微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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三章

67 総辞職

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 大鴉の羽ばたきが
 水面を揺らす
 映るのは、歪められた明日




 すっかり闇に沈んだ木立の間をぬって子爵さまが立ち去った後、僕の前に足音を忍ばせ、おずおずと立ち尽くした影を、僕は涙で滲む瞳で睨めつけた。

「立ち聞きしていたの? 悪趣味だな」

 鳥の巣頭はばつの悪そうな顔をして、僕に手を差し出した。僕はその手を掴んで立ちあがった。

「説明して。彼の話、よく解らなかった」
 解ったのは、僕がふられたってことだけだ。
 鳥の巣頭はそれには応えずに、僕をただ抱きしめた。

「ごめんよ。マシュー」
「またきみが何か仕組んだの?」

 鳥の巣頭の腕に力が籠る。

「きみを愛しているんだ」

 だから?

「彼はあの奨学生の子のことを、嫌っていたから……。それで、あの東洋人のカラスを放校にできたら、きみを僕に返して下さいって、彼に頼んだんだ」

 だからあんなに必死だったのか……。

 大して知りもしない大鴉のことを目の敵にして、彼を陥れた。知っている。きみはそういう奴だよ。

「嫌だったんだ。……きみのこと、本当に理解して心から愛せるのは僕だけだよ」

 そうやって、いつもきみは僕をがんじがらめに縛ろうとするんだ。
 おめでとう。今回も、きみの思う通りになったじゃないか。僕をあの白い箱に放り込んだ時みたいにさ。
 もっとも、大鴉はきみの思い通りにはいかなかったみたいだけれど。目的さえ達成できれば、それはどうだっていいんだろ? 

「きみに僕が守れるの?」

 僕はうんざりしながら、こいつの耳許で囁いた。
 鳥の巣頭は、真剣な真っ直ぐな瞳を僕に向けた。

「もちろんだよ、マシュー」
「もう集団でレイプされるのは嫌だよ。きみの兄さんが僕にしたみたいにさ」

 ほら、こいつの顔色が変わった。
 蛇にしろ、梟にしろ、さんざん僕を利用していたのは、いくら僕だって解っている。けれどもし彼らの盾がなかったら、僕はもっと酷い目にあっていたはずだ。アヌビスみたいな連中の手で。
 こういう事には、ちゃんと暗黙のルールがあるんだ。きみだって、もう解っているんだろ? 今まで黙って子爵さまに僕を差しだしていたのだから――。


「僕はもう、あの頃の弱い、何もできなかった僕じゃないよ」

 声が緊張で震えている。僕は顔を伏せてクスリと笑った。

「冷えちゃった。部屋に戻って、温まることしようよ」

 泣き濡れた後の頬が、凍りつきそうだ。鳥の巣頭はやっと僕を離して、慌てて僕の氷柱つららのように冷え切った指先を擦り、握りしめた。

「でもその前に説明して。生徒会はどうなるっていうの?」




 上級生の棟に戻って他の連中に捉まると厄介だからと、鳥の巣頭は僕の部屋へ来た。仕方がないので、僕は給湯室で自分で二人分の紅茶を淹れた。あいつが淹れる方が美味しいのに――。


 僕の淹れた香りの薄い紅茶を飲みながら聞いた話は、僕を充分に驚かせた。

 それは、生徒会の二十名いる役員のうち、八名が辞任するという前代未聞な話だったからだ。
 まず子爵さまとその取り巻き、天使くんの事件の当事者が四名。医療棟の時よりも一人増えているのは、大鴉と対面したというパブでの天使くんへの暴力沙汰の時に居合わせた、大鴉のお目付役で子爵さまの友人でもある奨学生が含まれているからだ。
 この事件に関しては、天使くんの名誉のために公にされない。「誤解からのいき過ぎた懲罰で怪我を負わせた」責任を負っての辞任、ということにするらしい。取り巻き連中は、その場に居合わせながらその行為を止めなかった、そんな理由で辞任。
 もちろん、鳥の巣頭はことの真相を知るはずがないので、「生徒会役員は全生徒の規範たるべき存在だから、って――」と、さすがに納得しきれない様子だった。

 それに大鴉のオンラインカジノ事件の失態が加わる。サイト元にまで問合わせても、彼自身はもとより、その関係者がそのサイトにアクセスした形跡はなく、たまたま彼の携帯にアクセスして調べていた(不法に侵入しようとしたのはもちろん内緒だ)生徒会のパソコンが、ウイルスに感染してしまった。
 この件を重く受けて、子爵さまは全生徒会を解散して選挙のやり直しを主張したのだそうだ。だがさすがに年度中半にまで来て、それは新・役員にも負担が大き過ぎると、生徒総監とカレッジ寮出身の二名、計三名を残して、最上級生のみ辞職することになったのだという。子爵さまの友人の奨学生は四学年生だから、合計七名の最上級生だ。その中に、ボート部が四名。

 なんてことだ……!

 子爵さまに話を聞いた時以上の衝撃だった。

 ボート部の先輩まで!

 僕の不安に揺れる瞳をじっと見据えて、鳥の巣頭は追い討ちをかけるように続けて言った。

「彼が生徒会、総辞任を言いだしたのは、生徒会内に蔓延まんえんするジョイントを一掃するためなんだよ」

 僕の動揺を見越していたのか、鳥の巣頭は僕の手に自分の手を重ね、思う壷にはまった僕の微かに震える掌を、ぎゅっと握りしめた。

「彼が昔の正しい彼に立ち戻ってくれて、本当に良かった」


 やってくれるよ、子爵さま――。


 憧れの先輩にもう一度逢えたことで、あなたはこうも変わるのか?
 白い彼の一言が、あなたをこうも変えるのか?

 これが、本来の、あなたらしい、あなた――。

 また、泣きだしてしまいそうで、僕は睫毛を瞬かせて視線を落とした。



 そんな僕を、鳥の巣頭はおずおずと抱きしめた。

「心配しないで。役員が多少入れ替わったところで、大した問題にはならないよ。僕が、きみを守るから。僕は来年度、生徒総監になるんだ。それは、もう、決まっていることなんだよ、マシュー」





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