4 / 28
3
しおりを挟む
いくつもに分かれた常緑のガーデンルームを背にして、彼女は白い籐椅子に腰かけていた。袖なしの黒のミニドレスは銀のドットが夜空の星のように散りばめられている。首から胸元までが薄く透けて見え、豊かに流れる金髪と相俟って、昨夜とは別人のように妖艶で神秘的だ。組まれた足先に巻かれた白い包帯が、痛々しくも眩しかった。
「ジオ!」
また彼女に見とれてぼんやりとしてしまっていた僕を、ロバートが呼んだ。僕を紹介する彼の声にもどこか上の空のまま、僕はしどろもどろで挨拶し、執事のマーカスが用意してくれた椅子に腰かけた。
「ネルって呼んでね」と、彼女は艶やかに微笑んだ。
彼女から一番遠いテーブルの端っこについたことで、やっと、彼女以外まるで目に入らなかったこのテーブル周りに目を配る余裕ができた。
彼女の横にはロバート。すっかり鼻の下を伸ばして、彼女のためにクッキーだのケーキだのを取り分けて、しきりに彼女に勧めている。彼女は、軽く首を振って断っている。ざまあみろ。
ロバートの隣には栗色の髪のぽっちゃりとした、冴えない女の子が座っている。彼女もロバートの友人らしい。それとも彼女の友人だったかな? 何か言っていたような気がしたけれど、印象が薄すぎて記憶に残っていない。
それから彼女の左隣には、なぜか兄の友人がいて、とてもスマートに冗談を言い、彼女を笑わせていた。その横も、そのまた横も兄の友人だ。名前はちょっと思いだせないけれど。
どうやら皆で、ボートに乗るか、池で泳ぐか、それとも、という話をしているらしい。
彼女は怪我しているのに――! 僕はむっとして、「そんなの彼女に失礼でしょう! 足を痛めていらっしゃるのに!」と思わず口を挟んでしまった。僕よりもずっと年上の兄の友人たちの会話に! 口出ししてしまってから無作法に気づき、下を向いて赤面した。恥ずかしさで、ギュッと掌でスラックスの生地を握りしめる。
「その彼女の提案だよ!」
「見ているだけでも楽しいから、て!」
揶揄うように言われ、ますます固くなってしまった僕の耳に、「優しいのね。ありがとう」と、彼女の涼やかな声が飛びこんできた。
跳ねるように顔をあげた。彼女は僕を見てにっこりと微笑んでくれた。――まだ何か、兄の友人たちに揶揄われたり、冷やかされたりしていたような気がする。でも、ちっとも耳に入ってこなかった。この世界に、僕と彼女しかいないみたいに。
すぐに僕のことなんて忘れたように話題を戻した兄の友人たちの騒がしい声が、ゆっくりと僕を現実に戻してくれた。僕は火照った顔を冷ますために、彼女に釘づけにされていた視線を無理矢理引き離し、ガーデンルームに移した。そこに見つけた背中に、ほっと吐息が漏れる。
立ちあがり、欄干に手をかけて大声で呼びかけた。
「兄さん! 帽子を被っておかないと、また真っ赤に日焼けしてしまうよ!」
兄の友人たちもバラバラと欄干に駆け寄って、口々に兄の名を呼び、大きく手招きする。
「ディック! こっちに来いよ!」
「ディック、お茶は?」
薔薇の茂みに佇む兄は、いつもにも増して酷い恰好をしていた。普段ロンドンに住む兄は、彼自身の執事を連れてここに滞在しているのに――。きっと兄の執事であるマーカスは客人の世話で忙しく、着替えを手伝わなかったに違いない。優秀な彼が着替えを用意しておかないはずはないのだから。おそらく兄はそれに気がつかずに、適当なものを着たに違いなかった。
フォーマル用の白のウィングカラーシャツをタイなしで無造作に着て両袖をたくし上げ、下はジーンズに緑のゴム長靴という常軌を逸した組み合わせなんだもの。
兄の友人たちにしても、お客様がまだいらっしゃるというのに庭いじりする気満々のこんな兄のことはよく分かっているから、服装のことで揶揄ったりはしなかったけれど――。
テラスの下から片腕を伸ばし、無邪気に笑って掌をひらひらさせる兄を、友人たちが引っ張りあげた。
まったく、横着せずに階段を廻ってくればいいのに!
兄はそのまま欄干に腰かけた。すぐさま兄の友人たちが、兄のためにテーブルの菓子だの、ケーキだのをがっさりと皿によそっている。
「おいおい、そんなに取ってはお嬢さん方の楽しみがなくなってしまうよ」
「そのお嬢さん方は、体形を気にして召し上がらないんだよ」
気を使ってわざわざ小声で教えられたのに、兄は驚いた顔で素っ頓狂な声をあげた。
「そんな、折れそうに細いのに!」
そして、一口サイズのクッキーを摘まむと、座ったまま身体を捻って、びっくり顔で兄を見つめていた、あの冴えない女の子の口元に差しだした。
「ボイドさんのお菓子は本当に美味しいのですよ」
こんな格好をしていてさえ上品で紳士的な兄ににっこりと微笑まれ、彼女は顔を赤くして固まってしまった。だがすぐに隣に座るロバートをチラリと見ると、パクリ、と兄の持つクッキーをその口に含んだ。
兄は満足そうな顔で、「ね、美味しいでしょう? 食べないなんてもったいないですよ」と念を押すように言って、またにっこりする。
カシャ―ン!
陶器の割れる音に、皆、飛びあがっていた。
ネルが、なぜか緊張したような、怒っているような強張った顔で、こちらを見ていた。
「ジオ!」
また彼女に見とれてぼんやりとしてしまっていた僕を、ロバートが呼んだ。僕を紹介する彼の声にもどこか上の空のまま、僕はしどろもどろで挨拶し、執事のマーカスが用意してくれた椅子に腰かけた。
「ネルって呼んでね」と、彼女は艶やかに微笑んだ。
彼女から一番遠いテーブルの端っこについたことで、やっと、彼女以外まるで目に入らなかったこのテーブル周りに目を配る余裕ができた。
彼女の横にはロバート。すっかり鼻の下を伸ばして、彼女のためにクッキーだのケーキだのを取り分けて、しきりに彼女に勧めている。彼女は、軽く首を振って断っている。ざまあみろ。
ロバートの隣には栗色の髪のぽっちゃりとした、冴えない女の子が座っている。彼女もロバートの友人らしい。それとも彼女の友人だったかな? 何か言っていたような気がしたけれど、印象が薄すぎて記憶に残っていない。
それから彼女の左隣には、なぜか兄の友人がいて、とてもスマートに冗談を言い、彼女を笑わせていた。その横も、そのまた横も兄の友人だ。名前はちょっと思いだせないけれど。
どうやら皆で、ボートに乗るか、池で泳ぐか、それとも、という話をしているらしい。
彼女は怪我しているのに――! 僕はむっとして、「そんなの彼女に失礼でしょう! 足を痛めていらっしゃるのに!」と思わず口を挟んでしまった。僕よりもずっと年上の兄の友人たちの会話に! 口出ししてしまってから無作法に気づき、下を向いて赤面した。恥ずかしさで、ギュッと掌でスラックスの生地を握りしめる。
「その彼女の提案だよ!」
「見ているだけでも楽しいから、て!」
揶揄うように言われ、ますます固くなってしまった僕の耳に、「優しいのね。ありがとう」と、彼女の涼やかな声が飛びこんできた。
跳ねるように顔をあげた。彼女は僕を見てにっこりと微笑んでくれた。――まだ何か、兄の友人たちに揶揄われたり、冷やかされたりしていたような気がする。でも、ちっとも耳に入ってこなかった。この世界に、僕と彼女しかいないみたいに。
すぐに僕のことなんて忘れたように話題を戻した兄の友人たちの騒がしい声が、ゆっくりと僕を現実に戻してくれた。僕は火照った顔を冷ますために、彼女に釘づけにされていた視線を無理矢理引き離し、ガーデンルームに移した。そこに見つけた背中に、ほっと吐息が漏れる。
立ちあがり、欄干に手をかけて大声で呼びかけた。
「兄さん! 帽子を被っておかないと、また真っ赤に日焼けしてしまうよ!」
兄の友人たちもバラバラと欄干に駆け寄って、口々に兄の名を呼び、大きく手招きする。
「ディック! こっちに来いよ!」
「ディック、お茶は?」
薔薇の茂みに佇む兄は、いつもにも増して酷い恰好をしていた。普段ロンドンに住む兄は、彼自身の執事を連れてここに滞在しているのに――。きっと兄の執事であるマーカスは客人の世話で忙しく、着替えを手伝わなかったに違いない。優秀な彼が着替えを用意しておかないはずはないのだから。おそらく兄はそれに気がつかずに、適当なものを着たに違いなかった。
フォーマル用の白のウィングカラーシャツをタイなしで無造作に着て両袖をたくし上げ、下はジーンズに緑のゴム長靴という常軌を逸した組み合わせなんだもの。
兄の友人たちにしても、お客様がまだいらっしゃるというのに庭いじりする気満々のこんな兄のことはよく分かっているから、服装のことで揶揄ったりはしなかったけれど――。
テラスの下から片腕を伸ばし、無邪気に笑って掌をひらひらさせる兄を、友人たちが引っ張りあげた。
まったく、横着せずに階段を廻ってくればいいのに!
兄はそのまま欄干に腰かけた。すぐさま兄の友人たちが、兄のためにテーブルの菓子だの、ケーキだのをがっさりと皿によそっている。
「おいおい、そんなに取ってはお嬢さん方の楽しみがなくなってしまうよ」
「そのお嬢さん方は、体形を気にして召し上がらないんだよ」
気を使ってわざわざ小声で教えられたのに、兄は驚いた顔で素っ頓狂な声をあげた。
「そんな、折れそうに細いのに!」
そして、一口サイズのクッキーを摘まむと、座ったまま身体を捻って、びっくり顔で兄を見つめていた、あの冴えない女の子の口元に差しだした。
「ボイドさんのお菓子は本当に美味しいのですよ」
こんな格好をしていてさえ上品で紳士的な兄ににっこりと微笑まれ、彼女は顔を赤くして固まってしまった。だがすぐに隣に座るロバートをチラリと見ると、パクリ、と兄の持つクッキーをその口に含んだ。
兄は満足そうな顔で、「ね、美味しいでしょう? 食べないなんてもったいないですよ」と念を押すように言って、またにっこりする。
カシャ―ン!
陶器の割れる音に、皆、飛びあがっていた。
ネルが、なぜか緊張したような、怒っているような強張った顔で、こちらを見ていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
睿国怪奇伝〜オカルトマニアの皇妃様は怪異がお好き〜
猫とろ
キャラ文芸
大国。睿(えい)国。 先帝が急逝したため、二十五歳の若さで皇帝の玉座に座ることになった俊朗(ジュンラン)。
その妻も政略結婚で選ばれた幽麗(ユウリー)十八歳。 そんな二人は皇帝はリアリスト。皇妃はオカルトマニアだった。
まるで正反対の二人だが、お互いに政略結婚と割り切っている。
そんなとき、街にキョンシーが出たと言う噂が広がる。
「陛下キョンシーを捕まえたいです」
「幽麗。キョンシーの存在は俺は認めはしない」
幽麗の言葉を真っ向否定する俊朗帝。
だが、キョンシーだけではなく、街全体に何か怪しい怪異の噂が──。 俊朗帝と幽麗妃。二人は怪異を払う為に協力するが果たして……。
皇帝夫婦×中華ミステリーです!
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
呪われた少女の秘された寵愛婚―盈月―
くろのあずさ
キャラ文芸
異常存在(マレビト)と呼ばれる人にあらざる者たちが境界が曖昧な世界。甚大な被害を被る人々の平和と安寧を守るため、軍は組織されたのだと噂されていた。
「無駄とはなんだ。お前があまりにも妻としての自覚が足らないから、思い出させてやっているのだろう」
「それは……しょうがありません」
だって私は――
「どんな姿でも関係ない。私の妻はお前だけだ」
相応しくない。私は彼のそばにいるべきではないのに――。
「私も……あなた様の、旦那様のそばにいたいです」
この身で願ってもかまわないの?
呪われた少女の孤独は秘された寵愛婚の中で溶かされる
2025.12.6
盈月(えいげつ)……新月から満月に向かって次第に円くなっていく間の月
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる