悪役令嬢は、婚約破棄を祝杯で迎える !

パリパリかぷちーの

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ヴァルデマール公爵邸は、王都の一等地、小高い丘の上に聳え立っていた。

黒を基調とした威厳ある外観は、まさに「冷徹公爵」の居城にふさわしい。

世間では「魔王城」などと呼ばれているらしいが、確かに夜に見ればそう見えなくもない。

馬車が正面玄関に横付けされると、ズラリと並んだ使用人たちが一斉に頭を下げた。

「お帰りなさいませ、旦那様!」

その声は震えていた。

誰もが顔を上げず、視線を合わせようとしない。

公爵の威圧感が凄まじいのか、それとも別の理由があるのか。

「……ただいま」

アレクシス公爵は短く答え、私を伴って玄関ホールへと足を踏み入れた。

「紹介しよう。今日から私の秘書官……兼、屋敷の管理を任せることになった、メモリア・アッシュだ」

「よ、よろしくお願いいたします……」

執事長らしき老人が、おずおずと私を見た。

その目は「可哀想に、また生贄が来た」と言っているように見えた。

(……一体、何があるというの?)

私は少し警戒しながら、公爵の後を追った。

「私の執務室へ案内する。仕事は山積みだ」

「望むところです。どの程度の量ですか? キャビネット一つ分くらいでしょうか」

「……ふっ」

公爵はまた、意味深に笑った。

「まあ、見ればわかる」

長い廊下を渡り、屋敷の最上階へ。

重厚な両開きの扉の前で、公爵は立ち止まった。

ここが、この国の魔法行政の中枢。

機密文書や重要書類が集まる、聖域とも呼べる場所だ。

「開けるぞ」

「はい」

公爵が手をかざすと、魔法鍵がカチャリと外れる音がした。

扉が重々しく開かれる。

私は一歩踏み出し、そして――固まった。

「……」

「……」

そこは、部屋ではなかった。

紙の海だった。

床が見えない。

いや、床どころか、家具も見えない。

机らしき隆起が中央にあるが、それも書類の雪崩に埋もれている。

窓からの光さえ、高く積み上げられた羊皮紙の塔に遮られ、室内は薄暗い。

埃とインクの匂いが充満している。

「……閣下」

「なんだ」

「ここは、古紙回収センターでしょうか?」

「執務室だ」

公爵は真顔で言った。

「前任の補佐官が『もう無理です、死にます』と言って逃亡してから三ヶ月。誰も整理できていない」

「……三ヶ月分、ですか」

「魔法省の決裁書類、領地の報告書、貴族からの陳情書、その他諸々だ。重要なものもゴミも混ざっている」

公爵は、書類の山をザクザクと踏み越え、部屋の中央へと進んでいった。

そして、山の一部を崩して椅子を掘り出し、ドカリと座る。

「さあ、仕事だメモリア。まずは足の踏み場を作ってくれ」

「……」

私は眼鏡の位置を直した。

普通なら、この惨状を見たら絶望するだろう。

あるいは、すぐに回れ右をして逃げ出すかもしれない。

しかし。

私の胸の奥底から湧き上がってきたのは、絶望ではなく――興奮だった。

(燃える……!)

私の「整理整頓魂」に火がついた。

無秩序。

非効率。

カオス。

これらを駆逐し、整然たる秩序をもたらすことこそ、私の生き甲斐。

「閣下」

私はドレスの袖をまくり上げ、持っていた扇子をパチンと閉じた。

「この部屋の書類、全て私が触れてもよろしいのですね?」

「ああ。全権を委任する」

「機密保持契約は後で結ぶとして……とりあえず、掃除用具一式と、空の木箱を二十個ほど用意させてください」

「わかった。……おい、聞こえたか!」

公爵が廊下に向かって声を張り上げると、控えていたメイドたちが「はいぃぃ!」と悲鳴を上げて飛んでいった。

数分後。

道具が揃ったのを確認し、私は深く息を吸い込んだ。

「では、始めます」

「手伝おうか?」

「いえ、邪魔です。閣下はそこで大人しく、私が渡した書類に判子を押すだけの機械になっていてください」

「き、機械……」

「行きます!」

私は戦場(しごとの山)へ飛び込んだ。

まずは「選別」だ。

私の特技である速読スキルが火を吹く。

一枚の書類にかける時間は0.5秒。

タイトルと重要度だけを瞬時にスキャンし、左右の手で振り分けていく。

「これは決裁済み、アーカイブ行き!」

「これは未決裁、緊急度高!」

「これは……ただのダイレクトメール! ゴミ箱!」

「これはカイル殿下の謝罪文(下書き)! ゴミ箱!」

バササササッ!

私の両手は残像が見えるほどの速度で動き続けた。

紙が舞う。

箱が埋まる。

「お、おい、速すぎないか……?」

公爵が目を白黒させている。

「口を動かす暇があったら手を動かしてください! はいこれ、予算案! 承認印!」

ドン! と机に書類を叩きつける。

「あ、ああ」

公爵が慌てて判子を押す。

「次! 人事異動届! 却下でいいですねこんなふざけた理由は!」

「うむ、却下だ」

「次! ……ん?」

書類の山の中から、カピカピになったサンドイッチが出てきた。

「閣下」

「……なんだ」

公爵が気まずそうに視線を逸らす。

「食べかけの軽食を書類に挟まないでください。カビが生えたらどうするんですか。衛生管理は業務効率の基本です」

「……すまん。忙しくて、いつ食べたか忘れたのだ」

「三週間前の日付の新聞と一緒に埋もれていましたよ。胃薬を用意しておきます」

私は容赦なく腐海を浄化していく。

私の動きに迷いはない。

アッシュ家で、あの性悪な継母たちが散らかした家計簿や、父のずさんな領地経営記録を整理してきた経験が、ここで活きている。

「お嬢様、新しい箱をお持ちしました!」

メイドたちが目を輝かせて入ってくる。

「ありがとう、そこの『保留ボックス』の隣に置いて! あと、窓を開けて換気! 埃で思考力が低下します!」

「は、はいっ! ……す、すごいですお嬢様! 床が見えてきました!」

使用人たちの間に、一種の連帯感が生まれ始めていた。

これまで誰も手を出せなかった「開かずの間」が、みるみるうちに片付いていく光景は、カタルシスさえ感じさせるのだろう。

一時間後。

「……終わりました」

私は最後の書類を「完了ボックス」に放り込み、大きく息を吐いた。

額の汗を拭う。

目の前に広がるのは、磨き上げられたフローリングの床。

整然と背表紙を並べた本棚。

そして、綺麗に拭き上げられたマホガニーの執務机。

「なんということだ……」

アレクシス公爵は、立ち上がって部屋を見回した。

その表情は、魔法でドラゴンを倒した時よりも驚愕に満ちている。

「俺の部屋が……こんなに広かったとは……」

「本来の姿に戻っただけです」

私は乱れた髪を手櫛で整え、満足げに頷いた。

「分類は完了しました。右の棚が『緊急・要対応』。左が『保留・検討中』。奥の棚が『保管・アーカイブ』です。そして、閣下の机の上にあるのが『今すぐサインすべきもの』の束です」

「これを……たった一時間で?」

「効率を追求すればこの程度です。……それより閣下、お茶をいただけますか? 喉が渇きました」

「ああ、もちろん最高級の茶葉を使わせよう」

公爵は私に歩み寄り、その手を取った。

「メモリア」

「はい」

「お前は……怪物か?」

「失礼な。優秀な秘書と言ってください」

公爵は私の手を強く握りしめ、黄金の瞳を輝かせた。

「素晴らしい。感動した。……俺は今まで、数多の令嬢を見てきたが、サンドイッチの残骸を見て眉一つ動かさず説教してきたのはお前が初めてだ」

「それは……褒められているのでしょうか」

「最大の賛辞だ。やはりお前は俺の運命の相手らしい」

「はあ」

またその設定ですか、と流そうとした時。

公爵の表情がふと緩んだ。

それは、月夜の庭で見せた少年のような笑顔ではなく、どこか安堵したような、守られていた子供のような顔だった。

「……助かった。本当に」

低い声が、胸に響く。

「この部屋にいるだけで、息が詰まりそうだったんだ。仕事に追われ、誰も頼れず、ただ義務だけで動いていた。……お前が風を入れてくれた気がする」

不意打ちのデレ。

私は心臓がトクンと跳ねるのを感じた。

(……ずるいですね、そういう顔をするのは)

仕事ができるだけの冷徹人間かと思っていたが、どうやらこの人は、不器用なだけらしい。

山のような書類に埋もれて、一人で国を支えようとしていた孤独な公爵。

そう思うと、少しだけ母性本能のようなものがくすぐられる。

「……仕事はまだ終わっていませんよ、閣下」

私は照れ隠しに、つんと澄まして言った。

「その机の上の書類、今日中に全て決裁していただきます。終わるまで夕食はお預けです」

「なっ……鬼か」

「鬼ではありません。スケジュール管理です。さあ、ペンを持って!」

「くっ……わかった、やればいいんだろう!」

公爵が再び机に向かう。

その背中は、先ほどまでの疲れ切った様子とは違い、どこか活気に満ちているように見えた。

私は使用人が運んできた紅茶を淹れながら、小さく微笑んだ。

どうやら、この職場――意外と悪くないかもしれない。

だが、平穏な時間はそう長くは続かなかった。

私の「凄腕秘書」としての噂は、瞬く間に王城まで届いてしまったからだ。

そして翌日、あのアホな元婚約者から、とんでもない手紙が届くことになる。
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