悪役令嬢は、婚約破棄を祝杯で迎える !

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
5 / 28

5

しおりを挟む
「休憩にしましょう、閣下。脳の処理速度が低下しています」

執務室の片付けと、緊急書類の決裁ラッシュから二時間。

私はペンを置き、眉間を揉んでいるアレクシス公爵に声をかけた。

公爵は書類の山から顔を上げ、亡霊のように頷いた。

「……そうだな。助かる」

「お茶を淹れます。ワゴンに焼き菓子がありましたが、お出ししてよろしいですか?」

「頼む。……多めに」

「かしこまりました」

私は部屋の隅に設置された給湯スペースへと向かった。

この部屋、掃除してみると意外と設備が充実している。

最高級の茶葉、銀のティーセット、そして有名店の焼き菓子が常備されていた。

(これだけの環境がありながら、なぜあのような汚部屋に……)

やはり、生活能力と仕事能力は別物なのだろう。

私は手早く紅茶を淹れ、クッキーやマドレーヌを皿に盛り付けた。

香ばしい香りが漂うと、公爵の目が少しだけ輝いた気がした。

「どうぞ」

「うむ」

公爵は優雅な手つきでティーカップを手に取った。

そして、シュガーポットに手を伸ばす。

カチャリ。角砂糖を一つ。

カチャリ。二つ。

カチャリ。三つ。

「……」

私は黙って見ていた。

カチャリ。四つ。

カチャリ。五つ。

「……閣下?」

「なんだ」

「飽和水溶液を作る実験でしょうか?」

「紅茶の味付けだ」

公爵は真顔で答え、さらに六つ目を投入しようとした。

私は思わずその手首を掴んだ。

「ストップです。致死量です」

「離せ。脳が糖分を求めているんだ」

「求めているとしても限度があります。カップの底が砂糖で埋まりますよ」

「混ぜれば溶ける」

「溶けません。ジャリジャリします」

「それがいいんじゃないか」

「……はい?」

私は耳を疑った。

『冷徹公爵』『氷の貴公子』。

そう呼ばれ、誰もが恐れるこの男が、まさかの激甘党?

しかも「砂糖のジャリジャリ感がいい」などと、小学生のような供述をしている。

「……意外ですね」

「何がだ」

「もっとこう、ブラックコーヒーを無表情で流し込むタイプかと思っていました」

「苦いのは嫌いだ」

公爵はあっさりと認めた。

「人生が十分に苦いのに、なぜ嗜好品まで苦くせねばならん」

「……妙に説得力がありますね」

「それに、魔法を行使し、膨大な書類を処理するには、大量のグルコースが必要だ。これは怠慢ではなく、燃料補給という極めて合理的な行為だ」

「合理的な……」

その言葉は、私の琴線に触れた。

確かに、脳のエネルギー源はブドウ糖のみ。

疲労時の糖分摂取は、生理学的にも理に適っている。

私は掴んでいた手を離した。

「……認めます。効率の為なら仕方ありません」

「わかってくれたか」

公爵は嬉々として六つ目の砂糖を放り込み、スプーンでカチャカチャと混ぜた。

そして、甘い匂いの立ち上る液体を、幸せそうに口にする。

「……ふぅ。生き返る」

その表情は、とろけるように緩んでいた。

鋭い眼光は消え、目尻が下がっている。

(……可愛い)

不覚にも、そう思ってしまった。

普段の厳格な態度とのギャップが激しすぎる。

これは、ある種の精神攻撃だ。

「メモリアも食え。このクッキーは王都でも指折りのパティスリーのものだ」

公爵が皿を差し出してくる。

「いただきます」

私はクッキーを一枚口にした。

サクッとした食感と、濃厚なバターの香り。

「美味しいですね」

「だろう? 俺が直々に買い付けに行かせている」

「そこには情熱を注ぐのですね……。掃除にもその情熱の1%でも向けていただければよかったのですが」

「苦手なことはしない主義だ。……それに、これからはお前がいる」

公爵はクッキーを齧りながら、上目遣いで私を見た。

「お前がいれば、俺は仕事と糖分摂取に専念できる。……ずっとここにいてくれ」

「……」

プロポーズのような台詞を、お菓子の粉を口につけたまま言われても。

しかし、不思議と悪い気はしなかった。

「条件次第です」

「何でも言え。給金アップか? 宝石か?」

「いえ。……お酒のストックを増やしてください。私も、仕事の後の一杯がないとやっていけませんので」

「……ふっ」

公爵が吹き出した。

「お安い御用だ。俺が甘いものを、お前が酒を。……我々はいいコンビになりそうだな」

「そうですね。互いに『燃料』が必要な生き物ということで」

私たちは顔を見合わせ、小さく笑った。

カイル殿下といた時は、こんな風に笑い合った記憶がない。

常に顔色を伺い、機嫌を損ねないように必死だった。

でも、この人の前では、私は自然体でいられる。

(悪くないわね、本当に)

私は紅茶(砂糖なし)を飲み、ほっと息をついた。

穏やかな午後。

平和なティータイム。

このまま平穏に一日が終わればよかったのだが。

私の人生は、どうやら神様に遊ばれているらしい。

コンコン。

控えめなノックと共に、執事長が入ってきた。

その手には、見覚えのある豪奢な封筒が握られている。

「失礼いたします。旦那様、メモリア様に……お手紙が」

「手紙?」

公爵が怪訝な顔をする。

「誰からだ」

執事長は言いにくそうに、その名前を告げた。

「……王太子、カイル殿下からです」

室内の空気が、一瞬で凍りついた。

公爵の手からクッキーが落ち、皿の上で乾いた音を立てた。

私は無表情のまま、カップを置いた。

「……燃やしていいですか?」

「待て。まずは内容を確認しろ。……俺が燃やすのはそれからだ」

公爵の声から甘さが消え、いつもの『冷徹』モードに戻る。

私はため息をつきながら、封筒を受け取った。

封蝋には王家の紋章。

嫌な予感しかしない。

ペーパーナイフで封を切り、中身を取り出す。

そこには、ミミズがのたうち回ったような(失礼、達筆すぎて読みにくい)文字で、こう書かれていた。

『メモリアへ。

昨日は言いすぎた。

だが、お前にも反省すべき点はある。

今夜、二人きりで話をしたい。

王宮のいつもの場所で待つ。

追伸:書類の場所がわからなくて困っている。至急戻るように』

読み終えた私は、手紙を元の通りに折りたたみ、公爵に渡した。

「どうぞ、閣下。燃料(着火剤)です」

「……内容は?」

「『復縁したかったら土下座しに来い、あとついでに仕事も片付けろ』というようなことが、非常に情緒的な文章で綴られております」

「……ほう」

公爵の手の中で、手紙が一瞬にして青白い炎に包まれた。

チリ一つ残さず消滅する。

「なめた真似を……」

公爵の周囲に、バチバチと魔力が走る。

「メモリア。返事は書かなくていい」

「はい。書くつもりもございません」

「その代わり、俺が行く」

「え?」

「『いつもの場所』とやらに、俺が行って引導を渡してやる。……可愛い姪っ子に手を出す馬鹿には、教育が必要だからな」

公爵は立ち上がった。

その顔には、先ほどの甘党の面影は微塵もない。

完全に、魔王の顔だった。

「……お手柔らかにお願いしますね。一応、国の跡継ぎですので」

「善処する。……半殺しくらいで止めておこう」

「それは善処とは言いません」

私はやれやれと首を振った。

どうやら私の平和な再就職ライフは、まだまだ前途多難なようだ。

とりあえず、胃薬を多めに発注しておこうと、私は心の中でメモを取った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜

丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。 与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。 専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、 失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。 そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、 セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。 「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」 彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、 彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。 嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、 広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、 独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。 栄養と愛情を取り戻したセレナは、 誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、 社交界で注目される存在となる。 一方、セレナを失った伯爵家は、 彼女の能力なしでは立ち行かず、 ゆっくりと没落していくのだった――。 虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。

身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」 魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。 鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。 (な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?) 実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。 レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。 「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」 冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。 一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。 「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」 これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。

『魔力ゼロの欠陥品』と蔑まれた伯爵令嬢、卒業パーティーで婚約破棄された瞬間に古代魔法が覚醒する ~虐げられ続けた三年間、倍返しでは足りない~

スカッと文庫
恋愛
「貴様のような無能、我が国の王妃には相応しくない。婚約を破棄し、学園から追放する!」 王立魔道学園の卒業パーティー。きらびやかなシャンデリアの下、王太子エドワードの声が冷酷に響いた。彼の隣には、愛くるしい表情で私を嵌めた男爵令嬢、ミナが勝ち誇ったように寄り添っている。 伯爵令嬢のリリアーヌは、入学以来三年間、「魔力ゼロの欠陥品」として学園中の嘲笑を浴び続けてきた。 婚約者であるエドワードからは一度も顧みられず、同級生からはゴミのように扱われ、ミナの自作自演による「いじめ」の濡れ衣まで着せられ……。 それでも、父との「力を隠せ」という約束を守るため、泥を啜るような屈辱に耐え抜いてきた。 ――だが、国からも学園からも捨てられた今、もうその約束を守る必要はない。 「さようなら、皆様。……私が消えた後、この国がどうなろうと知ったことではありませんわ」 リリアーヌが身につけていた「魔力封印の首飾り」を自ら引き千切った瞬間、会場は漆黒の魔力に包まれた。 彼女は無能などではない。失われた「古代魔法」をその身に宿す、真の魔道の主だったのだ。 絶望する王太子たちを余目に、隣国の伝説の魔術師アルベルトに拾われたリリアーヌ。 彼女の、残酷で、甘美な復讐劇が今、幕を開ける――。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

「無能」と捨てられた少女は、神の愛し子だった――。 凍てつく北の地で始まる、聖獣たちと冷徹公爵による「世界一過保護な」逆転生活。

秦江湖
恋愛
魔法適性「鑑定」がすべてを決める、黄金の国ルミナリス。 名門ベルグラード公爵家の末娘アデリーンは、十五歳の鑑定式で、前代未聞の『鑑定不能(黒の沈黙)』を叩き出してしまう。 「我が家の恥さらしめ。二度とその顔を見せるな」 第一王子からは婚約破棄を突きつけられ、最愛の三人の兄たちからも冷酷な言葉とともに、極寒の地「ノースガル公国」へ追放を言い渡されたアデリーン。 着の身着のままで雪原に放り出された彼女が出会ったのは、一匹の衰弱した仔狼――それは、人間には決して懐かないはずの『伝説の聖獣』だった。 「鑑定不能」の正体は、魔力ゼロなどではなく、聖獣と心を通わせる唯一の力『調律師』の証。 行き倒れたアデリーンを救ったのは、誰もが恐れる氷の公爵ゼノスで……。 「こんなに尊い存在を捨てるとは、黄金の国の連中は正気か?」 「聖獣も、私も……お前を離すつもりはない」 氷の公爵に拾われ、聖獣たちに囲まれ、これまでの不遇が嘘のような「極上溺愛」を享受するアデリーン。 一方で、彼女を捨てた黄金の国は、聖獣の加護を失い崩壊の危機に直面していた。 慌ててアデリーンを連れ戻そうとする身勝手な王族たち。 しかし、彼らの前には「復讐」の準備を終えたアデリーンの兄たちが立ちはだかる。 「遅いよ。僕らのかわいい妹を泣かせた罪、一生かけて償ってもらうからね」 これは、すべてを失った少女が、真の居場所と愛を見つけるまでの物語。

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)

処理中です...