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四章
137 狼
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寓話に隠された
真実は
時に
とても残酷
ハーフタームの前日に、寮対抗ラグビー大会が行われた。
僕はボート部の二人を連れて、買い出しに街へ出ることになった。試合が終わった後の打ち上げティーパーティーのためだ。
エリオットの行事には独自の伝統があり、このラグビー大会の後にだされる定番スイーツというものがある。砕いた焼きメレンゲと生クリームを合わせ、それに苺を加えてぐちゃぐちゃにかき混ぜて食べる。いかにも手のかからない即席スイーツだ。
買い置きできる二点は事前に用意しておき、注文しておいた苺は当日届けてもらうのだが、今年は苺の状態が悪かったのだ。傷んでいたり、潰れていたりで使えないものが多く、急きょ足りない分を買い足してくることになった。各寮ごとに材料を仕分けたり、器やスプーンを用意したりと雑用は山ほどあり、各寮の寮長と不備のないように連絡を取り合わねばならない生徒会は猫の手も借りたい忙しさだ。手の空いているのが、風邪で長期欠席し役割を振り分けられていなかった僕しかおらず、苺とはいえ大量に購入するので一人では心もとないと、次年度役員の彼らを付き添いでつけてもらったのだ。
「ゲームが終了するまでまだ時間があるから、焦らなくていいからね」
こんな時まで心配そうな顔をする鳥の巣頭に笑顔を返し、僕たちは会場のグラウンド脇から急ぎ坂道を下ってハイストリートへ向かった。つもりだった。
ボート部の二人は、「マクドウェルさんがお待ちかねですから」と小声で告げ、僕をあの梟と最後にあったフラットへ案内した。そして道途中で、「話が終わったらあそこで待っていて下さい」とカフェを指差すのも忘れなかった。
「苺は?」と訊ねると、そんな事は二の次でいいとばかりに鼻で嗤われ、「僕たちで済ませておきます」としたり顔で言い返された。
もとよりマクドウェルに逢って話を詰めるつもりだったので異存はなかったが、彼ら二人があまりに用意周到で抜かりのないことに驚いた。
それは、マクドウェルが現状に満足できず、彼らを急き立てているのではないかという連想に結びつき、急に緊張で足が震えた。
インターホンを押して表玄関を開けてもらい、マクドウェルの待つ三階の部屋へ上る。今度は鍵がかかっていたので、またインターホンを押す。
ドアを開けてくれた彼は、創立祭の時と変わらない慇懃で紳士的な素振りで僕を迎えてくれた。僕は彼越しに部屋の様子に目を配った。
以前のフラットと同じ。白い壁にフローリングの床、ソファーに、ローテーブル、ベッドマットレス――。
吐き気がしそうだ。
一度来たことがあるはずなのに、部屋の記憶など欠片も残っていない。それなのに、この部屋の設えが、ただただ気持ち悪かった。
「どうした坊や? 顔色が良くないな」
マクドウェルは僕の顎を指の先で上向かせ、確かめるように眉根を寄せると、ぽんと背中を一つ叩きソファーに座るように促した。
「今にも倒れそうじゃないか。気分が悪いのかい?」
あなたが怖いだけだ。
なんて、言えるはずもなく――。無理に口角を上げて笑顔を作り、焦って首を横に振る。
「あの、どの位売りあげたらいいのでしょう?」
あれこれシミュレーションしていた語群なんてすっかり飛んでしまって、僕はあまりにも率直に訊ねてしまっていた。ジョイント一本の値段すら知らないのに。
「まぁ、そう慌てて話さなくてもいいだろう? お茶でも淹れてこよう。今日はあのファグたちはいないのかい?」
マクドウェルは煙草を銜えながら、目を眇めるようにしてドアを一瞥し、顎をしゃくる。今日の彼はサングラスをしていなかったので、その凍てついた冬の空のような灰色の瞳を僕はそっと盗み見ていた。僕の返事を待つこともなく、マクドウェルは別のドアの向こうへ消えた。
この人、もしかして――。
自分の想像に噴き出さないように下を向いて、奥歯をきゅっと噛みしめる。
だって、彼、垂れ目で、おまけに目尻には笑い皺があって、すごく人が好さそうに見えるんだ。金色の睫毛に縁どられたあの瞳には、ぞっとするものがあるけれど――。
まるで紳士の皮を被った狼だ。
ふと『赤頭巾』の童話を思いだした。優しいおばあさんだと思ったら、中身はとんでもない狼で、僕みたいな子どもは丸呑みで食べられてしまうんだ。あの灰色の瞳がそう告げている。
お前を食べてやるって。
「きみ、砂糖は?」
顔を上げると、狼が笑みを湛えて角砂糖を摘まんでいた。
「二つ……、お願いします」
戸惑いながら囁くような声で答えた。
さぁ、ここからが問題だ。彼が僕に何をさせたいのか、どれだけの事を要求してくるのか。今まで梟の言う通りに動いていただけの僕が、この狼の要求に応えることができるのか――。
僕は今すぐ逃げだしたい衝動に駆られながら、ぎこちなく、彼の淹れてくれた香り高い紅茶をこくりと飲み下していた。
真実は
時に
とても残酷
ハーフタームの前日に、寮対抗ラグビー大会が行われた。
僕はボート部の二人を連れて、買い出しに街へ出ることになった。試合が終わった後の打ち上げティーパーティーのためだ。
エリオットの行事には独自の伝統があり、このラグビー大会の後にだされる定番スイーツというものがある。砕いた焼きメレンゲと生クリームを合わせ、それに苺を加えてぐちゃぐちゃにかき混ぜて食べる。いかにも手のかからない即席スイーツだ。
買い置きできる二点は事前に用意しておき、注文しておいた苺は当日届けてもらうのだが、今年は苺の状態が悪かったのだ。傷んでいたり、潰れていたりで使えないものが多く、急きょ足りない分を買い足してくることになった。各寮ごとに材料を仕分けたり、器やスプーンを用意したりと雑用は山ほどあり、各寮の寮長と不備のないように連絡を取り合わねばならない生徒会は猫の手も借りたい忙しさだ。手の空いているのが、風邪で長期欠席し役割を振り分けられていなかった僕しかおらず、苺とはいえ大量に購入するので一人では心もとないと、次年度役員の彼らを付き添いでつけてもらったのだ。
「ゲームが終了するまでまだ時間があるから、焦らなくていいからね」
こんな時まで心配そうな顔をする鳥の巣頭に笑顔を返し、僕たちは会場のグラウンド脇から急ぎ坂道を下ってハイストリートへ向かった。つもりだった。
ボート部の二人は、「マクドウェルさんがお待ちかねですから」と小声で告げ、僕をあの梟と最後にあったフラットへ案内した。そして道途中で、「話が終わったらあそこで待っていて下さい」とカフェを指差すのも忘れなかった。
「苺は?」と訊ねると、そんな事は二の次でいいとばかりに鼻で嗤われ、「僕たちで済ませておきます」としたり顔で言い返された。
もとよりマクドウェルに逢って話を詰めるつもりだったので異存はなかったが、彼ら二人があまりに用意周到で抜かりのないことに驚いた。
それは、マクドウェルが現状に満足できず、彼らを急き立てているのではないかという連想に結びつき、急に緊張で足が震えた。
インターホンを押して表玄関を開けてもらい、マクドウェルの待つ三階の部屋へ上る。今度は鍵がかかっていたので、またインターホンを押す。
ドアを開けてくれた彼は、創立祭の時と変わらない慇懃で紳士的な素振りで僕を迎えてくれた。僕は彼越しに部屋の様子に目を配った。
以前のフラットと同じ。白い壁にフローリングの床、ソファーに、ローテーブル、ベッドマットレス――。
吐き気がしそうだ。
一度来たことがあるはずなのに、部屋の記憶など欠片も残っていない。それなのに、この部屋の設えが、ただただ気持ち悪かった。
「どうした坊や? 顔色が良くないな」
マクドウェルは僕の顎を指の先で上向かせ、確かめるように眉根を寄せると、ぽんと背中を一つ叩きソファーに座るように促した。
「今にも倒れそうじゃないか。気分が悪いのかい?」
あなたが怖いだけだ。
なんて、言えるはずもなく――。無理に口角を上げて笑顔を作り、焦って首を横に振る。
「あの、どの位売りあげたらいいのでしょう?」
あれこれシミュレーションしていた語群なんてすっかり飛んでしまって、僕はあまりにも率直に訊ねてしまっていた。ジョイント一本の値段すら知らないのに。
「まぁ、そう慌てて話さなくてもいいだろう? お茶でも淹れてこよう。今日はあのファグたちはいないのかい?」
マクドウェルは煙草を銜えながら、目を眇めるようにしてドアを一瞥し、顎をしゃくる。今日の彼はサングラスをしていなかったので、その凍てついた冬の空のような灰色の瞳を僕はそっと盗み見ていた。僕の返事を待つこともなく、マクドウェルは別のドアの向こうへ消えた。
この人、もしかして――。
自分の想像に噴き出さないように下を向いて、奥歯をきゅっと噛みしめる。
だって、彼、垂れ目で、おまけに目尻には笑い皺があって、すごく人が好さそうに見えるんだ。金色の睫毛に縁どられたあの瞳には、ぞっとするものがあるけれど――。
まるで紳士の皮を被った狼だ。
ふと『赤頭巾』の童話を思いだした。優しいおばあさんだと思ったら、中身はとんでもない狼で、僕みたいな子どもは丸呑みで食べられてしまうんだ。あの灰色の瞳がそう告げている。
お前を食べてやるって。
「きみ、砂糖は?」
顔を上げると、狼が笑みを湛えて角砂糖を摘まんでいた。
「二つ……、お願いします」
戸惑いながら囁くような声で答えた。
さぁ、ここからが問題だ。彼が僕に何をさせたいのか、どれだけの事を要求してくるのか。今まで梟の言う通りに動いていただけの僕が、この狼の要求に応えることができるのか――。
僕は今すぐ逃げだしたい衝動に駆られながら、ぎこちなく、彼の淹れてくれた香り高い紅茶をこくりと飲み下していた。
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