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「…っ!」
ルーナは、今度こそ、本気で、顔を赤らめていた。
目の前で、この国の「氷の騎士」が、自分(というより、自分のお菓子)に、生涯を捧げると、厳かに、片膝をついている。
その青い瞳は、冗談などでは、到底ない、真剣な光を宿していた。
(う、うそ、ですわ…! この、堅物! 朴念仁! 氷の騎士様が!)
(わたくしを、わたくしのお菓子と、同列に、扱って…!)
壁際で、この一部始終を見ていたアンナが「きゃあ…! お嬢様…!」と、感涙にむせび、口元を押さえている。
(い、いけませんわ、ルーナ! ここで、この男のペースに、巻き込まれては!)
「…あ、あの、ですね」
ルーナは、しどろもどろになりながら、必死で、いつもの「悪役令嬢」の仮面を被り直そうとした。
「副団長様。そのように、公衆の面前(アンナと、そこで気絶しかけている殿下が見ておりますが)で、わたくしを口説くなど。あなた様も、ずいぶんと、王宮の面倒ごとに、頭のネジが、緩んでしまわれたのではなくて?」
「俺は、正気だ」
アレクシスは、ゆっくりと立ち上がった。
その長身が、ルーナの目の前に、影を落とす。
「貴女の『責任』を取る。これは、任務ではなく、俺個人の、決断だ」
「…わたくしを、ですって? お菓子だけ、ではなく?」
ルーナが、最後の抵抗のように、上目遣いで、彼を試す。
「どちらもだ」
アレクシスは、きっぱりと、言い切った。
「…」
ルーナは、深すぎる、そして、どこか、諦めたような、甘いため息をついた。
「はぁ…。あなた様は、わたくしが想像していた以上に、面倒くさいお方ですわね」
(わたくしの、平穏な、昼寝三昧の、謹慎ライフが…!)
「あ…あ…」
その時、廊下の床から、か細い、怨念のような声が聞こえた。
二人の世界に入り込んでいたルーナとアレクシスは、ようやく、そこに「障害物」が転がっていたことを思い出した。
エリオット王子だった。
彼は、床に座り込んだまま、この世の終わりのような顔で、二人を、交互に見上げていた。
「そ、そんな…アレクシスまで…! お前も、この悪女に、騙されたのか!」
「あら、殿下。まだ、いらっしゃいましたの」
ルーナは、エリオットに向き直った。
その顔には、先ほどの動揺など、微塵も感じさせない、完璧な、そして、最高に意地の悪い「悪役令嬢」の笑みが、浮かんでいた。
「騙されてなど、おりませんわ。これが、結末ですのよ」
「な…」
「わたくしは、王妃の座も、あなた様の隣も、この(厨房の)オーブンほどにも、望んでおりませんでした」
「お、オーブン、だと…!?」
「そして、これ以上、この王宮(という名の面倒な職場)に、一秒たりとも、留まる気はございません」
「き、貴様…! では、マリアの教育は、どうするのだ! 任務は、まだ…!」
エリオットが、最後のプライドで、そう叫んだ。
「三日間の任務は、完了いたしましたわ。あの方が、今後、スープを手づかみで飲もうと、わたくしの知ったことではございません。それは、あなた様(元婚約者)が、生涯かけて、再教育なさってくださいまし」
「ぐ…っ!」
エリオットは、言葉に詰まった。
「というわけで」
ルーナは、くるりと、アレクシスに向き直った。
その瞳は、もはや、からかいではなく、真剣な「ビジネス」の光を宿していた。
「わたくし、王宮は辞退します。あの別荘へ、帰りますわ」
「そうか」
アレクシスが、静かに頷く。
「つきましては、副団長様」
「…」
「わたくし、あの湖畔で、お菓子屋を開こうと、思っておりますの」
「…お菓子屋?」
アレクシスの眉が、ピクリと、興味深そうに動いた。
「ええ。マルシェでは、大盛況でしたから。あれは、なかなか、良い商売になりますわ。あの、夢のオーブンが、なくても、ね」
「それで」
ルーナは、悪戯っぽく、笑った。
「あなた様は、先ほど、わたくしの『責任』を取ると、大見得を、切ってくださいましたわよね?」
「…ああ」
「では、王宮騎士団の副団長などという、お堅い仕事は、さっさと、辞めていただいて」
「…」
「わたくしのお店の、専属用心棒(ガードマン)兼、共同経営者(という名の、永久味見役)になっていただかないと、困りますわ」
「…!」
アレクシスは、その、とんでもない「転職」の提案を、数秒間、頭の中で、反芻(はんすう)した。
騎士の栄誉、王家への忠誠、これまでのキャリア。
それら全てが、天秤の片方に乗る。
そして、もう片方には、この図太い女と、彼女の焼く、極上の菓子が乗っていた。
「…副団長の職務より、重責だな」
アレクシスが、大真面目な顔で、そう呟いた。
「あら、当然ですわ。わたくしの、完璧なレシピと、平穏な昼寝を、守るのですもの」
「…良かろう」
アレクシスは、きっぱりと、頷いた。
「謹んで、その『重責』を、お受けする」
「! き、貴様ら! 待て! 俺を、俺を置いていくな! ルーナ!」
エリオットが、みっともなく叫ぶ。
だが、ルーナは、もう、振り返らなかった。
「アンナ! 荷造りですわ! ああ、でも、あのオーブン(スチコン)に、最後のお別れの挨拶だけ、してきてもよろしくて?」
「お嬢様…! ええ、ええ!」
アンナが、嬉し涙を、ハンカチで拭っている。
「アレクシス様」
「…『様』は、不要だ」
「あら、そうですの? では、アレクシス」
ルーナは、彼を見上げ、今日、一番の、幸せそうな笑顔を見せた。
「わたくしのお店の、最初の従業員として、荷馬車の手配を、お願いできますこと?」
「…承知した。雇用主(オーナー)」
アレクシスが、その堅物の顔で、冗談とも本気ともつかない返事をする。
(あら、あら。この堅物騎士様、わたくしが思っていたより、ずっと、面白い方かもしれませんわね)
ルーナは、心の底から、楽しそうに笑った。
王妃の座も、王子の愛も、欲しくなかった。
彼女が手に入れたのは、もっと甘く、もっと自由で、そして、ちょっと(かなり)堅物で、甘党な、最高のパートナーだった。
王子の絶望的な叫び声だけが、二人の門出を、滑稽に彩るBGMのように、王宮の廊下に、響き渡っていた。
「さあ、帰りましょう! 我らが『湖畔の別荘(わたくしのお城)』へ!」
断罪された悪役令嬢の、図太く、甘く、そして、幸せ(仮)なセカンドライフが、今、高らかな腹の虫(主に、騎士様の)と共に幕を開けた。
ルーナは、今度こそ、本気で、顔を赤らめていた。
目の前で、この国の「氷の騎士」が、自分(というより、自分のお菓子)に、生涯を捧げると、厳かに、片膝をついている。
その青い瞳は、冗談などでは、到底ない、真剣な光を宿していた。
(う、うそ、ですわ…! この、堅物! 朴念仁! 氷の騎士様が!)
(わたくしを、わたくしのお菓子と、同列に、扱って…!)
壁際で、この一部始終を見ていたアンナが「きゃあ…! お嬢様…!」と、感涙にむせび、口元を押さえている。
(い、いけませんわ、ルーナ! ここで、この男のペースに、巻き込まれては!)
「…あ、あの、ですね」
ルーナは、しどろもどろになりながら、必死で、いつもの「悪役令嬢」の仮面を被り直そうとした。
「副団長様。そのように、公衆の面前(アンナと、そこで気絶しかけている殿下が見ておりますが)で、わたくしを口説くなど。あなた様も、ずいぶんと、王宮の面倒ごとに、頭のネジが、緩んでしまわれたのではなくて?」
「俺は、正気だ」
アレクシスは、ゆっくりと立ち上がった。
その長身が、ルーナの目の前に、影を落とす。
「貴女の『責任』を取る。これは、任務ではなく、俺個人の、決断だ」
「…わたくしを、ですって? お菓子だけ、ではなく?」
ルーナが、最後の抵抗のように、上目遣いで、彼を試す。
「どちらもだ」
アレクシスは、きっぱりと、言い切った。
「…」
ルーナは、深すぎる、そして、どこか、諦めたような、甘いため息をついた。
「はぁ…。あなた様は、わたくしが想像していた以上に、面倒くさいお方ですわね」
(わたくしの、平穏な、昼寝三昧の、謹慎ライフが…!)
「あ…あ…」
その時、廊下の床から、か細い、怨念のような声が聞こえた。
二人の世界に入り込んでいたルーナとアレクシスは、ようやく、そこに「障害物」が転がっていたことを思い出した。
エリオット王子だった。
彼は、床に座り込んだまま、この世の終わりのような顔で、二人を、交互に見上げていた。
「そ、そんな…アレクシスまで…! お前も、この悪女に、騙されたのか!」
「あら、殿下。まだ、いらっしゃいましたの」
ルーナは、エリオットに向き直った。
その顔には、先ほどの動揺など、微塵も感じさせない、完璧な、そして、最高に意地の悪い「悪役令嬢」の笑みが、浮かんでいた。
「騙されてなど、おりませんわ。これが、結末ですのよ」
「な…」
「わたくしは、王妃の座も、あなた様の隣も、この(厨房の)オーブンほどにも、望んでおりませんでした」
「お、オーブン、だと…!?」
「そして、これ以上、この王宮(という名の面倒な職場)に、一秒たりとも、留まる気はございません」
「き、貴様…! では、マリアの教育は、どうするのだ! 任務は、まだ…!」
エリオットが、最後のプライドで、そう叫んだ。
「三日間の任務は、完了いたしましたわ。あの方が、今後、スープを手づかみで飲もうと、わたくしの知ったことではございません。それは、あなた様(元婚約者)が、生涯かけて、再教育なさってくださいまし」
「ぐ…っ!」
エリオットは、言葉に詰まった。
「というわけで」
ルーナは、くるりと、アレクシスに向き直った。
その瞳は、もはや、からかいではなく、真剣な「ビジネス」の光を宿していた。
「わたくし、王宮は辞退します。あの別荘へ、帰りますわ」
「そうか」
アレクシスが、静かに頷く。
「つきましては、副団長様」
「…」
「わたくし、あの湖畔で、お菓子屋を開こうと、思っておりますの」
「…お菓子屋?」
アレクシスの眉が、ピクリと、興味深そうに動いた。
「ええ。マルシェでは、大盛況でしたから。あれは、なかなか、良い商売になりますわ。あの、夢のオーブンが、なくても、ね」
「それで」
ルーナは、悪戯っぽく、笑った。
「あなた様は、先ほど、わたくしの『責任』を取ると、大見得を、切ってくださいましたわよね?」
「…ああ」
「では、王宮騎士団の副団長などという、お堅い仕事は、さっさと、辞めていただいて」
「…」
「わたくしのお店の、専属用心棒(ガードマン)兼、共同経営者(という名の、永久味見役)になっていただかないと、困りますわ」
「…!」
アレクシスは、その、とんでもない「転職」の提案を、数秒間、頭の中で、反芻(はんすう)した。
騎士の栄誉、王家への忠誠、これまでのキャリア。
それら全てが、天秤の片方に乗る。
そして、もう片方には、この図太い女と、彼女の焼く、極上の菓子が乗っていた。
「…副団長の職務より、重責だな」
アレクシスが、大真面目な顔で、そう呟いた。
「あら、当然ですわ。わたくしの、完璧なレシピと、平穏な昼寝を、守るのですもの」
「…良かろう」
アレクシスは、きっぱりと、頷いた。
「謹んで、その『重責』を、お受けする」
「! き、貴様ら! 待て! 俺を、俺を置いていくな! ルーナ!」
エリオットが、みっともなく叫ぶ。
だが、ルーナは、もう、振り返らなかった。
「アンナ! 荷造りですわ! ああ、でも、あのオーブン(スチコン)に、最後のお別れの挨拶だけ、してきてもよろしくて?」
「お嬢様…! ええ、ええ!」
アンナが、嬉し涙を、ハンカチで拭っている。
「アレクシス様」
「…『様』は、不要だ」
「あら、そうですの? では、アレクシス」
ルーナは、彼を見上げ、今日、一番の、幸せそうな笑顔を見せた。
「わたくしのお店の、最初の従業員として、荷馬車の手配を、お願いできますこと?」
「…承知した。雇用主(オーナー)」
アレクシスが、その堅物の顔で、冗談とも本気ともつかない返事をする。
(あら、あら。この堅物騎士様、わたくしが思っていたより、ずっと、面白い方かもしれませんわね)
ルーナは、心の底から、楽しそうに笑った。
王妃の座も、王子の愛も、欲しくなかった。
彼女が手に入れたのは、もっと甘く、もっと自由で、そして、ちょっと(かなり)堅物で、甘党な、最高のパートナーだった。
王子の絶望的な叫び声だけが、二人の門出を、滑稽に彩るBGMのように、王宮の廊下に、響き渡っていた。
「さあ、帰りましょう! 我らが『湖畔の別荘(わたくしのお城)』へ!」
断罪された悪役令嬢の、図太く、甘く、そして、幸せ(仮)なセカンドライフが、今、高らかな腹の虫(主に、騎士様の)と共に幕を開けた。
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