わっていく――。 婚約破棄から始まる、 大人のための静かなざまぁ恋愛ファンタジー

お金がありすぎて困っておりますの(悪役令嬢ver.) ~悪役令嬢は噂も相場も支配しますわ~

ふわふわ
恋愛
「お金がありすぎて、困っておりますの」 ヴァレンティス侯爵家当主・シグネアは、若くして膨大な資産と権限を手にした“悪役令嬢”。 しかし彼女は、金にも噂にも振り回されない。 ──ならば、支配すればよろしいのですわ。 社交界を飛び交う根拠のない噂。 無能な貴族の見栄と保身。 相場を理解しない者が引き起こす経済混乱。 そして「善意」や「情」に見せかけた、都合のいい救済要求。 シグネアは怒鳴らない。 泣き落としにも応じない。 復讐も、慈善も、選ばない。 彼女がするのはただ一つ。 事実と数字と構造で、価値を測ること。 噂を操り、相場を読まず、裁かず、助けず、 それでもすべてを終わらせる“悪役令嬢”の統治劇。 「助けなかったのではありませんわ」 「助ける必要がなかっただけです」 一撃で終わる教育的指導。 噂も相場も、そして人の価値さえも―― 悪役令嬢は、今日も静かに支配する。

戦姫のトロイメライ~断罪される未来が視えたので先に死んだことにしました

志熊みゅう
恋愛
 十三歳の誕生日、侯爵令嬢エディット・ユングリングは、自分が死ぬ瞬間を"夢"に視た。  卒業舞踏会で、婚約者であるフィーラ帝国・第一皇子マティアス殿下から、身に覚えのない罪で断罪され、捕らえられる。傍らでは見知らぬピンクブロンドの令嬢が不敵に微笑む。貴族牢のある北の古城に連行される途中、馬車ごと“死の谷”へと落ちていった――そんな妙に生々しい夢。  マティアス殿下は聡明で優しく、エディットを大切にしているように見えた。だから誰もその"夢"のことを気に留めなかった。しかし、兄の怪我、愛猫の死、そして大干ばつ――エディットの"夢"は次々と現実になっていく。ある日、エディットは気づく。この"夢"が、母の祖国・トヴォー王国の建国の軍師と同じ異能――"未来視"であることに。  その頃、一年早く貴族学院に入学したマティアス殿下は、皇宮から解放され、つかの間の自由を知った。そして、子爵令嬢ライラに懸想するようになる。彼女は、"夢"の中で冷酷に微笑むあの令嬢に瓜二つ。エディットは自分が視た"夢"が少しずつ現実になっていくことに恐怖した。そんな時に視た、黒髪の令息が「愛しているよ」と優しくはにかむ、もう一つの『未来』。エディットは決心する。  ――断罪される未来を変えたい。もう一つの未来を自分で選び取る。  彼女は断罪される前に、家族と共に自らの死を偽装し、トヴォー王国へと身を隠す。選び取った未来の先で、エディットは『戦姫』として新たな運命の渦に飲まれていく――。  断罪の未来を捨て、愛する者のために戦う令嬢の恋愛ファンタジー!

処理中です...