もう何も奪わせない。私が悪役令嬢になったとしても。

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
10 / 28

10

しおりを挟む
屋敷に戻った私は、商人街で手に入れたマルタン工房との契約書を握りしめ、まっすぐ父の書斎へ向かった。

父は、相変わらず山積みの書類とにらめっこをしていた。

その疲弊しきった横顔に、私は胸が締め付けられる思いだったが、今は感傷に浸っている場合ではない。

「お父様。ただいま戻りました」

「おお、エレノアか。無事だったか……。まったく、お前という娘は。護衛もつけずに一人で出かけるなど」

父は私を咎(とが)める口調だったが、その声には安堵(あんど)の色が滲んでいた。

「ご心配をおかけしました。ですが、収穫はございましたわ」

私は、アルベールの名を伏せたまま、マルタン工房との契約書を父のデスクに差し出した。

「これは……?」

父は、怪訝(けげん)な顔で羊皮紙を手に取った。

そして、その内容に目を通すうちに、目を見開いていく。

「……馬鹿な。マルタン工房だと?あそこは、王家の御用達でもある、あの頑固なマルタンか。彼が、我らの鉱石を、しかもこの価格で?」

「はい。王家の影響が及ばぬよう、別の商会を経由しての取引となります。手はずは、すべて整えてまいりました」

「お前が……?お前が、どうやってこれを」

父は、信じられないという顔で、契約書と私を交互に見た。

「私には、私の『駒』がおりますゆえ」

私は、アルベールのことをそう表現した。

「王都の商人たちも、一枚岩ではございません。王家の圧力を疎(うと)ましく思っている者もおります。私たちは、そこを突いただけですわ」

父は、しばらくの間、言葉を失っていた。

彼がヴァルガス侯爵として長年守ってきたものが、王家によって一方的に奪われていくのを、ただ耐えるしかなかったのだ。

だが、私が持ち帰ったこの一枚の契約書は、単なる資金源の確保以上の意味を持っていた。

それは、王家に頼らずとも、ヴァルガス家が自らの力で立つ道が、まだ残されているという証明だった。

「……そうか。そうだったな」

父は、ふっと息を吐くと、顔を上げた。

その目には、数日前の絶望的な疲労の色ではなく、かつての領主としての鋭い光が戻りつつあった。

「私は、王家との関係ばかりに目を奪われて、足元を見ていなかった。我らの領地には、まだ力がある。それを、お前に教えられるとはな」

父は、その契約書を、まるで宝物のように大切そうに握りしめた。

「エレノア。よく、やってくれた」

その言葉は、私の胸に温かく響いた。

この契約を皮切りに、流れは少しずつ変わり始めた。

父が、マルタン工房とのルートを足掛かりに、これまで王家の目を気にして取引を渋っていた他の商人たちへも、慎重に接触を再開したのだ。

もちろん、全ての商人が戻ってきたわけではない。

あからさまに私たちを避ける者もいた。

だが、王家からの圧力に屈しなかったマルタン工房という実績が、他の商人たちの心を揺さぶったのだ。

「旦那様、古くからお付き合いのある、あのガルニエ商会が、面会を求めてきております!」

数日後、父の執事が慌てた様子で書斎に飛び込んできた。

ガルニエ商会は、父の代から続く、最も信頼の厚い取引先の一つだった。

しかし、今回の騒動で真っ先に距離を置いてきた商会でもあった。

「……通せ」

父は、静かにそう命じた。

私は、隣の部屋で、父とガルニ"エ商会の会頭(かいとう)との会話に耳を澄ませていた。

「この度は……誠に、申し訳ないことを……」

会頭は、ひどく恐縮していた。

「王家からの圧力が、あまりにも強く……。我らのような小さな商会では、逆らえなかったのです」

「……頭を上げてください、ガルニ"エ殿」

父の、静かで威厳のある声が響く。

「貴殿の立場も理解できる。過ぎたことを、今更とやかく言うつもりはない。それよりも、今後の話がしたい」

「!……では、侯爵様」

「ヴァルガス家は、まだ終わってはいない。我らの領地が産出する資源の価値は、王家の一存で決まるものではないはずだ。我らは、正当な取引をしてくれる相手となら、これまで通り、誠意をもって付き合うつもりだ」

「……ありがたき、お言葉!」

ガルニ"エ会頭の声は、安堵と、新たな決意に震えていた。

父は、王家への恨み言を一切口にしなかった。

ただ、領主として、商人としての「正道」を示しただけだった。

その姿は、なんと力強いことか。

会談が終わり、会頭が深々と頭を下げて帰っていくのを、私は隠れて見送った。

書斎に戻ると、父が窓の外を眺めて立っていた。

「……お父様」

「エレノア」

父は、ゆっくりと振り返った。

その顔は、私がずっと見てきた、誇り高きヴァルガス侯爵の顔だった。

彼は、泣きそうな顔で、しかし、心の底から嬉しそうに、笑ったのだ。

「お前の言う通りだった。我らは、まだ戦える」

父のその笑顔を見た瞬間、私の心に固く詰まっていた氷が、ほんの一部、音を立てて溶けた気がした。

私が選んだこの道。

婚約者に裏切られ、友に裏切られ、社交界から「悪役令嬢」と罵(ののし)られるこの道は、間違いではなかった。

エドワード様、リリアン様。

あなた方が私から奪ったのは、確かに大きかった。

けれど、私は、あなた方が奪おうとしたもの――この家族の誇りと未来を、この手で取り戻してみせる。

私は、ポケットの中に残っていた、あの日の焼き栗の、小さな紙袋を強く握りしめた。

父の再起は、始まったばかりだ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されたので、もう誰の役にも立たないことにしました 〜静かな公爵家で、何もしない私の本当の人生が始まります〜

ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、 完璧であることを求められ続けてきた令嬢エリシア。 だがある日、彼女は一方的に婚約を破棄される。 理由は簡単だった。 「君は役に立ちすぎた」から。 すべてを失ったはずの彼女が身を寄せたのは、 “静かな公爵”と呼ばれるアルトゥール・クロイツの屋敷。 そこで待っていたのは―― 期待も、役割も、努力の強要もない日々だった。 前に出なくていい。 誰かのために壊れなくていい。 何もしなくても、ここにいていい。 「第二の人生……いえ、これからが本当の人生です」 婚約破棄ざまぁのその先で描かれる、 何者にもならなくていいヒロインの再生と、 放っておく優しさに満ちた静かな溺愛。 これは、 “役に立たなくなった”令嬢が、 ようやく自分として生き始める物語。

私だってあなたなんて願い下げです!これからの人生は好きに生きます

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のジャンヌは、4年もの間ずっと婚約者で侯爵令息のシャーロンに冷遇されてきた。 オレンジ色の髪に吊り上がった真っ赤な瞳のせいで、一見怖そうに見えるジャンヌに対し、この国で3本の指に入るほどの美青年、シャーロン。美しいシャーロンを、令嬢たちが放っておく訳もなく、常に令嬢に囲まれて楽しそうに過ごしているシャーロンを、ただ見つめる事しか出来ないジャンヌ。 それでも4年前、助けてもらった恩を感じていたジャンヌは、シャーロンを想い続けていたのだが… ある日いつもの様に辛辣な言葉が並ぶ手紙が届いたのだが、その中にはシャーロンが令嬢たちと口づけをしたり抱き合っている写真が入っていたのだ。それもどの写真も、別の令嬢だ。 自分の事を嫌っている事は気が付いていた。他の令嬢たちと仲が良いのも知っていた。でも、まさかこんな不貞を働いているだなんて、気持ち悪い。 正気を取り戻したジャンヌは、この写真を証拠にシャーロンと婚約破棄をする事を決意。婚約破棄出来た暁には、大好きだった騎士団に戻ろう、そう決めたのだった。 そして両親からも婚約破棄に同意してもらい、シャーロンの家へと向かったのだが… ※カクヨム、なろうでも投稿しています。 よろしくお願いします。

悪役令嬢発溺愛幼女着

みおな
ファンタジー
「違います!わたくしは、フローラさんをいじめてなどいません!」  わたくしの声がホールに響いたけれど、誰もわたくしに手を差し伸べて下さることはなかった。  響いたのは、婚約者である王太子殿下の冷たい声。  わたくしに差し伸べられたのは、騎士団長のご子息がわたくしを強く床に押し付ける腕。  冷ややかな周囲のご令嬢ご令息の冷笑。  どうして。  誰もわたくしを信じてくれないまま、わたくしは冷たい牢の中で命を落とした。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

理想の女性を見つけた時には、運命の人を愛人にして白い結婚を宣言していました

ぺきぺき
恋愛
王家の次男として生まれたヨーゼフには幼い頃から決められていた婚約者がいた。兄の補佐として育てられ、兄の息子が立太子した後には臣籍降下し大公になるよていだった。 このヨーゼフ、優秀な頭脳を持ち、立派な大公となることが期待されていたが、幼い頃に見た絵本のお姫様を理想の女性として探し続けているという残念なところがあった。 そしてついに貴族学園で絵本のお姫様とそっくりな令嬢に出会う。 ーーーー 若気の至りでやらかしたことに苦しめられる主人公が最後になんとか幸せになる話。 作者別作品『二人のエリーと遅れてあらわれるヒーローたち』のスピンオフになっていますが、単体でも読めます。 完結まで執筆済み。毎日四話更新で4/24に完結予定。 第一章 無計画な婚約破棄 第二章 無計画な白い結婚 第三章 無計画な告白 第四章 無計画なプロポーズ 第五章 無計画な真実の愛 エピローグ

地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

10回目の婚約破棄。もう飽きたので、今回は断罪される前に自分で自分を追放します。二度と探さないでください(フリではありません)

放浪人
恋愛
「もう、疲れました。貴方の顔も見たくありません」 公爵令嬢リーゼロッテは、婚約者である王太子アレクセイに処刑される人生を9回繰り返してきた。 迎えた10回目の人生。もう努力も愛想笑いも無駄だと悟った彼女は、断罪イベントの一ヶ月前に自ら姿を消すことを決意する。 王城の宝物庫から慰謝料(国宝)を頂き、書き置きを残して国外逃亡! 目指せ、安眠と自由のスローライフ! ――のはずだったのだが。 「『顔も見たくない』だと? つまり、直視できないほど私が好きだという照れ隠しか!」 「『探さないで』? 地の果てまで追いかけて抱きしめてほしいというフリだな!」 実は1周目からリーゼロッテを溺愛していた(が、コミュ障すぎて伝わっていなかった)アレクセイ王子は、彼女の拒絶を「愛の試練(かくれんぼ)」と超ポジティブに誤解! 国家権力と軍隊、そしてS級ダンジョンすら踏破するチート能力を総動員して、全力で追いかけてきた!? 物理で逃げる最強令嬢VS愛が重すぎる勘違い王子。 聖女もドラゴンも帝国も巻き込んだ、史上最大規模の「国境なき痴話喧嘩」が今、始まる! ※表紙はNano Bananaで作成しています

辺境の侯爵令嬢、婚約破棄された夜に最強薬師スキルでざまぁします。

コテット
恋愛
侯爵令嬢リーナは、王子からの婚約破棄と義妹の策略により、社交界での地位も誇りも奪われた。 だが、彼女には誰も知らない“前世の記憶”がある。現代薬剤師として培った知識と、辺境で拾った“魔草”の力。 それらを駆使して、貴族社会の裏を暴き、裏切った者たちに“真実の薬”を処方する。 ざまぁの宴の先に待つのは、異国の王子との出会い、平穏な薬草庵の日々、そして新たな愛。 これは、捨てられた令嬢が世界を変える、痛快で甘くてスカッとする逆転恋愛譚。

処理中です...