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「……平和ね」
ルシアンは、テラスで紅茶を飲みながら呟いた。
鳥のさえずりと、風の音。
そして、庭でキースが薪を割る、カーン、カーンという小気味よい音。
(これが、既婚者の余裕というものかしら)
結婚初夜から数日。
二人の生活は、驚くほど変わらなかった。
変わったことと言えば、夜に一つのベッドで寝ることと、キースの過保護レベルが少し上がった(姿が見えないとすぐ探しに来る)ことくらいだ。
「……お茶請けだ」
キースが作業の手を止め、焼きたてのクッキーを持ってきた。
「ありがとうございます、旦那様」
「……その呼び方は、まだ慣れない」
キースは照れくさそうに頬を掻き、ルシアンの隣に座った。
この穏やかな時間が永遠に続けばいい。
そう願った、その時だった。
「ルシアァァァァァァンッ!! 僕のルシアァァァァァァンッ!!」
「おぉぉぉぉねぇぇぇぇさぁぁぁぁまぁぁぁぁーーーッ!!!」
「…………」
「…………」
ルシアンとキースは、同時に紅茶のカップを置いた。
デジャヴだ。
しかも、今回はいつにも増して悲壮感が漂う絶叫だ。
「……来ましたね」
「……迎撃する」
キースが腰のナイフに手をかけようとしたが、ルシアンはそれを制した。
「待って。様子がおかしいわ」
森の入り口から現れたのは、いつもの派手な馬車ではなく、鉄格子が嵌められた護送車のような馬車だった。
そこから転げ落ちるように出てきたのは、手枷をはめられたアランと、それを鎖で繋いでいるミナだった。
「……囚人?」
二人はテラスまで這ってきた。
「ルシアン! 助けてくれ! ドナドナされる! 僕たちはドナドナされるんだ!」
「ドナドナ?」
「売られていくのですわ! 辺境のさらに向こう、魔境の開拓地へ!」
ミナが号泣しながら叫ぶ。
「酷いですのよ、国王陛下ったら! 『お前たちの声量は国家の資源だ。魔獣除けとして有効活用してこい』ですって!」
「……なるほど。陛下、ナイス采配です」
ルシアンは心の中で国王に拍手を送った。
アランが柵にしがみつく。
「嫌だ! 僕は都会っ子なんだ! 虫も怖いし、土も汚い! あんな何もない荒野で、どうやって生きていけばいいんだ!」
「貴方にはミナ様がいるではありませんか」
「それが一番の問題なんだよ!!」
アランが泣き叫ぶ。
「あいつ、向こうに行ったら『二人だけの王国を作りましょう♡』とか言って、一日中デュエットを強要してくる気なんだ! 死ぬ! 過労と騒音で死ぬ!」
「……お似合いだと思いますけれど」
「見捨てないでくれルシアン! 君の静寂が恋しい! 君の冷たい視線が懐かしい! 頼む、僕をここで飼ってくれ! 犬小屋でいいから!」
アランがルシアンのドレスの裾を掴もうとする。
ヒュッ。
銀色の閃光。
キースの投げたフォークが、アランの手の甲ギリギリの地面に突き刺さった。
「ヒィッ!?」
「……俺の妻に、触るな」
キースが仁王立ちで見下ろしている。
「……その汚い手をどけないと、開拓地に行く前に、ここで肥料にするぞ」
「ひ、ひえぇぇ……! 悪魔だ……! やっぱりこいつは魔王だ!」
アランは後ずさり、ミナの後ろに隠れた。
ミナはキースを睨み返した。
「なんですの! アラン様をいじめないでくださいまし! アラン様をいじめていいのは、愛のムチを振るう私だけですわ!」
「……どっちもどっちだな」
キースは呆れて溜息をついた。
そこへ、護送車の御者(王家の騎士)がやってきた。
「こら! 脱走するな! 出発の時間だぞ!」
「嫌だぁぁぁ! 行きたくないぃぃぃ!」
「往生際が悪い! さあ、乗れ!」
騎士たちがアランを引きずっていく。
「ルシアン! ルシアン、最後に慈悲を! せめて別れのキスを!」
「お断りします」
ルシアンは冷たく切り捨てた。
「でも、餞別(せんべつ)くらいは差し上げましょう」
「えっ? 本当かい? 金か? それとも宝石か?」
アランが期待に目を輝かせる。
ルシアンは、これ以上ないほどの満面の笑みを浮かべた。
それは、アランが今まで見たこともないような、女神のように美しく、そして晴れやかな笑顔だった。
「――さようなら、アラン殿下。二度とお会いしませんわ」
「……ッ!」
アランは息を呑んだ。
あまりの美しさに、言葉を失ったのだ。
「あ……ああ……」
「元気でね。遠い遠い空の下で、野垂れ死……いえ、逞しく生きてください」
ルシアンは手を振った。
ヒラヒラと、優雅に。
それは「別れを惜しむ手」ではなく、「厄介払いが完了した喜びの手」だったのだが、アランのフィルターを通すと違って見えたらしい。
「ルシアン……! そうか、君は……笑って送り出してくれるのか! 僕が心配しないように、無理をして……!」
「違います」
「分かったよ! 僕は行く! 君のその笑顔を胸に、荒野を楽園に変えてみせる!」
「勝手にしてください」
「待っていてくれ! いつか立派な男になって、君を迎えに来るからーーッ!!」
「来ないでください! 絶対に来ないでください!」
アランは涙を流しながら護送車に押し込まれた。
「さあ、行きますわよアラン様! 愛の逃避行ですわ!」
ミナも乗り込み、鉄格子の中から手を振る。
「お姉様! 私、向こうで『爆音劇団』を旗揚げしますわ! いつかチケットを送りますね!」
「着払いで送り返します!」
ガラガラガラ……。
護送車が動き出す。
「ルシアァァァン!! 愛してるぞォォォ!!」
「アラン様ぁぁぁ!! デュエットォォォ!!」
二人の絶叫が、森の奥へと遠ざかっていく。
キースの『防音結界』を突き破るほどの声量だったが、それも次第に小さくなり、やがて完全に聞こえなくなった。
シーン……。
「……行ったわね」
ルシアンは肩の荷が下りたように、深く息を吐いた。
「……ああ。二度と戻ってこない場所へな」
キースがルシアンの肩を抱く。
「……最後のアランの言葉、気にするなよ。『迎えに来る』とか」
「気にしていませんよ。あそこは『一度入ったら声が枯れるまで出られない』と言われる難所ですから」
「……詳しいな」
「お父様が嬉しそうに言っていましたから」
ルシアンはクスクスと笑った。
これで、本当に終わりだ。
過去のしがらみも、騒がしい元婚約者も、全て彼方へと消え去った。
「……キースさん」
「……ん」
「静かになりましたね」
「……そうだな」
キースは、空になった紅茶のカップを手に取った。
「……入れ直すか?」
「ええ、お願いします。今度は、とびきり甘いのがいいわ」
「……任せろ」
二人はテラスで微笑み合った。
もう、邪魔するものは誰もいない。
アランとミナの騒音は、これからは彼らの新天地での『開拓の槌音』となるだろう。それはそれで、誰かの役に立つのかもしれない。
ただ、ルシアンの耳にはもう届かない。
それで十分だった。
「さあ、次は私たちの番ですね」
「……番?」
「これからの人生という、長い長い『お茶の時間』の始まりです」
ルシアンの言葉に、キースは嬉しそうに目を細めた。
ルシアンは、テラスで紅茶を飲みながら呟いた。
鳥のさえずりと、風の音。
そして、庭でキースが薪を割る、カーン、カーンという小気味よい音。
(これが、既婚者の余裕というものかしら)
結婚初夜から数日。
二人の生活は、驚くほど変わらなかった。
変わったことと言えば、夜に一つのベッドで寝ることと、キースの過保護レベルが少し上がった(姿が見えないとすぐ探しに来る)ことくらいだ。
「……お茶請けだ」
キースが作業の手を止め、焼きたてのクッキーを持ってきた。
「ありがとうございます、旦那様」
「……その呼び方は、まだ慣れない」
キースは照れくさそうに頬を掻き、ルシアンの隣に座った。
この穏やかな時間が永遠に続けばいい。
そう願った、その時だった。
「ルシアァァァァァァンッ!! 僕のルシアァァァァァァンッ!!」
「おぉぉぉぉねぇぇぇぇさぁぁぁぁまぁぁぁぁーーーッ!!!」
「…………」
「…………」
ルシアンとキースは、同時に紅茶のカップを置いた。
デジャヴだ。
しかも、今回はいつにも増して悲壮感が漂う絶叫だ。
「……来ましたね」
「……迎撃する」
キースが腰のナイフに手をかけようとしたが、ルシアンはそれを制した。
「待って。様子がおかしいわ」
森の入り口から現れたのは、いつもの派手な馬車ではなく、鉄格子が嵌められた護送車のような馬車だった。
そこから転げ落ちるように出てきたのは、手枷をはめられたアランと、それを鎖で繋いでいるミナだった。
「……囚人?」
二人はテラスまで這ってきた。
「ルシアン! 助けてくれ! ドナドナされる! 僕たちはドナドナされるんだ!」
「ドナドナ?」
「売られていくのですわ! 辺境のさらに向こう、魔境の開拓地へ!」
ミナが号泣しながら叫ぶ。
「酷いですのよ、国王陛下ったら! 『お前たちの声量は国家の資源だ。魔獣除けとして有効活用してこい』ですって!」
「……なるほど。陛下、ナイス采配です」
ルシアンは心の中で国王に拍手を送った。
アランが柵にしがみつく。
「嫌だ! 僕は都会っ子なんだ! 虫も怖いし、土も汚い! あんな何もない荒野で、どうやって生きていけばいいんだ!」
「貴方にはミナ様がいるではありませんか」
「それが一番の問題なんだよ!!」
アランが泣き叫ぶ。
「あいつ、向こうに行ったら『二人だけの王国を作りましょう♡』とか言って、一日中デュエットを強要してくる気なんだ! 死ぬ! 過労と騒音で死ぬ!」
「……お似合いだと思いますけれど」
「見捨てないでくれルシアン! 君の静寂が恋しい! 君の冷たい視線が懐かしい! 頼む、僕をここで飼ってくれ! 犬小屋でいいから!」
アランがルシアンのドレスの裾を掴もうとする。
ヒュッ。
銀色の閃光。
キースの投げたフォークが、アランの手の甲ギリギリの地面に突き刺さった。
「ヒィッ!?」
「……俺の妻に、触るな」
キースが仁王立ちで見下ろしている。
「……その汚い手をどけないと、開拓地に行く前に、ここで肥料にするぞ」
「ひ、ひえぇぇ……! 悪魔だ……! やっぱりこいつは魔王だ!」
アランは後ずさり、ミナの後ろに隠れた。
ミナはキースを睨み返した。
「なんですの! アラン様をいじめないでくださいまし! アラン様をいじめていいのは、愛のムチを振るう私だけですわ!」
「……どっちもどっちだな」
キースは呆れて溜息をついた。
そこへ、護送車の御者(王家の騎士)がやってきた。
「こら! 脱走するな! 出発の時間だぞ!」
「嫌だぁぁぁ! 行きたくないぃぃぃ!」
「往生際が悪い! さあ、乗れ!」
騎士たちがアランを引きずっていく。
「ルシアン! ルシアン、最後に慈悲を! せめて別れのキスを!」
「お断りします」
ルシアンは冷たく切り捨てた。
「でも、餞別(せんべつ)くらいは差し上げましょう」
「えっ? 本当かい? 金か? それとも宝石か?」
アランが期待に目を輝かせる。
ルシアンは、これ以上ないほどの満面の笑みを浮かべた。
それは、アランが今まで見たこともないような、女神のように美しく、そして晴れやかな笑顔だった。
「――さようなら、アラン殿下。二度とお会いしませんわ」
「……ッ!」
アランは息を呑んだ。
あまりの美しさに、言葉を失ったのだ。
「あ……ああ……」
「元気でね。遠い遠い空の下で、野垂れ死……いえ、逞しく生きてください」
ルシアンは手を振った。
ヒラヒラと、優雅に。
それは「別れを惜しむ手」ではなく、「厄介払いが完了した喜びの手」だったのだが、アランのフィルターを通すと違って見えたらしい。
「ルシアン……! そうか、君は……笑って送り出してくれるのか! 僕が心配しないように、無理をして……!」
「違います」
「分かったよ! 僕は行く! 君のその笑顔を胸に、荒野を楽園に変えてみせる!」
「勝手にしてください」
「待っていてくれ! いつか立派な男になって、君を迎えに来るからーーッ!!」
「来ないでください! 絶対に来ないでください!」
アランは涙を流しながら護送車に押し込まれた。
「さあ、行きますわよアラン様! 愛の逃避行ですわ!」
ミナも乗り込み、鉄格子の中から手を振る。
「お姉様! 私、向こうで『爆音劇団』を旗揚げしますわ! いつかチケットを送りますね!」
「着払いで送り返します!」
ガラガラガラ……。
護送車が動き出す。
「ルシアァァァン!! 愛してるぞォォォ!!」
「アラン様ぁぁぁ!! デュエットォォォ!!」
二人の絶叫が、森の奥へと遠ざかっていく。
キースの『防音結界』を突き破るほどの声量だったが、それも次第に小さくなり、やがて完全に聞こえなくなった。
シーン……。
「……行ったわね」
ルシアンは肩の荷が下りたように、深く息を吐いた。
「……ああ。二度と戻ってこない場所へな」
キースがルシアンの肩を抱く。
「……最後のアランの言葉、気にするなよ。『迎えに来る』とか」
「気にしていませんよ。あそこは『一度入ったら声が枯れるまで出られない』と言われる難所ですから」
「……詳しいな」
「お父様が嬉しそうに言っていましたから」
ルシアンはクスクスと笑った。
これで、本当に終わりだ。
過去のしがらみも、騒がしい元婚約者も、全て彼方へと消え去った。
「……キースさん」
「……ん」
「静かになりましたね」
「……そうだな」
キースは、空になった紅茶のカップを手に取った。
「……入れ直すか?」
「ええ、お願いします。今度は、とびきり甘いのがいいわ」
「……任せろ」
二人はテラスで微笑み合った。
もう、邪魔するものは誰もいない。
アランとミナの騒音は、これからは彼らの新天地での『開拓の槌音』となるだろう。それはそれで、誰かの役に立つのかもしれない。
ただ、ルシアンの耳にはもう届かない。
それで十分だった。
「さあ、次は私たちの番ですね」
「……番?」
「これからの人生という、長い長い『お茶の時間』の始まりです」
ルシアンの言葉に、キースは嬉しそうに目を細めた。
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