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「……遅いわね」
私は苛立ちを隠そうともせず、扇子で手首をトントンと叩いた。
場所は王都の裏通りにある、人気の洋菓子店の前。
セバスチャンが「限定50個の極上プリン」を買いに店に入ってから、既に10分が経過していた。
「私の貴重な時間を10分も奪うなんて。この時間があれば、まつ毛の角度をあと0.5度上げられたかもしれないのに」
私が一人でブツブツと文句を言っていると、不意に目の前に黒塗りの馬車が停まった。
窓にはカーテンが引かれ、中の様子は伺えない。
御者台に座っている男は、目深に帽子を被っている。
「あら? お迎えかしら?」
ジェラルドが気を利かせて馬車を寄越したのかと思った。
しかし、馬車の扉が開き、中から出てきたのは執事のセバスチャンではなく、黒い服に身を包んだ強面の男たちだった。
二人、三人……四人も出てくる。
「ニアン・ローズベルクだな?」
男の一人が低い声で尋ねてきた。
「ええ、そうよ。世界一美しいニアン・ローズベルクとは私のことだけど。サインなら列に並んでくださる?」
私は扇子を取り出し、サインを書く準備をした。
しかし、男たちは色紙ではなく、布袋とロープを取り出した。
「悪いが、一緒に来てもらおう」
「……は?」
私は手を止めた。
「ナンパ? それとも誘拐? どちらにしてもお断りよ。見て分からない? 今の私は『プリン待ちモード』なの。糖分を摂取するまで、一歩も動く気はないわ」
「問答無用だ! カイル殿下の命令だ、国へ連れ戻す!」
男たちが一斉に襲いかかってくる。
カイルの名前が出た時点で事情は察した。
あの元婚約者、まだ私に執着しているのね。
未練がましい男は嫌われるって、教えてあげなかったかしら。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
私は大声を上げた。
男たちがビクリとして止まる。
「な、なんだ。命乞いか?」
「違うわ! その袋!」
私は男が持っていた布袋を指差した。
「麻袋(あさぶくろ)じゃない! 正気なの!?」
「は?」
「麻の繊維は硬くて粗いのよ! あんなものを私の頭から被せたら、摩擦で髪が傷むし、肌に跡がつくじゃない! 誘拐するならシルクの袋を用意するのがマナーでしょう!」
「し、シルク……?」
男たちは顔を見合わせた。
「それに、そのロープ! シュロ縄なんて論外よ! 私の手首を縛るなら、ベルベットのリボンか、最低でもサテンの帯にしなさい。赤く腫れたらどうしてくれるの!」
「い、いや、俺たちは誘拐犯で……」
「職業なんて関係ないわ! プロなら道具にこだわりなさいよ!」
私は説教を開始した。
路上での誘拐劇が、一瞬にして路上ファッションチェックへと変貌する。
「お前たち、その格好も何よ。全身黒ずくめなんて、夏の紫外線対策としては評価するけど、デザイン性が皆無だわ。もっと差し色を入れるとか、シルエットにメリハリをつけるとかできないの?」
「う、うるさい! とにかく乗れ!」
業を煮やした男の一人が、私の腕を掴んで無理やり馬車に押し込もうとした。
「きゃあッ! 野蛮人!」
私は馬車の中に放り込まれた。
シートに倒れ込む。
……硬い。
クッション性がゼロだわ。
「痛っ……。何このシート、板張りなの? お尻の形が崩れるじゃない!」
「黙ってろ!」
男たちも乗り込み、扉が閉められた。
馬車が急発進する。
ガタンッ! と大きな衝撃が走り、私の身体が跳ねた。
「ストーップ! 運転手、減点!」
私はすぐに窓枠を叩いた。
「サスペンションはどうなっているの!? 振動が直に伝わってくるわ! こんな揺れじゃ、私の内臓がシェイクされてしまう! もっと滑らかに走れないの!?」
「追っ手から逃げてるんだから、飛ばすに決まってんだろ!」
隣に座った男が怒鳴る。
「逃げる時こそ優雅に、よ。焦りは美の敵だわ。それにここ、埃っぽいわね……。掃除したのはいつ? 前世紀かしら?」
私は扇子で口元を覆い、咳き込むフリをした。
男たちは、誘拐したはずの人質が、恐怖するどころか姑(しゅうとめ)のように文句を言い続ける状況に、明らかに困惑していた。
「おい、ボス。こいつ、猿ぐつわをした方がいいんじゃ……」
「そうだな。うるさくてかなわん」
男が薄汚い布を取り出す。
「待ちなさい」
私は鋭い声で制した。
「その布、煮沸消毒はしてあるの?」
「あ?」
「他人の唾液がついた使い回しなんて、生理的に無理よ。新品のガーゼか、もしくは清潔なハンカチ以外は口に入れない主義なの」
「贅沢言うな!」
「贅沢じゃないわ、衛生管理よ! もし変な菌が入って口内炎ができたら、あなたたちに治療費を請求するわよ! 公爵家の治療費は高いわよ~?」
「ぐっ……」
男は布を持ったまま固まった。
下手に怪我や病気をさせて、あとで高額請求されるリスク(あるいはカイル殿下に怒られるリスク)を考えたのだろう。
「はぁ……分かったよ。静かにしてれば何もしねぇ」
「静かにできるかは、あなたたちのサービス次第ね」
私はシートの埃を払い、座り直した。
馬車は王都を抜け、街道を疾走しているようだ。
「で? どこへ連れて行くつもり? カイル殿下の元へ直送?」
「とりあえずアジトへ行く。国境を越えるのは夜になってからだ」
「アジト……響きが悪いわね。『隠れ家リゾート』と言い換えなさい」
私は窓のカーテンを少しだけ開けた。
外は夕暮れだ。
「ねえ、喉が渇いたわ。お水ないの?」
「ねぇよ」
「信じられない。人質へのホスピタリティがなってないわ。水分不足は肌の乾燥を招くのよ? 次の町で止まって、ミネラルウォーターを買ってきてちょうだい。できれば硬水で、レモンを搾ったやつね」
「遠足じゃねぇんだぞ!」
「私の人生はいつだって遠足よ。……あ、ちょっと! 今、段差があったわよ! 腰に響いたわ! 運転手に『減給』と伝えて!」
車内はカオスだった。
私が文句を言い、男たちが青筋を立てて耐える。
本来なら「助けてー!」と叫ぶべき場面だが、私は叫ぶよりも改善要求を出すことに忙しかった。
しばらくして、馬車が森の中にある廃屋の前で停まった。
ここがアジトらしい。
「降りろ。到着だ」
男たちに促され、私は馬車を降りた。
目の前にあるのは、ボロボロの木造小屋。
屋根は傾き、窓ガラスは割れ、庭は雑草だらけだ。
「……嘘でしょう?」
私は絶句した。
「ここに私を入れるつもり? 廃墟マニアの撮影会じゃないのよ?」
「文句言うな。しばらくここで待機だ」
男たちは私を小屋の中に押し込んだ。
中は薄暗く、黴(カビ)臭い。
唯一の家具は、脚の折れかけた椅子とテーブルだけ。
「座れ。動くなよ」
男たちは入り口を見張り、私を監視下に置いた。
これで完全に監禁成立だ。
しかし、私はへこたれない。
まずは環境整備だ。
「ねえ、そこのあなた」
私は一番若そうな見張り番に声をかけた。
「な、なんだ」
「箒(ほうき)はある? あと雑巾とバケツ」
「は?」
「座れと言われても、こんな埃まみれの椅子に座ったらドレスが汚れるわ。座る前に掃除をするのが常識でしょう?」
「お前、誘拐されてる自覚あるのか……?」
「あるわよ。だからこそ、快適な監禁ライフを送りたいの。ストレスは美容の大敵だもの」
私は彼を睨みつけた。
「早く持ってきて。それとも、私のドレスが汚れて、カイル殿下に『誘拐犯たちがニアンを粗末に扱った』って報告されたい?」
「……ちっ、持ってくりゃいいんだろ」
若い男が渋々、奥から掃除用具を持ってきた。
「ありがとう。気が利くわね。将来有望よ」
私はドレスの裾をまくり上げ(もちろん優雅に)、掃除を開始した。
パタパタと埃を払い、雑巾で椅子を拭く。
「ちょっと、そこ! 足元に蜘蛛の巣があるわよ! 取って!」
「窓を開けて換気をして! カビの胞子で肺が汚れるわ!」
「照明が暗いわ! ランタンをもう二つ追加して!」
いつの間にか、私は指示出し役に回っていた。
男たちは「なんで俺たちが掃除を……」とボヤきながらも、私の剣幕と「カイル殿下への言いつけ」を恐れて、言われるがままに動き回っていた。
一時間後。
廃屋の一角だけが、奇妙に小綺麗になっていた。
私は磨き上げた椅子にハンカチを敷いて座り、満足げに頷いた。
「ふぅ。これなら及第点ね。住めば都とはよく言ったものだわ」
男たちは疲れ切って床に座り込んでいる。
誘拐犯と人質の力関係は、完全に逆転していた。
「おい……腹減ったな」
「なんか食うか……」
男たちが干し肉を取り出す。
「あら、食事? 私にも頂戴」
「人質の分はねぇよ」
「餓死させる気? 私が痩せ細って頬がこけたら、美しさのバランスが崩れるわ。責任取れるの?」
「……あーもう! ほらよ!」
男が硬いパンを投げて寄越す。
「キャッチ」
私は華麗に受け止め、そして眉をひそめた。
「硬いわね。スープに浸さないと食べられないわ。スープ作って」
「いい加減にしろ!!」
リーダー格の男がキレた。
当然の反応だ。
「お前な、状況分かってんのか!? 俺たちは凶悪な誘拐犯なんだぞ! 殺すぞコラ!」
彼がドスを抜いて脅してくる。
だが、私は涼しい顔で手鏡を取り出し、前髪を直した。
「殺せないでしょう? カイル殿下の命令は『連れ戻せ』だもの。死体を持ち帰ったら、あなたが処刑されるわよ」
「ぐっ……」
「それに、私を殺したら世界中のファンが黙っていないわ。暴動が起きるわよ」
「起きねぇよ!」
その時だった。
小屋の外から、馬の蹄の音が聞こえてきた。
それも一頭ではない。
地響きのような、多数の馬の足音だ。
「なんだ!? 追っ手か!?」
男たちが色めき立つ。
私は手鏡を閉じ、ニッコリと微笑んだ。
「来たわね」
「誰がだ!」
「私のナイトよ。……少し遅刻だけど、登場シーンとしては悪くないタイミングだわ」
バォォン!!
小屋の扉が、魔法か何かで吹き飛ばされた。
木っ端微塵になった扉の向こうに、夕陽を背負った騎士たちの姿が浮かび上がる。
先頭に立つのは、銀色の髪をなびかせ、蒼い瞳を怒りに燃え上がらせたジェラルドだった。
その姿は、まさに絵本から飛び出してきた王子様そのもの。
「そこまでだ、下郎ども!」
ジェラルドの声が轟く。
「俺の『宝石』に指一本でも触れてみろ。その薄汚いアジトごと消し炭にしてやる!」
「ひぃッ! 氷の騎士だ!」
「逃げろーッ!」
男たちがパニックになる中、私は優雅に手を振った。
「ジェラルド! 遅いわよ! 待ちくたびれて、お腹が空いてしまったじゃない!」
恐怖の誘拐劇?
いいえ。
これは、私の美しさが引き起こした、ちょっとしたアトラクションに過ぎないのよ。
私は苛立ちを隠そうともせず、扇子で手首をトントンと叩いた。
場所は王都の裏通りにある、人気の洋菓子店の前。
セバスチャンが「限定50個の極上プリン」を買いに店に入ってから、既に10分が経過していた。
「私の貴重な時間を10分も奪うなんて。この時間があれば、まつ毛の角度をあと0.5度上げられたかもしれないのに」
私が一人でブツブツと文句を言っていると、不意に目の前に黒塗りの馬車が停まった。
窓にはカーテンが引かれ、中の様子は伺えない。
御者台に座っている男は、目深に帽子を被っている。
「あら? お迎えかしら?」
ジェラルドが気を利かせて馬車を寄越したのかと思った。
しかし、馬車の扉が開き、中から出てきたのは執事のセバスチャンではなく、黒い服に身を包んだ強面の男たちだった。
二人、三人……四人も出てくる。
「ニアン・ローズベルクだな?」
男の一人が低い声で尋ねてきた。
「ええ、そうよ。世界一美しいニアン・ローズベルクとは私のことだけど。サインなら列に並んでくださる?」
私は扇子を取り出し、サインを書く準備をした。
しかし、男たちは色紙ではなく、布袋とロープを取り出した。
「悪いが、一緒に来てもらおう」
「……は?」
私は手を止めた。
「ナンパ? それとも誘拐? どちらにしてもお断りよ。見て分からない? 今の私は『プリン待ちモード』なの。糖分を摂取するまで、一歩も動く気はないわ」
「問答無用だ! カイル殿下の命令だ、国へ連れ戻す!」
男たちが一斉に襲いかかってくる。
カイルの名前が出た時点で事情は察した。
あの元婚約者、まだ私に執着しているのね。
未練がましい男は嫌われるって、教えてあげなかったかしら。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
私は大声を上げた。
男たちがビクリとして止まる。
「な、なんだ。命乞いか?」
「違うわ! その袋!」
私は男が持っていた布袋を指差した。
「麻袋(あさぶくろ)じゃない! 正気なの!?」
「は?」
「麻の繊維は硬くて粗いのよ! あんなものを私の頭から被せたら、摩擦で髪が傷むし、肌に跡がつくじゃない! 誘拐するならシルクの袋を用意するのがマナーでしょう!」
「し、シルク……?」
男たちは顔を見合わせた。
「それに、そのロープ! シュロ縄なんて論外よ! 私の手首を縛るなら、ベルベットのリボンか、最低でもサテンの帯にしなさい。赤く腫れたらどうしてくれるの!」
「い、いや、俺たちは誘拐犯で……」
「職業なんて関係ないわ! プロなら道具にこだわりなさいよ!」
私は説教を開始した。
路上での誘拐劇が、一瞬にして路上ファッションチェックへと変貌する。
「お前たち、その格好も何よ。全身黒ずくめなんて、夏の紫外線対策としては評価するけど、デザイン性が皆無だわ。もっと差し色を入れるとか、シルエットにメリハリをつけるとかできないの?」
「う、うるさい! とにかく乗れ!」
業を煮やした男の一人が、私の腕を掴んで無理やり馬車に押し込もうとした。
「きゃあッ! 野蛮人!」
私は馬車の中に放り込まれた。
シートに倒れ込む。
……硬い。
クッション性がゼロだわ。
「痛っ……。何このシート、板張りなの? お尻の形が崩れるじゃない!」
「黙ってろ!」
男たちも乗り込み、扉が閉められた。
馬車が急発進する。
ガタンッ! と大きな衝撃が走り、私の身体が跳ねた。
「ストーップ! 運転手、減点!」
私はすぐに窓枠を叩いた。
「サスペンションはどうなっているの!? 振動が直に伝わってくるわ! こんな揺れじゃ、私の内臓がシェイクされてしまう! もっと滑らかに走れないの!?」
「追っ手から逃げてるんだから、飛ばすに決まってんだろ!」
隣に座った男が怒鳴る。
「逃げる時こそ優雅に、よ。焦りは美の敵だわ。それにここ、埃っぽいわね……。掃除したのはいつ? 前世紀かしら?」
私は扇子で口元を覆い、咳き込むフリをした。
男たちは、誘拐したはずの人質が、恐怖するどころか姑(しゅうとめ)のように文句を言い続ける状況に、明らかに困惑していた。
「おい、ボス。こいつ、猿ぐつわをした方がいいんじゃ……」
「そうだな。うるさくてかなわん」
男が薄汚い布を取り出す。
「待ちなさい」
私は鋭い声で制した。
「その布、煮沸消毒はしてあるの?」
「あ?」
「他人の唾液がついた使い回しなんて、生理的に無理よ。新品のガーゼか、もしくは清潔なハンカチ以外は口に入れない主義なの」
「贅沢言うな!」
「贅沢じゃないわ、衛生管理よ! もし変な菌が入って口内炎ができたら、あなたたちに治療費を請求するわよ! 公爵家の治療費は高いわよ~?」
「ぐっ……」
男は布を持ったまま固まった。
下手に怪我や病気をさせて、あとで高額請求されるリスク(あるいはカイル殿下に怒られるリスク)を考えたのだろう。
「はぁ……分かったよ。静かにしてれば何もしねぇ」
「静かにできるかは、あなたたちのサービス次第ね」
私はシートの埃を払い、座り直した。
馬車は王都を抜け、街道を疾走しているようだ。
「で? どこへ連れて行くつもり? カイル殿下の元へ直送?」
「とりあえずアジトへ行く。国境を越えるのは夜になってからだ」
「アジト……響きが悪いわね。『隠れ家リゾート』と言い換えなさい」
私は窓のカーテンを少しだけ開けた。
外は夕暮れだ。
「ねえ、喉が渇いたわ。お水ないの?」
「ねぇよ」
「信じられない。人質へのホスピタリティがなってないわ。水分不足は肌の乾燥を招くのよ? 次の町で止まって、ミネラルウォーターを買ってきてちょうだい。できれば硬水で、レモンを搾ったやつね」
「遠足じゃねぇんだぞ!」
「私の人生はいつだって遠足よ。……あ、ちょっと! 今、段差があったわよ! 腰に響いたわ! 運転手に『減給』と伝えて!」
車内はカオスだった。
私が文句を言い、男たちが青筋を立てて耐える。
本来なら「助けてー!」と叫ぶべき場面だが、私は叫ぶよりも改善要求を出すことに忙しかった。
しばらくして、馬車が森の中にある廃屋の前で停まった。
ここがアジトらしい。
「降りろ。到着だ」
男たちに促され、私は馬車を降りた。
目の前にあるのは、ボロボロの木造小屋。
屋根は傾き、窓ガラスは割れ、庭は雑草だらけだ。
「……嘘でしょう?」
私は絶句した。
「ここに私を入れるつもり? 廃墟マニアの撮影会じゃないのよ?」
「文句言うな。しばらくここで待機だ」
男たちは私を小屋の中に押し込んだ。
中は薄暗く、黴(カビ)臭い。
唯一の家具は、脚の折れかけた椅子とテーブルだけ。
「座れ。動くなよ」
男たちは入り口を見張り、私を監視下に置いた。
これで完全に監禁成立だ。
しかし、私はへこたれない。
まずは環境整備だ。
「ねえ、そこのあなた」
私は一番若そうな見張り番に声をかけた。
「な、なんだ」
「箒(ほうき)はある? あと雑巾とバケツ」
「は?」
「座れと言われても、こんな埃まみれの椅子に座ったらドレスが汚れるわ。座る前に掃除をするのが常識でしょう?」
「お前、誘拐されてる自覚あるのか……?」
「あるわよ。だからこそ、快適な監禁ライフを送りたいの。ストレスは美容の大敵だもの」
私は彼を睨みつけた。
「早く持ってきて。それとも、私のドレスが汚れて、カイル殿下に『誘拐犯たちがニアンを粗末に扱った』って報告されたい?」
「……ちっ、持ってくりゃいいんだろ」
若い男が渋々、奥から掃除用具を持ってきた。
「ありがとう。気が利くわね。将来有望よ」
私はドレスの裾をまくり上げ(もちろん優雅に)、掃除を開始した。
パタパタと埃を払い、雑巾で椅子を拭く。
「ちょっと、そこ! 足元に蜘蛛の巣があるわよ! 取って!」
「窓を開けて換気をして! カビの胞子で肺が汚れるわ!」
「照明が暗いわ! ランタンをもう二つ追加して!」
いつの間にか、私は指示出し役に回っていた。
男たちは「なんで俺たちが掃除を……」とボヤきながらも、私の剣幕と「カイル殿下への言いつけ」を恐れて、言われるがままに動き回っていた。
一時間後。
廃屋の一角だけが、奇妙に小綺麗になっていた。
私は磨き上げた椅子にハンカチを敷いて座り、満足げに頷いた。
「ふぅ。これなら及第点ね。住めば都とはよく言ったものだわ」
男たちは疲れ切って床に座り込んでいる。
誘拐犯と人質の力関係は、完全に逆転していた。
「おい……腹減ったな」
「なんか食うか……」
男たちが干し肉を取り出す。
「あら、食事? 私にも頂戴」
「人質の分はねぇよ」
「餓死させる気? 私が痩せ細って頬がこけたら、美しさのバランスが崩れるわ。責任取れるの?」
「……あーもう! ほらよ!」
男が硬いパンを投げて寄越す。
「キャッチ」
私は華麗に受け止め、そして眉をひそめた。
「硬いわね。スープに浸さないと食べられないわ。スープ作って」
「いい加減にしろ!!」
リーダー格の男がキレた。
当然の反応だ。
「お前な、状況分かってんのか!? 俺たちは凶悪な誘拐犯なんだぞ! 殺すぞコラ!」
彼がドスを抜いて脅してくる。
だが、私は涼しい顔で手鏡を取り出し、前髪を直した。
「殺せないでしょう? カイル殿下の命令は『連れ戻せ』だもの。死体を持ち帰ったら、あなたが処刑されるわよ」
「ぐっ……」
「それに、私を殺したら世界中のファンが黙っていないわ。暴動が起きるわよ」
「起きねぇよ!」
その時だった。
小屋の外から、馬の蹄の音が聞こえてきた。
それも一頭ではない。
地響きのような、多数の馬の足音だ。
「なんだ!? 追っ手か!?」
男たちが色めき立つ。
私は手鏡を閉じ、ニッコリと微笑んだ。
「来たわね」
「誰がだ!」
「私のナイトよ。……少し遅刻だけど、登場シーンとしては悪くないタイミングだわ」
バォォン!!
小屋の扉が、魔法か何かで吹き飛ばされた。
木っ端微塵になった扉の向こうに、夕陽を背負った騎士たちの姿が浮かび上がる。
先頭に立つのは、銀色の髪をなびかせ、蒼い瞳を怒りに燃え上がらせたジェラルドだった。
その姿は、まさに絵本から飛び出してきた王子様そのもの。
「そこまでだ、下郎ども!」
ジェラルドの声が轟く。
「俺の『宝石』に指一本でも触れてみろ。その薄汚いアジトごと消し炭にしてやる!」
「ひぃッ! 氷の騎士だ!」
「逃げろーッ!」
男たちがパニックになる中、私は優雅に手を振った。
「ジェラルド! 遅いわよ! 待ちくたびれて、お腹が空いてしまったじゃない!」
恐怖の誘拐劇?
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これは、私の美しさが引き起こした、ちょっとしたアトラクションに過ぎないのよ。
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