「おめでとうございます、婚約破棄ですね!」

パリパリかぷちーの

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ガタゴトと揺れる馬車の中で、私は手元の懐中時計をじっと見つめていた。

「御者さん。右前輪の回転にわずかなズレが生じています。三・五秒ごとに聞こえる微かな異音から察するに、軸受けの油が切れていますわ。次の休憩地点でのメンテナンス時間を三分追加しますので、その分、走行速度を時速二キロ上げてください」

「お、お嬢様……。さっきから細かい数字ばかり……。そんなに急いでどこへ行くんですかい?」

「急いでいるのではありません。『最適化』しているのです。予定より一分でも遅れることは、私の人生に対する冒涜ですわ」

北へと向かう道中、私は一秒の無駄もなく過ごしていた。

車内では、ヴォルフラム公爵領の地政学的なリスクと、過去三年の収穫高の推移をまとめた資料に目を通す。

だが、領地の境界線に差し掛かったところで、馬車が唐突に停止した。

「どうしました? 停車予定時刻まで、まだ十四分と二十八秒ありますけれど」

「それが……お嬢様! 前方で魔物の群れが道を塞いでいまして! 騎士団の方々が応戦中ですが、荷馬車が立ち往生して大渋滞です!」

私は溜息をつき、馬車の扉を開けて外に踏み出した。

目の前に広がるのは、北国特有の針葉樹林。

そして、街道の真ん中でうごめく巨大な牙を持った猪型の魔物、「フォレスト・ボア」の群れだ。

「……最悪ですわ。魔物の出現という不確定要素は織り込み済みでしたが、この『交通整理の悪さ』は計算外です」

前方では、十数人の兵士たちが闇雲に剣を振り回している。

その後ろには、足止めを食らってイライラを募らせる商人たちの馬車が、無秩序に並んでいた。

「あっちの兵士! 右から回り込まれるぞ! おい、商人の馬車! 邪魔だ、もっと端に寄せろ!」

怒号が飛び交い、現場は混乱の極みにある。

私は手近な岩の上に登ると、扇を広げて大きく一振りした。

「そこの騎士団の方々! 及び、立ち往生している商人の皆様! 私の指示に従いなさい! 今のままでは、この事態を収束させるのにあと三時間と二十分かかりますわ!」

私の声は、戦場の喧騒を切り裂くほどに鋭く響いた。

全員の視線が、場違いなほど美しいドレスを纏った令嬢――私に集まる。

「なんだ、貴様は! 女子供の出る幕ではない、下がっていろ!」

隊長らしき男が怒鳴るが、私はそれを無視して指を差した。

「黙りなさい。貴方の指揮は三流以下です。まず、盾持ちの兵士は三名一組で三角形の陣形を作り、魔物の突進を斜めに受け流しなさい。正面から受けるのは衝撃の分散効率が悪すぎます」

「な……!?」

「弓兵! 狙うのは目ではありません。右後ろ足の腱です。機動力を奪えば、一頭あたりの処理時間は四十五秒短縮できます。それから商人の皆様! 馬車を連結させ、街道の左側に斜め四十五度で整列させてください。それが最も効率的な防壁となりますわ!」

私の淀みない指示に、人々は毒気を抜かれたように動き出した。

不思議なもので、具体的な数字と根拠を示されると、混乱した人間はそれに従ってしまうものらしい。

「ほら、次! 五秒以内に配置について! 遅れた分は、後で私の事務手数料から差し引きますわよ!」

私がストップウォッチを片手に檄を飛ばしていると、背後から地鳴りのような蹄の音が聞こえてきた。

現れたのは、漆黒の騎馬に跨った一団。

その先頭に立つ男は、凍てつくような冷徹な瞳を持ち、周囲の空気を一瞬で氷結させるような威圧感を放っていた。

「……何事だ。我が領地の入り口で、この騒ぎは」

彼こそが、この地の主――アルリック・ヴォルフラム公爵。

「閣下! 魔物の群れが……。ですが、あちらの令嬢が突然現れて、指揮を……」

アルリック公爵は、戦場を、整列した馬車を、そして岩の上で時計を睨む私を順番に見た。

私は彼と視線が合うと、岩から飛び降り、ドレスの裾を摘んで軽く一礼した。

「ごきげんよう、ヴォルフラム公爵閣下。少々お待ちください。あと一分と十五秒で、すべての魔物の処理が完了し、街道の清掃作業に移行できます」

「……貴様がこれをやったのか?」

「はい。あまりに非効率な戦い方でしたので、ボランティアで最適化させていただきました」

その時、最後の一頭が兵士の剣に沈んだ。

時計を確認する。

「……一分と十二秒。目標より三秒早い。素晴らしいわ、皆さん。今日一番の仕事ぶりです」

兵士たちが、勝った喜びよりも「やり遂げた……」という謎の達成感に包まれて膝をつく中、アルリック公爵が馬から降りて私に近づいてきた。

彼は私の顔をじっと覗き込み、低く心地よい声で問うた。

「令嬢。名前は」

「ラジーナ・ガレット。昨日、婚約破棄という名の不採算部門を切り捨ててきた自由人ですわ」

「ラジーナ……。貴様、今の指揮の根拠は何だ。なぜ三角形の陣形が効率的だと判断した」

「ベクトルの分解と、力の分散比率を計算すれば自明の理ですわ。閣下も、無駄を嫌うお方だと伺っておりますが?」

アルリック公爵は、しばらく無言で私を見つめていた。

その冷たい瞳の奥に、小さな灯火のような「熱」が宿ったのを、私は見逃さなかった。

「……面白い。これほどまでに無駄のない動きをする女は、戦場でも見たことがない」

「お褒めに預かり光栄です。ですが閣下、立ち話は一分以内に。私はこれから、お仕事を探さなければならないので」

「仕事だと?」

公爵は、不敵な笑みを浮かべた。

「ならば、私の屋敷に来い。我が領地の事務方は、貴様が嫌う『非効率』の巣窟だ。それをすべて、貴様のその頭脳で塗り替えてみせろ」

「それは……内定を頂けるということでよろしいかしら?」

「ああ。給与は望むままに出そう。ただし、一秒の無駄も許さんぞ」

「望むところですわ、閣下」

私は、自分でも驚くほどに口角が上がるのを感じた。

婚約破棄から一日。

私は、新たな雇い主(最高に効率を理解していそうなボス)を手に入れた。

「では閣下、移動を開始しましょう。馬車の平均速度を五キロ上げれば、夕食の時間までに領主館の帳簿を三冊は精査できますわ!」

「……フン。気に入った。行け!」

こうして、私は「氷の公爵」の領地へと、文字通り爆速で乗り込むことになったのである。
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