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未読無視

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 ここ数日、思うように仕事が進まない。有花のことが頭から離れないからだ。
 仕方が無いと思いつつも、進捗を遅らせるわけにはいかない。社会人ゆえ。
 クライアントはこちらの事情など知る由もないし、知ったところでなにも変わらない。
 なので今日は残業することにする。
 有花にはLineでそのことを伝えることにした。時間は夕方の五時丁度。いつもなら今から帰るとメッセージを送っているころだ。

『ごめん、ちょっと残業で遅くなる』

 少し待ったが返信は来なかった。
 トーク画面を確認すると既読にもなっていない。
 いつもならすぐに返信がくるのに、珍しいなと思ったが、彼女にだって都合があるだろうと、気にするのをやめた。
 それより早く仕事を終わらせて帰ることが先決だと思った。黙々とディスプレイを睨みつけキーボードを叩き続ける。
 カタカタカタカタ……。

 ボーンと壁掛け時計が六時を告げた。
 そういえばLineの返信が来ていない。気が付かなかっただけだろうかとスマホを持ち上げる。なぜか既読になっていなかった。
 一抹の不安が一哉の胸をかすめた。
 しかしそれだけだ。一哉にはどうしようもない。
 彼女との連絡方法は今のところLineだけだ。

 そういえばいつもライン通話で話していたので、電話番号を聞いていなかった。まぁ知っていたとしてもLineの返信がないのだから電話にも出られないだろう。
 うだうだ考えていても仕方がないので仕事に集中することにした。
 カタカタカタカタ……。

 再び壁掛け時計が時報を告げた。七時だ。
 スマホを確認するが、やはり返信もないし既読もついていない。
 さすがにおかしいと思った。

 まさかという想いと、そんなはずは無いという想いが交錯する。
 一哉は普段ネガティブ思考だ。それは自分でもわかっている。だからあえてLineに返信が来ない理由をポジティブに考えてみる。

 ……ただたんにスマホの充電を忘れているだけかもしれない。
 ……もしかしたらスマホを壊して連絡出来ないだけかもしれない。
 ……お見舞いが立て込んでスマホを触る暇が無いのかもしれない。
 ……案外ゲームに夢中になっているだけかもしれないし、カヤがログインしたら普通にササが来るかもしれない。

 いくらだって返信できないシチュエーションくらい思いつく。
 集中! 集中! と一哉は両の頬を強く叩いた。
 しかし考え出したら、もう止まらなかった。
 しかも、作り物のポジティブ思考は鳴りを潜め、本来のネガティブ思考が目を覚ましたようだ。

 病衣に着替えた彼女の姿が思い浮かんだ。沢山の機器に囲まれた病室で身体に無数のチューブに繋がれてベッドに横になっている。その眼は閉じられていて口には酸素マスクが装着されている。数人の看護師が慌ただしく病室を出入りしてる。やがて白衣を着た医者がやってきた。
 そこで急に映像は切り替わった。
 天井に大きな照明機器が付いたそこは手術室だ。ベッドに横たわるのは蒼白な顔をした有花。彼女のベッドを取り囲むように数人の看護師と麻酔技師、医者の姿が見える。その医者がゴム手袋の両手を持ち上げ手術の開始を告げた。

 ――もうだめだ。

 仕事とプライベートは切り分けないとと思っているが、全然仕事が手につかない。
 気が付けば両肘を机に立てて、組んだ手の上に頭を乗せていた。
 時間だけが過ぎ去るがディスプレイのエディター画面はさっきからずっと同じ位置でカーソルが点滅している。

 その時、時計の時報が八時を告げた。
 一哉はLine通話で有花に電話をした。
 呼び出しのコールが鳴り続けるが有花が出る気配は一向に無かった。

 一哉は仕事を切り上げ会社をでた。
 今、有花に連絡を取れる可能性があるのはゲームだけだ。
 何事もなくゲームにログインしていてくれることを願い、家路を急ぐ。
 いつもなら立ち寄るコンビニにもよらずにまっすぐ帰宅した。
 帰る途中に何度もトーク画面を見るがやはり既読になっていなかった。

 家に帰り着くと取るものも取り敢えずパソコンを立ち上げゲームを起動した。
 その最中に時間を確認すると九時を少し回っていた。
 ゲームが起動すると、一番にフレンド一覧を確認した。そこに表示されたシイクの名前はグレー表示だった。それは非接続を意味している。

 ――もう行くしかない。

 大阪発東京行きの新幹線と飛行機の時刻表をパソコンで調べた。
 新幹線の最終便は九時半。時計を見ればいま九時二十分。もう間に合わない。
 飛行機は伊丹発と関空発がある。伊丹発は最終が八時二十分。話にならない。関空発の最終は九時五十五分。ここから関空まで一時間以上かかる。ダメだ……。
 最後の手段は高速バス。時刻表を確認すれば、約一〇分おきに二十四時くらいまで運行している。

 一哉はサイフとスマホだけを握りしめマンションを飛び出した。
 電車を乗り継ぎJR大阪環状線の梅田に向かい、そこから東京行きの高速バスに乗った。
 そこで、はたと気づいた。彼女が入院している病院を知らない。
 彼女の住所はどこだっただろう……。

 Lineのトーク画面をスクロールして過去のメッセージを確認してみた。
『住所は文京区本郷七丁目です』
 それ以上の細かい住所は書かれていなかったが、どんなところだろうとスマホで住所を入力し地図を表示させた。そこは帝都大学医学部付属病院だった。

 彼女はあの時点で入院していることを示唆してた。一哉が有花の住所を調べればその事を知ることが出来た。
 そうすればもっと彼女を気遣うことが出来たはずだ。もっと彼女のためになることが出来たはずだ。電車なんかに乗せずタクシーで行けば良かった。それよりも彼女が行きたいところに連れて行くべきだった。もっと優しく手を引いてやるべきだった。あんなに沢山歩かせるべきじゃなかった。昼食にも気を使うべきだった。
 考えれば考えるほど、思い返せば思い返すほど、何もかもがやまれた。

 しかし悔やんでばかりもいられない。
 一哉は今から帝都大学病院に向かう。ただ六時過ぎというのは早すぎるきがする。下手をすれば病院内に入ることすらできないだろう。病院は何時からやっているのか、面会は何時から可能なのか、その辺りをスマホで調べることにした。

 病院は九時に開くらしい。面会時間は病室によって違うようだがおおむね午後からだった。
 さらに面会の際は入院棟の面会受付で面会手続きを済ませ面会カードを貰い、実際に面会するときは病棟のスタッフステーションで声をかける必要がある。
 なかなか面倒くさいシステムになっているようだが、セキュリティの事を考えると当然かも知れない。

 しかし、行き先は決まった。病室はわからないが名前がわかっていれば大丈夫だろう。
 後はバスが到着してくれることを待つだけだ。乗車時間は約八時間。眠れる自信はないがとりあえず背もたれを倒し目を閉じた。
 バスは途中トイレ休憩を挟んで翌朝の六時に東京駅に到着した。そこからタクシーで大学病院に向かった。
 六時過ぎの来院は早すぎたので近くのカフェで時間を潰すことにした。
 九時になり入院棟の面会受付に行った。面会は午後からでも受付手続きだけ済ませるつもりだった。

上砂あげすな有花さんの面会に来たんですけど」
「上砂有花さんですね、少々お持ちください」

 受付の事務員の女性がカウンター内の端末を操作してる。
 おそらく有花の病室とかを調べているのだろう。

「あの、上砂有花さんでしたら昨夜退院されていますが」
「え、退院してる? 重い病気だって聴いてたんですけど、病気は治ったんですか?」
「それはこちらでは判り兼ねます」
「だったら問い合わせてくれませんか」
「申し訳ございませんがそれは出来ません」
「でしたら主治医の先生か担当の看護師を呼んでください」
「申し訳ございませんがそれもできません」
「どうして? 俺は上砂有花の病状を知りたいだけだ」
「申し訳ございませんがこちらではそういったことにお答えできません」
「申し訳ございません、申し訳ございません、ってあんたそれしか言えないのか! 担当の先生の名前を聞いてなんの問題があるんだッ!」

 一哉は受付のカウンターを激しく叩いた。
 まだ人の少ないロビーに大きな音が響いた。
 それでも一哉の怒りは収まらない。

「なんだったら教えてくれるんだッ! 彼女のことが知りたいんだ、なんでもいいから教えてくれッ!」
「申し訳ございませんが、お引き取り下さい」

 受付の女性が怯えた表情を見せた。そこに警備員の男が二人やってきて、一哉の腕を両側から掴み受付から引き剥がそうとする。

「なんだあんたら、邪魔するな。俺はこの人と話ししてるだけだ!」
「これ以上は業務妨害です。警察を呼びますよ」
「警察だと、脅しのつもりか? そんなことで引き下がるかッ!」

 二人の警備員は一哉を受付から遠ざけようと強引に引っ張った。一哉がそれに過剰に反応しちょっとした乱闘騒ぎになり病院内は一時騒然とした。
 一哉は駆け付けた警察官に取り押さえられ警察署に連れて行かれた。警察では事情聴取を受けたが、初犯で怪我人も特になく事情も考慮されて厳重注意だけで帰された。しかし有花の住所や生死に関しては何一つ教えて貰えなかった。
 途方に暮れた一哉は、東京の青い空を睨み続けることしか出来なかった。
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