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「メモリア・アッシュ! 貴様との婚約を、この場を持って破棄する!」
王立学園の卒業パーティー。
美しく着飾った令嬢たちが談笑し、楽団が優雅なワルツを奏でる煌びやかな会場に、場違いな怒声が響き渡った。
声の主は、この国の第一王子であるカイル・ヴァルデマール。
金髪碧眼、絵に描いたような王子様である彼は、私の婚約者だ。
いや、『元』婚約者と言うべきか。
彼は今、私のことを見下しながら、勝ち誇ったような顔で仁王立ちしている。
その隣には、小動物のように震える男爵令嬢、リナが寄り添っていた。
「……」
私は手にしていたグラスを、音もなく給仕のトレイに戻した。
そして、ゆっくりと眼鏡の位置を指先で直す。
会場中の視線が私に突き刺さる。
嘲笑、同情、あるいは好奇心。
誰もが、私が泣き崩れるか、あるいは怒り狂って修羅場を演じるものだと期待しているのだろう。
けれど。
「――承知いたしました」
私はドレスの裾を摘まみ、完璧なカーテシーを披露した。
「え?」
カイル王子の口が、間の抜けた音を漏らす。
「え、とは何でしょうか殿下。婚約破棄、確かに承りました。長きにわたり、お世話になりました」
私は顔を上げ、営業用の涼やかな微笑みを浮かべた。
「そ、それだけか!?」
「はい。他に何か?」
カイル王子が狼狽える。
想定していた反応と違ったのだろう。
彼は隣のリナ嬢を抱き寄せ、さらに声を張り上げた。
「き、貴様は悔しくないのか! 未来の国母としての座を失うのだぞ!」
「王太子妃教育及び、将来の公務負担からの解放。これ以上の喜びがございましょうか」
「は……?」
「殿下、言葉通りの意味です。私は自由になれるのですね? ああ、神に感謝を」
私は胸の前で手を組み、天を仰ぐふりをした。
実際、心の中ではファンファーレが鳴り響いている。
毎朝五時起きの語学学習。
放課後のダンスレッスン。
週末返上の公務手伝い。
そして何より、この頭の軽い王子のご機嫌取り。
それら全てから、今この瞬間、解放されたのだ。
「ま、待て! 貴様、強がりを言うな! それに貴様には罪がある!」
カイル王子が焦ったように叫ぶ。
「罪、でございますか」
「そうだ! 貴様は、この愛らしいリナを虐げたではないか! 教科書を破り、階段から突き落とし、お茶会ではドレスにワインをかけた! その悪逆非道な行い、知らぬとは言わせんぞ!」
リナ嬢が「怖いですぅ」と王子の胸に顔を埋める。
周囲から「なんて酷い」「やはり悪役令嬢だわ」とひそひそ話が聞こえてくる。
私は冷めた目でその茶番劇を眺めた。
「殿下。事実確認をさせていただきます」
「な、なんだ」
私は懐から、折りたたまれた羊皮紙を取り出した。
「まず、リナ様の教科書が破られた件。その日時は先月の三日とおっしゃいましたね? その日、私は領地の決算処理のため、王都を離れておりました。こちらが馬車の運行記録と、宿帳の写しです」
「なっ……」
「次に、階段から突き落とされた件。二週間前の火曜日ですね。その時間は、私は王妃様と共に刺繍の会に参加しておりました。アリバイは王妃様ご自身が証明してくださるかと」
「は……ははうえが……?」
「最後に、お茶会でのワイン事件。そもそも私、ここ半年ほどリナ様とお茶会で同席した記録がございません。私のスケジュール帳、ご覧になりますか? 分刻みで埋まっておりますので、暇つぶしの嫌がらせをする隙間など一秒たりとも存在しないのですが」
私は淡々と事実を列挙した。
カイル王子の顔色が、赤から青、そして白へと変わっていく。
「そ、そんなはずは……リナは、お前にやられたと……」
「リナ様?」
私が視線を向けると、リナ嬢は「う、嘘じゃありません! メモリア様が魔法で遠隔攻撃をしたんです!」と叫んだ。
「魔法、ですか」
私はため息を堪えた。
「私の魔力適性は『氷』です。もし私が魔法を行使したのであれば、リナ様のドレスはワインで汚れるのではなく、カチンコチンに凍り付いているはずですが」
「うぐっ……」
「それに、効率が悪すぎます」
「こ、効率?」
「はい。私がもしリナ様を排除しようと考えるなら、そのような回りくどい真似はいたしません。社会的に抹殺するか、国外追放の手続きを事務的に進めます。その方が確実で、後腐れがありませんから」
会場がシーンと静まり返った。
「ひっ……」
リナ嬢が本気で怯えた顔をする。
カイル王子は後ずさりし、震える指を私に向けた。
「き、貴様……やはり可愛げがない! そうだ、その鉄仮面のような顔! 氷のような性格! 貴様のような冷たい女は、王妃にふさわしくないのだ!」
結局、そこに行き着くらしい。
私は肩をすくめた。
「左様でございますか。殿下のお好みに合わず、残念です」
「ふん! わかったらさっさと出ていけ! 二度と私の前に顔を見せるな!」
「承知いたしました」
私は懐から、もう一枚の書類を取り出した。
「では、こちらの書類に署名をお願いいたします」
「な、なんだこれは」
「『婚約解消合意書』です。殿下からの申し出により、双方合意の上で婚約を破棄する。なお、有責は殿下側にあるため、当家への慰謝料及び、これまでの教育費の返還を求める……といった内容になっております」
「い、いつの間にこんなものを……」
「備えあれば憂いなし、でございます。さあ、ここにサインを。拇印でも構いませんよ」
私はペンを差し出した。
カイル王子は気圧されたように、ふらふらと書類を受け取り、震える手で署名した。
「確認いたしました。――では殿下、リナ様。末永くお幸せに」
書類を素早く回収し、私は踵を返した。
背後で王子が何か叫んでいたが、私の耳にはもう届かない。
出口へと向かう私の足取りは、羽が生えたように軽かった。
(終わった……! やっと終わったわ!)
重厚な扉を開け、夜風を浴びる。
誰も追いかけてこない。
私は人気のない庭園の奥へと早足で進んだ。
美しく手入れされた薔薇の生垣の裏側。
そこにあるベンチは、私のお気に入りの隠れ家だ。
私はドレスの隠しポケットから、小瓶を取り出した。
最高級のヴィンテージ・ブランデー。
父のコレクションからこっそり拝借してきたものだ。
「この瞬間のために、冷やしておいたのよ……」
栓を抜くと、芳醇な香りが漂う。
グラスなんて上品なものはない。
私は小瓶を直接口に運び、ぐいっと煽った。
喉を焼くような熱さと、鼻に抜ける甘い香り。
「っぷはぁ……! 美味しい!」
夜空を見上げると、満月が輝いている。
最高だ。
これ以上の幸せがどこにあるだろう。
「さて、明日からはどうしようかしら。実家からは勘当されるでしょうし、職を探さないと」
独り言を呟きながら、私はもう一口、勝利の美酒を味わった。
「……随分と豪快な祝い酒だな」
不意に、背後から低い声がかけられた。
「ぶっ!?」
私は危うくブランデーを吹き出しそうになり、咳き込みながら振り返った。
そこに立っていたのは、月光を背負った長身の男。
漆黒の礼服に身を包み、氷のような冷ややかな瞳をした美丈夫。
「こ、公爵閣下……?」
そこにいたのは、国王陛下の弟君であり、泣く子も黙る『冷徹公爵』こと、アレクシス・ヴァルデマールその人だった。
王立学園の卒業パーティー。
美しく着飾った令嬢たちが談笑し、楽団が優雅なワルツを奏でる煌びやかな会場に、場違いな怒声が響き渡った。
声の主は、この国の第一王子であるカイル・ヴァルデマール。
金髪碧眼、絵に描いたような王子様である彼は、私の婚約者だ。
いや、『元』婚約者と言うべきか。
彼は今、私のことを見下しながら、勝ち誇ったような顔で仁王立ちしている。
その隣には、小動物のように震える男爵令嬢、リナが寄り添っていた。
「……」
私は手にしていたグラスを、音もなく給仕のトレイに戻した。
そして、ゆっくりと眼鏡の位置を指先で直す。
会場中の視線が私に突き刺さる。
嘲笑、同情、あるいは好奇心。
誰もが、私が泣き崩れるか、あるいは怒り狂って修羅場を演じるものだと期待しているのだろう。
けれど。
「――承知いたしました」
私はドレスの裾を摘まみ、完璧なカーテシーを披露した。
「え?」
カイル王子の口が、間の抜けた音を漏らす。
「え、とは何でしょうか殿下。婚約破棄、確かに承りました。長きにわたり、お世話になりました」
私は顔を上げ、営業用の涼やかな微笑みを浮かべた。
「そ、それだけか!?」
「はい。他に何か?」
カイル王子が狼狽える。
想定していた反応と違ったのだろう。
彼は隣のリナ嬢を抱き寄せ、さらに声を張り上げた。
「き、貴様は悔しくないのか! 未来の国母としての座を失うのだぞ!」
「王太子妃教育及び、将来の公務負担からの解放。これ以上の喜びがございましょうか」
「は……?」
「殿下、言葉通りの意味です。私は自由になれるのですね? ああ、神に感謝を」
私は胸の前で手を組み、天を仰ぐふりをした。
実際、心の中ではファンファーレが鳴り響いている。
毎朝五時起きの語学学習。
放課後のダンスレッスン。
週末返上の公務手伝い。
そして何より、この頭の軽い王子のご機嫌取り。
それら全てから、今この瞬間、解放されたのだ。
「ま、待て! 貴様、強がりを言うな! それに貴様には罪がある!」
カイル王子が焦ったように叫ぶ。
「罪、でございますか」
「そうだ! 貴様は、この愛らしいリナを虐げたではないか! 教科書を破り、階段から突き落とし、お茶会ではドレスにワインをかけた! その悪逆非道な行い、知らぬとは言わせんぞ!」
リナ嬢が「怖いですぅ」と王子の胸に顔を埋める。
周囲から「なんて酷い」「やはり悪役令嬢だわ」とひそひそ話が聞こえてくる。
私は冷めた目でその茶番劇を眺めた。
「殿下。事実確認をさせていただきます」
「な、なんだ」
私は懐から、折りたたまれた羊皮紙を取り出した。
「まず、リナ様の教科書が破られた件。その日時は先月の三日とおっしゃいましたね? その日、私は領地の決算処理のため、王都を離れておりました。こちらが馬車の運行記録と、宿帳の写しです」
「なっ……」
「次に、階段から突き落とされた件。二週間前の火曜日ですね。その時間は、私は王妃様と共に刺繍の会に参加しておりました。アリバイは王妃様ご自身が証明してくださるかと」
「は……ははうえが……?」
「最後に、お茶会でのワイン事件。そもそも私、ここ半年ほどリナ様とお茶会で同席した記録がございません。私のスケジュール帳、ご覧になりますか? 分刻みで埋まっておりますので、暇つぶしの嫌がらせをする隙間など一秒たりとも存在しないのですが」
私は淡々と事実を列挙した。
カイル王子の顔色が、赤から青、そして白へと変わっていく。
「そ、そんなはずは……リナは、お前にやられたと……」
「リナ様?」
私が視線を向けると、リナ嬢は「う、嘘じゃありません! メモリア様が魔法で遠隔攻撃をしたんです!」と叫んだ。
「魔法、ですか」
私はため息を堪えた。
「私の魔力適性は『氷』です。もし私が魔法を行使したのであれば、リナ様のドレスはワインで汚れるのではなく、カチンコチンに凍り付いているはずですが」
「うぐっ……」
「それに、効率が悪すぎます」
「こ、効率?」
「はい。私がもしリナ様を排除しようと考えるなら、そのような回りくどい真似はいたしません。社会的に抹殺するか、国外追放の手続きを事務的に進めます。その方が確実で、後腐れがありませんから」
会場がシーンと静まり返った。
「ひっ……」
リナ嬢が本気で怯えた顔をする。
カイル王子は後ずさりし、震える指を私に向けた。
「き、貴様……やはり可愛げがない! そうだ、その鉄仮面のような顔! 氷のような性格! 貴様のような冷たい女は、王妃にふさわしくないのだ!」
結局、そこに行き着くらしい。
私は肩をすくめた。
「左様でございますか。殿下のお好みに合わず、残念です」
「ふん! わかったらさっさと出ていけ! 二度と私の前に顔を見せるな!」
「承知いたしました」
私は懐から、もう一枚の書類を取り出した。
「では、こちらの書類に署名をお願いいたします」
「な、なんだこれは」
「『婚約解消合意書』です。殿下からの申し出により、双方合意の上で婚約を破棄する。なお、有責は殿下側にあるため、当家への慰謝料及び、これまでの教育費の返還を求める……といった内容になっております」
「い、いつの間にこんなものを……」
「備えあれば憂いなし、でございます。さあ、ここにサインを。拇印でも構いませんよ」
私はペンを差し出した。
カイル王子は気圧されたように、ふらふらと書類を受け取り、震える手で署名した。
「確認いたしました。――では殿下、リナ様。末永くお幸せに」
書類を素早く回収し、私は踵を返した。
背後で王子が何か叫んでいたが、私の耳にはもう届かない。
出口へと向かう私の足取りは、羽が生えたように軽かった。
(終わった……! やっと終わったわ!)
重厚な扉を開け、夜風を浴びる。
誰も追いかけてこない。
私は人気のない庭園の奥へと早足で進んだ。
美しく手入れされた薔薇の生垣の裏側。
そこにあるベンチは、私のお気に入りの隠れ家だ。
私はドレスの隠しポケットから、小瓶を取り出した。
最高級のヴィンテージ・ブランデー。
父のコレクションからこっそり拝借してきたものだ。
「この瞬間のために、冷やしておいたのよ……」
栓を抜くと、芳醇な香りが漂う。
グラスなんて上品なものはない。
私は小瓶を直接口に運び、ぐいっと煽った。
喉を焼くような熱さと、鼻に抜ける甘い香り。
「っぷはぁ……! 美味しい!」
夜空を見上げると、満月が輝いている。
最高だ。
これ以上の幸せがどこにあるだろう。
「さて、明日からはどうしようかしら。実家からは勘当されるでしょうし、職を探さないと」
独り言を呟きながら、私はもう一口、勝利の美酒を味わった。
「……随分と豪快な祝い酒だな」
不意に、背後から低い声がかけられた。
「ぶっ!?」
私は危うくブランデーを吹き出しそうになり、咳き込みながら振り返った。
そこに立っていたのは、月光を背負った長身の男。
漆黒の礼服に身を包み、氷のような冷ややかな瞳をした美丈夫。
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