スパイ令嬢は婚約破棄されたい! 王子が甘すぎて任務になりません!

パリパリかぷちーの

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「……おはようございます、アーニー。昨日の『国境防衛大作戦』のおかげで、兵士たちの間では『アーニー様のために死ぬのが最高の栄誉』という、少々行き過ぎた忠誠心が芽生えています。あなたはもう、この国の実質的な支配者ですね」

セシルの声は、もはや深淵の底から届く呪詛のように、重く、そして絶望に満ちていた。
私は公爵邸のテラスで、バルマ王国特産の高級ジャムを塗ったトーストを齧りながら、涙を流した。

「支配者なんてなりたくないわよ……! 私はただの、隣国から来たか弱きスパイなのよ……。セシル、あと五日。あと五日で、私の実家の『干し肉貯蔵庫・秘蔵コレクション』が塵に帰してしまうわ。どうして、どうして逃亡しても愛が深まるのよ!」

「あなたの『裏切り』という名の弾丸が、王子の『超ポジティブ・アーマー』によって、すべて『幸福のメダル』に鋳造し直されてしまっているからです。……アーニー、いよいよ禁じ手を使います。名付けて『傾国の魔女・簒奪(さんだつ)大作戦』です」

「……簒奪? 王位を奪うってこと?」

「ええ。あなたは今日、王宮の玉座に勝手に座り、王子に向かってこう言い放つのです。『私は最初から、あなたのことなんて愛していなかった。私が欲しかったのは、この国の王権だけよ! あなたは私の魅力に溺れた、ただの操り人形(傀儡)に過ぎないの!』と」

セシルの目は、かつてないほど真剣だった。
愛を否定し、権力欲を剥き出しにする。
これは、純真な愛を信じるアルフレッド殿下に対する、最大にして最悪の冒涜だ。

「……流石に、愛を利用されたと知れば、殿下も怒るわよね? 『この魔女め!』って叫んで、私を処刑台……じゃなくて、国外に放り出すわよね?」

「当然です。男のプライドと、王族としての尊厳。その両方を踏みにじる行為ですからね。さあ、最高に傲慢な魔女を演じてきなさい!」

「わかったわ……。干し肉のために、私は愛を捨てて悪鬼になるわ!」

その日の午後。王宮の正殿。
私は、本来なら国王陛下か、その世継ぎである殿下しか座ることが許されない、黄金の玉座にどっしりと腰を下ろしていた。
頭には、あえて黒い宝石を散りばめた不吉な冠を載せ、足元には王家の家紋が刻まれた絨毯を乱暴に踏みつけている。

「……来たわね、アルフレッド」

扉が開き、アルフレッド殿下が入ってきた。
彼は玉座に座る私の異様な姿を見て、一瞬、呆然としたように立ち止まった。

「アーニー……。君、どうしてそこに……」

(よし、困惑しているわ! さあ、ここからが魔女の本領発揮よ!)

「おーっほっほっほ! 驚いたかしら、間抜けな王子様! ……ええ、そうですわ! 私、ずっと貴方を騙していましたのよ! 貴方のその甘い愛の囁きを聞きながら、私は内心で大笑いしていましたの!」

私は立ち上がり、玉座の背もたれを傲慢に叩いた。

「私が欲しかったのは、貴方の心なんて安いものではありませんわ。このバルマ王国の豊かな大地、莫大な財宝、そして絶対的な『王権』! 貴方は、私の美貌に目を眩ませ、国を売り渡した愚かな犠牲者ですのよ! さあ、私を魔女と呼んで、今すぐこの国から追い出しなさい!」

私は精一杯、下卑た笑みを浮かべて殿下を見下した。
さあ、殿下! 信じていた女性の裏切りに絶望し、怒りに震えなさい!

しかし。アルフレッド殿下は、その場に力なく膝をつくと、あろうことか感極まったように天を仰いだのだ。

「…………っ!!」

(……来たわ! あまりのショックに、心が折れたんだわ!)

「……ああ! アーニー! 君という人は……どこまで……どこまで僕の『孤独』を分かってくれているんだ……!」

「……はぁぁぁ!? 今、私は国を奪うって言いましたわよ!? 貴方を愛してないって断言しましたわよ!?」

「いいんだ、隠さなくて。……気づかなかった。僕が『第一王子』という重圧に押し潰されそうになり、独りで国の未来を背負うことに限界を感じていたことを……!」

殿下は瞳から大粒の涙を流し、這い寄るようにして私の足元に縋り付いた。

「君は、あえて『魔女』という悪役を引き受けることで、僕の肩にある『王権』という重荷を半分、いや、すべて肩代わりしようとしてくれたんだね! 『愛していない』という言葉……それは、僕を公私混同の誘惑から断ち切り、冷徹な統治者へと成長させるための、究極の劇薬なんだろう!?」

「……違いますわ殿下! 私、本当に権力が欲しくて……!」

「わかっているよ、アーニー! 君が座っているその玉座……それは、これから二人で歩む『共同統治』への決意の表明だね! 君が『影の支配者』として泥を被り、僕が『光の王』として民を導く……。ああ、なんて合理的で、なんて自己犠牲に満ちた愛の形なんだ!!」

殿下は私の手を強く握りしめ、そのまま王宮のバルコニーへと私を連れ出した。
そして、眼下に集まっていた臣下や国民たちに向かって、雷鳴のような声で叫んだ。

「国民諸君! 今日、ここに新たな時代が幕を開ける! 我が婚約者アーニーは、僕と共にこの国の運命を背負う『共同統治者』となることを決意してくれた! 彼女の厳しい叱咤、そしてこの『魔女』のような大胆な変革こそが、我が国をさらなる高みへと導くのだ!!」

「「「アーニー女王陛下! 万歳! 万歳!!」」」

その瞬間、王宮全体が地響きのような歓声に包まれた。

「……素晴らしい! 王子様を支えるために、あえて悪名を被るとは!」「アーニー様こそ真の女傑だ!」「今日から私はアーニー派に転向します!」

国民たちの目は、もはや私を「侵略者」ではなく、「愛する王子のために闇を司る、気高き共同統治者」として見ていた。
挙句の果てには、近衛騎士たちが「我ら、アーニー影の軍団として、女王の汚れ仕事をすべて引き受けます!」と血判状を提出し始める始末だ。

「ち、違いますわ皆様ぁぁ! 私、本気でこの国を簒奪しに来ましたのよぉぉ!」

「わかっているよ、アーニー。君のその『強欲さ』……。それは、この国の国民一人ひとりを幸せにしたいという、底なしの愛なんだろう? さあ、これからは二人でこの国を動かしていこう。……僕のすべてを、君に捧げるよ」

殿下は幸せそうな笑顔で、私の額に「誓いのキス」を落とした。

通信機から、セシルの死人のような声が響く。
『アーニー。おめでとうございます。あなたの「簒奪作戦」により、バルマ王国の権力構造が完璧に強化され、あなたは実質的な摂政(せっしょう)に就任しました。……というか、あなた、殿下に「すべてを捧げる」と言われて、顔を赤らめて「……勝手になさい」なんて、デレてどうするんですか。……この、権力欲ゼロスパイめ』

「……そんな……、私はただ、殿下の心をへし折りたかっただけなのに……」

私は殿下の手によって「バルマ王国の至宝」として再び玉座に座らされ、そのまま徹夜で「次年度の国家予算教書」の執筆を命じられることになった。

私の「傾国の魔女計画」は、いつの間にか「王子を孤独から救い、国家を盤石にする、究極の献身」へと昇華されてしまったのである。
そして翌日、王宮の法典には『アーニーの言葉は王の言葉に優先する』という、恐ろしい一文が追加された。
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