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ヴォルフラム公爵邸に足を踏み入れた瞬間、私の「効率センサー」が激しく警報を鳴らした。
「……閣下。一つ伺ってもよろしいかしら?」
「なんだ。立ち止まれば、それだけ時間の損失になるぞ」
アルリック閣下が冷徹な横顔で私を促す。
だが、私は玄関ホールから続く廊下の、不自然な曲線に釘付けになっていた。
「この廊下、なぜ無駄に蛇行しているのですか? 入り口から執務室まで直線で結べば、移動距離を十五パーセント短縮できます。一日に十回往復するとして、年間で約九時間の節約になる計算ですわ」
「……この屋敷は三百年前に建てられた。美観を重視した設計だ」
「美観は腹の足しになりません。あと、あの角に置かれた大きな壺。あれを避けるために歩幅を調整する手間、一回につき〇・二秒のロスです。今すぐ撤去、あるいは通路の端へ三センチ移動させるべきですわ」
案内をしていた執事のセバスさんが、引き攣った笑いを浮かべて私を見た。
「ラジーナ様……。閣下が『無駄を嫌う』というのは有名な話ですが、貴女様は次元が違いますな」
「褒め言葉として受け取っておきます。さあ、案内を。一秒でも早く、この屋敷の『病根』を見極めたいのです」
案内された執務室の扉が開いた瞬間、私は思わず息を呑んだ。
そこにあったのは、天井に届かんばかりに積み上げられた書類の山。
そして、その山に埋もれるようにして羽根ペンを走らせる、青白い顔をした事務官たちの姿だった。
「ひ、ひぃ! 閣下、お戻りでしたか! 申し訳ありません、昨年度の収支報告がまだ終わっておらず……!」
一人の事務官が、震える手で眼鏡を直しながら立ち上がる。
私は迷うことなくその書類の山に歩み寄り、一番上にあった紙をひったくった。
「失礼。……最悪ですわ。これはもはや犯罪的です」
「な、なんだ貴様は! 公爵家の重要書類を勝手に――」
「黙りなさい。この領地の帳簿、なぜすべて『文章』で書かれているのですか? 『本日、隣村の小麦を三袋購入し、その代金として銀貨五枚を支払った。なお、商人は機嫌が良さそうであった』……。商人の機嫌なんて、帳簿に一文字も必要ありませんわ!」
私は近くの机にあった空の紙を奪い取り、即座に縦横の線を引いた。
「これを見なさい。項目、数量、単価、合計、備考。これだけで十分です。情報は『読む』ものではなく『見る』もの。この形式に統一すれば、確認作業の速度は五倍に跳ね上がります」
「ご、五倍……!? そんな馬鹿なことが……」
「馬鹿なのはこの現状です。セバスさん! 今すぐ空いている部屋に長机を四つ用意してください。それから、この部屋の書類をすべて運び出します。私が今から、これらを『重要度』『緊急度』『ゴミ』の三段階に仕分けしますわ」
アルリック閣下は、腕を組んでその様子を眺めていた。
その瞳には、驚きよりも深い感銘の色が浮かんでいる。
「……ラジーナ。その『ゴミ』というのは何だ」
「閣下のスケジュール調整を求める夜会の招待状。及び、領地内の不遇を嘆くだけで具体的な対策案が一行も書かれていない苦情です。これらは資源の無駄。即座に暖炉の燃料にするのが最も効率的な活用法ですわ」
「ハッ……。言ってくれるな。おい、聞いたか! ラジーナの指示に従え。今この瞬間から、彼女はこの部屋の最高責任者だ」
事務官たちが一斉に動き出す。
私はドレスの袖をまくり上げ、腰に下げたポーチから自前の算盤を取り出した。
「さあ、始めますわよ。目標は、日没までにこの山の半分を『殲滅』することです。一分一秒を惜しんで働きなさい。私の計算速度についてこられない方は、明日から庭の草むしり(ただし一平方メートルにつき三分以内)に配置転換します!」
そこからの数時間は、公爵邸にとって「嵐」のようだった。
私が書類を手に取ると同時に、その内容を瞬時に判断し、右、左、後ろへと放り投げていく。
事務官たちは、私が仕分けた書類をそれぞれの机で処理し、新しい帳簿形式へと書き換えていく。
「そこ、ペンを休めない! インクを浸す動作に一・五秒かかっています。もっと浅く浸しなさい! その方がインクの節約にもなります!」
「はいっ!」
「閣下、立っているだけなら邪魔ですので、そちらの封筒の開封をお願いできますか? 閣下の指の長さなら、ペーパーナイフを往復させる回数を一回分減らせるはずです」
「……私に命じるのか? この私に」
アルリック閣下は呆れたように笑ったが、嫌な顔一つせずナイフを手に取った。
「いいだろう。貴様の言う『最適化』された世界というものを、見せてもらおうではないか」
数時間後。
窓の外が茜色に染まる頃、執務室の床はすっかり綺麗になっていた。
あんなにあった書類の山は、整然と並べられた数冊のファイルへと姿を変えている。
「……終わりましたわ。予定より八分と十二秒遅れましたが、初回としては合格点です」
事務官たちは、魂が抜けたような顔で机に突っ伏している。
だが、その表情には、これまでにない爽快感が漂っていた。
「信じられん……。三ヶ月分はかかると言われていた残務が、たったの半日で消えたというのか」
アルリック閣下がファイルを手に取り、中身を確認する。
「……見やすい。一目でどこに問題があるか分かる。ラジーナ、貴様は……化け物か?」
「いえ、ただの効率的な乙女ですわ、閣下」
私は少し乱れた髪を整え、優雅に(そして最小限の筋力で)一礼した。
「さて、本日の業務はこれで終了です。夕食の時間は十九時ジャスト。それまでに私は入浴と着替えを済ませます。所要時間は二十二分。閣下、お食事の席では領地の物流動線についての改善案を五つほど用意しておきますので、楽しみにしていてくださいね」
「……夕食時くらい、ゆっくり休まないのか?」
「『休息』とは、次の効率的な活動のための準備時間。それを語り合うことこそ、最高の贅沢ですわ」
私はそう言い残し、颯爽と部屋を後にした。
背後で、アルリック閣下が「……まったく、とんでもない女だ」と呟きながらも、どこか嬉しそうに笑ったのを私は聞き逃さなかった。
(よし、このペースなら、一週間で領地の財政基盤を立て直せる。そうすれば、余った時間でさらに面白いことができるはず……!)
私の脳内では、すでに翌朝の分刻みのスケジュールが出来上がっていた。
婚約破棄されて、人生が楽しくて仕方がない。
そんな感情を数値化するなら、間違いなく過去最高値を更新中であった。
「……閣下。一つ伺ってもよろしいかしら?」
「なんだ。立ち止まれば、それだけ時間の損失になるぞ」
アルリック閣下が冷徹な横顔で私を促す。
だが、私は玄関ホールから続く廊下の、不自然な曲線に釘付けになっていた。
「この廊下、なぜ無駄に蛇行しているのですか? 入り口から執務室まで直線で結べば、移動距離を十五パーセント短縮できます。一日に十回往復するとして、年間で約九時間の節約になる計算ですわ」
「……この屋敷は三百年前に建てられた。美観を重視した設計だ」
「美観は腹の足しになりません。あと、あの角に置かれた大きな壺。あれを避けるために歩幅を調整する手間、一回につき〇・二秒のロスです。今すぐ撤去、あるいは通路の端へ三センチ移動させるべきですわ」
案内をしていた執事のセバスさんが、引き攣った笑いを浮かべて私を見た。
「ラジーナ様……。閣下が『無駄を嫌う』というのは有名な話ですが、貴女様は次元が違いますな」
「褒め言葉として受け取っておきます。さあ、案内を。一秒でも早く、この屋敷の『病根』を見極めたいのです」
案内された執務室の扉が開いた瞬間、私は思わず息を呑んだ。
そこにあったのは、天井に届かんばかりに積み上げられた書類の山。
そして、その山に埋もれるようにして羽根ペンを走らせる、青白い顔をした事務官たちの姿だった。
「ひ、ひぃ! 閣下、お戻りでしたか! 申し訳ありません、昨年度の収支報告がまだ終わっておらず……!」
一人の事務官が、震える手で眼鏡を直しながら立ち上がる。
私は迷うことなくその書類の山に歩み寄り、一番上にあった紙をひったくった。
「失礼。……最悪ですわ。これはもはや犯罪的です」
「な、なんだ貴様は! 公爵家の重要書類を勝手に――」
「黙りなさい。この領地の帳簿、なぜすべて『文章』で書かれているのですか? 『本日、隣村の小麦を三袋購入し、その代金として銀貨五枚を支払った。なお、商人は機嫌が良さそうであった』……。商人の機嫌なんて、帳簿に一文字も必要ありませんわ!」
私は近くの机にあった空の紙を奪い取り、即座に縦横の線を引いた。
「これを見なさい。項目、数量、単価、合計、備考。これだけで十分です。情報は『読む』ものではなく『見る』もの。この形式に統一すれば、確認作業の速度は五倍に跳ね上がります」
「ご、五倍……!? そんな馬鹿なことが……」
「馬鹿なのはこの現状です。セバスさん! 今すぐ空いている部屋に長机を四つ用意してください。それから、この部屋の書類をすべて運び出します。私が今から、これらを『重要度』『緊急度』『ゴミ』の三段階に仕分けしますわ」
アルリック閣下は、腕を組んでその様子を眺めていた。
その瞳には、驚きよりも深い感銘の色が浮かんでいる。
「……ラジーナ。その『ゴミ』というのは何だ」
「閣下のスケジュール調整を求める夜会の招待状。及び、領地内の不遇を嘆くだけで具体的な対策案が一行も書かれていない苦情です。これらは資源の無駄。即座に暖炉の燃料にするのが最も効率的な活用法ですわ」
「ハッ……。言ってくれるな。おい、聞いたか! ラジーナの指示に従え。今この瞬間から、彼女はこの部屋の最高責任者だ」
事務官たちが一斉に動き出す。
私はドレスの袖をまくり上げ、腰に下げたポーチから自前の算盤を取り出した。
「さあ、始めますわよ。目標は、日没までにこの山の半分を『殲滅』することです。一分一秒を惜しんで働きなさい。私の計算速度についてこられない方は、明日から庭の草むしり(ただし一平方メートルにつき三分以内)に配置転換します!」
そこからの数時間は、公爵邸にとって「嵐」のようだった。
私が書類を手に取ると同時に、その内容を瞬時に判断し、右、左、後ろへと放り投げていく。
事務官たちは、私が仕分けた書類をそれぞれの机で処理し、新しい帳簿形式へと書き換えていく。
「そこ、ペンを休めない! インクを浸す動作に一・五秒かかっています。もっと浅く浸しなさい! その方がインクの節約にもなります!」
「はいっ!」
「閣下、立っているだけなら邪魔ですので、そちらの封筒の開封をお願いできますか? 閣下の指の長さなら、ペーパーナイフを往復させる回数を一回分減らせるはずです」
「……私に命じるのか? この私に」
アルリック閣下は呆れたように笑ったが、嫌な顔一つせずナイフを手に取った。
「いいだろう。貴様の言う『最適化』された世界というものを、見せてもらおうではないか」
数時間後。
窓の外が茜色に染まる頃、執務室の床はすっかり綺麗になっていた。
あんなにあった書類の山は、整然と並べられた数冊のファイルへと姿を変えている。
「……終わりましたわ。予定より八分と十二秒遅れましたが、初回としては合格点です」
事務官たちは、魂が抜けたような顔で机に突っ伏している。
だが、その表情には、これまでにない爽快感が漂っていた。
「信じられん……。三ヶ月分はかかると言われていた残務が、たったの半日で消えたというのか」
アルリック閣下がファイルを手に取り、中身を確認する。
「……見やすい。一目でどこに問題があるか分かる。ラジーナ、貴様は……化け物か?」
「いえ、ただの効率的な乙女ですわ、閣下」
私は少し乱れた髪を整え、優雅に(そして最小限の筋力で)一礼した。
「さて、本日の業務はこれで終了です。夕食の時間は十九時ジャスト。それまでに私は入浴と着替えを済ませます。所要時間は二十二分。閣下、お食事の席では領地の物流動線についての改善案を五つほど用意しておきますので、楽しみにしていてくださいね」
「……夕食時くらい、ゆっくり休まないのか?」
「『休息』とは、次の効率的な活動のための準備時間。それを語り合うことこそ、最高の贅沢ですわ」
私はそう言い残し、颯爽と部屋を後にした。
背後で、アルリック閣下が「……まったく、とんでもない女だ」と呟きながらも、どこか嬉しそうに笑ったのを私は聞き逃さなかった。
(よし、このペースなら、一週間で領地の財政基盤を立て直せる。そうすれば、余った時間でさらに面白いことができるはず……!)
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