もう何も奪わせない。私が悪役令嬢になったとしても。

パリパリかぷちーの

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父がガルニエ商会との信頼を取り戻した一件は、王都の商人たちの間で瞬く間に広がった。

「ヴァルガス侯爵家は、王家の加護がなくとも揺るがないらしい」
「むしろ、王家の介入がなくなったことで、自由に商いがしやすくなったのではないか」

そのような噂が、好意的かどうかは別として、事実として広まっていた。

ヴァルガス家が、もはや「婚約破棄された哀れな没落貴族」ではないと、誰もが認識し始めたのだ。

屋敷に引きこもりがちだった父も、領主としての本来の威厳を取り戻し、再び精力的に政務に励むようになった。

その全ては、私の耳にも入ってくるし、当然、王宮にいるあの二人の耳にも届いていた。

その夜、アルベールが私の部屋を訪れた時の表情は、いつもよりも幾分か楽しそうだった。

「リリアン王女が、ひどく荒れておいでです」

彼は、開口一番そう言った。

「まあ。あのように可憐な方が、荒れる姿など想像もつきませんわ」

私が皮肉で返すと、アルベールは肩をすくめた。

「貴女(あなた)の想像通り、人前ではありません。ですが、侍女たちに当たり散らし、エドワード王子への『おねだり』が、日に日に過剰になっているとか」

「……焦っているのね」

私は、ペンを置いた。

彼女の計算が、狂い始めているのだ。

リリアン様にとって、私はエドワード王子という「獲物」を手に入れるための、ただの障害物だった。

そして、私を踏み台にし、婚約者の座を奪った時点で、彼女の物語は完成するはずだった。

「悲劇のヒロイン」であるリリアン様が、「冷たい悪役」である私から王子を救い出し、二人は幸せに暮らす。

しかし、その「悪役」であるはずの私が、泣き寝入りもせず、没落もせず、むしろ以前より精力的に活動し、ヴァルガス家を立て直している。

これでは、彼女の「悲劇」が、ただの強欲な略奪行為に見えてしまう。

「その通りです。エドワード王子の『庇護欲』だけが、彼女の力の源泉。しかし、その王子自身が、貴女の変貌に困惑している」

アルベールの分析は的確だった。

「貴女という『捨てた女』が、自分がいなくても平然と、いや、むしろ輝きを取り戻していることが、彼のプライドをひどく傷つけているのでしょう」

「自業自得だわ」

私は冷たく言い放った。

「リリアン様は、焦れば焦るほど、エドワード様に執着する。そして、エドワード様は、執着されればされるほど、貴女という『手に入らないもの』を意識し始める。……実に、滑稽な悪循環ですな」

アルベールは、まるで盤面の駒を眺めるように言った。

「そして、アルベール。追い詰められた女が、次に何をするか、あなたなら分かるでしょう?」

「ええ」

アルベールは、私の視線を真っ直ぐに受け止めた。

「彼女は、貴女を公の場で『直接』叩き潰しにくるでしょう。自分が、エドワード王子に『選ばれる』だけの価値があると、周囲に知らしめるために」

その「公の場」は、思ったよりも早くやってきた。

王妃陛下が主催する、慈善事業のための茶会。

それは、貴族の令嬢たちが集う、最も格式高い社交の場の一つだ。

婚約破棄の騒動以来、私はもちろん、ヴァルガス家は王家主催の行事からは一切締め出されていた。

しかし、今回、私のもとに、確かに王妃陛下の名が記された招待状が届いたのだ。

「……罠ね」

私が招待状をテーブルに放り投げると、父が難しい顔をした。

「罠だ。罠に違いない。だが、エレノア、これは王妃陛下直々の御命令だ。正当な理由なく欠席すれば、それこそヴァルガス家に不敬の咎(とが)が着せられる」

リリアン様が、王妃様に取り入ったのだろう。

王妃様は、もともとリリアン様の儚げな様子を気に入り、エドワード様の婚約破棄を(結果的に)容認した方だ。

彼女は、私をこの茶会に引きずり出し、リリアン様の引き立て役として、公衆の面前で恥をかかせようとしているのだ。

「結構ですわ、お父様。受けて立ちましょう」

「エレノア!」

「逃げ回っていては、何も変わりません。それに……」

私は、あの日着た深紅のドレスよりも、さらに深く、夜の闇のような濃紺のドレスを眺めた。

「わたくしも、いつまでもおとなしくしていると思うのは、大間違いだと、皆様にお教えしなくてはなりませんものね」

茶会当日。

王宮の庭園は、完璧に手入れされた花々と、着飾った令嬢たちの香水の匂いで満ちていた。

私が会場に足を踏み入れた瞬間、あのクロンターリ伯爵邸の夜会と同じように、さざ波のような静寂が訪れた。

皆、私を好奇の目で見ている。

「まあ、エレノア様……」
「よく、いらっしゃれたわね……」

私は、それらの視線を無視し、背筋を伸ばして王妃陛下のもとへ挨拶に向かった。

王妃様は、私の顔を見るなり、一瞬、不快そうに眉をひそめたが、すぐに完璧な笑顔を貼り付けた。

「よく来ましたね、エレノア。……あなたの元気そうな顔が見られて、安心しましたわ」

その言葉の裏には、「おとなしくしていればいいものを」という棘(とげ)が隠されている。

「お招きいただき、光栄の至りにございます、王妃陛下」

私が型通りの挨拶を終えると、彼女は待っていたとばかりに、私の背後を指し示した。

「ほら、リリアン。エレノアも、あなたと話したがっているわ」

そこに立っていたのは、純白のドレスに身を包み、天使のように無垢な笑顔を浮かべたリリアン様だった。

そして、その隣には、気まずそうな顔をしたエドワード様も。

「エレノア様!」

リリアン様は、まるで旧友との再会を喜ぶかのように、私の手を取ろうと駆け寄ってきた。

周囲の令嬢たちが、固唾(かたず)を飲んで私たちを見守っている。

「お久しぶりですわ!お元気そうで、本当によかった……。わたくし、エレノア様が、あの日以来、ずっと屋敷に籠っておられると聞いて、どれほど心配していたか……」

彼女の瞳が、みるみるうちに涙で潤んでいく。

これだ。

彼女の得意な「武器」。

周囲の同情を一瞬で引き寄せる、可憐な涙。

「わたくし……。エドワード様とのことは、本当に、その……仕方がなかったのです。でも、エレノア様がわたくしを許してくださらないのではないかと、夜も眠れなくて……」

見事な芝居だった。

私が、彼女を「許さない」、心の狭い女。

彼女が、それに「心を痛めている」、哀れな被害者。

この場で、私が彼女を突き放せば、私は「嫉妬に狂った悪女」の烙印(らくいん)を、公の場で押されることになる。

だが。

私は、もう以前の私ではない。

私は、涙ぐむリリアン様の手を、優しく……しかし、決して握り返すことなく、そっと押し返した。

「リリアン様。お心遣い、痛み入りますわ」

私の声は、穏やかだったが、氷のように冷たく響いた。

「ですが、わたくしは、貴女(あなた)を『許す』とか『許さない』とか、そのようなことを考えたことは、一度もございませんわ」

「え……?」

リリアン様の涙が、一瞬、止まった。

「だって、そうでございましょう?貴女とエドワード様は『真実の愛』で結ばれた。わたくしは、その『真実』の前に、身を引かせていただいた。……それだけのことですわ」

私は、にっこりと微笑んでみせた。

「わたくしが、いつまでも貴女がたの『真実の愛』の障害になっているかのように仰(おっしゃ)るのは……やめていただけます?」

「そ、そんな……。わたくしは、ただ、エレノア様のお気持ちを……」

「わたくしのお気持ち、ですって?」

私は、初めて声を低くした。

「わたくしは今、父と共に、ヴァルガス家の領地経営の立て直しに必死ですの。貴女がたのように、毎日、愛だの恋だのにうつつを抜かしている暇は、ございませんのよ」

「……!」

リリアン様の顔が、さっと青ざめた。

「ああ、ごめんなさい。わたくし、リリアン様のようにもっと『可憐』に振る舞うべきでしたかしら。例えば、こう……」

私は、リリアン様の真似をするように、わざとらしく胸に手を当てて、か細い声を出した。

「『ああ、エドワード様、わたくし、怖いですわ……』と。……あら?」

私は、リリアン様の隣で、顔を真っ赤にして固まっているエドワード様を見た。

「エドワード様。そんなに怖い顔をなさらないで。わたくしはただ、王妃陛下の御前で、リリアン様との誤解を解きたかっただけですわ」

私は、完璧な淑女のカーテシー(礼)をした。

「わたくしは、貴女がたお二人の未来を、心から祝福申し上げております。ですから、どうぞ、お幸せに。……そして、二度と、わたくしを貴女がたの茶番劇に巻き込まないでくださる?」

静寂が、庭園を支配した。

令嬢たちは、何が起こったのか理解できず、ただ私とリリアン様を交互に見ている。

リリアン様は、涙も引っ込み、屈辱に顔を歪ませて震えていた。

彼女の「武器」は、私にはもう通用しない。

「失礼いたしますわ、王妃陛下。わたくし、領地のことで急ぎの用事を思い出しましたので」

私は、凍りついた王妃様に一礼し、堂々と背を向けた。

誰一人、私を止める者はいなかった。

エドワード様が、何かを言いたげに私を睨みつけていた視線だけが、背中に突き刺さっていたが、知ったことではなかった。

リリアン様。

あなたの焦りが、あなた自身の首を絞めることになるのよ。
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