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「アレクシス・ヴァルデマール公爵閣下、ならびに……」
会場の入り口で、進行役の衛兵が声を詰まらせた。
公爵の腕に手を添え、堂々と立つ私の姿を見て、その名前を呼ぶのを躊躇ったのだ。
無理もない。
昨日、王太子に婚約破棄されたばかりの「悪役令嬢」が、あろうことかこの国の影の支配者である「冷徹公爵」のエスコートで現れたのだから。
「……メモリア・アッシュ嬢、ご入場!」
意を決したアナウンスと共に、大扉がゆっくりと開かれた。
その瞬間、ざわめいていた会場が水を打ったように静まり返った。
数百人の貴族たちの視線が、一斉に私たちに注がれる。
好奇、驚愕、畏怖、そして嫉妬。
無数の感情が入り混じった、重苦しい沈黙。
(……分析完了。敵意2割、好奇心8割、恐怖が少々といったところね)
私は眼鏡(今日はコンタクトだが)の奥の瞳で、冷静に会場をスキャンした。
「顔を上げろ、メモリア」
隣でアレクシス公爵が囁く。
「お前は何も恥じることはない。堂々としていればいい」
「はい、閣下。……ただ、ヒールのバランスを取るのに必死なだけです」
「フッ……色気のない奴だ」
公爵は楽しげに口元を歪め、私の腰に回した手に力を込めた。
私たちはゆっくりと、大理石の床を踏みしめて歩き出した。
ミッドナイト・ブルーのドレスが、シャンデリアの光を受けて星空のように煌めく。
公爵の漆黒の礼服と並ぶと、まるで最初から対になるように仕立てられたかのような調和を見せていた。
「おい、見ろよ……あれはアッシュ家の娘か?」
「なんて美しいんだ……昨日はあんなに地味だったのに」
「それより、公爵閣下のあの顔を見たか? あんなに優しげな表情、初めて見たぞ」
「まさか、王太子殿下から略奪したのか?」
ひそひそ話がさざ波のように広がる。
ふふん、と私は心の中で鼻を鳴らした。
略奪? いいえ、正規の手続きによる「ヘッドハンティング」です。
私たちが会場の中央付近まで進んだ、その時だった。
「――メモリア!!」
聞き飽きた、癇に障る大声が響いた。
人垣が割れ、怒りの形相でこちらに向かってくる男。
カイル王太子だ。
そしてその腕には、ピンク色のふわふわしたドレスを着たリナ男爵令嬢がしがみついている。
「やはり来たか、このストーカー女め!」
カイル殿下は私の目の前で立ち止まり、ビシッと指を突きつけた。
「は?」
私は思わず素の声を出してしまった。
「ストーカーとは、誰のことでしょうか」
「貴様に決まっているだろう! 昨日の今日で、僕に未練たらたらで追いかけてくるとはな! しかも、よりによって叔父上の情けに縋って入場するとは、プライドがないのか!」
殿下は勝ち誇ったように鼻を膨らませている。
どうやら彼の脳内では、「私が復縁を迫りに来た」というストーリーが出来上がっているらしい。
幸せな脳みそだこと。
「殿下、訂正させていただきます」
私は営業スマイルを貼り付けた。
「私は本日、公爵閣下の『パートナー』として招待を受けております。殿下を追いかけてきたわけではありません」
「嘘をつくな! 僕に会いたくて震えていたくせに!」
「震えているのは、この会場の冷房設定温度が低すぎるからです。光熱費の無駄ですね」
「減らず口を!」
カイル殿下が激昂しようとした時、隣のリナ嬢が一歩前に出た。
「ひどいです、メモリア様!」
彼女は潤んだ瞳で私を見上げ、震える声で訴え始めた。
「カイル様は、メモリア様のことを思って婚約破棄してくださったのに……。どうしてあんな恐ろしい嫌がらせをするんですか?」
「嫌がらせ?」
「とぼけないでください! 今朝、カイル様の執務机に置かれていた、あの分厚い呪いの書のことです!」
会場がざわめく。
呪いの書?
私は首を傾げた。
「ああ……。『業務引き継ぎマニュアル』のことですか?」
「マニュアル? 嘘です! あんなの、人の読むものじゃありません! 文字がびっしりで、読んでいるだけで頭が痛くなって、吐き気がして……カイル様は半日寝込んでしまったんですよ!?」
リナ嬢が涙ながらに叫ぶ。
「それは『呪い』ではなく、単なる『活字中毒(かつじあた)』りでは?」
私は冷静に指摘した。
「それに、あれは殿下が公務を滞らせないための親切心で置いたものです。読めないのなら、挿絵付きの絵本版でも作りましょうか? 追加料金がかかりますが」
「バ、バカにするな!」
カイル殿下が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「あんな文字の羅列、嫌がらせ以外の何物でもない! 貴様、僕の優秀な頭脳をパンクさせて、国を混乱させる気か!」
(その優秀な頭脳とやらが、A4用紙一枚の文章量でパンクするのが問題なのです)
私がため息をつきかけた時。
すっ、と私の前に黒い影が立った。
アレクシス公爵だ。
彼は無言のまま、冷ややかな瞳でカイルとリナを見下ろした。
ただそれだけで、二人は「ヒッ」と息を呑んで後ずさりする。
「……カイル」
地を這うような低い声。
「私のパートナーに対して、随分な口の利き方だな」
「お、叔父上……! だ、騙されてはいけません! その女は稀代の悪女です! 僕を精神的に追い詰め、あまつさえ叔父上を利用して……」
「利用されているのは私の方だ」
公爵があっさりと断言した。
「え?」
カイルとリナが呆気にとられる。
公爵は私の肩を抱き寄せ、見せつけるように微笑んだ。
「彼女の能力に惚れ込み、私が三顧の礼で迎えたのだ。彼女は今、私の最も信頼する秘書官であり、かつ――」
公爵は一瞬言葉を切り、妖艶な笑みを浮かべた。
「私の『心』を管理する、唯一の女性だ」
キャァァァァ!
会場の令嬢たちから悲鳴のような歓声が上がる。
「な、ななな……ッ!?」
カイル殿下は口をパクパクさせ、リナ嬢は悔しそうに唇を噛んでいる。
「そ、そんな……嘘よ……悪役令嬢なのに……」
リナ嬢が小声で呟くのが聞こえた。
彼女は震える手で、私を指差した。
「ず、ずるいです! メモリア様だけ、そんな素敵なドレスを着て、公爵様に守られて……! 私だって、私だって……!」
「リナ?」
カイル殿下が怪訝そうに彼女を見る。
リナ嬢の目つきが変わった。
これまでの「守ってあげたい儚い少女」の仮面が剥がれ、欲望にまみれた本性が顔を出す。
「メモリア様! 勝負です!」
「は?」
「私と貴女、どっちが真のレディにふさわしいか、この場で決着をつけましょう! 私が勝ったら、そのドレスとネックレス、あと公爵様をいただきます!」
「……」
私は呆れて物が言えなかった。
公爵様は景品か何かですか。
「お断りします」
「逃げるんですか!?」
「いいえ。非生産的だからです。貴女と勝負して、私に何のメリットが? そのピンク色のドレス(中古)でも貰えるのですか? サイズが合いそうにありませんが」
「きぃぃぃっ! カイル様ぁ! 侮辱されましたぁ!」
リナ嬢がカイル殿下の胸を叩く。
殿下はオロオロしながら、
「そ、そうだぞ! 逃げるなメモリア! リナの挑戦を受けろ! 種目は……そうだな、ダンスだ!」
「ダンス?」
「そうだ! 今から流れる曲で、どちらがより優雅に踊れるか。会場の拍手の大きさで勝敗を決める!」
カイル殿下は自信満々に言った。
なるほど。
リナ嬢はダンスが得意だ。
逆に私は、事務仕事ばかりでダンスの練習など殆どしていないと思っているのだろう。
(……データ更新がされていませんね、殿下)
私は公爵を見上げた。
公爵はニヤリと笑い、私に手を差し出した。
「受けてやろうじゃないか、メモリア」
「閣下? 時間の無駄では?」
「無駄ではない。……お前の『仕事着』の性能テストだ。それに」
彼は私の耳元で囁いた。
「俺とお前の相性の良さを、骨の髄まで教えてやるいい機会だ」
その自信に満ちた瞳に、私は覚悟を決めた。
「承知いたしました。……追加手当を請求させていただきますよ」
「望むところだ」
楽団が新しい曲を奏で始める。
アップテンポなマズルカ。
難易度の高い曲だ。
「行くぞ!」
カイル殿下がリナ嬢の手を取ってフロアに飛び出す。
二人は派手に回転し、周囲にアピールする。
確かに動きは悪くない。
練習したのだろう。
しかし。
「――踊るぞ、メモリア」
「はい」
アレクシス公爵が私を一気に引き寄せた。
次の瞬間、世界が回った。
速い。
けれど、全くブレない。
公爵のリードは完璧で、強引でありながら、私の動きを完全に予測してサポートしてくれる。
(軽い……!)
あんなに重いと思っていたドレスが、嘘のように軽く感じる。
魔法による補助か、それとも彼の技術か。
私たちはフロアを滑るように駆け抜け、回転し、そして跳ねた。
「きゃっ!?」
リナ嬢が私たちのスピードに驚いてバランスを崩す。
それを尻目に、私たちはより高く、より優雅に舞う。
息がぴったりと合う。
言葉などいらない。
指先の圧力だけで、次の動作がわかる。
(楽しい……!)
仕事の効率化が決まった時と同じくらいの快感が、背筋を駆け抜ける。
曲がクライマックスを迎える。
公爵が私を高く抱え上げ、そしてゆっくりと着地させた。
最後のポーズ。
公爵の顔がすぐ目の前にあり、熱い吐息がかかる。
「……完璧だ」
静寂。
そして――。
ワァァァァァァッ!!
会場が揺れるほどの拍手喝采が巻き起こった。
勝負の結果は、誰の目にも明らかだった。
カイル殿下とリナ嬢は、フロアの端で呆然と立ち尽くしている。
「あ、ありえない……あの鉄仮面が、あんなに情熱的に……」
「メモリア様、なんて素敵……!」
称賛の声が降り注ぐ中、公爵は私の手を取り、甲に口づけた。
「最高のダンスだった。……これで、誰の目にもお前が俺のものだと焼き付いただろう」
「……そうですね。既成事実は完了しました」
私は少し息を切らしながらも、満足げに微笑んだ。
だが。
この完全勝利が、リナ嬢の歪んだプライドを決定的に傷つけてしまったことを、私はまだ軽く見ていた。
「許さない……許さないわ、メモリア……!」
人混みに紛れ、リナ嬢が不穏な色の小瓶を握りしめていることに、まだ誰も気づいていなかった。
会場の入り口で、進行役の衛兵が声を詰まらせた。
公爵の腕に手を添え、堂々と立つ私の姿を見て、その名前を呼ぶのを躊躇ったのだ。
無理もない。
昨日、王太子に婚約破棄されたばかりの「悪役令嬢」が、あろうことかこの国の影の支配者である「冷徹公爵」のエスコートで現れたのだから。
「……メモリア・アッシュ嬢、ご入場!」
意を決したアナウンスと共に、大扉がゆっくりと開かれた。
その瞬間、ざわめいていた会場が水を打ったように静まり返った。
数百人の貴族たちの視線が、一斉に私たちに注がれる。
好奇、驚愕、畏怖、そして嫉妬。
無数の感情が入り混じった、重苦しい沈黙。
(……分析完了。敵意2割、好奇心8割、恐怖が少々といったところね)
私は眼鏡(今日はコンタクトだが)の奥の瞳で、冷静に会場をスキャンした。
「顔を上げろ、メモリア」
隣でアレクシス公爵が囁く。
「お前は何も恥じることはない。堂々としていればいい」
「はい、閣下。……ただ、ヒールのバランスを取るのに必死なだけです」
「フッ……色気のない奴だ」
公爵は楽しげに口元を歪め、私の腰に回した手に力を込めた。
私たちはゆっくりと、大理石の床を踏みしめて歩き出した。
ミッドナイト・ブルーのドレスが、シャンデリアの光を受けて星空のように煌めく。
公爵の漆黒の礼服と並ぶと、まるで最初から対になるように仕立てられたかのような調和を見せていた。
「おい、見ろよ……あれはアッシュ家の娘か?」
「なんて美しいんだ……昨日はあんなに地味だったのに」
「それより、公爵閣下のあの顔を見たか? あんなに優しげな表情、初めて見たぞ」
「まさか、王太子殿下から略奪したのか?」
ひそひそ話がさざ波のように広がる。
ふふん、と私は心の中で鼻を鳴らした。
略奪? いいえ、正規の手続きによる「ヘッドハンティング」です。
私たちが会場の中央付近まで進んだ、その時だった。
「――メモリア!!」
聞き飽きた、癇に障る大声が響いた。
人垣が割れ、怒りの形相でこちらに向かってくる男。
カイル王太子だ。
そしてその腕には、ピンク色のふわふわしたドレスを着たリナ男爵令嬢がしがみついている。
「やはり来たか、このストーカー女め!」
カイル殿下は私の目の前で立ち止まり、ビシッと指を突きつけた。
「は?」
私は思わず素の声を出してしまった。
「ストーカーとは、誰のことでしょうか」
「貴様に決まっているだろう! 昨日の今日で、僕に未練たらたらで追いかけてくるとはな! しかも、よりによって叔父上の情けに縋って入場するとは、プライドがないのか!」
殿下は勝ち誇ったように鼻を膨らませている。
どうやら彼の脳内では、「私が復縁を迫りに来た」というストーリーが出来上がっているらしい。
幸せな脳みそだこと。
「殿下、訂正させていただきます」
私は営業スマイルを貼り付けた。
「私は本日、公爵閣下の『パートナー』として招待を受けております。殿下を追いかけてきたわけではありません」
「嘘をつくな! 僕に会いたくて震えていたくせに!」
「震えているのは、この会場の冷房設定温度が低すぎるからです。光熱費の無駄ですね」
「減らず口を!」
カイル殿下が激昂しようとした時、隣のリナ嬢が一歩前に出た。
「ひどいです、メモリア様!」
彼女は潤んだ瞳で私を見上げ、震える声で訴え始めた。
「カイル様は、メモリア様のことを思って婚約破棄してくださったのに……。どうしてあんな恐ろしい嫌がらせをするんですか?」
「嫌がらせ?」
「とぼけないでください! 今朝、カイル様の執務机に置かれていた、あの分厚い呪いの書のことです!」
会場がざわめく。
呪いの書?
私は首を傾げた。
「ああ……。『業務引き継ぎマニュアル』のことですか?」
「マニュアル? 嘘です! あんなの、人の読むものじゃありません! 文字がびっしりで、読んでいるだけで頭が痛くなって、吐き気がして……カイル様は半日寝込んでしまったんですよ!?」
リナ嬢が涙ながらに叫ぶ。
「それは『呪い』ではなく、単なる『活字中毒(かつじあた)』りでは?」
私は冷静に指摘した。
「それに、あれは殿下が公務を滞らせないための親切心で置いたものです。読めないのなら、挿絵付きの絵本版でも作りましょうか? 追加料金がかかりますが」
「バ、バカにするな!」
カイル殿下が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「あんな文字の羅列、嫌がらせ以外の何物でもない! 貴様、僕の優秀な頭脳をパンクさせて、国を混乱させる気か!」
(その優秀な頭脳とやらが、A4用紙一枚の文章量でパンクするのが問題なのです)
私がため息をつきかけた時。
すっ、と私の前に黒い影が立った。
アレクシス公爵だ。
彼は無言のまま、冷ややかな瞳でカイルとリナを見下ろした。
ただそれだけで、二人は「ヒッ」と息を呑んで後ずさりする。
「……カイル」
地を這うような低い声。
「私のパートナーに対して、随分な口の利き方だな」
「お、叔父上……! だ、騙されてはいけません! その女は稀代の悪女です! 僕を精神的に追い詰め、あまつさえ叔父上を利用して……」
「利用されているのは私の方だ」
公爵があっさりと断言した。
「え?」
カイルとリナが呆気にとられる。
公爵は私の肩を抱き寄せ、見せつけるように微笑んだ。
「彼女の能力に惚れ込み、私が三顧の礼で迎えたのだ。彼女は今、私の最も信頼する秘書官であり、かつ――」
公爵は一瞬言葉を切り、妖艶な笑みを浮かべた。
「私の『心』を管理する、唯一の女性だ」
キャァァァァ!
会場の令嬢たちから悲鳴のような歓声が上がる。
「な、ななな……ッ!?」
カイル殿下は口をパクパクさせ、リナ嬢は悔しそうに唇を噛んでいる。
「そ、そんな……嘘よ……悪役令嬢なのに……」
リナ嬢が小声で呟くのが聞こえた。
彼女は震える手で、私を指差した。
「ず、ずるいです! メモリア様だけ、そんな素敵なドレスを着て、公爵様に守られて……! 私だって、私だって……!」
「リナ?」
カイル殿下が怪訝そうに彼女を見る。
リナ嬢の目つきが変わった。
これまでの「守ってあげたい儚い少女」の仮面が剥がれ、欲望にまみれた本性が顔を出す。
「メモリア様! 勝負です!」
「は?」
「私と貴女、どっちが真のレディにふさわしいか、この場で決着をつけましょう! 私が勝ったら、そのドレスとネックレス、あと公爵様をいただきます!」
「……」
私は呆れて物が言えなかった。
公爵様は景品か何かですか。
「お断りします」
「逃げるんですか!?」
「いいえ。非生産的だからです。貴女と勝負して、私に何のメリットが? そのピンク色のドレス(中古)でも貰えるのですか? サイズが合いそうにありませんが」
「きぃぃぃっ! カイル様ぁ! 侮辱されましたぁ!」
リナ嬢がカイル殿下の胸を叩く。
殿下はオロオロしながら、
「そ、そうだぞ! 逃げるなメモリア! リナの挑戦を受けろ! 種目は……そうだな、ダンスだ!」
「ダンス?」
「そうだ! 今から流れる曲で、どちらがより優雅に踊れるか。会場の拍手の大きさで勝敗を決める!」
カイル殿下は自信満々に言った。
なるほど。
リナ嬢はダンスが得意だ。
逆に私は、事務仕事ばかりでダンスの練習など殆どしていないと思っているのだろう。
(……データ更新がされていませんね、殿下)
私は公爵を見上げた。
公爵はニヤリと笑い、私に手を差し出した。
「受けてやろうじゃないか、メモリア」
「閣下? 時間の無駄では?」
「無駄ではない。……お前の『仕事着』の性能テストだ。それに」
彼は私の耳元で囁いた。
「俺とお前の相性の良さを、骨の髄まで教えてやるいい機会だ」
その自信に満ちた瞳に、私は覚悟を決めた。
「承知いたしました。……追加手当を請求させていただきますよ」
「望むところだ」
楽団が新しい曲を奏で始める。
アップテンポなマズルカ。
難易度の高い曲だ。
「行くぞ!」
カイル殿下がリナ嬢の手を取ってフロアに飛び出す。
二人は派手に回転し、周囲にアピールする。
確かに動きは悪くない。
練習したのだろう。
しかし。
「――踊るぞ、メモリア」
「はい」
アレクシス公爵が私を一気に引き寄せた。
次の瞬間、世界が回った。
速い。
けれど、全くブレない。
公爵のリードは完璧で、強引でありながら、私の動きを完全に予測してサポートしてくれる。
(軽い……!)
あんなに重いと思っていたドレスが、嘘のように軽く感じる。
魔法による補助か、それとも彼の技術か。
私たちはフロアを滑るように駆け抜け、回転し、そして跳ねた。
「きゃっ!?」
リナ嬢が私たちのスピードに驚いてバランスを崩す。
それを尻目に、私たちはより高く、より優雅に舞う。
息がぴったりと合う。
言葉などいらない。
指先の圧力だけで、次の動作がわかる。
(楽しい……!)
仕事の効率化が決まった時と同じくらいの快感が、背筋を駆け抜ける。
曲がクライマックスを迎える。
公爵が私を高く抱え上げ、そしてゆっくりと着地させた。
最後のポーズ。
公爵の顔がすぐ目の前にあり、熱い吐息がかかる。
「……完璧だ」
静寂。
そして――。
ワァァァァァァッ!!
会場が揺れるほどの拍手喝采が巻き起こった。
勝負の結果は、誰の目にも明らかだった。
カイル殿下とリナ嬢は、フロアの端で呆然と立ち尽くしている。
「あ、ありえない……あの鉄仮面が、あんなに情熱的に……」
「メモリア様、なんて素敵……!」
称賛の声が降り注ぐ中、公爵は私の手を取り、甲に口づけた。
「最高のダンスだった。……これで、誰の目にもお前が俺のものだと焼き付いただろう」
「……そうですね。既成事実は完了しました」
私は少し息を切らしながらも、満足げに微笑んだ。
だが。
この完全勝利が、リナ嬢の歪んだプライドを決定的に傷つけてしまったことを、私はまだ軽く見ていた。
「許さない……許さないわ、メモリア……!」
人混みに紛れ、リナ嬢が不穏な色の小瓶を握りしめていることに、まだ誰も気づいていなかった。
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