悪役令嬢は、婚約破棄を祝杯で迎える !

パリパリかぷちーの

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「――以上が、我が国が提示する魔導具輸入に関する新規条約案です」

ヴァルデマール公爵邸の応接室。

隣国ガレリアからの通商使節団を迎えての会談は、予定時間を大幅に超過していた。

原因は、相手国の首席外交官、レイモンド・ベルジュ侯爵の理屈っぽさにある。

銀髪をきっちりと撫で付け、鼻眼鏡をかけた彼は、典型的な「理詰め」タイプ。
重箱の隅をつつくような細かい指摘を繰り返し、こちらの文官たちを疲弊させていた。

「この第十二条第三項の『瑕疵(かし)担保責任』についてですが、定義が曖昧です。魔力暴走時の補償範囲を、小数点第二位まで明確化すべきでは?」

「え、あ、その……」

「それに、輸送コストの負担比率ですが、季節変動係数を考慮していないのはなぜです? 計算が杜撰(ずさん)ですね」

「うぐぐ……」

魔法省の担当官が白目を剥いている。
隣に座るアレクシス公爵も、貧乏ゆすりを始めていた。
彼の「退屈ゲージ」と「糖分切れゲージ」が限界に近い。

(……仕方ありませんね)

私は控えていた席から立ち上がり、お茶の差し替えをするふりをして、公爵の前に書類を置いた。

「閣下。……修正案です」

「ん?」

「先ほどレイモンド侯爵が指摘された点を踏まえ、過去十年の気象データを元に係数を算出。補償範囲についても、国際基準の計算式を当てはめて再定義しました」

私は早口で囁いた。

「これを読み上げてください。相手は数字が好きなので、これで黙ります」

公爵は目を丸くし、書類に目を通した。
そして、ニヤリと笑う。

「……流石だ」

公爵は書類を片手に、堂々と言い放った。

「レイモンド殿。……貴殿の懸念はもっともだ。よって、こちらの修正案を提示する。変動係数は0.85、補償範囲は魔力定数γ(ガンマ)の自乗に比例する……これでどうだ」

「なっ……!?」

レイモンド侯爵が身を乗り出した。
彼は奪い取るように書類を手にし、食い入るように見つめた。

「こ、これは……! 完璧だ! 論理的矛盾が一切ない! しかも、我が国の法体系との整合性まで取れている!」

彼はガバッと顔を上げた。

「素晴らしい! アレクシス公爵、まさか貴殿がこれほど緻密な計算をこなすとは!」

「いや、これを作ったのは……」

公爵が視線を私に向けた。
レイモンド侯爵の目が、ギロリと私を捉える。

「君か?」

「……はい。魔法省秘書官、メモリア・アッシュと申します」

私は一礼した。

「失礼ながら、先ほどの議論を聞いていて、あまりに非効率でしたので。……計算機を叩いた方が早いかと思いまして」

「非効率……!」

レイモンド侯爵が、わななと震えた。
怒ったのか?
と警戒した次の瞬間。

「ブラボーーーッ!!」

彼は叫びながら、私の手を取った。

「君だ! 私が探し求めていた女性(ひと)は!」

「はい?」

「その眼鏡! その冷静な眼差し! そして何より、この美しい数式! ……ああっ、なんという機能美だ!」

侯爵は私の手を両手で包み込み、熱っぽい視線を送ってきた。

「メモリア嬢! 単刀直入に言おう! 私と結婚してくれ!」

「……は?」

「我が国へ来ないか? ガレリアは魔法科学の先進国だ。君のような知能を持つ女性こそ、我が国の宝となる!」

突然のプロポーズ。
しかも、愛の言葉ではなく「知能への賛美」。

「研究予算は無制限だ! 最新の計算機も使い放題! 国立図書館のアクセス権も与えよう! どうだ、魅力的だろう!?」

「……研究予算無制限、ですか」

私の心がピクリと反応した。

「はい。現在、こちらの魔法省では予算削減の折衝に苦労しておりまして……。無制限というのは、非常に合理的な提案ですね」

「だろう!? 君となら、朝まで円周率について語り合える気がする! さあ、今すぐ婚姻届にサインを!」

「少し検討させてください。福利厚生と年金制度については……」

私が真面目に条件交渉に入ろうとした、その時。

パキィィィィン……!

鋭い音が響き渡った。
見ると、テーブルの上の花瓶が真っ二つに割れていた。
いや、割れたのではない。
凍りついて、砕け散ったのだ。

「……」

室内の気温が、急激に低下していく。
窓ガラスに霜が降り、吐く息が白くなる。

「さ、寒い!?」
「なんだこの冷気は!?」

ガレリアの使節団が震え上がる。
その冷気の中心にいたのは、もちろん、この屋敷の主。

「……レイモンド殿」

アレクシス公爵が、ゆっくりと立ち上がった。
その表情は無。
完全なる無表情だが、背後には吹雪が見える。
黄金の瞳だけが、爛々と光っていた。

「か、閣下……?」

「私の目の前で、私の秘書官を……いや、私の『婚約者(予定)』を口説くとは、随分といい度胸だな」

「こ、婚約者!?」

レイモンド侯爵が驚く。

「聞き捨てなりませんな! 彼女は『検討する』と言いましたぞ! 彼女のような才能を、一介の秘書として飼い殺しにするのは損失だ! 私なら、彼女を研究所の所長として迎える!」

「飼い殺しだと?」

公爵の周囲に、氷の槍(ランス)が数本出現した。
空中に浮遊し、切っ先がレイモンド侯爵に向けられている。

「ひぃっ!?」

「メモリアは物ではない。……そして、彼女の才能を一番理解し、必要としているのは私だ」

公爵はテーブルを回り込み、私と侯爵の間に割って入った。
そして、私の腰を強引に引き寄せた。

「きゃっ」

「悪いが、他を当たってくれ。……この女は、渡さん」

ドスの効いた声。
それは外交官に対する言葉遣いではなかった。
雄が自分の縄張りを荒らされた時の、威嚇そのものだ。

「し、しかし! 論理的に考えれば、彼女のキャリアにとっては我が国の方が……」

「論理など知らん!」

公爵が一喝した。

「感情の話だ! 私が嫌だと言っている! 彼女がいなくなったら、私は……私は……!」

公爵は言葉を詰まらせ、そして顔を真っ赤にして叫んだ。

「寂しくて死んでしまう!」

シーン……。

極寒の部屋に、静寂が落ちた。

「……さ、寂しい?」

レイモンド侯爵がポカンとする。

「そうだ! 悪いか! 彼女が淹れる甘い紅茶がないと仕事にならん! 彼女の冷たいツッコミがないと調子が狂う! 要するに、私は彼女に依存しているのだ!」

公爵は開き直ったようにまくし立てた。
もはや「冷徹公爵」の面影はない。
ただの「駄々っ子」だ。

しかし。
その腕の力は強く、体温は熱かった。

(……閣下)

私は呆れると同時に、胸の奥が温かくなるのを感じた。
論理も効率も無視した、純粋な感情。
「条件」ではなく「私自身」を求めてくれる言葉。

それは、研究予算無制限よりも、ずっと魅力的に響いた。

「……だ、そうです。レイモンド様」

私は公爵の胸に顔を埋めたまま、告げた。

「申し訳ありませんが、お話はお断りします。……この手のかかる上司(こども)を見捨てては、寝覚めが悪いので」

「そ、そんな……」

レイモンド侯爵はがっくりと肩を落とした。

「愛、か……。非論理的だが、計算不能な変数だ……。負けたよ」

彼は諦めたように首を振った。

「条約は、君の修正案通りで締結しよう。……ただし、気が変わったらいつでも連絡をくれ。私の研究室の扉は開いている」

「二度と開かんでいい!」

公爵が氷魔法で侯爵を追い立てる。
使節団は逃げるように帰っていった。

パタン。
扉が閉まると、公爵は深いため息をつき、私を抱きしめる腕の力を緩めた。
……かと思いきや、逆に強く抱きしめ直された。

「……行くなよ」

耳元で、拗ねたような声。

「研究予算無制限など、俺が出してやる。研究所でも何でも作ればいい。だから……俺の目の届く範囲にいろ」

「……はいはい」

私は公爵の背中に腕を回し、ポンポンとあやした。

「行きませんよ。……ガレリアの料理は辛いと聞きますし、私は甘党の閣下にお付き合いする方が性に合っていますから」

「……そうか」

「それに、氷漬けにされた部屋の解凍作業もありますしね。……これ、どうするんですか?」

私は霜の降りた室内を見渡した。

「……体温で溶かす」

「非効率です」

「いいんだ。……このまま、しばらくこうしていれば」

公爵は私を離そうとしない。
どうやら、嫉妬の炎(冷気?)はまだ完全には鎮火していないらしい。

結局、その日は公爵が満足するまで抱き枕にされた。
「仕事になりません」と文句を言いつつも、私もそれを拒まなかった。

私たちの関係は、確実に変化していた。
上司と部下から、かけがえのないパートナーへ。

だが。
そんな甘い雰囲気をぶち壊す事件が、またしても王城から飛んでくる。

数日後。
カイル王太子が、やらかした。
今度は「書類が読めない」レベルではない。
国家の存亡に関わる、致命的なミスを犯したのだ。

「……なんですって?」

王城からの急報を聞いた私は、耳を疑った。
カイル殿下が、リナ嬢の言葉を鵜呑みにして、重要な外交文書(原本)を――捨てた?
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