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「……ふふ、ははははは!」
深夜の王宮、執務室。
静寂を切り裂いたのは、アリステア王子の高く、そしてどこか陶酔を帯びた笑い声でした。
机の上には、山積みの公文書。
しかし、彼の視線はその横に置かれた、一輪の萎びかけた『セロリ』に注がれています。
「殿下……。もう深夜ですよ。そんなものを見つめて笑うのは、流石に不気味です」
影のように控えていた側近のシラスが、深い溜め息と共に冷めた声をかけました。
「不気味だって? 失礼な。これはメティが私のために……私の『嫌い』を克服させるために、心血を注いで作ってくれた愛の結晶だよ」
「あれ、ただの嫌がらせでケーキに仕込んだだけですよね? 本人もそう言ってましたし」
「シラス、君は乙女心が分かっていないな。彼女はあえて『悪役』を演じることで、私との心の距離を測っているんだよ。……ああ、今日の彼女も最高に可愛かった」
アリステアはセロリを愛おしそうに指でなぞり、そのまま椅子に深く身体を預けました。
彼の脳裏には、今日一日のメティ・オーブライトの姿が、鮮明なカラー映像として再生されていました。
「見てごらん。彼女、今日は男爵令嬢のクララを盾にして、私を遠ざけようとしていたんだ。……嫉妬させようとしたり、わがままを言ってみたり。……君には、彼女が何をしようとしているか分かるかい?」
「……殿下に嫌われようと、必死に努力しているようにしか見えませんが」
「違うね。逆だよ」
アリステアの瞳が、暗闇の中でサファイアのように妖しく光りました。
「彼女は、私を『試している』んだ。自分がどんなに無茶なことをしても、どんなに醜い姿を晒しても、私が彼女を愛し続けるかどうかをね。……ふふ、なんて健気で、なんて臆病な愛し方なんだろう」
「……おめでたい頭ですね。どう見ても本気で婚約破棄を狙っている顔でしたよ、あの公爵令嬢」
「そこが彼女の素晴らしいところだよ。演技が完璧すぎて、時々本当に私が嫌われているんじゃないかと錯覚させてくれる。……その瞬間の、心臓がキュッと締め付けられるような感覚。……あれは、どんな劇薬よりも私を興奮させる」
アリステアは自分の胸元に手を当て、狂おしげに目を閉じました。
「昨日、彼女の部屋の『隠し部屋』に入った時のことを覚えているかい? 壁一面に貼られた私の肖像画。私の歩いた土。私が使ったティーカップ……。……シラス、私はあの瞬間、天国に一番近い場所にいると確信したよ」
「私は、公爵家の名誉が終わった瞬間だと思いましたけど」
「普通なら引くだって? まさか。あれは彼女の『魂の告白』だ。私の全てを保存し、愛でたいという、純粋で高潔な欲望の表れだよ。……ああ、私も負けていられないな。今夜あたり、彼女が今日座っていた椅子のクッションでも回収しに行こうか」
「犯罪です。止めてください。王族の尊厳をドブに捨てないでください」
シラスの制止を鼻で笑い、アリステアはペンを執りました。
彼が白紙の便箋に書き始めたのは、明日のメティへのデートの誘い……ではなく、彼女への愛を綴った、誰にも見せられない秘密の日記でした。
「最近のメティは、自分を『悪役令嬢』だと思い込もうとしているようだ。……あの、扇子をバッと広げる仕草。高笑い。どれもが愛らしくて、そのまま抱きしめて口封じをしたくなる。……いや、実際に何度かしたけれどね」
アリステアはペンを止め、少しだけ不機嫌そうに眉を寄せました。
「……問題は、あのクララ・ベルモンドだ。彼女、メティにお菓子で釣られて、あろうことかメティに懐き始めている。……メティの隣は、世界で唯一、私のための指定席なんだ。そこに小動物が入り込むのは、非常に不愉快だよ」
「ただの食いしん坊の令嬢じゃないですか。放っておけばいいでしょうに」
「放っておけないさ。メティが彼女を見る時、時々『慈愛』に満ちた、聖母のような目をするんだ。……あの瞳は、私だけのものだ。他の誰にも、例え女性であっても見せたくはない」
アリステアの周囲に、ドロリとした濃密な魔力が渦巻き始めました。
それは、民の前で見せる「完璧な王子」の姿からは想像もつかない、独占欲の塊。
「……メティ。君が私に嫌われようとすればするほど、私は君を、逃げられない檻の中に閉じ込めておきたくなるんだ。……いや、檻なんて生温いな。私の腕の中という、一生解けない呪いの中にね」
アリステアは日記を閉じ、大切に鍵をかけました。
そして、窓の外に広がる夜の王都を見つめ、独り言を漏らしました。
「……さて。明日はどんな『悪事』で私を楽しませてくれるのかな? メティ。君が私を輝かせるための『踏み台』になりたいと言うのなら、私は喜んでその上に立とう。……そして、君の肩を力強く踏みしめて、二度とそこから逃げ出せないようにしてあげるよ」
アリステアの唇が、妖艶な弧を描きました。
「殿下……。今の顔、メティ様が見たら『尊死』する前に、本気で逃げ出すレベルで怖いですよ」
「ふふ。彼女ならきっと、こう言うさ。『アリステア様のドSな表情、プライスレス……!』とな」
「……末期ですね」
側近の呆れ声さえも、恋に溺れる王子の耳には、祝福の鐘の音にしか聞こえないのでした。
アリステア王子の愛は、メティが想像しているよりも遥かに、深く、暗く、そして熱い。
二人の「婚約破棄」を巡る追いかけっこは、最初からアリステアの手のひらの上で転がされているに過ぎないのです。
「ああ、夜明けが待ち遠しい。……早く君に会って、その困ったような、愛おしい顔を拝みたいよ。メティ……」
王子の囁きは、夜風に溶けて、公爵邸で眠るメティの夢の中へと忍び込んでいくのでした。
深夜の王宮、執務室。
静寂を切り裂いたのは、アリステア王子の高く、そしてどこか陶酔を帯びた笑い声でした。
机の上には、山積みの公文書。
しかし、彼の視線はその横に置かれた、一輪の萎びかけた『セロリ』に注がれています。
「殿下……。もう深夜ですよ。そんなものを見つめて笑うのは、流石に不気味です」
影のように控えていた側近のシラスが、深い溜め息と共に冷めた声をかけました。
「不気味だって? 失礼な。これはメティが私のために……私の『嫌い』を克服させるために、心血を注いで作ってくれた愛の結晶だよ」
「あれ、ただの嫌がらせでケーキに仕込んだだけですよね? 本人もそう言ってましたし」
「シラス、君は乙女心が分かっていないな。彼女はあえて『悪役』を演じることで、私との心の距離を測っているんだよ。……ああ、今日の彼女も最高に可愛かった」
アリステアはセロリを愛おしそうに指でなぞり、そのまま椅子に深く身体を預けました。
彼の脳裏には、今日一日のメティ・オーブライトの姿が、鮮明なカラー映像として再生されていました。
「見てごらん。彼女、今日は男爵令嬢のクララを盾にして、私を遠ざけようとしていたんだ。……嫉妬させようとしたり、わがままを言ってみたり。……君には、彼女が何をしようとしているか分かるかい?」
「……殿下に嫌われようと、必死に努力しているようにしか見えませんが」
「違うね。逆だよ」
アリステアの瞳が、暗闇の中でサファイアのように妖しく光りました。
「彼女は、私を『試している』んだ。自分がどんなに無茶なことをしても、どんなに醜い姿を晒しても、私が彼女を愛し続けるかどうかをね。……ふふ、なんて健気で、なんて臆病な愛し方なんだろう」
「……おめでたい頭ですね。どう見ても本気で婚約破棄を狙っている顔でしたよ、あの公爵令嬢」
「そこが彼女の素晴らしいところだよ。演技が完璧すぎて、時々本当に私が嫌われているんじゃないかと錯覚させてくれる。……その瞬間の、心臓がキュッと締め付けられるような感覚。……あれは、どんな劇薬よりも私を興奮させる」
アリステアは自分の胸元に手を当て、狂おしげに目を閉じました。
「昨日、彼女の部屋の『隠し部屋』に入った時のことを覚えているかい? 壁一面に貼られた私の肖像画。私の歩いた土。私が使ったティーカップ……。……シラス、私はあの瞬間、天国に一番近い場所にいると確信したよ」
「私は、公爵家の名誉が終わった瞬間だと思いましたけど」
「普通なら引くだって? まさか。あれは彼女の『魂の告白』だ。私の全てを保存し、愛でたいという、純粋で高潔な欲望の表れだよ。……ああ、私も負けていられないな。今夜あたり、彼女が今日座っていた椅子のクッションでも回収しに行こうか」
「犯罪です。止めてください。王族の尊厳をドブに捨てないでください」
シラスの制止を鼻で笑い、アリステアはペンを執りました。
彼が白紙の便箋に書き始めたのは、明日のメティへのデートの誘い……ではなく、彼女への愛を綴った、誰にも見せられない秘密の日記でした。
「最近のメティは、自分を『悪役令嬢』だと思い込もうとしているようだ。……あの、扇子をバッと広げる仕草。高笑い。どれもが愛らしくて、そのまま抱きしめて口封じをしたくなる。……いや、実際に何度かしたけれどね」
アリステアはペンを止め、少しだけ不機嫌そうに眉を寄せました。
「……問題は、あのクララ・ベルモンドだ。彼女、メティにお菓子で釣られて、あろうことかメティに懐き始めている。……メティの隣は、世界で唯一、私のための指定席なんだ。そこに小動物が入り込むのは、非常に不愉快だよ」
「ただの食いしん坊の令嬢じゃないですか。放っておけばいいでしょうに」
「放っておけないさ。メティが彼女を見る時、時々『慈愛』に満ちた、聖母のような目をするんだ。……あの瞳は、私だけのものだ。他の誰にも、例え女性であっても見せたくはない」
アリステアの周囲に、ドロリとした濃密な魔力が渦巻き始めました。
それは、民の前で見せる「完璧な王子」の姿からは想像もつかない、独占欲の塊。
「……メティ。君が私に嫌われようとすればするほど、私は君を、逃げられない檻の中に閉じ込めておきたくなるんだ。……いや、檻なんて生温いな。私の腕の中という、一生解けない呪いの中にね」
アリステアは日記を閉じ、大切に鍵をかけました。
そして、窓の外に広がる夜の王都を見つめ、独り言を漏らしました。
「……さて。明日はどんな『悪事』で私を楽しませてくれるのかな? メティ。君が私を輝かせるための『踏み台』になりたいと言うのなら、私は喜んでその上に立とう。……そして、君の肩を力強く踏みしめて、二度とそこから逃げ出せないようにしてあげるよ」
アリステアの唇が、妖艶な弧を描きました。
「殿下……。今の顔、メティ様が見たら『尊死』する前に、本気で逃げ出すレベルで怖いですよ」
「ふふ。彼女ならきっと、こう言うさ。『アリステア様のドSな表情、プライスレス……!』とな」
「……末期ですね」
側近の呆れ声さえも、恋に溺れる王子の耳には、祝福の鐘の音にしか聞こえないのでした。
アリステア王子の愛は、メティが想像しているよりも遥かに、深く、暗く、そして熱い。
二人の「婚約破棄」を巡る追いかけっこは、最初からアリステアの手のひらの上で転がされているに過ぎないのです。
「ああ、夜明けが待ち遠しい。……早く君に会って、その困ったような、愛おしい顔を拝みたいよ。メティ……」
王子の囁きは、夜風に溶けて、公爵邸で眠るメティの夢の中へと忍び込んでいくのでした。
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