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「……アッシュ家の負債、ですか」
執務室の空気が重く沈んでいた。
私は手元の呼び出し状(脅迫状)をデスクに置き、冷静に思考を巡らせた。
「父の領地経営が杜撰(ずさん)であることは把握していました。カイル殿下への貢ぎ物、継母の浪費、そして裏帳簿の粉飾……。借金があるのは想定内ですが、それを王妃様が握っているとなると話は別です」
「……いくらだ」
向かいの席で、アレクシス公爵が低い声で尋ねた。
「アッシュ家の借金を全て肩代わりすればいいのか? 金貨一万枚か? 十万枚か? 私の資産なら、国を一つ買うくらい造作もない」
「お断りします」
私は即答した。
「なぜだ。お前を縛る鎖など、金で断ち切ればいい」
「それは『公私混同』です、閣下。私の実家の不始末を、雇用主である公爵家に尻拭いさせるわけにはいきません。それに」
私は眼鏡を指で押し上げた。
「一度でも金で解決すれば、王妃様は味を占めます。『メモリアは金になる』と踏んで、今後も何かにつけてゆすってくるでしょう。根本的解決になりません」
「……では、どうするつもりだ」
「単身、王城へ乗り込みます。借用書の法的有効性を確認し、利息制限法違反がないか徹底的に監査します。……場合によっては、実家を『破産宣告』させて、法的整理を行う覚悟です」
「……実家を潰す気か?」
「毒(借金)が回った組織は、一度解体して再生させるのが最も効率的です。父には隠居してもらい、私が管財人となります」
私は淡々と「実家解体計画」を口にした。
冷たいと言われるかもしれない。
けれど、これが私の守り方だ。
「行って参ります。……明日の午後のお茶会、決戦です」
私は一礼し、執務室を出ようとした。
背中で、ガタッという椅子を引く音がした。
「待て」
「何か?」
振り返った瞬間。
私の視界が、漆黒の影に覆われた。
ドンッ!!
耳元で、壁が鳴った。
逃げ場はない。
背中は冷たい壁、目の前にはアレクシス公爵の広い胸板。
いわゆる、『壁ドン』というやつだ。
「……閣下?」
私は見上げた。
公爵の顔が近い。
整った鼻筋、長い睫毛、そして私を射抜くような黄金の瞳。
吐息がかかる距離だ。
「……行くな」
「はい?」
「一人で行かせるわけにはいかんと言っている」
公爵の声は、いつになく真剣で、そして熱を帯びていた。
「相手は王妃だ。どんな汚い手を使ってくるかわからん。……監禁されるかもしれない。毒を盛られるかもしれない」
「対策は練ってあります。懐に録音用の魔道具を忍ばせ……」
「そういう問題ではない!」
公爵が、私の肩の横の壁をもう一度ドンと叩いた。
「俺が心配なんだ。……お前がいなくなったら、誰が俺のコーヒーに砂糖を入れてくれる? 誰が俺の暴走を止めてくれる?」
「それは……」
「俺にはお前が必要だ。……業務上も、精神的にも」
公爵が顔を近づけてくる。
唇までの距離、数センチ。
甘い香りが漂う。
心臓が、早鐘を打ち始めた。
これはまずい。
平常心が揺らぐ。
思考回路がショートしそうだ。
(冷静になれ、メモリア。これは……これは高度な人事考課面談の一種よ!)
私は必死に理性を総動員した。
このドキドキを鎮めるには、最も無機質な情報を脳内で処理するしかない。
「……か、閣下」
「なんだ」
「現状の業務報告をさせていただきます」
「……は?」
このムードで何を言い出すんだ、という顔をされたが、私は構わずに早口でまくし立てた。
「現在、魔法省の第三四半期予算案の進捗率は85%! 未決裁案件は残り十二件! そのうち急を要する治水工事の件は、本日中に閣下のサインが必要です!」
「……メモリア?」
「また、公爵領の特産品であるワインの売上は前年比120%で推移! 一方で、屋敷の光熱費は私の節約術により15%削減に成功しました! いかがでしょうか!」
私は公爵の胸元を見つめながら、数字を羅列した。
数字は裏切らない。
数字は私を冷静にさせてくれる。
公爵は、ぽかんとして私を見ていた。
そして、ふっと力が抜けたように笑い出した。
「くっ、くくく……」
「な、何かおかしいですか?」
「いや……。壁に追い詰められて、愛の言葉ではなく予算の進捗率を叫ぶ女は、世界広しといえどもお前だけだ」
公爵は私の頭にポンと手を置いた。
「合格だ」
「何のテストですか?」
「俺の色気に惑わされず、職務を全うする精神力テストだ。……少し傷ついたがな」
公爵は苦笑しながら、体を離した。
「わかった。お前の覚悟は認める。……だが、条件がある」
「条件?」
「明日の茶会、俺も同行する」
「えっ、しかし招待状には『メモリア一人で』と……」
「『運転手』としてついていくだけだ。会場には入らん。……だが、扉一枚隔てた廊下で待機する」
公爵の瞳が鋭く光った。
「もし、お前の心拍数が異常値を叩き出したり、悲鳴が聞こえたりしたら……。その時は、扉ごと王妃を吹っ飛ばして突入する」
「……過保護すぎませんか?」
「大事な『資産』を守るためだ。……非効率な救出劇にならないよう、せいぜい上手く立ち回れよ」
公爵は私の鼻先を指でつんと弾いた。
「……了解いたしました」
私は頬が熱くなるのを感じながら、頷いた。
「では、明日の作戦会議(ミーティング)を始めましょう。……この体勢のままでなくてもよろしいですよね?」
「いや、このまま続けようか。……お前の動揺する顔が、案外可愛くて気に入った」
「か、閣下! セクハラで訴えますよ!」
「労働環境改善の要望として受け取ろう」
結局、そのあと三十分ほど、私は壁際から解放してもらえなかった。
公爵は楽しそうに私の反応を観察し、私は必死に明日の対王妃用の想定問答集を唱え続けた。
ドキドキとイライラと、奇妙な安心感が入り混じる時間。
これが「恋」なのか「吊り橋効果」なのか、今の私にはまだ分析しきれなかった。
ただ一つ確かなのは。
明日の王妃様との対決、私は絶対に負ける気がしないということだ。
最強のバックアップ(過保護な魔王)が、扉の向こうに控えているのだから。
*
そして翌日。
私は王城の奥、「薔薇の離宮」と呼ばれる王妃のプライベート・サロンの前に立っていた。
「……行ってきます」
「ああ。五分に一度は咳払いをしろ。生存確認だ」
「頻度が高すぎます」
廊下の影に潜む公爵(黒いサングラス着用で怪しさ満点)に呆れつつ、私は重厚な扉を開けた。
「失礼いたします。メモリア・アッシュ、参りました」
サロンの中には、優雅に紅茶を飲むエルザ王妃と、勝ち誇った顔の継母、そして縮こまっている父の姿があった。
さあ、アッシュ家・借金返済(あるいは実家解体)ショーの幕開けだ。
執務室の空気が重く沈んでいた。
私は手元の呼び出し状(脅迫状)をデスクに置き、冷静に思考を巡らせた。
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私は即答した。
「なぜだ。お前を縛る鎖など、金で断ち切ればいい」
「それは『公私混同』です、閣下。私の実家の不始末を、雇用主である公爵家に尻拭いさせるわけにはいきません。それに」
私は眼鏡を指で押し上げた。
「一度でも金で解決すれば、王妃様は味を占めます。『メモリアは金になる』と踏んで、今後も何かにつけてゆすってくるでしょう。根本的解決になりません」
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私は淡々と「実家解体計画」を口にした。
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けれど、これが私の守り方だ。
「行って参ります。……明日の午後のお茶会、決戦です」
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背中で、ガタッという椅子を引く音がした。
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「何か?」
振り返った瞬間。
私の視界が、漆黒の影に覆われた。
ドンッ!!
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逃げ場はない。
背中は冷たい壁、目の前にはアレクシス公爵の広い胸板。
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私は見上げた。
公爵の顔が近い。
整った鼻筋、長い睫毛、そして私を射抜くような黄金の瞳。
吐息がかかる距離だ。
「……行くな」
「はい?」
「一人で行かせるわけにはいかんと言っている」
公爵の声は、いつになく真剣で、そして熱を帯びていた。
「相手は王妃だ。どんな汚い手を使ってくるかわからん。……監禁されるかもしれない。毒を盛られるかもしれない」
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公爵が、私の肩の横の壁をもう一度ドンと叩いた。
「俺が心配なんだ。……お前がいなくなったら、誰が俺のコーヒーに砂糖を入れてくれる? 誰が俺の暴走を止めてくれる?」
「それは……」
「俺にはお前が必要だ。……業務上も、精神的にも」
公爵が顔を近づけてくる。
唇までの距離、数センチ。
甘い香りが漂う。
心臓が、早鐘を打ち始めた。
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「……か、閣下」
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「……メモリア?」
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私は公爵の胸元を見つめながら、数字を羅列した。
数字は裏切らない。
数字は私を冷静にさせてくれる。
公爵は、ぽかんとして私を見ていた。
そして、ふっと力が抜けたように笑い出した。
「くっ、くくく……」
「な、何かおかしいですか?」
「いや……。壁に追い詰められて、愛の言葉ではなく予算の進捗率を叫ぶ女は、世界広しといえどもお前だけだ」
公爵は私の頭にポンと手を置いた。
「合格だ」
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公爵は苦笑しながら、体を離した。
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