12 / 28
12
しおりを挟む
「舞踏会まで、あと二百四十時間と十五分。準備期間としては極めてタイトですが、私の並列処理能力をフル活用すれば、王都の流行を凌駕し、かつコストパフォーマンスに優れた『伝説の夜』を構築可能ですわ」
執務室の机一面に図面を広げ、私は羽根ペンを猛烈な速度で走らせていた。
会場の動線設計、照明の配置による視覚的誘導、そして参加者の空腹度を一定に保つための軽食提供タイミング。
すべてが私の脳内で、完璧な歯車として組み合わさっていく。
そこへ、アルリック閣下が控えめなノックと共に姿を現した。
「ラジーナ、根を詰めるのもいいが、今日は外に出るぞ。……貴様のドレスを仕立てに行く必要がある」
「ドレス? 閣下、それは後回しで結構ですわ。ドレスの布面積と空気抵抗が、私のダンスにおける旋回速度に与える影響については既に計算済みですので、適当な布を縫い合わせるだけで――」
「適当な布で私のパートナーを舞踏会に出せるわけがないだろう。……これは公務だ。いいから立て」
閣下に半ば強引に連れ出され、私たちが向かったのは領都で一番の高級仕立屋だった。
「いらっしゃいませ、ヴォルフラム公爵閣下! 本日はどのような――」
店主が揉み手で迎える中、私は店内に並ぶ反物の山へ真っ直ぐに突き進んだ。
「店主、挨拶は三秒で。それより、このシルク。経糸と緯糸の密度が不均一ですわ。これでは激しいステップを踏んだ際に、応力集中が発生して破れるリスクがあります。もっと引張強度に優れた素材はありませんか?」
「は……? ひっぱ……きょうど?」
「布の丈夫さのことですわ。それから、こちらのサテン。光沢は素晴らしいですが、摩擦係数が高すぎます。パートナーとの接触面におけるエネルギー損失を最小限に抑えたいのです。滑り性の高い生地を出しなさい」
店主は、宝石のように美しい布地を「エネルギー損失」だの「摩擦係数」だのという言葉で切り捨てる私を、恐怖の眼差しで見つめた。
アルリック閣下は、店の隅のソファに腰を下ろし、楽しそうに足を組んでいる。
「店主、彼女の言う通りにしてやってくれ。……ラジーナ、色については私の希望を言ってもいいか?」
「閣下の色彩感覚は信頼しておりますが、波長の長い赤系統は興奮を誘発し、会場の熱量を無駄に上げすぎる懸念があります。鎮静効果のある青か、あるいは清潔感を象徴する白が、視覚的効率において最適かと」
「……私は、貴様の瞳と同じ金色に近い、深い黄色がいいと思うのだが。……私の隣で、最も輝いて見えるはずだ」
閣下の言葉に、私の脳内の計算機が、突如として『Error』の表示を吐き出した。
(……瞳と同じ色。……。それは、私という個体を、背景から分離して強調するための視覚的演出……? ……。心拍数が三パーセント上昇……いえ、五パーセント……!)
「……閣下。その色の提案、採用いたします。ただし、装飾のビーズは軽量なアクリル製に。本物の宝石は比重が大きく、一分間のダンスにつき十キロカロリーの余分なエネルギー消費を強いることになりますから」
「ふ……。宝石の重さくらい、私が支えてやるというのに。店主、今の条件で最高の一着を仕立てろ。予算は度外視だ」
「畏まりました! ……あの、お嬢様、採寸を……」
「採寸? 不要ですわ。私のスリーサイズは今朝、ミリ単位で測定済みです。このメモの数値に従って裁断しなさい。誤差は〇・一パーセント以内でお願いしますわよ」
私は数値を書き殴った紙を店主に押し付け、時計を確認した。
「よし、ドレスの仕様決定まで十二分。予定より早い。閣下、次は会場で使用するキャンドルの燃焼効率を調査しに、工房へ向かいましょう!」
「待て。ドレスを選んだ後は、休憩(ティータイム)を入れるのがセットだろう」
「休憩? 移動中に携帯食を摂取すれば済む話ですわ」
「ダメだ。貴様がこのドレスを着て踊る姿を想像しながら、ゆっくりとお茶を飲む。……それが私の今の『優先事項』だ」
閣下は私の腰を抱き寄せ、有無を言わせぬ力強さで店を出た。
外は、爽やかな風が吹き抜けている。
(……。ドレスの色、金色。……。閣下の瞳の色は、確か、深い銀色……。……。二人の色が混ざり合った時の色彩調和(カラーハーモニー)は……)
計算しようとした私の思考を、閣下が不意に繋いできた手の温もりが遮った。
「ラジーナ。当日は、世界で一番幸せな女になれ。……そのための準備なら、いくらでも『無駄』な時間を使って構わない」
「……。閣下、それは論理的な矛盾を含んでいます。幸せとは結果であり、過程の無駄を肯定する理由にはなりません」
私は反論したが、繋がれた手から伝わる鼓動が、私のどんな理論よりも雄弁に、何かを語りかけていた。
舞踏会まで、あと二百四十時間。
私は、自分のドレスの重さを計算するのをやめ、ただ、閣下と過ごす「計算不能な時間」の心地よさに、ほんの少しだけ身を委ねることにした。
執務室の机一面に図面を広げ、私は羽根ペンを猛烈な速度で走らせていた。
会場の動線設計、照明の配置による視覚的誘導、そして参加者の空腹度を一定に保つための軽食提供タイミング。
すべてが私の脳内で、完璧な歯車として組み合わさっていく。
そこへ、アルリック閣下が控えめなノックと共に姿を現した。
「ラジーナ、根を詰めるのもいいが、今日は外に出るぞ。……貴様のドレスを仕立てに行く必要がある」
「ドレス? 閣下、それは後回しで結構ですわ。ドレスの布面積と空気抵抗が、私のダンスにおける旋回速度に与える影響については既に計算済みですので、適当な布を縫い合わせるだけで――」
「適当な布で私のパートナーを舞踏会に出せるわけがないだろう。……これは公務だ。いいから立て」
閣下に半ば強引に連れ出され、私たちが向かったのは領都で一番の高級仕立屋だった。
「いらっしゃいませ、ヴォルフラム公爵閣下! 本日はどのような――」
店主が揉み手で迎える中、私は店内に並ぶ反物の山へ真っ直ぐに突き進んだ。
「店主、挨拶は三秒で。それより、このシルク。経糸と緯糸の密度が不均一ですわ。これでは激しいステップを踏んだ際に、応力集中が発生して破れるリスクがあります。もっと引張強度に優れた素材はありませんか?」
「は……? ひっぱ……きょうど?」
「布の丈夫さのことですわ。それから、こちらのサテン。光沢は素晴らしいですが、摩擦係数が高すぎます。パートナーとの接触面におけるエネルギー損失を最小限に抑えたいのです。滑り性の高い生地を出しなさい」
店主は、宝石のように美しい布地を「エネルギー損失」だの「摩擦係数」だのという言葉で切り捨てる私を、恐怖の眼差しで見つめた。
アルリック閣下は、店の隅のソファに腰を下ろし、楽しそうに足を組んでいる。
「店主、彼女の言う通りにしてやってくれ。……ラジーナ、色については私の希望を言ってもいいか?」
「閣下の色彩感覚は信頼しておりますが、波長の長い赤系統は興奮を誘発し、会場の熱量を無駄に上げすぎる懸念があります。鎮静効果のある青か、あるいは清潔感を象徴する白が、視覚的効率において最適かと」
「……私は、貴様の瞳と同じ金色に近い、深い黄色がいいと思うのだが。……私の隣で、最も輝いて見えるはずだ」
閣下の言葉に、私の脳内の計算機が、突如として『Error』の表示を吐き出した。
(……瞳と同じ色。……。それは、私という個体を、背景から分離して強調するための視覚的演出……? ……。心拍数が三パーセント上昇……いえ、五パーセント……!)
「……閣下。その色の提案、採用いたします。ただし、装飾のビーズは軽量なアクリル製に。本物の宝石は比重が大きく、一分間のダンスにつき十キロカロリーの余分なエネルギー消費を強いることになりますから」
「ふ……。宝石の重さくらい、私が支えてやるというのに。店主、今の条件で最高の一着を仕立てろ。予算は度外視だ」
「畏まりました! ……あの、お嬢様、採寸を……」
「採寸? 不要ですわ。私のスリーサイズは今朝、ミリ単位で測定済みです。このメモの数値に従って裁断しなさい。誤差は〇・一パーセント以内でお願いしますわよ」
私は数値を書き殴った紙を店主に押し付け、時計を確認した。
「よし、ドレスの仕様決定まで十二分。予定より早い。閣下、次は会場で使用するキャンドルの燃焼効率を調査しに、工房へ向かいましょう!」
「待て。ドレスを選んだ後は、休憩(ティータイム)を入れるのがセットだろう」
「休憩? 移動中に携帯食を摂取すれば済む話ですわ」
「ダメだ。貴様がこのドレスを着て踊る姿を想像しながら、ゆっくりとお茶を飲む。……それが私の今の『優先事項』だ」
閣下は私の腰を抱き寄せ、有無を言わせぬ力強さで店を出た。
外は、爽やかな風が吹き抜けている。
(……。ドレスの色、金色。……。閣下の瞳の色は、確か、深い銀色……。……。二人の色が混ざり合った時の色彩調和(カラーハーモニー)は……)
計算しようとした私の思考を、閣下が不意に繋いできた手の温もりが遮った。
「ラジーナ。当日は、世界で一番幸せな女になれ。……そのための準備なら、いくらでも『無駄』な時間を使って構わない」
「……。閣下、それは論理的な矛盾を含んでいます。幸せとは結果であり、過程の無駄を肯定する理由にはなりません」
私は反論したが、繋がれた手から伝わる鼓動が、私のどんな理論よりも雄弁に、何かを語りかけていた。
舞踏会まで、あと二百四十時間。
私は、自分のドレスの重さを計算するのをやめ、ただ、閣下と過ごす「計算不能な時間」の心地よさに、ほんの少しだけ身を委ねることにした。
20
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる