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五章
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「ルベリーニ宗主さま、じきじきのお出迎えだね」
ヒースロー空港に降りたった吉野を、ロレンツォは拍手でもって迎えていた。吉野は照れたように笑い、肩をすめている。ロレンツォ自身よりも、彼の背後を守る黒ずくめのボディーガードたちが、まるで映画で見るマフィアのファミリーのようで、気恥ずかしく、滑稽だったのだ。
「マリーネが世話になったな」
駄目だ――。セリフまでマフィアのドンみたいだ。
吉野は必死で笑いを噛み殺して俯いている。
「タダじゃない。報酬は貰うよ」
「当然だな。商談といこうじゃないか」
ロレンツォはくいっと頭を傾げて、ついて来い、と先立って歩きだした。
ロンドンのロレンツィオのフラットに案内された吉野は、居間で待つようにいわれ、モノトーンで統一されたインテリアの中でただひとつ鮮やかな赤を放つ一人掛けソファーに腰をおろした。ずぶずぶと沈みこむように柔らかい。ぐったりと身を預け、吐息を漏らした。
「変なところで兄弟だな」
笑いを含んだ声に視線を上げる。
「そこはアスカの指定席だ」
「これ、いいね。すぐに眠れそうだよ」
吉野はソファーの上に足を上げ縮こまっている。本当にこのまま眠ってしまいそうだ。
「おい、寝るなよ」
「コーヒー、エスプレッソで我慢するよ」
「ロレンツォ・ルベリーニを顎で使うのか!」
「俺、客だろ?」
ロレンツォは、声を立てて笑った。やはり兄弟だな、とまたもや頷きながら――。
ほどなくして、執事が淹れたてのエスプレッソを差しだした。吉野はやっと身体を起こし、一気に飲み干す。
「それで商談って何? 値切る気?」
吉野の傍若無人な態度に、ロレンツォは苦笑いしている。
「種明かしくらいしろよ。不正発覚から一週間で四割超下落した株価がもう半値戻しだ。どういう芸当を使ったんだ? 殿下の金か?」
「企業秘密――、て言いたいところだけれど、あんたのところの問題だもんな。あと三カ月以内に全戻しさせるよ」
吉野は肘掛に肘をつき、顎を支えて気だるそうに話始めた。
「まず、二カ月以上前から、DAXも、フォレスト社株も、動きがおかしかっただろ? マリーネだってかなり前から知ってたんじゃないの? 米国のフォックス投資銀行を筆頭に、相当数の空売りが入ってたんだよ。ここの株、サウードの国の政府系ファンドが17%持っているんだ。米国の狙いはこの17%と、浮動株20%だよ。暴落させて、売らせて、買い占める気だったんだ。政府系ファンドは不祥事を起こしたり、赤字の会社は買わない決まりだからね」
「議決権か――」
「もともと、環境基準に違反する不正自体が仕組まれたものだろ? 米国の、自国製造業保護のためのさ」
「タイミング的にもそうだろうな」
ロレンツォも、同意を得たりと頷く。
「フォレスト社は技術力のあるいい会社だよ。不正をする必要なんてなかった。嵌められたんだよ、米国に。でも、引っかかちまったものは仕方がない。制裁金は払わされるだろうね」
ロレンツォも、仕方がない、と軽く顎を引いた。
「それで、どうやって株価を戻したんだ。まだまだこの事件は解明すらされていないってのに」
「不正事件が発覚した日、株価が暴落しただろ? その後一週間でさらに下げた。あれは現物の投げと、裸売りだよ。フォレスト社、倒産の噂まで出ているからね。投げ売りが出きったところで、サウードの持ち株分の空売りを買い戻して、米国の売りを踏み上げたんだよ。あとは政府に働きかけて、空売り規制をかければいい。サウードが現物株を手放さなかった時点で、この勝負は終わっている。浮動株数から見ても、これ以上の株価下落はないよ。米国勢も空売りを買い戻さざるを得なくなる。二、三カ月の内に株価は暴落前に戻るよ」
吉野は淡々と説明し終わると、「おかわり。ついでに何か食い物も」と、手の中に握ったままになっていたデミカップをロレンツィオに差しだした。すぐさま、部屋の隅に立つ執事が受け取りに歩み寄る。
「テレビつけて。このニュース、やってるんだろ?」
執事はちらりとロレンツォを窺い、壁に取りつけられたフルハイビジョンテレビのスイッチを入れた。
案の定、画面の中ではこの問題が語られている。フォレスト社の米国工場が、米国環境保護庁の基準を超える大気汚染物質をだし、その数値を意図的に誤魔化していたと、アナウンサーが憤慨した様子で糾弾している。コメンテーターも、皆、一様にフォレスト社に厳しく、今後の会社の存続に懐疑的な意見を発している。
「マリーネだ」
画面に映るマリーネを見て、吉野は意外そうに呟いた。
「前に会った時とまるで顔が違う。あんな派手な化粧してなかったよ」
アナウンサーにマイクを向けられているマリーネは、「フォレスト社が迅速に過ちを正し、立ち直ることを信じている。筆頭株主としてこれからも応援していくつもりだ」と、毅然とした態度で話している。アナウンサーは、憤慨する既存株主の心情や、株主代表訴訟の可能性についてなおもしつこく質問している。
「あそこは戦場だ。経営に参画していないとはいえ、あいつの一言で会社の方向性が測られるんだ。判るか? あいつがあんなふうに化粧するのはな、男に媚びるためじゃない」
言葉を切ったロレンツォに吉野は訝しげな視線を向け、続きを促した。
「どんなキツイことを言われても、泣きださないためだよ。泣くと化粧が崩れるだろ? あいつは気の弱いただの女だけどな、誇り高いドイツ・ルベリーニ一族の当主なんだよ」
ロレンツォは、誇らしげに目を細め、画面の中のマリーネを見つめていた。
ヒースロー空港に降りたった吉野を、ロレンツォは拍手でもって迎えていた。吉野は照れたように笑い、肩をすめている。ロレンツォ自身よりも、彼の背後を守る黒ずくめのボディーガードたちが、まるで映画で見るマフィアのファミリーのようで、気恥ずかしく、滑稽だったのだ。
「マリーネが世話になったな」
駄目だ――。セリフまでマフィアのドンみたいだ。
吉野は必死で笑いを噛み殺して俯いている。
「タダじゃない。報酬は貰うよ」
「当然だな。商談といこうじゃないか」
ロレンツォはくいっと頭を傾げて、ついて来い、と先立って歩きだした。
ロンドンのロレンツィオのフラットに案内された吉野は、居間で待つようにいわれ、モノトーンで統一されたインテリアの中でただひとつ鮮やかな赤を放つ一人掛けソファーに腰をおろした。ずぶずぶと沈みこむように柔らかい。ぐったりと身を預け、吐息を漏らした。
「変なところで兄弟だな」
笑いを含んだ声に視線を上げる。
「そこはアスカの指定席だ」
「これ、いいね。すぐに眠れそうだよ」
吉野はソファーの上に足を上げ縮こまっている。本当にこのまま眠ってしまいそうだ。
「おい、寝るなよ」
「コーヒー、エスプレッソで我慢するよ」
「ロレンツォ・ルベリーニを顎で使うのか!」
「俺、客だろ?」
ロレンツォは、声を立てて笑った。やはり兄弟だな、とまたもや頷きながら――。
ほどなくして、執事が淹れたてのエスプレッソを差しだした。吉野はやっと身体を起こし、一気に飲み干す。
「それで商談って何? 値切る気?」
吉野の傍若無人な態度に、ロレンツォは苦笑いしている。
「種明かしくらいしろよ。不正発覚から一週間で四割超下落した株価がもう半値戻しだ。どういう芸当を使ったんだ? 殿下の金か?」
「企業秘密――、て言いたいところだけれど、あんたのところの問題だもんな。あと三カ月以内に全戻しさせるよ」
吉野は肘掛に肘をつき、顎を支えて気だるそうに話始めた。
「まず、二カ月以上前から、DAXも、フォレスト社株も、動きがおかしかっただろ? マリーネだってかなり前から知ってたんじゃないの? 米国のフォックス投資銀行を筆頭に、相当数の空売りが入ってたんだよ。ここの株、サウードの国の政府系ファンドが17%持っているんだ。米国の狙いはこの17%と、浮動株20%だよ。暴落させて、売らせて、買い占める気だったんだ。政府系ファンドは不祥事を起こしたり、赤字の会社は買わない決まりだからね」
「議決権か――」
「もともと、環境基準に違反する不正自体が仕組まれたものだろ? 米国の、自国製造業保護のためのさ」
「タイミング的にもそうだろうな」
ロレンツォも、同意を得たりと頷く。
「フォレスト社は技術力のあるいい会社だよ。不正をする必要なんてなかった。嵌められたんだよ、米国に。でも、引っかかちまったものは仕方がない。制裁金は払わされるだろうね」
ロレンツォも、仕方がない、と軽く顎を引いた。
「それで、どうやって株価を戻したんだ。まだまだこの事件は解明すらされていないってのに」
「不正事件が発覚した日、株価が暴落しただろ? その後一週間でさらに下げた。あれは現物の投げと、裸売りだよ。フォレスト社、倒産の噂まで出ているからね。投げ売りが出きったところで、サウードの持ち株分の空売りを買い戻して、米国の売りを踏み上げたんだよ。あとは政府に働きかけて、空売り規制をかければいい。サウードが現物株を手放さなかった時点で、この勝負は終わっている。浮動株数から見ても、これ以上の株価下落はないよ。米国勢も空売りを買い戻さざるを得なくなる。二、三カ月の内に株価は暴落前に戻るよ」
吉野は淡々と説明し終わると、「おかわり。ついでに何か食い物も」と、手の中に握ったままになっていたデミカップをロレンツィオに差しだした。すぐさま、部屋の隅に立つ執事が受け取りに歩み寄る。
「テレビつけて。このニュース、やってるんだろ?」
執事はちらりとロレンツォを窺い、壁に取りつけられたフルハイビジョンテレビのスイッチを入れた。
案の定、画面の中ではこの問題が語られている。フォレスト社の米国工場が、米国環境保護庁の基準を超える大気汚染物質をだし、その数値を意図的に誤魔化していたと、アナウンサーが憤慨した様子で糾弾している。コメンテーターも、皆、一様にフォレスト社に厳しく、今後の会社の存続に懐疑的な意見を発している。
「マリーネだ」
画面に映るマリーネを見て、吉野は意外そうに呟いた。
「前に会った時とまるで顔が違う。あんな派手な化粧してなかったよ」
アナウンサーにマイクを向けられているマリーネは、「フォレスト社が迅速に過ちを正し、立ち直ることを信じている。筆頭株主としてこれからも応援していくつもりだ」と、毅然とした態度で話している。アナウンサーは、憤慨する既存株主の心情や、株主代表訴訟の可能性についてなおもしつこく質問している。
「あそこは戦場だ。経営に参画していないとはいえ、あいつの一言で会社の方向性が測られるんだ。判るか? あいつがあんなふうに化粧するのはな、男に媚びるためじゃない」
言葉を切ったロレンツォに吉野は訝しげな視線を向け、続きを促した。
「どんなキツイことを言われても、泣きださないためだよ。泣くと化粧が崩れるだろ? あいつは気の弱いただの女だけどな、誇り高いドイツ・ルベリーニ一族の当主なんだよ」
ロレンツォは、誇らしげに目を細め、画面の中のマリーネを見つめていた。
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