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「ねえ、カイル様ぁ。このお部屋、ちょっと寒くないですかぁ?」
王城の第一王子執務室。
リナ男爵令嬢は、ソファで退屈そうに足をぶらつかせながら言った。
「そうだな。暖炉の火が消えかかっているようだ」
カイル王太子は、山積みの書類(未読)から目を逸らし、愛しい恋人に微笑みかけた。
「薪(まき)を足させよう。……おい、誰かいないか!」
カイルが呼び鈴を鳴らすが、誰も来ない。
当然だ。
使用人たちは皆、カイルとリナのわがままに愛想を尽かし、最低限の業務以外は近寄らなくなっていたからだ。
「もうっ! 気が利かない使用人たちですねぇ! これじゃあ、リナが風邪をひいちゃいます!」
「すまない、リナ。僕が何とかしよう」
カイルは立ち上がり、暖炉へ向かった。
しかし、あいにく薪のストックが切れている。
「困ったな。燃やすものが……」
その時。
カイルの視界に、机の上に置かれた『古ぼけた羊皮紙の束』が入った。
それは今朝、隣国である軍事大国ガレリアから届いたばかりの親書だった。
厳重な封蝋がされ、何やら難しそうな古代文字がびっしりと書かれている。
「カイル様ぁ、その汚い紙、何ですかぁ?」
リナが鼻をつまむ。
「なんか、カビくさーい! それに、禍々しいオーラを感じますぅ! きっと、メモリアさんが送ってきた『呪いの手紙』ですよぉ!」
「呪いの手紙だと!?」
カイルは飛び上がった。
「確かに、こんな汚い紙を王太子である僕に送りつけるなど、無礼極まりない! 中身もどうせ、読めない文字(古代語)ばかりだしな!」
「キャァッ! 怖いですぅ! 早く処分してくださいぃ!」
「よし、任せろ!」
カイルはその羊皮紙の束を鷲掴みにした。
「えいっ!」
ポイッ。
彼は躊躇なく、それを暖炉の種火の中へと放り込んだ。
乾燥した古い羊皮紙は、実によく燃えた。
メラメラと炎が上がり、一瞬で灰へと変わっていく。
「わあぁっ! あったかぁい!」
リナがパチパチと手を叩く。
「さすがカイル様! 呪いを浄化しちゃうなんて、すごぉい!」
「ははは! これくらい当然だ! 僕とリナの愛の炎の前では、呪いなど無力だ!」
二人は燃え盛る暖炉の前で、うっとりと見つめ合った。
部屋は暖かくなった。
しかし彼らは知らなかった。
その燃やした紙が、
『ガレリア帝国との不可侵条約・更新手続き書(原本)』
であり、
『期限内に署名・返送なき場合は、国交断絶および宣戦布告とみなす』
という、国宝級の重要書類であったことを。
***
数時間後。
王城の謁見の間に、怒号が響き渡った。
「ふざけるなぁぁぁっ!!」
吠えたのは、ガレリア帝国の特使、ボルグ将軍だった。
岩のような筋肉を持つ巨漢で、顔には歴戦の傷跡がある。
「殿下! どういうことだ! 条約書の返還期限は正午までだぞ! なぜ署名したものが出てこない!」
玉座の隣に立つカイル王太子は、きょとんとしていた。
「条約書? なんのことだ?」
「とぼけるな! 今朝、確かに一番で届けさせたはずだ! 『至急・最重要』の封蝋をしてな!」
「最重要……?」
カイルは首を傾げ、そしてポンと手を打った。
「ああ! あの『汚い紙』のことか!」
「き、汚い紙……だと……?」
「ああ、届いたぞ。だが、カビ臭くてリナが嫌がるから、燃やした」
シーン……。
謁見の間にいた全臣下の心臓が止まった。
「……も、燃やした?」
ボルグ将軍の声が震える。
「そうだ。暖炉の薪代わりにちょうどよかったぞ。リナも『あったか~い』と喜んでいた」
カイルは自慢げに言った。
隣にいるリナも、「エコですねっ☆」とピースサインをしている。
「……」
ボルグ将軍の顔色が、赤から紫、そしてどす黒い漆黒へと変わった。
額の血管がブチブチと音を立てて切れそうだ。
「き……きさまらぁぁぁっ!!」
ドガァァァン!!
将軍が足を踏み鳴らすと、床の大理石が粉砕された。
「我が国の皇帝陛下が、友好の証として送った直筆の親書を……! 暖を取るための焚き付けにしただとぉ!?」
「ひいっ!?」
カイルとリナが抱き合って震える。
「これは、我が国への侮辱だ! いや、宣戦布告と受け取る!!」
将軍は腰の大剣を抜き放った。
「戦争だ!! こんな無礼な国、地図から消し去ってやる! 今すぐ我が軍の飛竜部隊を呼び寄せるぞ!!」
「ま、待て! 落ち着け!」
宰相が慌てて止めに入るが、将軍の怒りは収まらない。
「問答無用! ……帰る! 次に来る時は、この城を火の海にする時だと思え!」
将軍はマントを翻し、嵐のように去っていった。
残されたのは、崩壊した床と、絶望に沈む大臣たち。
そして、事の重大さをまだ理解していない馬鹿二人。
「な、なんだあの野蛮人は……。僕に向かって剣を抜くとは……」
カイルが震え声で言うと、宰相が膝から崩れ落ちて叫んだ。
「殿下ぁぁぁ……! 終わりました……! 帝国と戦争になりますぞぉぉぉ!」
「せ、戦争? たかが紙切れ一枚で?」
「その紙切れが、平和を守っていたのですぅぅぅ!」
城内はパニックに陥った。
「戦争だ!」「ドラゴンが来るぞ!」「逃げろ!」
衛兵やメイドたちが逃げ惑う。
そんな中、一人の文官が、最後の希望を託して叫んだ。
「あの方だ……! あの方にお伝えしろ! 公爵閣下と……メモリア様に!」
***
「――というわけで、カイル殿下が条約書を焚き火にされました」
ヴァルデマール公爵邸。
報告に来た使者の言葉を聞き、私は持っていたティーカップを静かに受け皿に戻した。
「……」
「……」
私とアレクシス公爵は、無言で顔を見合わせた。
「メモリア」
「はい、閣下」
「俺の耳がおかしいのかもしれん。『条約書を燃やした』と聞こえたのだが」
「私の耳にもそう届きました。……どうやら、集団幻聴ではないようです」
私はこめかみを強く揉んだ。
「馬鹿だとは思っていましたが……ここまでとは」
想像の遥か斜め上を行く愚行。
外交文書を「汚い」「カビ臭い」という理由で焼却処分。
歴史の教科書に載るレベルの失態だ。
「ガレリア帝国は、軍事力において我が国の三倍。特に『飛竜騎士団』は、一晩で都市一つを壊滅させる火力を有しています」
私は淡々と事実を述べた。
「開戦すれば、勝率は二割以下。……我が国は滅びますね」
「笑い事ではないぞ」
公爵が頭を抱えた。
「兄上(国王)は今、療養中で離宮におられる。……この尻拭いをするのは誰だと思っている」
「……形式上、王太子の後見人である閣下ですね」
「そして、その閣下の補佐官であるお前だ」
「……」
私は天を仰いだ。
辞めたはずだ。
カイル殿下の尻拭いは、もうしないと誓ったはずだ。
なのに。
「国が滅びたら、私の平穏な再就職ライフも、美味しいお酒も、閣下との優雅なティータイムも、全て灰になります」
「……そうだな」
公爵が立ち上がった。
その顔には、今まで見たことのないほどの「殺気」と「覚悟」がみなぎっていた。
「行くぞ、メモリア」
「王城へ、ですか?」
「ああ。……戦争を止める。そして」
公爵は拳を握りしめ、ボキボキと指を鳴らした。
「あの馬鹿甥(カイル)の首根っこを掴んで、ボルグ将軍の靴の裏を舐めさせてでも謝罪させる」
「物理的な土下座外交ですね。……承知いたしました」
私は眼鏡をかけ直し、気合を入れた。
「では、私も『最終兵器』を準備します」
「なんだ?」
「燃やされた条約書の『写し(コピー)』です」
「……あるのか?」
公爵が驚く。
「当然です。現役時代、重要な書類は全て複製を取り、地下書庫に保管してありました。……カイル殿下が何かやらかした時のために」
「……お前、本当に何者だ?」
「ただの優秀な元・婚約者です」
私はニヤリと笑った。
「さあ、行きましょう閣下。……これが、あの二人への本当の『引導』になります」
私たちは疾風のように屋敷を飛び出した。
王都の空には、早くも不穏な黒雲が立ち込め、遠くからドラゴンの咆哮のような音が聞こえ始めていた。
国の命運をかけた、深夜の緊急対策会議が始まる。
王城の第一王子執務室。
リナ男爵令嬢は、ソファで退屈そうに足をぶらつかせながら言った。
「そうだな。暖炉の火が消えかかっているようだ」
カイル王太子は、山積みの書類(未読)から目を逸らし、愛しい恋人に微笑みかけた。
「薪(まき)を足させよう。……おい、誰かいないか!」
カイルが呼び鈴を鳴らすが、誰も来ない。
当然だ。
使用人たちは皆、カイルとリナのわがままに愛想を尽かし、最低限の業務以外は近寄らなくなっていたからだ。
「もうっ! 気が利かない使用人たちですねぇ! これじゃあ、リナが風邪をひいちゃいます!」
「すまない、リナ。僕が何とかしよう」
カイルは立ち上がり、暖炉へ向かった。
しかし、あいにく薪のストックが切れている。
「困ったな。燃やすものが……」
その時。
カイルの視界に、机の上に置かれた『古ぼけた羊皮紙の束』が入った。
それは今朝、隣国である軍事大国ガレリアから届いたばかりの親書だった。
厳重な封蝋がされ、何やら難しそうな古代文字がびっしりと書かれている。
「カイル様ぁ、その汚い紙、何ですかぁ?」
リナが鼻をつまむ。
「なんか、カビくさーい! それに、禍々しいオーラを感じますぅ! きっと、メモリアさんが送ってきた『呪いの手紙』ですよぉ!」
「呪いの手紙だと!?」
カイルは飛び上がった。
「確かに、こんな汚い紙を王太子である僕に送りつけるなど、無礼極まりない! 中身もどうせ、読めない文字(古代語)ばかりだしな!」
「キャァッ! 怖いですぅ! 早く処分してくださいぃ!」
「よし、任せろ!」
カイルはその羊皮紙の束を鷲掴みにした。
「えいっ!」
ポイッ。
彼は躊躇なく、それを暖炉の種火の中へと放り込んだ。
乾燥した古い羊皮紙は、実によく燃えた。
メラメラと炎が上がり、一瞬で灰へと変わっていく。
「わあぁっ! あったかぁい!」
リナがパチパチと手を叩く。
「さすがカイル様! 呪いを浄化しちゃうなんて、すごぉい!」
「ははは! これくらい当然だ! 僕とリナの愛の炎の前では、呪いなど無力だ!」
二人は燃え盛る暖炉の前で、うっとりと見つめ合った。
部屋は暖かくなった。
しかし彼らは知らなかった。
その燃やした紙が、
『ガレリア帝国との不可侵条約・更新手続き書(原本)』
であり、
『期限内に署名・返送なき場合は、国交断絶および宣戦布告とみなす』
という、国宝級の重要書類であったことを。
***
数時間後。
王城の謁見の間に、怒号が響き渡った。
「ふざけるなぁぁぁっ!!」
吠えたのは、ガレリア帝国の特使、ボルグ将軍だった。
岩のような筋肉を持つ巨漢で、顔には歴戦の傷跡がある。
「殿下! どういうことだ! 条約書の返還期限は正午までだぞ! なぜ署名したものが出てこない!」
玉座の隣に立つカイル王太子は、きょとんとしていた。
「条約書? なんのことだ?」
「とぼけるな! 今朝、確かに一番で届けさせたはずだ! 『至急・最重要』の封蝋をしてな!」
「最重要……?」
カイルは首を傾げ、そしてポンと手を打った。
「ああ! あの『汚い紙』のことか!」
「き、汚い紙……だと……?」
「ああ、届いたぞ。だが、カビ臭くてリナが嫌がるから、燃やした」
シーン……。
謁見の間にいた全臣下の心臓が止まった。
「……も、燃やした?」
ボルグ将軍の声が震える。
「そうだ。暖炉の薪代わりにちょうどよかったぞ。リナも『あったか~い』と喜んでいた」
カイルは自慢げに言った。
隣にいるリナも、「エコですねっ☆」とピースサインをしている。
「……」
ボルグ将軍の顔色が、赤から紫、そしてどす黒い漆黒へと変わった。
額の血管がブチブチと音を立てて切れそうだ。
「き……きさまらぁぁぁっ!!」
ドガァァァン!!
将軍が足を踏み鳴らすと、床の大理石が粉砕された。
「我が国の皇帝陛下が、友好の証として送った直筆の親書を……! 暖を取るための焚き付けにしただとぉ!?」
「ひいっ!?」
カイルとリナが抱き合って震える。
「これは、我が国への侮辱だ! いや、宣戦布告と受け取る!!」
将軍は腰の大剣を抜き放った。
「戦争だ!! こんな無礼な国、地図から消し去ってやる! 今すぐ我が軍の飛竜部隊を呼び寄せるぞ!!」
「ま、待て! 落ち着け!」
宰相が慌てて止めに入るが、将軍の怒りは収まらない。
「問答無用! ……帰る! 次に来る時は、この城を火の海にする時だと思え!」
将軍はマントを翻し、嵐のように去っていった。
残されたのは、崩壊した床と、絶望に沈む大臣たち。
そして、事の重大さをまだ理解していない馬鹿二人。
「な、なんだあの野蛮人は……。僕に向かって剣を抜くとは……」
カイルが震え声で言うと、宰相が膝から崩れ落ちて叫んだ。
「殿下ぁぁぁ……! 終わりました……! 帝国と戦争になりますぞぉぉぉ!」
「せ、戦争? たかが紙切れ一枚で?」
「その紙切れが、平和を守っていたのですぅぅぅ!」
城内はパニックに陥った。
「戦争だ!」「ドラゴンが来るぞ!」「逃げろ!」
衛兵やメイドたちが逃げ惑う。
そんな中、一人の文官が、最後の希望を託して叫んだ。
「あの方だ……! あの方にお伝えしろ! 公爵閣下と……メモリア様に!」
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「――というわけで、カイル殿下が条約書を焚き火にされました」
ヴァルデマール公爵邸。
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「……」
「……」
私とアレクシス公爵は、無言で顔を見合わせた。
「メモリア」
「はい、閣下」
「俺の耳がおかしいのかもしれん。『条約書を燃やした』と聞こえたのだが」
「私の耳にもそう届きました。……どうやら、集団幻聴ではないようです」
私はこめかみを強く揉んだ。
「馬鹿だとは思っていましたが……ここまでとは」
想像の遥か斜め上を行く愚行。
外交文書を「汚い」「カビ臭い」という理由で焼却処分。
歴史の教科書に載るレベルの失態だ。
「ガレリア帝国は、軍事力において我が国の三倍。特に『飛竜騎士団』は、一晩で都市一つを壊滅させる火力を有しています」
私は淡々と事実を述べた。
「開戦すれば、勝率は二割以下。……我が国は滅びますね」
「笑い事ではないぞ」
公爵が頭を抱えた。
「兄上(国王)は今、療養中で離宮におられる。……この尻拭いをするのは誰だと思っている」
「……形式上、王太子の後見人である閣下ですね」
「そして、その閣下の補佐官であるお前だ」
「……」
私は天を仰いだ。
辞めたはずだ。
カイル殿下の尻拭いは、もうしないと誓ったはずだ。
なのに。
「国が滅びたら、私の平穏な再就職ライフも、美味しいお酒も、閣下との優雅なティータイムも、全て灰になります」
「……そうだな」
公爵が立ち上がった。
その顔には、今まで見たことのないほどの「殺気」と「覚悟」がみなぎっていた。
「行くぞ、メモリア」
「王城へ、ですか?」
「ああ。……戦争を止める。そして」
公爵は拳を握りしめ、ボキボキと指を鳴らした。
「あの馬鹿甥(カイル)の首根っこを掴んで、ボルグ将軍の靴の裏を舐めさせてでも謝罪させる」
「物理的な土下座外交ですね。……承知いたしました」
私は眼鏡をかけ直し、気合を入れた。
「では、私も『最終兵器』を準備します」
「なんだ?」
「燃やされた条約書の『写し(コピー)』です」
「……あるのか?」
公爵が驚く。
「当然です。現役時代、重要な書類は全て複製を取り、地下書庫に保管してありました。……カイル殿下が何かやらかした時のために」
「……お前、本当に何者だ?」
「ただの優秀な元・婚約者です」
私はニヤリと笑った。
「さあ、行きましょう閣下。……これが、あの二人への本当の『引導』になります」
私たちは疾風のように屋敷を飛び出した。
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