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翌朝。
私はアッシュ公爵家の当主である父の執務室に呼び出された。
重厚なオーク材の扉を開けると、そこには血管が切れそうなほど顔を真っ赤にした父と、ヒステリックに扇子を仰ぐ継母、そして昨夜の夜会には参加していなかった異母妹が並んでいた。
「メモリア! 貴様、昨晩は何ということをしてくれたんだ!」
開口一番、父の怒鳴り声が飛んできた。
私は扉を静かに閉め、無表情で一礼する。
「おはようございます、お父様。昨晩の件とは、カイル殿下との婚約破棄のことでしょうか」
「それ以外にあるか! 王家からの連絡で、私は心臓が止まるかと思ったぞ! 『娘が王太子の婚約を一方的に破棄し、慰謝料を請求してきた』と苦情が来ている!」
「苦情? それは心外ですね。正当な権利行使です」
私は平然と答えた。
「殿下が有責の婚約破棄です。我が家が被った損害――長年の教育費、ドレス代、寄付金、そして私の精神的苦痛。これらを請求するのは当然の商行為かと」
「商行為だと!? 相手は王家だぞ! 不敬で首が飛んだらどうする!」
父が机をバンと叩く。
「お父様はいつもそれですね。『王家が怖い』『世間体が悪い』。……ですがご安心ください。首が飛ぶのは私ではなく、不貞を働いたカイル殿下の方です」
「なっ……貴様、まだそんな減らず口を!」
継母が金切り声を上げた。
「あなた、聞いてくださいまし! この子は昔からそうですのよ! 可愛げがなくて、理屈っぽくて、まるで血の通っていない人形みたい! だから殿下にも捨てられるんですのよ!」
「おっしゃる通りです、お義母様。人形には人形の生き方がありますので、ご心配なく」
私はさらりと受け流した。
この家での私の扱いは、昔からこんなものだ。
実母が亡くなってから、父は継母の顔色ばかり伺い、私は「優秀だが扱いにくい道具」として王太子妃教育に放り込まれた。
愛情? そんな非効率なものは、この家の家計簿には計上されていない。
「もうよい! 貴様のような娘は、我が家には不要だ!」
父が震える指で扉を指差した。
「勘当だ! アッシュ家の籍から抜いてやる! 北の果てにある修道院へ行け! そこで一生、神に祈って罪を償うがいい!」
出た。
貴族社会のお決まりコース、修道院送り。
だが、私はこの言葉を待っていた。
「ありがとうございます、お父様」
「は……?」
父が目を丸くする。
私は懐から、既に作成済みの書類を取り出した。
「こちら、『除籍同意書』と『財産放棄の念書』です。既に私の署名は済ませてあります」
「な、なんだと……?」
「修道院へは行きません。私は今日限りでこの家を出て、自力で生計を立てます。財産分与も結構です。その代わり、今後一切、私に関与しないでいただきたい」
私は書類を机の上に置いた。
「荷物は既にまとめてあります。馬車も手配済みですので、これにて失礼いたします」
「ま、待て! 勝手な真似は許さんぞ! お前のような温室育ちの娘が、外で生きていけると思っているのか!」
父が慌てて立ち上がる。
勘当すると言っておきながら、いざ私が出て行くとなると、王家への体裁や私の有能な事務能力を惜しんでいるのが見え見えだ。
「ええ、生きていけますとも。……再就職先も決まっていますので」
「再就職先だと? どこの物好きが、王家に喧嘩を売った娘を雇うというのだ!」
「それは――」
私が答えようとした時だった。
『失礼する』
ノックもなしに、執務室の扉が開かれた。
入ってきたのは、我が家の執事長だ。
顔面蒼白で、ガタガタと震えている。
「だ、旦那様! た、大変です! 玄関に……玄関に……!」
「騒々しいぞ! 何事だ!」
「こ、公爵閣下が……アレクシス・ヴァルデマール公爵閣下が、お見えです!」
「はあ!?」
父の顔から血の気が引いた。
継母と異母妹も、悲鳴を上げて抱き合っている。
「な、なぜ『冷徹公爵』が我が家に!? ま、まさか、カイル殿下の件で処刑しに来たのでは……!?」
父がパニックに陥り、私の肩を掴んだ。
「め、メモリア! お前が謝れ! 全てお前の責任だと言って、腹を切れ!」
「非合理的ですね。なぜ私が」
私が冷たく手を払いのけた瞬間。
カツ、カツ、カツ。
廊下から、重く、そして優雅な足音が近づいてきた。
執事たちが道を空け、平伏する。
現れたのは、漆黒の軍服風の衣装を纏った、アレクシス公爵その人だった。
圧倒的な威圧感。
室内の温度が、一気に五度は下がった気がする。
「あ、あ、アレクシス公爵閣下……! こ、これは何たる光栄、いや、何たる……!」
父がその場に崩れ落ちるように土下座した。
継母たちも床に額を擦り付けている。
アレクシス公爵は、そんな彼らには目もくれず、真っ直ぐに私の元へと歩いてきた。
「迎えに来たぞ、メモリア」
低く、甘い声。
私は思わず背筋を伸ばした。
「閣下……。お約束は午後のはずでは?」
「待ちきれなくてな。それに、荷造りが大変だろうと思って、部下を連れてきた」
公爵が指を鳴らすと、屈強な騎士たちが数名入ってきて、私のトランクを軽々と持ち上げた。
「さあ、行こうか。……あちらの方々とは、話はついたのか?」
公爵が冷ややかな視線を父たちに向ける。
父はガタガタと震えながら顔を上げた。
「か、閣下……あ、あの、その娘は、王太子の婚約者としてあるまじき……その、勘当を……」
「ほう、勘当か」
公爵の目が細められた。
黄金の瞳が、爬虫類のように鋭く光る。
「それは好都合だ。アッシュ公爵、貴殿は実に賢明な判断をした」
「は、はい……?」
「このメモリア・アッシュは、今日から私が貰い受ける。王家との縁も切れた、実家との縁も切れた。つまり、誰にも文句を言われる筋合いはないということだ」
公爵は私の腰に手を回し、ぐいっと引き寄せた。
「きゃっ」
あまりの強引さに、小さな悲鳴が漏れる。
父たちが信じられないものを見る目で私たちを見ている。
「か、閣下が……メモリアを……? 処刑ではなく……?」
「処刑? 馬鹿な。彼女は私の『運命の相手』だ」
「はあああああ!?」
家族全員の顎が外れそうなほど口が開いた。
私も驚いて公爵を見上げる。
(ちょ、閣下!? 設定が違います! 『有能な事務員』ですよね!?)
目で訴えるが、公爵は楽しそうにウインクを返してきた。
(黙って合わせろ。この方が手っ取り早い)
公爵は再び父に向き直り、氷点下の声で告げた。
「というわけだ。今後、彼女はヴァルデマール公爵家の人間として扱う。もし彼女に不当な接触を図ったり、過去のことで難癖をつけたりすれば……魔法省の全権限を持って、貴家を『監査』することになるが」
「ひっ……! め、滅相もございません! どうぞ、どうぞお連れください! 二度と関わりません!」
父は涙目で首を振った。
「交渉成立だな」
公爵は満足げに頷き、私をエスコートして歩き出した。
「行くぞ、メモリア」
「……はい、閣下」
私は一度だけ振り返り、呆然としている家族たちに一礼した。
「それでは皆様、ごきげんよう。……お父様、領地の帳簿、粉飾決算が三件ほどありますので、監査が入る前に修正しておいた方がよろしいですよ」
「なっ……!?」
最後に特大の爆弾を落とし、私は執務室を後にした。
廊下を歩きながら、公爵がクククと喉を鳴らす。
「性格が悪いな」
「お褒めに預かり光栄です。立つ鳥跡を濁さず、と言いますが、私は立つ鳥跡を焼き払うタイプですので」
「頼もしい限りだ。……さあ、馬車に乗れ」
屋敷の外には、王族が使うような豪華な馬車が待っていた。
御者が恭しく扉を開ける。
私は、長年過ごした生家を後にした。
少しの未練もなく、むしろ清々しい気持ちで。
「さて、まずは公爵邸へ向かう。……覚悟はいいか?」
向かいの席に座った公爵が、ニヤリと笑う。
「覚悟? 仕事の量のことですか?」
「それもあるが……」
彼は意味深に言葉を濁した。
「ま、行けばわかる」
馬車が動き出す。
これから向かう先は、私の新しい職場であり、新しい家。
私はまだ知らなかった。
『行けばわかる』の意味が、想像を絶する汚部屋(おべや)との遭遇であることを。
そして、この冷徹公爵が、執務室に入った瞬間に「だらしない大型犬」に変貌することを。
私はアッシュ公爵家の当主である父の執務室に呼び出された。
重厚なオーク材の扉を開けると、そこには血管が切れそうなほど顔を真っ赤にした父と、ヒステリックに扇子を仰ぐ継母、そして昨夜の夜会には参加していなかった異母妹が並んでいた。
「メモリア! 貴様、昨晩は何ということをしてくれたんだ!」
開口一番、父の怒鳴り声が飛んできた。
私は扉を静かに閉め、無表情で一礼する。
「おはようございます、お父様。昨晩の件とは、カイル殿下との婚約破棄のことでしょうか」
「それ以外にあるか! 王家からの連絡で、私は心臓が止まるかと思ったぞ! 『娘が王太子の婚約を一方的に破棄し、慰謝料を請求してきた』と苦情が来ている!」
「苦情? それは心外ですね。正当な権利行使です」
私は平然と答えた。
「殿下が有責の婚約破棄です。我が家が被った損害――長年の教育費、ドレス代、寄付金、そして私の精神的苦痛。これらを請求するのは当然の商行為かと」
「商行為だと!? 相手は王家だぞ! 不敬で首が飛んだらどうする!」
父が机をバンと叩く。
「お父様はいつもそれですね。『王家が怖い』『世間体が悪い』。……ですがご安心ください。首が飛ぶのは私ではなく、不貞を働いたカイル殿下の方です」
「なっ……貴様、まだそんな減らず口を!」
継母が金切り声を上げた。
「あなた、聞いてくださいまし! この子は昔からそうですのよ! 可愛げがなくて、理屈っぽくて、まるで血の通っていない人形みたい! だから殿下にも捨てられるんですのよ!」
「おっしゃる通りです、お義母様。人形には人形の生き方がありますので、ご心配なく」
私はさらりと受け流した。
この家での私の扱いは、昔からこんなものだ。
実母が亡くなってから、父は継母の顔色ばかり伺い、私は「優秀だが扱いにくい道具」として王太子妃教育に放り込まれた。
愛情? そんな非効率なものは、この家の家計簿には計上されていない。
「もうよい! 貴様のような娘は、我が家には不要だ!」
父が震える指で扉を指差した。
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出た。
貴族社会のお決まりコース、修道院送り。
だが、私はこの言葉を待っていた。
「ありがとうございます、お父様」
「は……?」
父が目を丸くする。
私は懐から、既に作成済みの書類を取り出した。
「こちら、『除籍同意書』と『財産放棄の念書』です。既に私の署名は済ませてあります」
「な、なんだと……?」
「修道院へは行きません。私は今日限りでこの家を出て、自力で生計を立てます。財産分与も結構です。その代わり、今後一切、私に関与しないでいただきたい」
私は書類を机の上に置いた。
「荷物は既にまとめてあります。馬車も手配済みですので、これにて失礼いたします」
「ま、待て! 勝手な真似は許さんぞ! お前のような温室育ちの娘が、外で生きていけると思っているのか!」
父が慌てて立ち上がる。
勘当すると言っておきながら、いざ私が出て行くとなると、王家への体裁や私の有能な事務能力を惜しんでいるのが見え見えだ。
「ええ、生きていけますとも。……再就職先も決まっていますので」
「再就職先だと? どこの物好きが、王家に喧嘩を売った娘を雇うというのだ!」
「それは――」
私が答えようとした時だった。
『失礼する』
ノックもなしに、執務室の扉が開かれた。
入ってきたのは、我が家の執事長だ。
顔面蒼白で、ガタガタと震えている。
「だ、旦那様! た、大変です! 玄関に……玄関に……!」
「騒々しいぞ! 何事だ!」
「こ、公爵閣下が……アレクシス・ヴァルデマール公爵閣下が、お見えです!」
「はあ!?」
父の顔から血の気が引いた。
継母と異母妹も、悲鳴を上げて抱き合っている。
「な、なぜ『冷徹公爵』が我が家に!? ま、まさか、カイル殿下の件で処刑しに来たのでは……!?」
父がパニックに陥り、私の肩を掴んだ。
「め、メモリア! お前が謝れ! 全てお前の責任だと言って、腹を切れ!」
「非合理的ですね。なぜ私が」
私が冷たく手を払いのけた瞬間。
カツ、カツ、カツ。
廊下から、重く、そして優雅な足音が近づいてきた。
執事たちが道を空け、平伏する。
現れたのは、漆黒の軍服風の衣装を纏った、アレクシス公爵その人だった。
圧倒的な威圧感。
室内の温度が、一気に五度は下がった気がする。
「あ、あ、アレクシス公爵閣下……! こ、これは何たる光栄、いや、何たる……!」
父がその場に崩れ落ちるように土下座した。
継母たちも床に額を擦り付けている。
アレクシス公爵は、そんな彼らには目もくれず、真っ直ぐに私の元へと歩いてきた。
「迎えに来たぞ、メモリア」
低く、甘い声。
私は思わず背筋を伸ばした。
「閣下……。お約束は午後のはずでは?」
「待ちきれなくてな。それに、荷造りが大変だろうと思って、部下を連れてきた」
公爵が指を鳴らすと、屈強な騎士たちが数名入ってきて、私のトランクを軽々と持ち上げた。
「さあ、行こうか。……あちらの方々とは、話はついたのか?」
公爵が冷ややかな視線を父たちに向ける。
父はガタガタと震えながら顔を上げた。
「か、閣下……あ、あの、その娘は、王太子の婚約者としてあるまじき……その、勘当を……」
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公爵の目が細められた。
黄金の瞳が、爬虫類のように鋭く光る。
「それは好都合だ。アッシュ公爵、貴殿は実に賢明な判断をした」
「は、はい……?」
「このメモリア・アッシュは、今日から私が貰い受ける。王家との縁も切れた、実家との縁も切れた。つまり、誰にも文句を言われる筋合いはないということだ」
公爵は私の腰に手を回し、ぐいっと引き寄せた。
「きゃっ」
あまりの強引さに、小さな悲鳴が漏れる。
父たちが信じられないものを見る目で私たちを見ている。
「か、閣下が……メモリアを……? 処刑ではなく……?」
「処刑? 馬鹿な。彼女は私の『運命の相手』だ」
「はあああああ!?」
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「ひっ……! め、滅相もございません! どうぞ、どうぞお連れください! 二度と関わりません!」
父は涙目で首を振った。
「交渉成立だな」
公爵は満足げに頷き、私をエスコートして歩き出した。
「行くぞ、メモリア」
「……はい、閣下」
私は一度だけ振り返り、呆然としている家族たちに一礼した。
「それでは皆様、ごきげんよう。……お父様、領地の帳簿、粉飾決算が三件ほどありますので、監査が入る前に修正しておいた方がよろしいですよ」
「なっ……!?」
最後に特大の爆弾を落とし、私は執務室を後にした。
廊下を歩きながら、公爵がクククと喉を鳴らす。
「性格が悪いな」
「お褒めに預かり光栄です。立つ鳥跡を濁さず、と言いますが、私は立つ鳥跡を焼き払うタイプですので」
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御者が恭しく扉を開ける。
私は、長年過ごした生家を後にした。
少しの未練もなく、むしろ清々しい気持ちで。
「さて、まずは公爵邸へ向かう。……覚悟はいいか?」
向かいの席に座った公爵が、ニヤリと笑う。
「覚悟? 仕事の量のことですか?」
「それもあるが……」
彼は意味深に言葉を濁した。
「ま、行けばわかる」
馬車が動き出す。
これから向かう先は、私の新しい職場であり、新しい家。
私はまだ知らなかった。
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