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「大丈夫ですか?」
ロバートが慌てて立ちあがる。
「お茶、かからなかった?」
兄の友人たちも心配そうな口ぶりで彼女に訊ねている。マーカスはすぐさま割れたティーカップの欠片を片づけにかかっている。
「長く日に当たりすぎたみたい。部屋に戻るわ」
そう言って、彼女はすっと右手を横に差しだした。
すかさず兄の友人のひとりが駆け寄り、彼女に腕を貸す。そのあまりの素早さに呆気に取られて、僕は眺めるだけ。
立ち去りかけた彼女のほっそりとした腰、ミニドレスの裾から覗くすらりとした白い足に目を奪われていると、「お嬢さん、」兄が彼女を呼び止めた。
「怪我をしているのなら、そんな踵の高い靴は履くべきではありませんね」
明らかに気分を害して顔を強張らせた彼女のかわりに、傍らに寄り添っていた兄の友人がにっと笑って応えた。
「怪我をしていてもオシャレに気を抜かないのが、女性ってものさ。これ以上悪化させないように、ちゃんと僕が部屋まで送り届けるから心配御無用」
彼女は満足そうに微笑んで目を細めて兄を一瞥し、銀のミュールをカツン、カツンと響かせてゆっくりとテラスを離れていった。
僕はその後ろ姿まで紛うことなく美しい彼女にうっとりと見とれ、彼女が視界から完全に消えて初めて、そんな自分を自覚し恥ずかしくなって下を向いた。友人のガールフレンドにぼーっと見とれているなんて、さすがにあまりにもみっともない……。でも、ロバートの奴だって。――俯き加減でチラリと、自分のガールフレンドをエスコートし損なった間抜けなロバートの顔を盗み見た。
ところがロバートも僕と大して差のない腑抜けた顔をして、見えなくなってもなお彼女の姿を追い駆けているようだ。
「ロバート、きみもこちらのお嬢さんを部屋まで送って差しあげたら? 川遊びに行くなら準備しなくては」
優しく兄に呼びかけられ、ロバートははっと我に返ってびくりと顔を跳ねあげ、機械仕掛けの人形のようにギクシャクと立ちあがった。
あの冴えない女の子は、なんだか泣きそうな顔をしてロバートの腕を取り、この場を後にした。
「まったく、あのくらいの年齢の子ってどうしてこう残酷なんだろうねぇ」
「そんなことを言って、きみだって覚えがあるんじゃないのかい?」
兄が揶揄うように傍らの友人、エリック卿を肘で小突いている。
「とんでもない! 僕は一途だよ!」
「落ち着くまでに散々遊びつくしたからだろ!」
兄だけでなく別の友人から茶々を入れられ、エリック卿は苦笑いしながら柔らかくカールしたブルネットをかき上げた。
このブルネットにヘーゼルの瞳の紳士、エリック・ラザフォード卿は、兄の一番の親友だ。兄に負けない美男子でロンドン社交界の人気者だ。浮いた噂には事欠かなかった彼がついに結婚した時には、多くの女性が泣き濡れた、と以前兄が話してくれた。結婚して子どもが産まれ、その子どもがまだ小さすぎて奥さんにかまってもらえないからと、夜会の前からこのマナーハウスに滞在している。
兄の友人たちの半数以上が結婚しているのに、皆、変わらずに兄や独身の友人たちと遊び廻っている。パーティーに奥さんを同伴してくる時もあるけれど、ちょっとした集まりの時は大抵一人だ。
とはいえ、エリック卿もその他の既婚の友人たちも、兄にさっさと結婚しろと煩くせっついていてくるので面倒くさいと、最近の兄はぼやいている。その理由が、兄に子どもできたら、それが男の子なら自分の息子に最高の友人を与えることができ、女の子なら出産に立ち会って、生れ落ちたら一番に息子の将来の花嫁にとの約束を取りつける。兄の娘なら美人になるに間違いないから! というのだから開いた口が塞がらない。
そういえば昨夜の夜会も、祖母のお眼鏡に叶ったお嬢さん方を集めた体の良いお見合いパーティーだった。兄は前半は僕と木の上にいて、後半はカードとビリヤードをして過ごしたらしいけれど……。
兄はちょっと抜けているけれど、気さくで朗らかで人気者だ。男友達には――。けれど女性には、ちょっとではなく許容できないくらいに残念らしかった……。いまだに浮いた噂のひとつもない。エリック卿に異性運を分けてもらえば良かったのに。
僕は、優雅にクッキーを摘み頬張っている兄と、その横で、小声でさりげなく兄を諫めているマーカスを盗み見た。残っている兄の友人たちは紳士らしく、この頓珍漢な服装を怒られているに違いない兄の様子には気がつかないフリをして、関係ない話に興じている。
兄は大きくため息をつき、「着替えてくる。川へ行くのだろう?」と、傍の二人に確認し、ちょっとつまらなそうに腕を背中で組んでぶらぶらと、マーカスについて部屋へと戻っていった。
「やれやれ、あいつは僕たちよりも、庭の手入れの方がいいらしい」
「僕はたまにこの庭に嫉妬してしまうよ」
エリック卿が残念そうな顔で呟いている。
「これだけ見事な庭は、そうそうないものな! チェルシー・フラワー・ショーにでも参加してみればいいのにな!」
友人の言葉にエリック卿はふわり微笑んで頷き、することもなくぼんやりとしていた僕の方を向いた。
「ジオ、きみも準備をしておいで。川にピクニックに行くから」
「はい!」
僕は慌てて立ちあがった。
「あの子、綺麗な子だね。きみも見とれていただろ?」
揶揄うようなエリック卿のヘーゼルの瞳にドギマギして、僕はつい下を向いた。
「すみません。ロバートの彼女なのに……」
エリック卿に謝るのは筋が違う気がしたけれど、とりあえず、僕は、僕の無作法を謝った。
「違うよ。彼のガールフレンドは栗毛のルーシー嬢の方。金髪のネル嬢はその親戚か何かだよ」
ぽかんと口を開けた僕の顔を見て、エリック卿は声を立てて笑っていた。
ロバートが慌てて立ちあがる。
「お茶、かからなかった?」
兄の友人たちも心配そうな口ぶりで彼女に訊ねている。マーカスはすぐさま割れたティーカップの欠片を片づけにかかっている。
「長く日に当たりすぎたみたい。部屋に戻るわ」
そう言って、彼女はすっと右手を横に差しだした。
すかさず兄の友人のひとりが駆け寄り、彼女に腕を貸す。そのあまりの素早さに呆気に取られて、僕は眺めるだけ。
立ち去りかけた彼女のほっそりとした腰、ミニドレスの裾から覗くすらりとした白い足に目を奪われていると、「お嬢さん、」兄が彼女を呼び止めた。
「怪我をしているのなら、そんな踵の高い靴は履くべきではありませんね」
明らかに気分を害して顔を強張らせた彼女のかわりに、傍らに寄り添っていた兄の友人がにっと笑って応えた。
「怪我をしていてもオシャレに気を抜かないのが、女性ってものさ。これ以上悪化させないように、ちゃんと僕が部屋まで送り届けるから心配御無用」
彼女は満足そうに微笑んで目を細めて兄を一瞥し、銀のミュールをカツン、カツンと響かせてゆっくりとテラスを離れていった。
僕はその後ろ姿まで紛うことなく美しい彼女にうっとりと見とれ、彼女が視界から完全に消えて初めて、そんな自分を自覚し恥ずかしくなって下を向いた。友人のガールフレンドにぼーっと見とれているなんて、さすがにあまりにもみっともない……。でも、ロバートの奴だって。――俯き加減でチラリと、自分のガールフレンドをエスコートし損なった間抜けなロバートの顔を盗み見た。
ところがロバートも僕と大して差のない腑抜けた顔をして、見えなくなってもなお彼女の姿を追い駆けているようだ。
「ロバート、きみもこちらのお嬢さんを部屋まで送って差しあげたら? 川遊びに行くなら準備しなくては」
優しく兄に呼びかけられ、ロバートははっと我に返ってびくりと顔を跳ねあげ、機械仕掛けの人形のようにギクシャクと立ちあがった。
あの冴えない女の子は、なんだか泣きそうな顔をしてロバートの腕を取り、この場を後にした。
「まったく、あのくらいの年齢の子ってどうしてこう残酷なんだろうねぇ」
「そんなことを言って、きみだって覚えがあるんじゃないのかい?」
兄が揶揄うように傍らの友人、エリック卿を肘で小突いている。
「とんでもない! 僕は一途だよ!」
「落ち着くまでに散々遊びつくしたからだろ!」
兄だけでなく別の友人から茶々を入れられ、エリック卿は苦笑いしながら柔らかくカールしたブルネットをかき上げた。
このブルネットにヘーゼルの瞳の紳士、エリック・ラザフォード卿は、兄の一番の親友だ。兄に負けない美男子でロンドン社交界の人気者だ。浮いた噂には事欠かなかった彼がついに結婚した時には、多くの女性が泣き濡れた、と以前兄が話してくれた。結婚して子どもが産まれ、その子どもがまだ小さすぎて奥さんにかまってもらえないからと、夜会の前からこのマナーハウスに滞在している。
兄の友人たちの半数以上が結婚しているのに、皆、変わらずに兄や独身の友人たちと遊び廻っている。パーティーに奥さんを同伴してくる時もあるけれど、ちょっとした集まりの時は大抵一人だ。
とはいえ、エリック卿もその他の既婚の友人たちも、兄にさっさと結婚しろと煩くせっついていてくるので面倒くさいと、最近の兄はぼやいている。その理由が、兄に子どもできたら、それが男の子なら自分の息子に最高の友人を与えることができ、女の子なら出産に立ち会って、生れ落ちたら一番に息子の将来の花嫁にとの約束を取りつける。兄の娘なら美人になるに間違いないから! というのだから開いた口が塞がらない。
そういえば昨夜の夜会も、祖母のお眼鏡に叶ったお嬢さん方を集めた体の良いお見合いパーティーだった。兄は前半は僕と木の上にいて、後半はカードとビリヤードをして過ごしたらしいけれど……。
兄はちょっと抜けているけれど、気さくで朗らかで人気者だ。男友達には――。けれど女性には、ちょっとではなく許容できないくらいに残念らしかった……。いまだに浮いた噂のひとつもない。エリック卿に異性運を分けてもらえば良かったのに。
僕は、優雅にクッキーを摘み頬張っている兄と、その横で、小声でさりげなく兄を諫めているマーカスを盗み見た。残っている兄の友人たちは紳士らしく、この頓珍漢な服装を怒られているに違いない兄の様子には気がつかないフリをして、関係ない話に興じている。
兄は大きくため息をつき、「着替えてくる。川へ行くのだろう?」と、傍の二人に確認し、ちょっとつまらなそうに腕を背中で組んでぶらぶらと、マーカスについて部屋へと戻っていった。
「やれやれ、あいつは僕たちよりも、庭の手入れの方がいいらしい」
「僕はたまにこの庭に嫉妬してしまうよ」
エリック卿が残念そうな顔で呟いている。
「これだけ見事な庭は、そうそうないものな! チェルシー・フラワー・ショーにでも参加してみればいいのにな!」
友人の言葉にエリック卿はふわり微笑んで頷き、することもなくぼんやりとしていた僕の方を向いた。
「ジオ、きみも準備をしておいで。川にピクニックに行くから」
「はい!」
僕は慌てて立ちあがった。
「あの子、綺麗な子だね。きみも見とれていただろ?」
揶揄うようなエリック卿のヘーゼルの瞳にドギマギして、僕はつい下を向いた。
「すみません。ロバートの彼女なのに……」
エリック卿に謝るのは筋が違う気がしたけれど、とりあえず、僕は、僕の無作法を謝った。
「違うよ。彼のガールフレンドは栗毛のルーシー嬢の方。金髪のネル嬢はその親戚か何かだよ」
ぽかんと口を開けた僕の顔を見て、エリック卿は声を立てて笑っていた。
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