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一章
クリスマス・マーケット1
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「アスカ! やっと戻ってこれたのか?」
学寮の玄関前でロレンツォ・ルベリーニは、杜月飛鳥に駆けよって思いきり抱きしめ頬にキスする。
飛鳥は上映会の夜から高熱をだし、医療棟の完全看護で過ごしていたので、寮に顔を見せたのは一週間ぶりだったのだ。
「ありがとう、ロレンツォ。すっかり元気だよ」
にっこりと微笑むと、ロレンツォの反対の頬に自分の頬を当てて挨拶を返した。さすがに、イタリア式にちゅっとするのは恥ずかしすぎてできない。
肩を叩かれ振り返ると、ヘンリーが眉をしかめ、怖い顔をして睨んでいた。
「ここがどこだか判っているかい? 無理にイタリアの流儀で挨拶を受ける必要はない。きみもだ、ルベリーニ。いい加減、英国式の礼儀を覚えたらどうだい?」
「礼儀に外れたことをしているとは、思わないがな」
ロレンツォは澄ました顔でうそぶく。
「アスカ、行くぞ」
ヘンリーは、飛鳥の肩を抱くと急かすように歩きだす。
「相変わらず冷たいな、クラッシック・ビューティー!」
ロレンツォはヘンリーの背中に、追いかけるように言葉を投げつけた。
怪訝そうに振り返った飛鳥に、彼は笑ってウインクを投げ、手を振った。
「初めに言っておくけれど、僕はあいつが嫌いなんだ」
ヘンリーは渋い顔で呟いた。
「きみが彼と交友関係を築くことに文句を言える立場じゃない。だけど、彼がきみを介して僕に近づこうとするなら容赦しない。そのことを解っておいて欲しい」
「それって、きみと彼は前からの知り合いっていうこと?」
飛鳥はすぐ横を歩くヘンリーの顔を見上げた。
ヘンリーも、飛鳥と同じ最終学年度からの転入だ。このわずかな期間に、ロレンツォとの間で、そこまで言うほどの何かがあったとは、飛鳥には思えなかった。
この透き通る青紫の瞳に影を差し、嫌悪感で満ち溢れさせるほどのことなんて……。
「知り合いって言えるほど、知らないけどね」
知らないのに嫌いって何をしたんだよ、ロレンツォ!
「わかったよ、ヘンリー」
ヘンリーの吐息交じりのいかにも不愉快げな様子は、気にはなるけれど、他人のややこしいプライバシーに首を突っ込む気にはなれない飛鳥は、とりあえず承諾の返事をする。
ヘンリーはふっと表情を和らげて微笑むと、飛鳥の頭をくしゃくしゃと撫でた。
拉致されたところを助けてもらったり、医療棟まで担いで運んでもらったり、情けない姿ばかり見せてしまったことで、ヘンリーはすっかり飛鳥のことを子ども扱いするようになった、と飛鳥は感じている。
飛鳥にしてみれば、ヘンリーに口にホースを突っ込まれるわ、殴られるわでひどく痛い思いをしたわけだ。だがドクターからは、彼の適切な処置のおかげで大事にいたらずにすんで良かった、と称賛された。それもヘンリーが彼の睡眠薬を栄養剤と間違えて飲んだのだと、うまくごまかしてくれたおかげで問題にならずに済んだ。
そのうえ今回の件で飛鳥は、宗教問題は、自分のような部外者が単なる感傷で触れていいことではなかった、と身に染みて理解することになった。
医療棟から寮に戻り、一番に検索した動画サイトのコメント欄も、SNSも完全に炎上していたのだ。
飛鳥たちの映画は、人気投票で他寮を押さえて最高の投票数を得ていたにもかかわらず、問題あり、とされて受賞を逃した。
飛鳥が寝込んでいる間にも、ラストシーンの内容のことで、学校側や生徒会と悶着あったらしい。だけど全部、ヘンリーとロレンツォが矢面に立って処理してくれていた。
言い出しっぺは僕なのに……、と飛鳥は穴があったら入りたい気分だった。二人とも何も言わないから、医療棟まで見舞いにきてくれた下級生から聞くまで、飛鳥はそんなことになっているのさえ知らなかった。
ヘンリーに借りを作りたくないのに、借りばかりが溜まっていく――。
と、飛鳥は立ち止まり、どんよりと曇った灰色の空を見上げてため息をつく。
回廊に囲まれた中庭の中央に一本だけ植えられたケヤキが、すっかり葉が落ち切り冬枯れている。はや、そんな季節が到来しているのだ。
「早く大人になりたい……」
英国人と比べた見た目の幼さが、この国で最初に飛鳥の感じたコンプレックスだったが、今はそれ以上に、自身の思慮のなさ、愚かさが恥ずかしい。
「どうした?」
ヘンリーが振り返って、怪訝そうに飛鳥を見ている。
負けたくないのに……、スタートラインにすら立てていない、と飛鳥は思う。
「きみって、意外に苦労しているのかな? とても貴族のお坊ちゃんとは思えないよ。見た目に裏切られた気分だよ」
飛鳥は唇を尖らせて、自分に向けられた上品に整った彼の面を軽く睨む。
当の本人は、ニヤッと口の端を上げて笑い、顎をしゃくって、「急がないと遅れるよ」と、貴族然とした柔らかな口調で優しく飛鳥を促した。
学寮の玄関前でロレンツォ・ルベリーニは、杜月飛鳥に駆けよって思いきり抱きしめ頬にキスする。
飛鳥は上映会の夜から高熱をだし、医療棟の完全看護で過ごしていたので、寮に顔を見せたのは一週間ぶりだったのだ。
「ありがとう、ロレンツォ。すっかり元気だよ」
にっこりと微笑むと、ロレンツォの反対の頬に自分の頬を当てて挨拶を返した。さすがに、イタリア式にちゅっとするのは恥ずかしすぎてできない。
肩を叩かれ振り返ると、ヘンリーが眉をしかめ、怖い顔をして睨んでいた。
「ここがどこだか判っているかい? 無理にイタリアの流儀で挨拶を受ける必要はない。きみもだ、ルベリーニ。いい加減、英国式の礼儀を覚えたらどうだい?」
「礼儀に外れたことをしているとは、思わないがな」
ロレンツォは澄ました顔でうそぶく。
「アスカ、行くぞ」
ヘンリーは、飛鳥の肩を抱くと急かすように歩きだす。
「相変わらず冷たいな、クラッシック・ビューティー!」
ロレンツォはヘンリーの背中に、追いかけるように言葉を投げつけた。
怪訝そうに振り返った飛鳥に、彼は笑ってウインクを投げ、手を振った。
「初めに言っておくけれど、僕はあいつが嫌いなんだ」
ヘンリーは渋い顔で呟いた。
「きみが彼と交友関係を築くことに文句を言える立場じゃない。だけど、彼がきみを介して僕に近づこうとするなら容赦しない。そのことを解っておいて欲しい」
「それって、きみと彼は前からの知り合いっていうこと?」
飛鳥はすぐ横を歩くヘンリーの顔を見上げた。
ヘンリーも、飛鳥と同じ最終学年度からの転入だ。このわずかな期間に、ロレンツォとの間で、そこまで言うほどの何かがあったとは、飛鳥には思えなかった。
この透き通る青紫の瞳に影を差し、嫌悪感で満ち溢れさせるほどのことなんて……。
「知り合いって言えるほど、知らないけどね」
知らないのに嫌いって何をしたんだよ、ロレンツォ!
「わかったよ、ヘンリー」
ヘンリーの吐息交じりのいかにも不愉快げな様子は、気にはなるけれど、他人のややこしいプライバシーに首を突っ込む気にはなれない飛鳥は、とりあえず承諾の返事をする。
ヘンリーはふっと表情を和らげて微笑むと、飛鳥の頭をくしゃくしゃと撫でた。
拉致されたところを助けてもらったり、医療棟まで担いで運んでもらったり、情けない姿ばかり見せてしまったことで、ヘンリーはすっかり飛鳥のことを子ども扱いするようになった、と飛鳥は感じている。
飛鳥にしてみれば、ヘンリーに口にホースを突っ込まれるわ、殴られるわでひどく痛い思いをしたわけだ。だがドクターからは、彼の適切な処置のおかげで大事にいたらずにすんで良かった、と称賛された。それもヘンリーが彼の睡眠薬を栄養剤と間違えて飲んだのだと、うまくごまかしてくれたおかげで問題にならずに済んだ。
そのうえ今回の件で飛鳥は、宗教問題は、自分のような部外者が単なる感傷で触れていいことではなかった、と身に染みて理解することになった。
医療棟から寮に戻り、一番に検索した動画サイトのコメント欄も、SNSも完全に炎上していたのだ。
飛鳥たちの映画は、人気投票で他寮を押さえて最高の投票数を得ていたにもかかわらず、問題あり、とされて受賞を逃した。
飛鳥が寝込んでいる間にも、ラストシーンの内容のことで、学校側や生徒会と悶着あったらしい。だけど全部、ヘンリーとロレンツォが矢面に立って処理してくれていた。
言い出しっぺは僕なのに……、と飛鳥は穴があったら入りたい気分だった。二人とも何も言わないから、医療棟まで見舞いにきてくれた下級生から聞くまで、飛鳥はそんなことになっているのさえ知らなかった。
ヘンリーに借りを作りたくないのに、借りばかりが溜まっていく――。
と、飛鳥は立ち止まり、どんよりと曇った灰色の空を見上げてため息をつく。
回廊に囲まれた中庭の中央に一本だけ植えられたケヤキが、すっかり葉が落ち切り冬枯れている。はや、そんな季節が到来しているのだ。
「早く大人になりたい……」
英国人と比べた見た目の幼さが、この国で最初に飛鳥の感じたコンプレックスだったが、今はそれ以上に、自身の思慮のなさ、愚かさが恥ずかしい。
「どうした?」
ヘンリーが振り返って、怪訝そうに飛鳥を見ている。
負けたくないのに……、スタートラインにすら立てていない、と飛鳥は思う。
「きみって、意外に苦労しているのかな? とても貴族のお坊ちゃんとは思えないよ。見た目に裏切られた気分だよ」
飛鳥は唇を尖らせて、自分に向けられた上品に整った彼の面を軽く睨む。
当の本人は、ニヤッと口の端を上げて笑い、顎をしゃくって、「急がないと遅れるよ」と、貴族然とした柔らかな口調で優しく飛鳥を促した。
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