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四章
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燃え尽きるまでのほんの僅かな間、テラコッタの植木鉢の中でパチパチと音を立てて立ちのぼる炎を、二人ともしゃがみこんでじっと見つめていた。
「俺、やっぱり解らないよ。教授は祖父ちゃんを探していたんだろう? なのに、おがらを焚いて迎え火もしていたのか?」
「生きて会うのは無理かもしれない、それなら幽霊でもいいから会いたかったんじゃないかな」
吉野は、いまだ燻っている植木鉢から顔をあげ、不思議そうに小首を傾げる。
「英国人って幽霊好きだよな。こっちに来て、そこいら中に心霊スポットがあるから驚いたよ。キリスト教って、幽霊、ありなの?」
真顔で訊ねられ、飛鳥も困ったように微笑むしかない。
「どうなんだろうね? 僕もその辺のこと尋ねたことないよ。でも幽霊うんぬんはともかく、でも、端から見ると矛盾しているようでも、教授本人の中では折り合いがついていることなんじゃないかな」
二人は黙ったまま、しばらくの間、完全に火が消え、灰となったおがらをぼんやりと眺めていた。
吉野は何か言いたげな様子で飛鳥をチラリと見たが、やはり口をつぐんだまま立ちあがる。飛鳥も傍らに置いた銀の燭台を持って、灯火を消さないように気を配りながら腰をあげた。
「アスカ、」
正面玄関の扉が少しだけ開いて、おずおずとしたサラが顔を覗かせる。
「昨日の続き、見てくれる?」
吉野は黙ったまま飛鳥の手から燭台を取り、行けよ、とばかりに軽く顎をしゃくった。
「後、頼んだよ」
飛鳥は目で吉野に感謝を示して、足早に玄関の中に消えて行った。
主のいない飛鳥の部屋のドアを静かに開けて中に入った。サイドテーブル上の揃いの燭台に灯を分け移し、祖父の手紙を挟むように二つ並べて燭台を置く。
テーブルの上には、昼間作っておいた、日本のものよりも二~三倍は大きな胡瓜の精霊馬と、茄子の精霊牛、それにお供え物の団子もある。メアリーが庭から摘んできてくれた白百合も飾られている。
蝋燭の火を線香に移し、灰の盛られたデザートカップに立てる。
一通りの手順を終え、吉野はほっと息をついで傍らのソファーに腰を下ろした。開け放たれた窓から、ぼんやりと茜色に染まった暮れかかる空を眺めた。
ノックの音に振り返ると、ヘンリーが戸口に佇んでいた。
「入ってもいいかい?」
「飛鳥は、」
「きみに用がある」
ヘンリーは返事を待たずしてツカツカと歩み寄ると、吉野に向かい合うソファーに腰を落とす。
「単刀直入に言うよ。来年、大学に入るのは諦めて欲しい」
「どうして?」
「きみが来るのなら、アスカは大学を辞めると言っているんだ」
「何だってそんな話になるんだよ! それに、何でそんなこと、あんたから聞かされなきゃならないんだ!」
吉野は、キッと眉を寄せ声を荒立てた。
「きみがまだ子どもだからだよ」
ヘンリーは冷ややかに嗤い、「きみのお守りをしていられるほど、彼は暇じゃないんだ」と、ぎりっと歯軋りをして睨みつける吉野を、静かに見つめ返す。
「そんな言い分で納得するほど、俺、子どもじゃないよ。あんたの方こそ、見かけよりもずっと感情的で大人げない」
「言ってくれるね」
ヘンリーはクスクスと笑い、背筋を伸ばして足を組み、吉野にきっちりと向き合った。
「確かに、僕はきみが否定するエリオットで、その見かけを手に入れるための教育を受けてきたからね。きみにしたって、この一年でそれなりには仕上がったよ、吊るしのスーツでもそれなりに見える程度にはね」
冷ややかな口調で、ヘンリーは、膝の上で拳を握りしめる吉野にさらに追い打ちをかける。
「これ以上、アスカに恥をかかせるのはやめてくれないか。僕の国は、きみのその小汚いスニーカーで踏みにじれるほど、安くはないんだ」
黙りこむ吉野に、ヘンリーは畳みかけるように続けて言った。
「まだ納得がいかないようだね。カードで決めるかい?」
いきなりの提案に、吉野は怪訝そうに眉根を寄せる。
「ポーカーが得意なんだろう?」
ヘンリーはポケットからおもむろにトランプを取りだし、ローテーブルの上に置いた。
「僕が勝ったら、きみは早期受験を諦める。きみが勝ったら、きみの望みを何でも一つきくよ」
吉野はカードに目を落としたまま、「全然、納得がいかない」と呟いた。
「どうしてアスカも、教授も、君たちのお祖父さまの残した宝は、きみだと、決めつけているのだろうね?」
ヘンリーは皮肉な笑みを浮かべ、吉野から目を逸らし、真っ直ぐに立つ線香の煙を目で追いながら呟いた。
「教授は、君たちのお祖父さまをラマヌジャンに例えたのだろう? それなら、コウゾー・トヅキ氏を継ぐのはきみじゃない」
もう一度、吉野に視線を戻す。
「何もない中空に手を伸ばして、真理を掴みとってくるのは、きみじゃない。アスカの方だろう?」
攻撃的なヘンリーの視線を逃げることなく受けとめ、じっとその青紫の瞳を見つめ返していた吉野は、すっと目を逸らすとカードを取り上げシャッフルし始めた。
「何にする?」
「きみの得意なものでかまわないよ」
「なら、テキサスホールデムで」
「俺の敗けだ」
吉野はカードを伏せて置いたまま、にかっと笑った。
「約束は守るよ」
立ちあがり、さっぱりとした顔で大きく伸びをする。
「腹が減った。夕飯まだ? メアリーはイギリス人とは思えないほど料理が上手いな」
「彼女はスコットランド人だよ。そろそろいいんじゃないかな。アスカに声を掛けて先にダイニングに行ってくれるかい、図書室にいるはずだから」
ヘンリーはソファーに肘を立てたまま吉野を見あげて、なんとも言えない表情で微笑んだ。頷いた吉野は、そのまま部屋を後にする。ドアがバタリと閉められた。
伏せられたままの吉野のカードを開いた。
「本当に強いんだな」
カードを放り出すと、自然とヘンリーの中からは笑い声が染み出してきていた。
せっかくアスカを手放す決心をつけたのに、まさかヨシノの方が勝負を降りるなんて。
アーニーの言う通りだよ。まったくあの子は予測できない、本物のギャンブラーだ――。
一頻り笑うと、物憂げにすっかりと暮れきった窓外に目をやった。そして小さく息をつき、静かに窓を閉めた。
「俺、やっぱり解らないよ。教授は祖父ちゃんを探していたんだろう? なのに、おがらを焚いて迎え火もしていたのか?」
「生きて会うのは無理かもしれない、それなら幽霊でもいいから会いたかったんじゃないかな」
吉野は、いまだ燻っている植木鉢から顔をあげ、不思議そうに小首を傾げる。
「英国人って幽霊好きだよな。こっちに来て、そこいら中に心霊スポットがあるから驚いたよ。キリスト教って、幽霊、ありなの?」
真顔で訊ねられ、飛鳥も困ったように微笑むしかない。
「どうなんだろうね? 僕もその辺のこと尋ねたことないよ。でも幽霊うんぬんはともかく、でも、端から見ると矛盾しているようでも、教授本人の中では折り合いがついていることなんじゃないかな」
二人は黙ったまま、しばらくの間、完全に火が消え、灰となったおがらをぼんやりと眺めていた。
吉野は何か言いたげな様子で飛鳥をチラリと見たが、やはり口をつぐんだまま立ちあがる。飛鳥も傍らに置いた銀の燭台を持って、灯火を消さないように気を配りながら腰をあげた。
「アスカ、」
正面玄関の扉が少しだけ開いて、おずおずとしたサラが顔を覗かせる。
「昨日の続き、見てくれる?」
吉野は黙ったまま飛鳥の手から燭台を取り、行けよ、とばかりに軽く顎をしゃくった。
「後、頼んだよ」
飛鳥は目で吉野に感謝を示して、足早に玄関の中に消えて行った。
主のいない飛鳥の部屋のドアを静かに開けて中に入った。サイドテーブル上の揃いの燭台に灯を分け移し、祖父の手紙を挟むように二つ並べて燭台を置く。
テーブルの上には、昼間作っておいた、日本のものよりも二~三倍は大きな胡瓜の精霊馬と、茄子の精霊牛、それにお供え物の団子もある。メアリーが庭から摘んできてくれた白百合も飾られている。
蝋燭の火を線香に移し、灰の盛られたデザートカップに立てる。
一通りの手順を終え、吉野はほっと息をついで傍らのソファーに腰を下ろした。開け放たれた窓から、ぼんやりと茜色に染まった暮れかかる空を眺めた。
ノックの音に振り返ると、ヘンリーが戸口に佇んでいた。
「入ってもいいかい?」
「飛鳥は、」
「きみに用がある」
ヘンリーは返事を待たずしてツカツカと歩み寄ると、吉野に向かい合うソファーに腰を落とす。
「単刀直入に言うよ。来年、大学に入るのは諦めて欲しい」
「どうして?」
「きみが来るのなら、アスカは大学を辞めると言っているんだ」
「何だってそんな話になるんだよ! それに、何でそんなこと、あんたから聞かされなきゃならないんだ!」
吉野は、キッと眉を寄せ声を荒立てた。
「きみがまだ子どもだからだよ」
ヘンリーは冷ややかに嗤い、「きみのお守りをしていられるほど、彼は暇じゃないんだ」と、ぎりっと歯軋りをして睨みつける吉野を、静かに見つめ返す。
「そんな言い分で納得するほど、俺、子どもじゃないよ。あんたの方こそ、見かけよりもずっと感情的で大人げない」
「言ってくれるね」
ヘンリーはクスクスと笑い、背筋を伸ばして足を組み、吉野にきっちりと向き合った。
「確かに、僕はきみが否定するエリオットで、その見かけを手に入れるための教育を受けてきたからね。きみにしたって、この一年でそれなりには仕上がったよ、吊るしのスーツでもそれなりに見える程度にはね」
冷ややかな口調で、ヘンリーは、膝の上で拳を握りしめる吉野にさらに追い打ちをかける。
「これ以上、アスカに恥をかかせるのはやめてくれないか。僕の国は、きみのその小汚いスニーカーで踏みにじれるほど、安くはないんだ」
黙りこむ吉野に、ヘンリーは畳みかけるように続けて言った。
「まだ納得がいかないようだね。カードで決めるかい?」
いきなりの提案に、吉野は怪訝そうに眉根を寄せる。
「ポーカーが得意なんだろう?」
ヘンリーはポケットからおもむろにトランプを取りだし、ローテーブルの上に置いた。
「僕が勝ったら、きみは早期受験を諦める。きみが勝ったら、きみの望みを何でも一つきくよ」
吉野はカードに目を落としたまま、「全然、納得がいかない」と呟いた。
「どうしてアスカも、教授も、君たちのお祖父さまの残した宝は、きみだと、決めつけているのだろうね?」
ヘンリーは皮肉な笑みを浮かべ、吉野から目を逸らし、真っ直ぐに立つ線香の煙を目で追いながら呟いた。
「教授は、君たちのお祖父さまをラマヌジャンに例えたのだろう? それなら、コウゾー・トヅキ氏を継ぐのはきみじゃない」
もう一度、吉野に視線を戻す。
「何もない中空に手を伸ばして、真理を掴みとってくるのは、きみじゃない。アスカの方だろう?」
攻撃的なヘンリーの視線を逃げることなく受けとめ、じっとその青紫の瞳を見つめ返していた吉野は、すっと目を逸らすとカードを取り上げシャッフルし始めた。
「何にする?」
「きみの得意なものでかまわないよ」
「なら、テキサスホールデムで」
「俺の敗けだ」
吉野はカードを伏せて置いたまま、にかっと笑った。
「約束は守るよ」
立ちあがり、さっぱりとした顔で大きく伸びをする。
「腹が減った。夕飯まだ? メアリーはイギリス人とは思えないほど料理が上手いな」
「彼女はスコットランド人だよ。そろそろいいんじゃないかな。アスカに声を掛けて先にダイニングに行ってくれるかい、図書室にいるはずだから」
ヘンリーはソファーに肘を立てたまま吉野を見あげて、なんとも言えない表情で微笑んだ。頷いた吉野は、そのまま部屋を後にする。ドアがバタリと閉められた。
伏せられたままの吉野のカードを開いた。
「本当に強いんだな」
カードを放り出すと、自然とヘンリーの中からは笑い声が染み出してきていた。
せっかくアスカを手放す決心をつけたのに、まさかヨシノの方が勝負を降りるなんて。
アーニーの言う通りだよ。まったくあの子は予測できない、本物のギャンブラーだ――。
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