「おめでとうございます、婚約破棄ですね!」

パリパリかぷちーの

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「ラジーナ・ガレット公爵令嬢! 貴様のような血も涙もない冷酷な女は、王妃にふさわしくない! 今この場をもって、貴様との婚約を破棄し、真実の愛で結ばれたリリアーナ嬢を新たな婚約者とすることを宣言する!」

煌びやかなシャンデリアが輝く夜会の中心で、第一王子ウィルフリードが声を張り上げた。

その隣には、瞳を潤ませて王子の腕にすがりつく男爵令嬢、リリアーナが寄り添っている。

周囲の貴族たちは、突然の事態に息を呑み、ある者は嘲笑を浮かべ、ある者は憐れみの視線を私――ラジーナへと向けた。

だが、当事者である私の脳内では、今この瞬間、猛烈な速度で「計算」が行われていた。

(……待機時間、ゼロ。王子の演説時間は約四十秒。私の返答にかかる時間は五秒。その後の撤収作業を含めても、予定より十五分は早く帰宅できる。素晴らしい。実に見事なタイムマネジメントだわ)

私は扇を閉じると、これ以上ないほどに優雅で、それでいて事務的な一礼を捧げた。

「承知いたしました、殿下。婚約破棄の件、謹んでお受けいたします」

「……は?」

突きつけられた当の本人があまりに平然と、しかも食い気味に承諾したため、ウィルフリード殿下は間抜けた声を漏らした。

普通なら、ここで泣き崩れるか、あるいは身に覚えのない罪状に対して抗議の声を上げるのが「悪役令嬢」の定石なのだろう。

だが、私にとって時間は金であり、人生そのものだ。

無駄な問答に費やす一秒一秒が、私の寿命を削る損失でしかない。

「ちょ、ちょっと待て! もっと何かあるだろう! 言い訳とか、リリアーナへの謝罪とか、私に縋り付いて泣き喚くとか!」

「いえ、一点の曇りもなく承知いたしました。殿下が私を嫌い、リリアーナ様を愛していらっしゃること。そして、私との結婚が殿下にとって『非効率』であると判断されたこと。十分に理解しております。論理的な帰結ですね」

「論理……? 貴様、自分の立場が分かっているのか! これは追放だぞ! 不名誉な婚約破棄なのだぞ!」

私は無表情のまま、ドレスの隠しポケットから一通の手紙――正確には、公証人の魔印が押された「婚約解消合意書」を取り出した。

「話が早くて助かります。実は、殿下の女性関係と公金流用のデータを精査した結果、本日あたりにこのような事態になると予測しておりました。ですので、こちらにサインを頂けますか?」

「……なんだ、これは」

「婚約解消に伴う合意書です。慰謝料の請求権の相互放棄、並びに、本日以降の互いへの不干渉。それから、私がこれまで殿下の教育と債務整理に費やした実費の明細書も同封しております。こちらは後ほど、王宮の会計局へ請求させていただきますわ」

私は流れるような動作で、給仕の持っていたトレイから羽根ペンを奪い取り、王子に差し出した。

「さあ、殿下。貴重な夜会の時間をこれ以上無駄にすべきではありません。リリアーナ様との甘いひとときを過ごすためにも、速やかな署名をお願いいたします」

「あ、あのぉ、ラジーナ様……。もっとこう、リリアーナをいじめたりしないんですかぁ? ほら、泥棒猫とか、身の程知らずとか……」

リリアーナ様が、期待外れだと言わんばかりに小首を傾げた。

私は彼女を一瞥し、完璧な微笑みを浮かべる。

「リリアーナ様。貴女のような『不確定要素』に言葉を投げかける時間は、私のスケジュールには組み込まれておりません。それに、殿下を引き取ってくださるということは、私にとって年間数千時間の節約に繋がります。感謝こそすれ、罵倒するなど非生産的なことはいたしませんわ」

「な……な……」

ウィルフリード殿下は顔を真っ赤にして震えている。

おそらく、感動しているのではなく、プライドをズタズタにされたことによる怒りだろう。

だが、彼が署名しないことには、私の「自由時間」が確定しない。

「殿下、サインを。それとも、ここで殿下がリリアーナ様に贈った首飾りの購入資金が、実は北方領土の治水予算から流用されたものであるという証拠を、この場で読み上げた方がよろしいでしょうか?」

「くっ……貴様、どこまで調べて……!」

「私の趣味は、数値の最適化ですので」

王子はひったくるように羽根ペンを持つと、殴り書きのような署名を合意書に書き込んだ。

「これで満足か! この冷血女め! さっさと失せろ! 二度とその面を見せるな!」

「ありがとうございます。では、失礼いたします。皆様、どうぞ夜会の続きをお楽しみください。あ、楽団の方々、今の騒ぎで三分の遅延が発生しています。テンポを五パーセント上げれば、終了時刻までには帳尻が合いますわよ」

私は唖然とする楽団にアドバイスを残し、背筋を伸ばして会場を後にした。

ホールの外に出ると、夜の冷たい空気が心地よく頬を撫でる。

(完璧。馬車を待たせている時間はあと三十分あるけれど、徒歩で裏門まで行けば、ちょうど迎えの馬車と合流できるわ。予定より早い帰宅。これなら、読みたかった新作の経済誌を三回は読み返せる!)

私は、誰に見せるでもない満足げな笑みを浮かべた。

これが、後に「氷の合理主義令嬢」と呼ばれる私の、本当の意味での人生の始まりだった。

翌朝、私は実家の公爵邸で、父と向き合っていた。

父は、昨晩の騒動をすでに耳にしていたようで、頭を抱えていた。

「ラジーナ……お前というやつは。王子相手にあんな書類を突きつけるなんて」

「お父様。感情的な議論は時間の無駄です。あの婚約は、我がガレット家にとってもすでに『負債』でしかありませんでした。今のうちに損切りをしておくのが、経営学上の正解です」

「……お前のその、何でも数字と効率で測る癖、どうにかならんのか。せめてもう少し、悲しそうな顔をすれば同情も集まっただろうに」

「同情でパンは買えません。それよりお父様、約束通り、私は自由の身として旅に出ます」

「旅? どこへ行くというんだ」

「北です」

私は地図を広げ、一点を指差した。

「ここ、ヴォルフラム公爵領。非常に資源が豊富ですが、流通の効率が悪く、行政コストが肥大化しています。私の能力を最大限に発揮し、この地を『最適化』してみたいのです」

「あそこは『氷の公爵』と呼ばれるアルリック卿の領地だぞ。あいつは無愛想で、女嫌いで有名だ」

「素晴らしい。無駄な愛想笑いや、恋愛という名の非効率な駆け引きが必要ないということですね。まさに私の理想郷です」

私はすでに荷造りを終えていた。

婚約破棄から十二時間。

私は、新たな職場と、新たな人生の「最適解」を求めて、馬車に乗り込んだ。

御者に「時速二十キロを維持して」と指示を出しながら。
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